written by FUJIWARA


 

The Next Generation of  "NEON GENESIS EVANGELION"

第12話 好きな人は、誰で

 

 

 

警告色である橙色のプラグスーツを着た少女が、テストプラグの中でじっと目を閉じている。

気負った感じはない。

お風呂でのんびりくつろいでいるようなリラックスした感じで、表情も穏やかだ。

すったばかりの墨のような色をした、長い髪が印象的なその少女は、容姿の面からも印象的だった。

アイが欧風の美少女なら、プラグ内にいる少女、加持ミサキは純日本風の美少女といえよう。

なにしろ2人そろって、「第壱中が誇る美少女ペア」と呼ばれているほどだ。

肌の白さはアイほどではないが、形の良い眉に大きな瞳、きりっと引き締まった口元といった均整のとれた顔立ちに加え、中学生とは思えない優れたスタイルがプラグスーツの上からだとよく分かる。

美男美女のカップルである加持リョウジ、ミサトの血をほどよく受け継いだミサキは、アイの戦勝パーティー終了後に自分に適格者の可能性があることを知らされ、そのあとすぐに自らの意志でテストプラグに入った。

『分かりました。私、エヴァンゲリオンのパイロットになります』

それがミサキがパイロットになることを了承したときの言葉。

碇シンジのように一時は拒否することもなく、かといってアイのように諦めた感じでもなく、まるで、「今日の夕食はカレーにします」とでもいうように、あっさりと、当たり前のようにミサキは答えた。

両親に対しては、

『アイ1人だけに、そんな大変なことさせられないから』

とだけいい残して。

リョウジとミサトはただ、「がんばって」とだけ口にして、ミサキがテストプラグに入るのを見守るしかなかった。

 

 

 

実験データを分析するために作られたコントロールルームには、大勢の技術開発部のメンバーが詰めている。

量産機との戦いが終わったばかりで彼らの顔にも疲労の色が出ているが、それでも文句ひとついわず、黙々と機器に視線を走らせている。

慣れ親しんだオペレーターの制服を脱ぎ、リツコと同じように白衣をまとった技術開発部長、伊吹マヤ三佐は、そんな部員の様子を満足げに眺めながら、凛と張りつめた口調で命令を下した。

「シンクロテスト、開始」

カタカタカタ……。

命令と同時に、キーボードをたたく音が広くないコントロールルームに響きわたる。

その音を心地よいBGMとして、マヤは次々と命令を下していく。

「LCL、注水」

「A10神経接続、開始」

「絶対境界線、突破しました」

「シンクロ率、算出します」

マヤのすぐ隣にはリツコが立ち、同じように作業を見守る。そのリツコの背後数メートルのところでは、加持ミサト、リョウジ、レイ、アイの4人がミサキのシンクロテストの様子を見つめていた。

なおトウジとヒカリはすでに帰宅しており、冬月司令も両副司令にあとを任せて席を外している。

 

 

「ミサキ……」

他人のシンクロテストを見るのは初めてのアイは、不安げな表情を顔一杯に浮かばせて、親友で幼なじみの少女の名前を呟いた。

アイの胸に去来するのは、初めてLCLを体験したときの恐怖。

血の匂いのする黄色い液体が足下から這い上がってくる恐怖感と、気管を通して肺に液体が入ってくる不快感を思い出す。

初めてのテストのときはパニックになって、思わずプラグの外へ飛び出してしまった。

飛び出した先は赤い溶液のプールで、泳ぎが苦手なアイはもう少しで溺れてしまうところだった。

慌てて駆けつけた技術部員たちに助けられたまではよかったが、激怒したリツコによって再びアイはテストプラグに閉じこめられた。

そのことが尾を引いていまなおLCLには多少の恐怖を感じてしまうアイだが、プラグ内の親友は驚いたことに余裕の表情を崩さず、パニックに陥る様子もない。

怖くないの?

気持ち悪くないの?

心配と驚愕が、アイの胸の中で交錯する。

 

 

 

「大丈夫よ、アイ」

アイの不安を見透かしたかのように、ミサトはアイを振り返って、にっこりと微笑んだ。

本当の娘のように接してくれるときにみせる、アイが大好きな笑顔だ。

「あの子は大丈夫。私たちとは違ってしっかりしてるもの。心配することなんかないわ」

いつもと同じ明るい口調でいったあと、ミサトは手を伸ばしてアイの薄い紅茶色の髪をなでてくれる。

おかげで、アイは少しだけ安心する。

(そう、ミサキだったら大丈夫だよね)

ミサキは人一倍しっかりしている少女であることを、アイは思い出した。

学校ではクラス委員長をつとめ、教師、生徒両方からの信頼も篤い。

スポーツ万能で、所属するバレーボール部では1年生ながらレギュラーだ。

さらに料理、掃除、洗濯など、鈴原ヒカリをして「素晴らしいわ」といわしめるくらい家事は完璧にこなす。アイも料理は得意なほうだが、ミサキにはとてもかなわない。

アイはいつか、リツコが加持夫妻に対して、

『こんな両親からあんなしっかりした子どもができるなんて、世の中は不思議に満ちてるわね。……ま、反面教師ってやつかしら?』

と皮肉っていたのを聞いたことがあった。

(ミサキ……、がんばって!)

心の中で応援するアイの耳に、オペレーターのうわずった声が飛び込んできた。

 

 

 

「シンクロ率、よ、42パーセント!」

「まじぃ!? 冗談でしょ!?」

オペレーターの報告に、真っ先に声をあげたのはミサトだった。

ミサトだけでなく、誰もが信じられない、という表情を見せている。

シンクロ率42パーセント。

それはアイが初めてのシンクロテストで出した数値をはるかに上回り、最高記録の70パーセントには及ばないものの、それでも弐号機の起動には何ら問題なく、そして戦えることを示している。

シンジでさえ、突然だったとはいえ初めてエヴァンゲリオンに乗ったときのシンクロ率は41.3パーセント。今回の加持ミサトの数値はそれさえもわずかながら凌駕する。

ところが、誰もが驚く中で、赤木リツコ、伊吹マヤ、綾波レイの3人だけが落ち着いていた。

「マヤ、この数値に間違いはないわね?」

「はい、先輩。全ての計測システムは正常に作動しています」

敬愛する先輩の質問に、マヤは背筋をぴん、と伸ばして答えた。

副司令でもあり、技術開発部の最高責任者でもあるリツコの質問には、いまなお過剰なくらい緊張してしまうマヤだった。

「コアのデータはアイさんのものと同じ?」

「もちろんです。アイさんがテストしていたときのデータを、全くそのまま利用しています。……従って、ミサキさんもエヴァ弐号機を動かせる、ということです」

「でも、コアの書き換えなしに弐号機とシンクロするなんてね。……信じられないけど」

「正直、私も少し信じられません」

そうはいうものの、数値が正しいことはあらゆる機器が証明している。

データを絶対視する2人にとっては、信じられなくても信じざるを得ない。

「まあ、いいわ。事実は事実と受け止めて、原因を探りましょう。早いけどシンクロテストはこれで終了」

「分かりました」

緊張が解けたマヤは、ホッと安心したような笑顔を見せ、手元のマイクを引き寄せてプラグ内のミサキに呼びかける。

「……ミサキさん、あがって下さい。お疲れさまでした」

「はい。……お母さん、どうだった?」

LCLがゆっくりと排出されていく中、ミサキは初めて目を開けて、母親に向かって問いかけた。

「シンクロ率42パーセント。アイの数値には届かないけど、なかなかの数字よん」

母親のその言葉に、ミサキはVサインを出して微笑んだ。

 

 

 

 

 

「ねぇ、リツコぉ……」

プラグ内をモニタしていたカメラが切られるのを確認して、ミサトはリツコに問いかける。

リツコは腕を組んで何か考えている様子で、ミサトの呼びかけにすぐには反応しなかった。

「リツコってば」

もう一度ミサトが呼びかけると、ようやくリツコは気づいた。

「ん? 何、ミサト?」

「さっき内緒なんていってたけど、教えてよ。どうしてミサキが弐号機にシンクロできるわけ?」

「そうだ、俺も教えてほしいな」

ミサトの隣にいたリョウジも、興味深そうに問いかけてくる。

「そうね……。あら、アイさんは?」

リツコは周りを見回して、アイの姿がないことに気づいた。どうやら、シンクロテストが終わったと同時にレイと共にコントロールルームの外に出たらしい。

「更衣室までミサキを迎えにいくって」

ミサトが答えた。

リツコは顎に指を添えてしばらく考え込んだあと、

「アイさんがいないのなら都合がいいかもね。ミサキちゃんが弐号機にシンクロできる理由ね? 確証はないんだけど……」

「推測でいいから教えて。気になって仕方ないのよ」

手を合わせて拝むような仕草を見せるミサトに、リツコは苦笑してふう、とため息をつく。

「ミサキさんはね、心を開いているのよ。弐号機に、というより、シンジ君に対してね」

「へ!?」

「……なるほどな」

リツコがいった意味が分からず、ミサトは目を丸くするが、リョウジは納得したように頷いた。

「ミサト、本当に分からないの? あなたそれでも、ミサキちゃんの母親?」

呆れたような口調でいうリツコに、ミサトはますます困惑する。

「だって、それだけじゃ分かんないわよ」

「考えてごらんなさい。ミサキちゃんがまだ赤ちゃんのころ、一番懐いていたのは誰だった?」

首をかしげて、ミサトは考える。

「……シンジ君だったわ」

「そう。あなたよりも、加持君よりも、ミサキちゃんが一番懐いていたのはシンジ君だったはずよ」

「だけど、それが何なの?」

ミサトの答えにリツコはこめかみを押さえて、もう一度深いため息をついた。

「いい? エヴァとシンクロするのに必要な要素をいってごらんなさい」

「そりゃあ、A10神経でしょ」

ミサトは即答した。何しろ、A10神経の変容のせいでレイも、鈴原トウジもエヴァにシンクロできなくなってしまったのだ。

「そう。誰かを大切だと考える気持ち、誰かを好きだという気持ち。そんな特別な感情にはA10神経が深く関わっているわ。エヴァとパイロットはこのA10神経によってシンクロし、一体化するの。それは分かるわね?」

ミサトは頷く。

「このA10神経は誰にでも備わっているけれど、その中でもエヴァにシンクロできるほど強力なものは10代前半の、特に母親のいない子どもたちに多く見られるわ。だから子どもがエヴァのパイロットに選ばれるわけ。そして大人になるにつれてA10神経が変容し、エヴァとシンクロできなくなる。……ここまでもいいわよね?」

「もちろん」

「で、ミサキちゃんの話。ミサキちゃんが赤ちゃんのころ、一番懐いていたのはシンジ君だった。つまりミサキちゃんが弐号機にシンクロできるのは、ミサキちゃん自身がコアに取り込まれているシンジ君を大切に想い、それによってA10神経が強化されているからだと考えられるわ」

「……」

「シンジ君はミサキちゃんの親じゃないけれど、ミサキちゃんは小さいころ、ずっとシンジ君を親のように思っていたのでしょう?」

「まあ……、そうね。私たちが仕事で忙しいときとか、よくシンジ君とアスカにミサキの面倒をみてもらってたからね。アスカが身体の弱かったアイにかかきっきりだったこともあって、ミサキの世話は自然とシンジ君がしてくれていたわ」

「……ミサキちゃんはおそらく、シンジ君たちが行方不明と聞かされていてもずっとシンジ君のことを想っていたのよ。もしかしたら、いまでもシンジ君のことが好きなのかもしれないわ。だから、シンジ君を近くに感じられるからエヴァ弐号機のパイロットになることを承諾したんじゃないかしら。あっさりとね」

ミサトは思い出す。ミサキのベッドの枕元に、赤ちゃんのころのミサキを抱いたシンジの写真が置かれていることを。

大して気にもとめていなかったが、リツコの話が的を得ているとすると、男子からの人気が高いのに誰とも交際しないというのも頷ける。

ミサトは声もなかった。

反対にリョウジはニヤニヤした笑みを口元に浮かべている。

「ま、あくまでこれは私の推測。あなたたちも親なら、ミサキちゃんとじっくり話し合ってみることね」

リツコはそういって、話を打ち切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れさま、ミサキ」

パイロット更衣室に戻ったミサキを出迎えたのは、親友の太陽のように輝く笑顔だった。

アイの笑顔は見慣れているはずなのに、思わず見とれてしまうほどだ。

もしかしたら、大好きな人の面影を残しているからかもしれない、とミサキは思った。

そう、赤ちゃんの自分を抱いて微笑む、あの人の笑顔に……。

同性とはいえドキッとしてしまうほどのアイの笑顔に一瞬ボーッとなってしまったミサキだったが、プラグスーツの上からぎゅっと抱きしめられてようやく我に帰る。

「ちょ、ちょっと、まだ濡れてるよ!?」

慌ててミサキはいった。

テストプラグを出たばかりで、まだ着替えてもいない。プラグスーツだけでなく髪までもがLCLでぐっしょりと濡れている。そんなミサキに抱きついたら、アイの服がびしょびしょになってしまう。

「いいの、これくらい……。心配、したんだからね」

瞳を潤ませていうアイに、ミサキの表情が優しくなった。

「ありがと」

それでもミサキが素っ気なくいったのは、照れを隠すためかもしれない。

アイを引き離し、くしゃくしゃっとアイの薄い紅茶色の髪をかき回してからミサキは母親譲りの笑顔をみせた。

「ま、アイには及ばないけど、まあまあだったでしょ?」

「ううん、そんなことない。すごいよ、ミサキ。すごくカッコよかった」

アイの心からの賛辞に、またもやミサキは顔を赤くする。

アイという少女は、他人の成功をまるで自分のことのように喜ぶ。

まるで嫉妬という感情など、知らないみたいに。

容姿は弐号機の中で眠る母親に瓜ふたつだが、性格は天と地ほどの開きがあるようだ。

アスカの遺言を忠実に実行した、レイの躾のおかげなのかもしれない。

「だから大丈夫だっていったでしょ?」

腰に手をあて、胸を張ってミサキはいった。

それから更衣室の中を見回して、

「……レイさんは?」

「ママなら多分、発令所にいるんじゃないかな。……ママに何か用なの?」

「ちょっとお礼をいいたいなって思って」

「お礼?」

「うん。テストを受ける前、レイさん、私にアドバイスくれたの」

 

 

『心を開いて。あなたが大切だと思う人、大好きな人のことを考えて』

 

 

レイの言葉を、ミサキは繰り返す。

それを聞いてアイは納得した。アイも本当の両親であるシンジとアスカのことを考えることで、高いシンクロ率を確保することができたからだ。

「大好きな人……。やっぱり、ミサトさんと加持のおじさん?」

アイがそう問うと、ミサキは小さく首を振った。

「ううん。お父さんとお母さんのことは好きだけど、私が考えたのは別の人のこと」

「別の人? そっか。ミサキもたくさんラブレター貰ってるもんね。誰とも付き合うつもりなんかないっていってたけど、ミサキにもちゃんと好きな人がいるんだ」

屈託ないアイの調子に、ミサキは面食らう。

(この子、誰のことか分かっていってんの!?)

アイはエヴァンゲリオンにシンクロできる理由を詳しく聞かされてはいない。

他人を想う気持ちが重要、くらいにしか教えられていなかった。

だから、別にコアに取り込まれているシンジとアスカのことを強く想わなくても、弐号機は起動できると考えていた。

にこにこしているアイにミサキは自分が好きな人の名前をいってやろうか、と思ったが、やはり恥ずかしくなってやめた。

代わりにアイに問いかける。

「ねぇ、アイ。あなたには好きな人はいる?」

「もちろん。ママでしょ、ヒカリさん、トウジさん、ミサトさん……」

「そういう意味じゃなくて」

苦笑いして、ミサキはいった。

「好きな男の人のこと。アイは恋したことある?」

真剣な表情の親友に、アイは思わず黙り込んだ。

 

 

 

(恋、か……。あたしには本当の恋なんてまだ分かんないな……)

目の前の親友を前に、アイは考えた。

ミサキの父親である加持リョウジを好きになったこともあったが、それは父親への憧れに過ぎなかった。

そのことを除けば、本当にほかの男性を好きになったことなどまだ1度もなかった。

かつてのアスカと同じようにアイも数多くのラブレターを貰うが、誰かと付き合いたいなど思ったことはない。

自分とは違い、恋を知っている目の前の親友を、アイは羨ましく思った。

「あたしは、恋したこと、ない……」

笑顔を消して、うつむいて小さい言葉でいうアイを、慌ててミサキはとりなす。

「ちょっとちょっと! 別に悪いことじゃないんだから。そんなに暗くなんないでよ!」

その言葉に、アイは笑顔を戻して訊ねる。

「……ミサキの好きな人って、あたしも知ってる人?」

「……まあね」

顔を赤くして呟くミサキは、アイもびっくりするほど綺麗だった。

「さあて、おしゃべりはここまでっと。じゃ、私、シャワー浴びてくるからね。お父さんが家まで送ってくれるみたいだから、ここで待っててくれる?」

「うん」

量産機との戦闘も終わったことから、アイはこの1週間を暮らしたネルフの個室を出て、自宅に帰れることになっている。

だからアイは晴れやかな笑顔で、頷いた。

 

 

 

ミサキが更衣室に備え付けのシャワールームに入るのを見送ったあと、アイはふと考える。

(好きな人……)

同級生の男子の何人かを思い浮かべてみるが、別段胸が締め付けられたり、切ない気持ちになったりしない。

もちろん、彼らのことは嫌いではないが、それはクラスメートとしての感情だ。

彼らと同じくらい、女子の友だちのことも好きだ。

ミサキは誰のことが好きなんだろう?

アイはまさか、ミサキの想い人が弐号機の中に取り込まれている自分の父親などとは露ほどにも思わない。

(恋、恋、恋……)

恋とは何なのか、レイに尋ねてみたこともあったが、レイは小首をかしげるだけで、教えてはくれなかった。

14歳という若さで人を愛し、15歳でその人との子どもを産んだアスカなら、アイに的確なアドバイスをしてくれるだろうか。

アイは無性に両親に、特にアスカに会いたくなった。

ついさっき、リツコからサルベージの話を聞いたところだから余計にその想いは強い。

(ママ……)

このときアイの頭に浮かんだのは、レイではなくて赤みがかった金髪の少女の姿。

涙が一筋、アイの白皙の頬を流れていく。

そんなアイの様子を、ミサキがシャワールームからそっと見つめていた。

 


<2000.08.22>