五分経ったらさっきの続きをしよう
It will continue, if 5 minute passes.

Auther: MASAGO HIROI





しばらく我慢はしてみたものの、限界を超えたらどうでも良くなる。
「もういいや、」
呟きながら、アスカは胸元まで掛けていたタオルケットを頭まで覆い隠すように被ってしまった。
午前二時を過ぎても、虫の泣く音が建物の最上階に程近いこの部屋にまで届く。
時折、網戸にした窓から緩やかな風が入ってくる。
半月の光でも寝付けない人間にとっては眩く感じる。
敷布団の上に寝転がったアスカは、寝転がったまま、腕をカーテンに伸ばし、閉める。
遮光カーテンも締め、光という光を室内から追い払ってみた。
しかし、アスカは一向に寝付かなかった。
どんなに寝返りを打ってみても、頑張って頭の中で羊を千まで数えてみても。
重い睡魔がアスカを包んでくれる気配は無かった。
別に、連日二十五度を越す寝苦しい熱帯夜が原因ではない。
暑さにはとっくに慣れてしまっている。
日本に来てから、早数年の歳月が流れた。
始めの一年こそ辛抱出来ずに扇風機の助けを借りていた。
今はそれが無くても僅かに肌に感じる不快な暑さくらいなら、平気で凌げる。
しかし、アスカが寝付けないのは暑さの所為ではない。
原因は既に分かっている。
全ての原因は隣の部屋にある。
襖を一枚隔てた隣の部屋。
そこで、博士過程終了にも関わる大切な論文を仕上げているシンジの存在が、アスカの睡眠を妨害していた。
襖を隔てた隣の部屋で、シンジは一心不乱にノートパソコンのキーを叩いている。
その細かな音がアスカの耳に滑り込み、騒音と化していた。
だが、アスカはその音に対して、さして不快感を抱いてはなかった。
しかし、アスカが不快感を抱いていないことはなかった。
単にその不快感がどこにあるのかが問題だったりするのだ。
「もう、」
素肌のままで敷き布団の上に寝そべっていたアスカは、ゆっくりと身体を起こす。
すらりと伸びた細い腕、胴よりも長い足、小さな尻と程良い大きさの乳房。
より赤みの抜けた金髪は腰近くまで伸びている。
少女の時の愛らしさを僅かに残したその顔は、既に大人の女性の色香を放っている。
自分で閉めたカーテンを再度開き、呑気に夜空に浮かんでいる満月にアスカは嫌味を込めて睨む。
しかし、月は仄かに光を帯びて浮かんでいる。
身体に掛けていたタオルケットを巻き付け、アスカは自分が不快感を抱く、その音を出している張本人の元に、身体を四つん這いにしながら、隣の部屋に続く襖を引き開ける。
煌煌と燈された蛍光灯は、床の間付きの六畳間の室内を照らす。
部屋の中央に置かれた黒塗りの和風机の上にノートパソコンがあり、その周りと更に机の周辺にまで論文作成に必要な資料を散乱させた状態で、シンジは胡座をかいて机の前に腰を下ろしていた。
アスカが襖を開けたのにも気付かず、パソコンの画面をシンジは見据えている。
刹那、アスカはシンジの精悍な横顔に見蕩れたが、視線を下に移すや、ギョッとした顔に変わる。
無理も無い。
シンジは何も着ず、裸のままで胡座をかいて座っているのだ。
「アスカ、どうした?」
呑気な顔をしてパソコンの画面とアスカを交互に見るシンジに、思わずアスカは声を上げる。
「シンジ、なんて格好をしてるのよ!」
アスカの寝つけない原因に向かって、アスカは苛立ちと呆れの混じった顔をしながら詰る言葉を投げながらスッと部屋の中に入り、身体に巻き付けていたタオルケットを外しながらシンジの傍にしゃがみ込む。
「ずっと裸でいたなんて、信じられない」
「ああ、すぐ済む作業だと思ってたから」
余りにズボラ過ぎるシンジの返事にアスカは溜息を吐く。
そんなシンジの身体をアスカはタオルケットと自分の素肌で背中から包んでやる。
「バカみたい」
外気に曝して僅かに冷えているシンジの身体に、アスカは自分の身体を押し当てる。
シンジは、突然のアスカの肌の感触に驚き、後ろを見遣る。
「ちょ、ちょっと、アスカ?」
同時にキーボードからも手を離す。
「アスカ、どうしたの?」
がっしりとしたシンジの大きな背中にアスカはしがみ付く。
少年時代の華奢な骨格は既に無く、アスカの肌に感じるシンジの身体は青年のそれそのもの。
「まだ終わらないの?」
「もうちょっとだけ」
「ちょっとって、あれから何時間が過ぎてると思うのよ?」
アスカの言葉に、シンジはパソコンの隅に表示しているデジタル時計に目をやる。
シンジがアスカと一緒に包まっていたタオルケットから抜け出して、早二時間が過ぎていた。
「ごめん、思った以上に時間掛かって」
素直にシンジは謝る。
が、アスカは小言をぼやき続ける。
「やめてよ、こんなところまで来て」
明らかに怒っている声色でアスカはシンジに訴える。
「ごめん」
身体は立派なまでに大人だが、シンジのその弱々しい謝り方は昔と変わっていない。
「今日ぐらい、大学院のこと忘れてよ」
「ごめん。でもこれ早く仕上げないと来週の学会発表に響くんだ」
ムッとした顔をして自分を見つめるアスカを見ながら、シンジはそう言い聞かせる。
シンジの今後に関わる大切なことなのは分かるが、しかし、アスカはせっかく二人きりになれる貴重な時間までも論文制作に費やされるのが嫌でたまらない。
「でも、こんなところにまで持って来なくったっていいじゃない」
そう言ってから、アスカは軽くシンジの背中を噛む。
「痛っ」
「ちょっとだけ、手を止めて」
拗ねた声でアスカはシンジに言う。
「ごめん。もうちょっとだけ、待って」
しかし、シンジは困惑な表情を浮かべながら答える。
「ひどい」
「何が?」
「私より論文が大事なの?」
シンジは余計に困惑した面持ちでアスカに答える。
「天秤に掛けるような質問は止してくれよ」
そう言いながら、シンジは背中のアスカを腕を回して抱き寄せ、軽く宥めのキスをしてからタオルケットごと彼女の身体を抱き上げる。
暗がりの中にポツンと取り残された空っぽの敷布団の上にアスカを横たえさせ、シンジはアスカの身体にタオルケットを掛けると、そっと彼女の頬に触れた。
「ごめん、アスカ」
もう一度軽くキスをして、シンジは隣りの部屋に戻ろうとした。
そのシンジを、アスカは言葉で止める。
「私とのセックスより、教授の電話が大切なんだ」
アスカの、シンジの胸の中心を射抜く鋭い一言に、シンジは思わず眉根を寄せる。
(そうじゃなくってさ)
思わずシンジは胸の内で舌打ちをする。


アスカの嫌味は「至極御尤も」と、シンジは頷きたい。
十八歳を過ぎてから、片や長野の片田舎にある大学の研究室に四六時中篭り、片や第三新東京市の地底に潜った生活を過ごしている。
テレビ電話という文明の力があるにせよ、映像と実体との差は歴然としている。
年に一度にしか会うことの叶わない織姫と彦星よりかはマシと思えど、正直、好きな相手が手の届かぬ場所にいる事実は、睦言を交わし合う間柄にはただただ辛い。
互いに過密なスケジュールをやりくりし、どうにか都合を合わせ、僅かな時間を共にする。
昔はそんなことをしなくてもいつでも顔を合わせていられたのに、と、再会する度にアスカはシンジの腕の中で愚痴を零す。
数日間足らずの、貴重な二人だけの時間。
何もしないで、ずっと、好きな相手と手足を絡めていたい。
アスカ以上にシンジはそれを切望していた。
ところが、そうは行かなかった。
本来なら二日前には既に論文の仮原稿書きを終えて、久々のアスカとの心身共に蜜月な時間を過ごす予定だった。
しかし、予想以上に実験データの収集に時間が掛かり、論文原稿作成に最低限必要なデータが揃ったのは旅行当日の朝。
芦ノ湖畔の散策も諦めて、ホテルに着いてから夕食も摂らずに論文の仮原稿作成に没頭し、ようやく出来上がった仮原稿を大学のホストサーバに送り付けたと同時に、シンジはアスカの胸の中に飛び込んだ。
触れても触れても、またすぐに触れてしまいたくなるアスカの肌。
初めてそれに触れた時から、シンジの心変わりはない。
むしろ、長い間一緒に居過ぎたせいで、余計に会えなくなってしまったことがシンジの心を捉えてしまっているのかもしれない。
それは同時に、アスカにも当てはまるのだが。
高圧的な態度で振舞っていたアスカの存在にどぎまぎしてうろたえていた幼い頃とはもう違う。
同じ屋根の下に住んでいる女の子から、自分の何よりも大切な女性に、アスカの存在理由がシンジの中でいつしか変わった。
保護者であり上司でもあるミサトが長期の出張で家を留守にしていた間に、二人は結ばれた。
どちらかがどう、という訳ではなく、自然と繋がった。
アスカの肌に触れる度に、シンジは初めてアスカと肌を合わせた時を思い出す。
蜩の声がやたらうるさく、アスカの洩らす喘いだ声が遠くにしか聞こえなかったことを。
だが、アスカの肌に触れてすぐに、シンジは教授からの電話で現実に引き戻された。


シンジはアスカの方を振り返る。
アスカは敷布団の上に腰を下ろし、タオルケットを胸元に引き寄せたままシンジを見上げていた。
その目に、シンジは困惑した顔を浮かべてしまう。
今にも泣き出しそうな目をしているアスカが愛しくてたまらない。
普段は見せようともしない表情が余りに綺麗に見えて仕方ない。
「アスカの方が大事に決まってるだろ」
浮かしかけた両膝を再び布団の上に降ろし、シンジはアスカを自分の胸に引き寄せる。
「すぐ終わらせる」
「そう言って、朝まで続けるんでしょ」
「止める。五分経ったらパソコンの電源落とす」
シンジはアスカの耳元で囁く。
「五分経ったらさっきの続きをしよう」


≪了≫