written by FUJIWARA


 

The Next Generation of  "NEON GENESIS EVANGELION"

第9話 死に至るヤ

 

 

 

意識がゆっくりと戻ってくる。

激しい吐き気と頭痛は治まっていたが、なおも不快な感覚は続いている。

目を開くと、アイの身体をピンク色のもやのような、霧のようなものが包んでいた。

そのせいか、一寸先も見えない。

 

(ついさっきまで弐号機に乗って黒い量産機と戦っていたはずなのに……)

 

自分の身体を見る。

いま、アイが着ているのはいつもの慣れ親しんだ第壱中学校の制服。母の形見の赤いプラグスーツではない。頭につけていたはずの、髪留めを模したインターフェース・ヘッドセットも見当たらない。

 

(夢、だったのかな……? でも……)

 

アイはじっと自分の手を見つめた。

黒い量産機をこの手で殴りつけた感覚はいまでも残っている。

「どこなの、ここ……?」 

 

アイは口に出してみた。 

そのアイの声に反応するかのように、もやがだんだんと薄れていく。 

気がつくと、アイはどこかの廊下に横たわっていた。

(あたし、こんなところで寝てる……!?)

天地の感覚などなくなっていたから、まさか自分が廊下で横になっていることなんて思ってもみなかった。

 

 

慌てて立ち上がり、制服についている埃を払う。

(でも、本当にここ……、どこだろ?)

薄暗く、長い廊下が続いていて、アイの目の前にはドアがひとつ。

アイはドアを開いてみた。

どうやらここは、どこかのトイレらしかった。きれいに清掃されているこのトイレに、何故か、アイは見覚えがあった。

(そうだ、ここはネルフの……)

はっと思い出す。

訓練中に何度か使ったことのある、パイロット更衣室にほど近い女子トイレ。

ほとんどパイロット専用となっていて、アイ以外には使われていなかった。

 

 

(でも……)

アイは訝しげに一番奥の個室を見た。

一番奥だけ、扉が閉ざされている。誰か、使用中なのだろうか。

アイが出ていこうか、と迷っていると、その個室から水を流す音がして、青白い顔をした少女がひとり、下腹部を手で押さえながら出てきた。

アイと同じ制服姿の、赤みがかった金髪の少女。

アイはその少女を知っていた。

いや、正確には写真でしか見たことがなかったが、アイが見間違えるはずもなかった。

何故なら、少女はアイの母親なのだから。

記憶の中の母と唯一違うのは、目の前の母がやや幼く見えることだろうか。

だからアイは、確認の意味を込めて呟いた。

 

 

「……お母さん?」

少女は、アスカだった。

母の名を呟いたきり、アイはその場に立ち尽くしてしまう。

アスカは下腹部を押さえたまま、じっと個室を出たところで立っている。だが、アスカとアイの視線が絡み合うことはなかった。

青白い顔のアスカは呆然とするアイの側をすり抜けるようにして、洗面台に向かう。

まるでアイなど、目に入らないかのように。

 

「お、お母さん……!」

慌ててアイはアスカの背中に向かって呼びかけるが、アスカは全く反応しなかった。 アイの言葉など、全く耳に入らない様子で、アスカは何度も何度も、石鹸で手を洗っている。

水がジャーッと勢いよく流れる音だけが、広くない空間に響く。

(あたしの声が聞こえていない……?) 

意を決してアイはアスカの隣に立ち、もう一度呼びかける。

「お母さん! お母さん!」

それでもアスカはぴくりとも反応しない。ただじっと洗面台の前で、鏡に映る顔色のよくない自分の顔を睨みつけているだけだ。

やがて、アスカの唇が動いた。

自分に気づいてくれた……! 期待したアイだったが、それは脆くも崩れ去る。

アスカが発した言葉は、アイを打ちのめした。

 

 

 

「女だからって、何でこんな目に遭わなきゃなんないのよ。子どもなんて、絶対いらないのに!」 

 

 

 

(え……!?)

アスカがどうして苦しんでいるのか、アイは理解した。恐らく生理痛。アイも決して軽い方ではないから、母の苦しみはよく分かる。

だが、最後にアスカが吐き捨てた言葉。

子どもなんて、絶対にいらない……。

(嘘……、うそ!?)

アイはアスカの言葉をその耳ではっきりと聞き、一瞬、目の前が真っ暗になるのを感じた。

(子どもなんかいらなかったの!? あたしなんか生みたくなかったの!?)

「あ、ああ……、あの……」

頭が混乱して、声にならない。

青白い顔のままトイレを出ていくアスカをアイは呆然としたまま見送っていたが、すぐに我に帰るとアイは慌てて追いかけた。 

「待って! 待ってよお母さん!」

 

 

 

 

バタンッ

目の前で閉じられるドア。

すぐにアイもドアを開ける。

だが、トイレを出たところは、アイが倒れていたはずの廊下ではなかった。

そこは8畳くらいの部屋。

壁紙も、カーペットも、カーテンも、静かに動いているクーラーも、壁に備え付けられた小さなステレオも、無造作に立てかけられたチェロケースも、何もかもアイは見覚えがあった。

何故ならそこは、コンフォート17マンションの、アイの部屋だから。

(なに、これ……。どういうこと……?)

 

 

しかし、アイはそれ以上何も考えられなかった。

信じられないものを見てしまったから。

部屋の中央には、アイが使っているベッドが置かれてあった。

アイ一人が寝るには、少し大きいんじゃないかといつも思っていたベッド。

そのベッドの上で、少年と少女が抱き合っていた。

2人とも、全裸。

少女はアスカ。そして、少年は、

 

 

「お父さん!」

シンジだった。

 

 

「お父さん、お母さん……」

うっすらと汗を浮かべたアスカの身体は、記憶にあるレイの肌と比べても遜色ないくらいに白くてきれいで、対してシンジは、繊細そうな顔だちからは想像できないほどしっかりした、男の身体をしていた。

何故2人が全裸で抱き合っているのか、一体何をしようとしているのか、瞬時にアイは理解して顔を真っ赤にする。

アイはまだ中学1年生だが、男女間でのそうした行為は知っている。そしてそれが、子どもを作る「神聖な」行為であるということも分かっている。

とはいえ、実際に目の前で見せられては、思春期真っ盛りのアイが戸惑い、混乱してしまうのは当たり前だった。

 

 

 

そんなアイの思惑も無視して、ベッドの上のシンジとアスカは甘い会話を続ける。

「ねえ、アスカ。もいっかい、しようよ?」 

「もう、シンジって相変わらずエッチでスケベなんだから!」 

怒っている口ぶりとはうらはらに甘いアスカの声。いやらしく笑うシンジ。それを目の当たりにして、アイの全身が震える。 

「だけどシンジ、ちゃんとアレ、つけてよね。あたし、ママになるつもりなんかこれっぽっちもないんだから!」 

「いいじゃないかアスカ。もしできたら、堕ろせばいいんだから」 

「ま、それもそうだけど」 

「いまは楽しもうよ」

「そう、ね……」

シンジとアスカの唇が合わさり、シンジがアスカの身体を撫で回す段になって、慌ててアイはその部屋を飛び出した。

時おりアスカがあげる愉悦の声など、聞いていたくなかった。

部屋を出ると、やはりそこはコンフォート17マンションの廊下。

ネルフのトイレではなかった。

 

 

 

へなへなと力が抜けて、廊下で膝を抱えてしゃがみ込む。

訳が分からなかった。

どうして自分の目の前に、いないはずの両親がいるのか。

ただ、つい先ほどまで弐号機に乗って量産機と戦っていたことはすっかり忘れていた。

 

 

 

(産んで、くれ、ないの……!?)

アスカの言葉を思い出すアイ。

(やっぱり、あたしなんかいらなかったの? できちゃったから、仕方なかったからなの?)

 

 

 

『シンジ君とアスカは君の誕生を望んだんだよ』

加持リョウジは確かにそういった。あの言葉は嘘だったのか。アイと弐号機のシンクロ率を高めるために、言葉巧みにアイの心を弄んだだけだったのか。

 

 

 

(あたしなんて……、あたしなんて……)

アイの蒼い瞳から、涙がこぼれ落ちる。

そのとき、アイの耳に赤ちゃんの泣き声が飛び込んできた。

アイは涙に濡れた顔をあげる。

赤ちゃんの泣き声は、隣の部屋、すなわち、レイが使っているはずの部屋から聞こえてくる。

「赤ちゃんが……、泣いてる……」

 

 

 

その声に導かれるように、アイはややふらふらした足取りでレイの部屋に向かう。

部屋の中央に、ベビーベッドが置かれ、その中で赤ちゃんがけたたましい声で泣いていた。

その赤ちゃんは、アイと同じ、薄い紅茶色の髪と、蒼い瞳。

見た感じ、女の子。

(もしかして……)

アイの顔から血の気が引く。

(この女の子って、あたし、なの!?)

それはともかく、こんなにまで赤ちゃんが泣いているのに、誰も様子を見にこない。

よく分からないが、お腹がすいているのか、オシメが濡れているのだろうか。

いてもたってもいられず、アイはもう一度隣の部屋に駆け込んだ。

シンジとアスカがいるはずの部屋に。

 

 

 

「ねえ、赤ちゃん泣いてる! 放っておくつもりなの!?」

部屋に入るなり、アイは叫ぶ。

だがやはり、2人はアイの呼びかけにも全く応じなかった。

ただ、2人は全裸ではなかった。もうきちんと、服を着ていた。そして、何かしらいい争っていた。

 

 

「ほら、アイが泣いてるじゃない!」

「そんなの知らないよ。アイの面倒なんか、僕は見る気なんかないからね!」

「そんなの、あたしだって知らないわよ! ……だいたい、アイなんか生みたくて生んだんじゃないんだから。あのときアンタが、何もつけたくないなんていったから……!」

「何だよ、僕のせいだっていうの!? アスカだって、つけないほうがいいっていったからじゃないか!」

「ふん、そんなの知らないわよ! で、どうするのよ、アイ、このまま放っておくわけ!?」

 

 

目の前の両親の争いを、アイは信じられない気持ちで見つめる。

子どもの世話さえ放棄している両親に、アイは激しい憤りを感じるとともに、絶望さえ感じていた。

やっぱり自分は、望まれて生まれてこなかった。

愛されていなかった。

こんなにも両親に疎まれている。

「あたし、生まれてこなければよかった……」

 

 

 

 

 

小さく呟いたアイの声に、初めてシンジとアスカは反応する。

2人は突然口喧嘩をやめて、ドアの側に立つアイを見つめる。

「そうだよ」

「そうよ」

それがアイに向けて初めて放たれた両親の言葉だった。

 

 

「あんたなんか、生むつもりなんかまったくなかったのよ!」

アスカは憎々しげにアイを睨みつける。

「オマエのおかげで、僕たちは大変だったんだ」

冷たい口調のシンジ。

 

 

「うそ……、嘘……、ウソ……! お父さん、お母さん……」

震える声で両親の名を呼ぶアイに、容赦のない言葉が投げかけられる。

「お父さんなんて呼ぶなっ!」

「あんたなんか、娘と思ったことなんかないわ! お母さんなんて呼ばないで!」

 

 

たまらず、アイはその場から逃げ出す。

滝のように流れる涙。

何も聞きたくない、と耳を押さえてひたすら走った。

(いや……、嫌……、イヤァ!)

 

 

 

 

 

しばらくして足を止めたとき、いつの間にかアイは、アイのよく知る人たちに囲まれていた。

ミサト、リョウジ、リツコ、トウジにヒカリ。いつもアイを可愛がってくれていたその人たちは、きょうは冷たい、怒りの視線をアイに向けていて、アイは背筋が寒くなるのを感じた。

「み、みんなどうした、の……?」

アイの質問には答えず、彼らはじりじり、とアイに歩み寄ってくる。

 

 

「あんたのせいで、シンちゃんとアスカがいなくなってしまったのよ! 責任とんなさいよ!」

ヒステリックにいうミサトが、引き金となった。

次々とアイに対して暴力的な言葉が投げつけられる。

「俺がいったことは全部嘘さ。エヴァに乗ってもらうために適当なことをいっただけなんだよ。本当は君はみんなに疎まれて、生まれてきたのさ」

薄笑いを浮かべる、リョウジ。

「あなた、本当にみんなから愛されていると思ってたの? 愛されてるって思って、いい気になってたの? ……ブザマね」

リツコは冷笑する。

「オノレの親父のせいでワシの脚がのうなってしもうたんや。あんときの借り、返したる。親父の代わりに覚悟せえや」

「トウジ。私にも手伝わせて」

トウジとヒカリは激怒の表情を崩さないまま、アイに詰め寄ってくる。

「いや……。みんな……、どうして……!?」

顔面蒼白状態で、何とかアイはそれだけを口にする。

 

 

 

アイの前に最後に現れたのは、レイだった。一瞬、ホッとするアイだったが、すぐにその表情が凍り付いた。

レイはアイが最も嫌い、恐怖さえ抱くあの冷たい表情をしていたからだ。

「……碇君を帰して」

「マ、ママ!?」

「アスカを返して」

「ママ……、ママ……」

「あなたなんかだいっきらいなの。だから、碇君とアスカの代わりに、あなたが死ねば良かったのに!」

 

 

 

 

 

「やだ、やだよ……、ママ、あたしを、あたしをキライにならないで……、お願いだから!」

「……いやよ」

決定的なレイの言葉。それを聞いてアイの頭の中が真っ白になる。

「ねぇ、アンタなんか誰にも必要されていないんだから。そろそろ死んだら?」

突然アイの前に現れるのはアスカ。

アスカの顔が崩れ、そこに現れたのはエヴァ量産機の嫌らしい顔。だが、アイはそんなことに気づく余裕はない。

アイの頭の中を占めているのは、アイが好きだった人たちの、無惨な言葉。

「あたしがアンタを死の世界に連れていってあげるわ……」

「いや、いや、いややあああああ!」

 

 

 

 

 

アイが声を限りに叫んだとき、温かい感覚がアイの全身を包んだ。

頭を抱えてうずくまるアイを、シンジとアスカが見下ろしていた。

 


<2000.08.08>