中仙道とは

last revised on 2002/08/28.


中仙道の歴史

 東海道とともに江戸時代の五街道の一つとなった中山道は、 この時初めて制定された街道というわけではなく、 その前身を東山道とも呼んで古代から中世にかけて西国と東国を結ぶ重要な街道でもあった。

 この東山道というのは、文武天皇の頃(697-707)で「近江・美濃・飛騨・信濃・武蔵・下野・上野・陸奥」の8国を指し、 和銅5年(712)にはこれに出羽が加えられ、宝亀2年(771)には武蔵がこれから外され東海道に移された。

 このように古くは国々を集めての総称だったのだが、その東山道が道の名としても用いられるようになったのは、 おそらくは孝徳天皇の大化元年(645)に始まる大化の改新以降のことではないだろうか。

 この東山道は、しかし温暖な太平洋岸に面していたために次第に整備され始めた東海道に対し、 しばらくは裏道的な存在として生きてきた。

 やがて、戦国時代に入ると、群雄割拠の時代には小田原北条氏が倉賀野・高崎・板鼻・安中・松井田・坂本の六宿を創設、 また下諏訪・塩尻・洗馬・贄川・奈良井・薮原・福島の七宿は武田氏が伝馬の継立を行っているなど、 東山道から中山道への移行期にはすでに宿駅が設けられ始めていた。

 こうして天正18年に至ると、8月1日に徳川家康の江戸入りがあり、 以来10年を経て慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの後、 事実上天下の兵馬の権を握った家康がまず手をつけたのが道路の整備であった。

 そして同6年の彦坂元正等による東海道の巡視を基にして五十三次が定められ、 以来中山道・甲州道中・奥州道中などを幕府直轄下の街道と定め、 万治2年(1659)には大目付高木伊勢守守久を初代の道中奉行とし、 その管轄下に日光道中を含めた五街道を置いたのだった。

 さてこうして発展した中山道は、東海道とともに江戸と京を結ぶ重要幹線として生き続けた。 幕府の旗本などで大阪勤番の者は、往路は東海道、帰路は中山道を利用する例が多く、 また東海道のように河留めの多い大井川、あるいは浜名の渡し、桑名の渡しなど 水による困難がほとんどない故に女性の道中に好まれることも多く、 幕末の和宮の降嫁がこの中山道を利用したのはその良い例といえよう。

「中山道いまむかし道中案内」(今井金吾)より


中仙道の名前

 「只今迄は仙の字書候得ども、向後山之字書可申事。」(駅肝録)

 「五幾七道之中に東山道、山陰道、山陽道いづれも山の道をセンとよみ申候。 東山道の内の中筋の道に候故に、古来より中山道と申事に候」(正徳六年四月触書)

とあるように、正式には「ナカセンドウ」と読み、「中山道」と書くのが正しいです。

(が、私は愛称として「中仙道」を使っています。)


私と中仙道

私はなぜ、中山道のページを作るのか?

それは自分でもよくわかりません。^^;

ただ、小さいころから生まれ育った本庄が中山道最大の宿場であった、というのを聞いて初めて興味を持った気がします。 別に中山道沿いに住んでいた、とか言うことはないのですが(街の子はお祭りに参加できて羨ましかった...)。

また、古い道(現在の広い道と浅い角度で交差したり分岐したりする)を発見して喜んでたり、 古くからあるであろうもの(石碑や神社など)を見るのがなんとなく好きでした。

そしてそんなことも忘れて会社に就職して何年かたった頃、 平凡社の太陽コレクション「地図 江戸・明治・現代」4中山道・奥州道を図書館で発見し、 さらに書店で今井先生の独案内を発見して、中山道への興味が呼び起こされ、一段と高まりました。 そんな折り、インターネットに個人でもホームページが持てるようになってきたので、 この際にと、リンク集とバーチャル中仙道を作るに至りました。

作り始めるとどんどんはまっていき、なかなか中山道を探検する時間も取れない中、 細々と車で廻ったり、資料を片っ端から(まだ全然十分ではありませんが)集めたりして現在に至っています。

私の興味は沿道の石碑や建物もさることながら、正確な道筋を明らかにすることにあります。 実際に現地を歩いて見ると正しい道筋が見えてくる場合もありますし、 明治期の地図(迅速測図など)を現在の地図に(パソコン上で)重ねあわせて古い道のあたりを付けています。 すると今井先生の本でも明らかに間違いであると思われる部分もいくつか見つかってきます。 (明治の地図でも元の古い道が消され新しい道しか載ってない場合もあるらしいですが...。)

道が残っていても地図に載っていない部分もあるので、 位置情報を残すにはやはり実際に現地を歩いて、GPSでデータを取るのが一番だろうと思います。 GPS(Garmin eMap)を購入し、行った場所のログを集めて喜んでいますが、 家に小さい子供が3人いる現在(2002年)、なかなか思うように探検は進んでいません。

現在はGPSmap60CSxを使用して、ちまちまと探検を進めています。 最近はインターネットで詳細な地図を見ることができますし、 国土地理院の数値地図2500も手に入るので それらを使って、より詳細な道筋データを作ってます(もちろん詳細なのは、都市部中心で、分かる範囲だけですが)。

分間延絵図で昔の道筋の形を参考にするのも非常に有効ですが、国会図書館でコピーするのも大変なのでなかなかできなかったのですが、 掲示板で知り合った関根さんからCAD化したデータを頂き、大変参考になりました。関根さんには本当に感謝しております。

最近では中山道に限らず、日本中の街道のデータを集めています。伊能図の中図の本が出版されたので思わず買ってしまいました。



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