湯上り精神論大自然
日は、ちょうど真上に差し掛かったあたりだろうか。
キキィ─────…ッ
一年中夏真っ盛り。木々はうっそうと繁り、葉の間からは陽光が漏れる。
それを全身に浴びて、蒼く輝きながら、ミサトの愛車が颯爽と走り抜けてきた。
パタッ パタン…
「くぅう〜〜〜っ…………やぁっっと着いたぁ!」
停車した車から、まず真っ先にアスカが降り立った。伸びをして、深呼吸をすると、澄んだ空気が肺を満たす。
「空気がおいしい! たまには緑に囲まれるのもいいモノねぇ」
「おおっ、景色は申し分なしね。来て良かったでしょう、アスカ」
次いで降りてきたミサトが、キーをチャラチャラやりながら歩み寄ると、満足げに問い掛ける。
「それはこれから決めることね。……さーあ、温泉行くわよっ!!」
ここしばらく使徒の襲撃は無く、第3新東京市には平和な日々が続いていた。
戦いに疲れた身体をリフレッシュするということで、ミサトは、予てより念願の温泉旅行を計画。
今がチャンス、とばかりに休暇を取り、最大の功労者である子供達も休ませる。
そして見事、実行に移した次第であった。
辿り着いたのは、緑の中に佇む、小さな温泉旅館。
割と近場ながらも、良い雰囲気の旅館を見つけることが出来た。
「ふあっ…………あ、着いたんですか」
「………………」
遅れてのそのそ降りてきたのは、欠伸を噛み殺した、寝ぼけ眼のシンジ。そして、その後ろから、いつも通り無表情なレイ。
気合を入れていたアスカは、そんな二人を見て脱力。
「あんたたち、この風景を前にして、何よその顔は!? もっと感動とかできないわけ?」
「仕方ないじゃないか。寝不足なんだから……」
「ハン! もしかして、昨日興奮して眠れなかったとか? あんた子供?」
「うう……」
確かに、昨夜は色々と準備をして遅くなった。そのため、道中は寝て過ごすと決めていたシンジ。
───しかしその希望は脆くも崩れ去った。
車内で暇を持て余したアスカは、シンジで暇を潰す。
彼にはそれが計算出来なかった。
散々つき合わされた後、アスカは爆睡。シンジも、それを以って、やっと眠りについたのだった。
「情緒くらい身に付けときなさいよね。
さっ、行こっ、ミサト。……あっ、シンジ、あたしの荷物よろしくね」
「え゛!?」
疲労感剥き出しのシンジに、容赦無く雑務を押し付けると、アスカは意気揚々と玄関へ向かった。
「ふぅ…………でも、本当に大丈夫なんですか?」
アスカの背中を見送ったシンジは、不安げな顔でミサトに呟いた。
「んっ? どったの」
「だって、パイロット全員留守にして……
もし、何かあったら……」
チルドレン三人に、作戦部長までネルフを離れたら、戦力は半減どころか皆無に等しくなる。
当然、赤木リツコ博士は猛反対。
「馬鹿なことを言わないで。
いくら間隔が空いてるからって、使徒はいつ来るかわからないのよ?
今がどんな状況なのか、真剣に考えなさい」
「こんな時だからこそ、あの子達にリフレッシュが必要なんじゃない!?
束の間の平和を堪能できるのは、今しかないわ!!」
などとやり合ったが、ラチがあかず。事態は更に上層の判断を仰ぐこととなった。
「温泉か……ならば問題無い」
「ああ、全く以ってその通りだ」
温泉通の中高年二人からは、あっさりと許可が下りた。
その言葉に、口を開けたまま固まるリツコと、小さくガッツポーズを極めるミサト。
そして、一泊二日のささやかな旅ということで、リツコも渋々納得したのだった。
「まっ、何かあったら大急ぎで帰ればいいことよ。そんなに遠くまで来たわけじゃないんだし。あなた達は気にしないで、思いっきり羽を伸ばしなさい。
それより、シンちゃん……あたしの荷物もぉ…………」
「ダメに決まってるでしょ」
さり気なく、自分の荷物も持たせようとするミサトに、シンジは鋭い視線を送る。
彼の手に、首に、肩に、合計三つのスポーツバッグが掛けられている。
そのうち二つがアスカのもの。一泊するだけなのに、やたらと用意をして、カバン一つに収まりきらなくなったのである。
その姿に、ミサトは思わず苦笑いを浮かべた。
「やーねぇ、ウソよウソ。とにかく行きましょ! アスカ待たせると怒られるわよ」
そして彼女は、二人の手を取ると、早足で歩き出した。
部屋に案内された一行は、早速大浴場へと向かった。
「へぇぇ……なかなかいい感じね」
景色が見渡せる大きな窓に、岩造りの風呂。宿泊客が少ないのか、ほとんど貸し切り状態だった。
それに気分を良くしたアスカは、手早く身体を洗うと湯船へ。鼻歌混じりに、片足をつける。
……が、しかし……
「あっ!! ああああつううううううい!!!! んなっ、ななな何よっ、これぇ!!?」
あまりの熱さに、飛び退き絶叫。
……いや、実際それほどの熱さではないのだが、日本の熱い湯に慣れていないのか。
自宅の風呂も、湯加減について、厳しく指示を出すアスカである。
彼女にとっては、まさしく熱湯であった。
「まったく、客ナメてんのかしら……」
「…………」
一人、文句を言うアスカの横を、無言でレイが通り過ぎる。そして、何食わぬ顔で湯船に入ると、肩まで浸かり、「ホッ…」と一つ溜め息。
「なぁ〜にが『ホッ』よ!! あんたのヒフは耐熱仕様だってぇの!?」
「……耐熱処置なんて、出来ないわ……それに、温度は普通よ」
真顔で返されて、アスカのこめかみがピクピク波打つ。そして、口の端に笑みを浮かべながら、低く呟く。
「ああ、そう……あたしがおかしいっていうの……いーわよ、やってやるわよ!」
そう言うと、彼女はおもむろに桶を手に取り冷水を注いだ。
そして、頭から一気にかぶると、そのまま湯船へダイブ。
「エヴァ弐号機、着艦しまぁーーーす!!!」
ザバアッ!!
盛大に水飛沫を上げ、アスカが着艦、もとい、着水した。
非常に迷惑極まりない行為であるが、他に客はいない。
飛んでくる飛沫に、レイは微動だにせず、ただ目を閉じていた。
「くっ…うううううう………やっぱり、あっついじゃないのっ、これぇ!!!」
またもや叫び、湯船から這い出て、アスカは肩で息をする。
どんなに騒いでも、まったく意に介さないレイの様子も、彼女の怒りに拍車をかける。
「あんた、このくらいで勝ったと思わないでね。次はあれで勝負よ!」
と、指差す先はサウナ室。
レイは目を開くと、しばらくその先をじっと見つめ、何も言わずそちらへ向かう。
いつの間にか勝負という形になっていたが、彼女にとっては、単にサウナに興味が湧いただけなのだろう。
とにかく場所を移して、第2ラウンド開始となった。
「っくうぅぅ……我慢、我慢。まだまだよぉ〜」
扉を開けると先客の姿。
腕を組み、唸り声を上げながらミサトが座っていた。
「みっ、ミサト!? あんた、もしかして今までずっとここに居たの?」
姿を見ないと思ったら…と、アスカは驚き呆れる。
「あら、な〜に? 二人してぇ……
いつの間にそんなに仲良くなったのよぉ〜?」
「あまり滅多な事言うもんじゃないわよ。どう見たら、仲良く見えるのよ」
ミサトに一睨みすると、アスカはズカズカと奥へ進み、熱源の前に座る。
その隣りに、続いてレイが腰を下ろした。
「なによー。仲良いんじゃないの、それ?」
並んで座る二人を見て、ミサトは目を細めた。
「これはっ、仕方ないのよ!! 同じ条件でやらなきゃいけないし」
「はっはーん、なるほど……どーでもいいけど、二人とも程ほどにしときなさいよ?」
「それはミサトでしょ? 脳みそ溶けるわよ、あんた」
そう言い返すアスカに、ミサトはにんまりと頬を緩ませた。
「この後のお楽しみのためよ。
あなた達にも、この素晴らしさ分けてあげるわ。期待してなさい」
不敵な笑みで発せられたミサトの言葉は、何か意味深だったが、アスカは気に留めず、レイの方へ顔を向ける。
「いい? 長くこの中に入って居られた方の勝ちよ!」
「……そう」
「ふんっ、そのヨユウな顔がいつまで出来るかしらねっ」
そうしたやりとりの後、女の戦い第二幕が始まった。
10分、20分、30分……と時計の針が進んでいく。
(くっ……何よ、コイツ……まだ平気なの……?)
だいぶ参ってきたアスカが、隣りの様子を気にする。
レイは開始から同じ姿勢で、表情も崩さず座っていた。
(ほんと、どんな構造してんのよ、コイツの体は)
だが、その場の誰も気づかない程度に、だんだんレイの頭が揺れていく。
フラ… フラ…
身体が、とても軽い……
自分が、自分でない感じ……
とてもヘン……
ポスッ…
揺れを増していった彼女の頭は、とうとうアスカの肩にもたれ掛かる。
「ちょっ…何よ、ファーストっ! …って、気ぃ失ってる!?」
慌ててその頭を引き剥がしたアスカが、どうも様子がおかしいことに気づいた。
「あちゃ、こりゃのぼせてるわね。
アスカっ、外に運ぶから、手伝って!」
「ヤセ我慢してたってわけ!? 少しは顔に出しなさいよ!!
ホントに……なんなのよ、コイツは……」
一応、勝ちを収めたが、どうにもすっきりしないアスカだった。
一方、男湯では……
こちらも客が少ない様子。老人が一人、シャンプーを泡立てている。
「クァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ」
と、そこへ何とも奇怪な声。
老人がゆっくりと、その声の方向へ顔を向ける。
「くっ…くぁ〜〜〜〜〜っ、いい湯だぁ…………なんて。
はっ、はははは…」
それにぎこちない笑顔で返すシンジ。
老人は正面を向き直ると、何事も無かったかのように、洗髪を再開した。
それを見て、シンジは胸を撫で下ろした。
「だっ、ダメだよ…静かにしてなくちゃ……」
シンジが小声でささやく先には、もう一人、いや、一羽の温泉客、ペンペンの姿。
もちろん、ペットの持ち込みなど出来る筈無いのだが、
「温泉旅行に温泉ペンギン連れて行かないなんて、不条理よっ!!」
というミサトの主張で、こっそり連れて来たのであった。
「クェェ……」
せっかくの温泉なのに、はしゃげないということで、ペンペンは溜め息を漏らした。
大浴場の入り口の前は、ちょっとした休憩処となっていた。
「やっ……やめてよっ、ペンペン……
くっ……くすぐったい…………っははは」
男湯の暖簾をくぐって、シンジが笑いを堪えながら出てくる。
その浴衣のお腹部分は、不自然にふくらんでいた。
しかも、何やらモゾモゾと動く。
「…っはぁ……まったく、動かないでって言ったのに。
…あっ、みんな上がってたんだ」
シンジは、女性陣の姿に気づくと、動くお腹を押さえつけながら駆け寄った。
レイのアクシデントにより、彼女達は少し早めに入浴を切り上げたのだった。
んぐっ んぐっ んぐっ…
「かぁ〜〜〜〜っ……うんめぇ〜!!」
「ぷはぁっ!!」
「…………ほっ」
三人は、それぞれ風呂上りの一本を堪能中だった。
「牛乳が、こんなに美味しくなるなんて……
日本の文化もあなどれないわねぇ」
───風呂上りの白牛乳美味し───
ミサトから湯上りの心得を伝授されて、感慨深く頷く牛乳ヒゲの少女。
「ふふ〜ん、そぉでしょうよ。
ほんとは、こっちの方がもっと美味しいんだけど、あなた達はまだお預けね」
「うう〜っ、ケチ」
手に持ったビールをちらつかせるミサトに、アスカはふてくされたように牛乳ビンをあおる。
腰に手をあてたその浴衣姿は、とても画になっていた。
アスカ、すっかり日本人だな…
その光景に、シンジは軽く微笑んだ。
フラ フラ フラ…
顔が、とても熱い……
身体が……浮いているような感じ……
…私、まだのぼせてるの……?
ポスッ
そこへ、先程から足元おぼつかなく徘徊していたレイがぶつかる。
「わっ……あ、綾波……? どうしたの?
…………って、それってお酒じゃ!?」
見ると、その手には、ミサトと同じビールの缶が握られていた。
彼女は、対象を牛乳からビールに改め、ミサトの言葉を実験中であった。
ほんのり赤いその顔と、湿った水色の髪のコントラストが美しい。
「あら、ダーメよ、レイ。背伸びしちゃ……
でも、とーっても気持ちいいでしょ?」
「……のぼせるのは、気持ちのいいこと?」
「むぅぅ……ファーストっ! それ、ちょっと貸しなさいっ!!」
「だ…ダメだって、アスカぁ!」
一行の襲来により、小さな旅館には喧騒が響く。
日は傾き、窓の外は茜色に染まっていた。
───その頃、ネルフ本部、大浴場。
「温泉か……ここの風呂も飽きてきたな。
どうだ、碇? わしらも、近々……」
「ああ…問題無かろう……」
束の間の平和は、まだ続く。
完
初めまして。
原作の明るい雰囲気を思い出し、書いてみました。
軽いノリで読めるものを目指したつもりです。
暇つぶし程度で読んで頂けたら光栄です。