第7講 恋愛ゲームと2次元コンプレックス
98/06/07開講
1、恋愛ゲームに関するアンケート5
開講が大幅に遅れて申し訳ありません。m(__)m
#…って最近いつもそれですね。(汗)
最初に断っておきますが、皆さんのアンケートのご意見を(できるだけそのままで)たくさん掲載したために、異常に文章量が多くなっています。(^^;)テレホや専用線などではなく接続時間で課金が来る人は一旦落として、ローカルで読まれるのが良いと思います。
恋愛ゲーム研究会では、本講義に先立ち、恋G研メーリングリスト、ホームページとfj.rec.games.video.*等で「恋愛ゲームと2次元コンプレックス」と題してアンケートを行いました。アンケートに協力して下さった方、本当にありがとうございます。m(__)m
それでは、早速アンケート結果を見てみましょう。
問、恋愛ゲームには(たいてい(笑))魅力的な容姿のアニメ絵のキャラクタが登場する訳ですが、では次のような場合、あなたは恋愛ゲームと認められますか?言い換えれば買おうという気になりますか?(^^;)それぞれの場合についてお答え下さい。
a)登場人物が実写のゲーム
b)登場人物がポリゴンのゲーム(マジカルデートとか(笑))
c)テキストのみでイメージイラスト含めキャラクタの絵が全くないゲーム(リアルサウンドのように音声のみというのもある意味含む)
- 認められる
- 認められない
- その他
a)1 | ■■■■■■■■■■■□ | 35(41.7%) |
2 | ■■■■■■■■■■■■■□ | 41(48.8%) |
3 | ■■□ | 8(9.5%) |
b)1 | ■■■■■■■■■■■■■■■■□ | 50(59.5%) |
2 | ■■■■■■■■□ | 26(31.0%) |
3 | ■■□ | 8(9.5) |
c)1 | ■■■■■■■■■■■■■■■■□ | 50(59.5%) |
2 | ■■■■■■■■ | 24(28.6%) |
3 | ■■■□ | 10(11.9%) |
この結果によれば、実写ゲームにおいては認められる人と認められない人がほぼ同じでやや認められない人が多く、ポリゴンとテキスト/音声オンリーゲームにおいては認めらる人が認められない人の倍程度いるという傾向が出ているようです。
2、アニメ絵の理由
どうして恋愛ゲームにおいてアニメ絵が使われることが多い(というよりほとんど)のでしょうか。それを考える際に重要なキーワードとなるのが「抽象性」です。
今回のアンケートでは、この「抽象性」ということに関して、アニメ絵と比較する形で実写・ポリゴン・テキスト/音声オンリーという3者について尋ねてみたという訳です。
この中で、ポリゴンについては、本質的にはアニメ絵に近い抽象性を持っていると言えるでしょう。
- 格闘ゲームのパターン化された動作についてはいいレベルまできてると思うのですが、恋愛ゲームの場合に、ポリゴンを売りにしたゲームを作ったとして、バイオハザードやエネミーゼロなどのレベルのキャラのモーションやレゾリューションでは評価できるものになるとは思いません。ムービーや静止画をポリゴンで細かく書き込む、といった方向で作れば別の評価になると思うのですが、恋愛SLGに限っていえば、それだけの資金を投下して回収できる市場ではないと思います。#スクウェアがとち狂って作らないかな^^;
「マジカルデート」はお話になりませんけど(笑)、現在の技術ではまだまだ魅力的なキャラクタを作るのは難しいのかもしれません。(そのためのDreamcast?(笑))もっとも、極限まで技術的に向上したポリゴンが実写に近づくのかアニメ絵に近づくのかは微妙なところではありますが。
- キャラクタについて言えば、ゲームとして成立させるのであれば、まだ自分の理想・想像で補うことのできる、アニメ絵の方が良いと思う。実写では現実的な部分が増え、良いところばかりを見るのは難しい。
- 上手く言葉が見つからないのですが、ゲーム全体を「架空の世界」として楽しんでいます。ただし「恋愛ゲーム」の場合は「こんな付き合い方が出来たらイイな・・・」といった「あこがれ」とか「夢」が入ってくるので、逆にキャラクタが実写だと妙に現実味がありすぎて冷めてしまいます(^^;)
アニメの持つ抽象性は、ユーザにそのキャラクタを自分の中で都合の良いように解釈する余地を与えることができます。それに対し、テキスト/音声オンリーの場合は、全く手がかりがないのですから1からキャラクタの映像を作る必要が出てきます。音声がない時テキストから音声を脳内補完するように、イメージを補完することになります。しかし、映像に溢れた世界で育ったゲーム世代にとっては、イメージを1から補完しなくてはならないのは大変ですし、また、ゲームの重要な特徴である「体験を共有する」という部分においても、同じキャラクタを他のユーザと共有するのが難しいという問題が避けられません。抽象度が高過ぎるということですね。
ところが、実写では、逆にその他に見られるような抽象度が極端に低くなります。「ナマナマし過ぎる」という訳ですね。(笑)恋愛ゲームユーザにおいては、具体的過ぎて想像の余地が少ない実写のウケは良くないようです。
しかし、必ずしもそれを2次元コンプレックスに帰因させることはできないのかもしれません。つまり、実写=駄目とイコールで決まる訳ではないと。
- 可愛かったら(自分の好みなら)認める。
- 画質と登場人物の質次第 (笑) ただし、基本的には恋愛ゲームとしてなりたつと思う。
そうなんです。アニメ絵の場合は「TrueLove Story」のように腐った絵であっても、フィルタリング機能によって修正可能ですが、実写では修正が効かないのです。ということは、モデルが好みでなければもう救いようがない。「卒業R」なんて典型的な例ではないでしょうか(失礼(笑))。
例えば、人気アイドル(それ自体「偶像」という原義を持っていますが…)を採用したとすれば、心理的抵抗は大きく下がるでしょう。榎本加奈子や広末涼子がもし恋愛ゲームに登場すればファンは喜んで買うでしょう?(^^;)(いや、もちろん奥菜恵でもいいんですけど…)
そのための「いまじねいしょんLOVE」…ってそれはアニメゲームですね。(汗)「テレクラシミュレータ」など、実写でもそれなりに出てはいますがほとんどイコールアダルトソフトになってしまうのが問題ですよね。(笑)
- 恋愛ゲ−ムをどのようにとらえるかで、答が変ってしまうと思いますが、現在一般的に受けいられているイメ−ジからいくと、3つの項目とも認められないと思います。しかし、厳密に言って、恋愛をテ−マに仮想空間を楽しむ、又は競って遊ぶと言うならば、実写だろうがポリゴンだろうが、どうでも良いと思う。もっとも、今どきのアニメ風のキャラに頼らずにシナリオとシステムだけでどこまでやれるか、底の浅いスト−リーの本しか読まない現代の若い人たちに受け入れられるかは、かなり疑問ですが。
- 3次元のものを2次元の絵や、有限な文章で表わそうとすると、どうしても、不要な情報を削除しなければならない。そうするとそのキャラクタは3次元より純粋な存在になる。また、情報の削除において、どうしても長所より短所のところを消してしまう、人情的に。そうすることにより、そのキャラクタは更に純粋な存在となる。純粋な存在になるということは、イデアに近くなることで、人はイデアに魅かれるものだから、そのキャラクタに萠えるのは当然だ。
当然かどうか決めてしまっていいのかは分かりませんが、ともかく、アニメ絵は恋愛ゲームにとって都合の良い「適度な抽象性」があるということが有利な点であることは言えるでしょう。
3、誰だって初めは素敵な恋を夢見ていた
恋愛ゲームを含むビデオゲームに対する批判は、そのほとんどが「現実と虚構の境界の喪失」を警告し、例えば犯罪を起こす原因とし、あるいは社会的不適応化を増長するというものです。そういった指摘がほとんどゲームを(楽しんで)遊んだことのない人によるものであることは気を付ける必要があるでしょうけど。
- 現実と架空を完全に同一視するといのは、普通の人には無理じゃないかなあ。誰でも、大なり小なり二つを切り替えていると思いますよ。
その一方で、むしろゲーム世代の人たちが共感しているのは、宮台真司氏の「彼らは虚構と現実の区別がはっきりできている。混同しているのではなく、むしろ虚構と現実とを区別した上でよりリアルな虚構を選択しているのだ。」という主旨の発言の方なのではないのでしょうか。
そして、この説明は恋愛ゲームにもかなり良く適応できるのでは、と考えるのです。虚構を恋愛ゲーム、現実を恋愛という言葉に置き換えてみたときにどうなるのか。そして、更に2次元のキャラクタと現実の異性とに置き換えてみたとき……。
人は自分の考え方・生き方を根底から覆されるような存在に不安感を抱き、強く拒絶したがる傾向があります。いわゆるギャルゲーファンを、いわゆる「オタク」という言葉でレッテル貼りし、パッケージ化してしまうことで自分を守ろうとするのは簡単です。しかし、それで問題の本質が明らかになるとは思えません。なぜ彼らは虚構を選択したのか、いや、なぜ虚構を選択しなければならなかったのか。そういった社会的背景・心理的背景を理解しようと試みることによってこそ、問題の解決に近づけるのではないでしょうか。
さて、恋愛ゲームと2次元コンプレックスについて考えるとき、それはほとんど次の2つの問いに集約されると言ってしまっていいでしょう。すなわち、
- そもそも2次元のキャラクタに恋愛感情を抱くことが本当にあり得るのか?
- 鶏か卵かということ。すなわち、恋愛ゲームで遊んでいるから恋愛競争において不利になってしまうのか、それとも恋愛競争において不利な立場にあるから恋愛ゲームで遊ぶのか?
ということです。
まず、1の方から考えるとして、アンケートの結果を見てみましょう。
問、2次元のキャラクタあるいは、それを演じる声優さんに恋愛感情を持つということが本当にあり得ると思いますか?
a)2次元のキャラクタ
b)それを演じる声優さん
の各対象についてお答え下さい。
- 自分を含めあり得ることだと思う
- 自分ではあり得ないが、人によってはあり得ると思う
- ほとんどあり得ないと思う
- 絶対にあり得ないと思う
- その他
a)1 | ■■■■■■■■■■■■■■■ | 45(53.6%) |
2 | ■■■■■■■■■■□ | 31(36.9%) |
3 | □ | 2(2.4%) |
4 | □ | 2(2.4%) |
5 | ■□ | 4(4.8%) |
b)1 | ■■■■■■□ | 20(23.8%) |
2 | ■■■■■■■■■■■■■■■■■□ | 52(61.9%) |
3 | ■■■ | 9(10.7%) |
4 | □ | 2(2.4%) |
5 | □ | 1(1.2%) |
この結果には正直ちょっとびっくりしました。筆者としては、どちらも恋愛感情を抱くことはないだろうが、もし抱くとしたら当然実在している声優の方だろう、というつもりで両者を対比する形で尋ねたのですが。最終的には1の「自分を含めて」というのが効いて来るとして、1を選んだ人がa)とb)では大きな差がついています。また、全体でも2次元キャラクタに恋愛感情を抱くことがあり得る、と答えた人が半数を超えているという結果が出ているのです。これは、どう理解すれば良いのでしょうか。
- 「萌える」「はまる」「転がる」というのと、恋愛感情というのは(少なくとも)私の中では別物です。
- そもそも実在していない対象と恋愛できるわけがないのだから、恋愛感情と言われてもあまりに抽象的で困るのですが、一種の憧れや、またある対象と自分とをいろいろな状況に置いてどうするとか、どうなるとか、空想して楽しみどっぷりと浸る事はできるとは思います。(悪く言えば、それを妄想というが・・・) もうひとつの声優の方も同じようなものだと思いますが、その人のある仕事をきっかけに人そのものを好きになるという事はあるとは思います。
- 2次元キャラに恋愛感情を持つかということに関して、そういう人がごく少数存在するのは、確かにそうかもしれないと思う。しかし彼らの行動を見る限り、それはアイドルを追いかけるコアなファンとやっている事は同じではないかと思える。それが恋愛感情と果たして言えるかというと私は疑問が残る。確かに「愛」には違いないとは思うが。
そうです。恋愛は「イデオロギー」であるのですから、個人が恋愛の概念をどう捉えているのか、そしてその集合体としての社会がどう捉えているのかによって結果は変わってくるでしょう。恋愛ゲームファンに限って言えば、少なくない人が「恋愛」という概念を拡張し、新しい感覚で捉えつつある(その中で戸惑いもあるのですが)ということなのかもしれません。
さて、次に恋愛ゲームは要因なのか帰結なのかを考えてみましょう。
問、恋愛ゲームが2次元コンプレックスの傾向を増長していると思いますか、すなわち、恋愛ゲームによって、現実の恋愛が阻害されることが本当にあり得ると思いますか?
- 自分を含めあり得ることだと思う
- 自分ではあり得ないが、人によってはあり得ると思う
- ほとんどあり得ないと思う
- 絶対にあり得ないと思う
- その他(問5の欄にお書き下さい)
1 | ■■■■■■■■□ | 26(31.0%) |
2 | ■■■■■■■■■□ | 29(34.5%) |
3 | ■■■■■■□ | 20(23.8%) |
4 | ■□ | 5(6.2%) |
5 | ■□ | 4(4.9%) |
これはかなり分かれました。しかし、「自分を含め恋愛ゲームが恋愛を阻害している」と自覚している人がいるにも関わらず、それでも恋愛ゲームを遊んでいるとしたらそれはかなり重要な問題なのではないでしょうか。
- 私は女なので具体的なことはよくわかりませんが、小・中学生(高校生?もっと上もいるかな?)の娘達がジャニーズ等、芸能人の男性に恋をするのと同じような傾向だと思います^^;。どちらにしても手が届かない存在ですし。
で、二次元コンプレックスになる方ってのは、いつも自宅でゲームをしてたりして、実際に女の子と知り合う機会がないから現実の恋愛をする機会もなくしてしまっているってだけなのでは……?
- かなり笑える質問だと思います。恋愛ゲーム好きで彼女持ちって奴を何人も知ってい るもので……。つまり、ゲームはゲーム、現実は現実。かなりの人がそうではないかと思います。現実の女性に恋できないなんて言ってる人は、結局出会いの数が少ないというだけ。勇気を出せなんて、それこそ恋愛ゲームで出てくるような台詞は言いませんが、もうちょっと周りを見てみてはいかがでしょう。女の子ってちょっとした仕草だけで可愛いなんて思えたりするものですよ。
- 先に恋愛ゲームがあってそれが2次元コンプレックスを助長した訳ではなく、現実の女の子に理想を追い求めることをあきらめた男たちが自分の理想を体現すべく2次元で表現するようになったと思っているので、そんな男たちはたとえ恋愛ゲームがなくなったとしてもモテるはずはない。それを別のもののせいにしているだけだろうと思う。
非常に厳しいですね。(^^;
恋愛ゲームは要因か帰結か。どちらが正しいということではなく、もしかしなくても、個人が恋愛競争においてどのような立場に置かれているか、そして個人が恋愛ゲームとどのようにつき合っているのかによって考え方は大きく変わるのかもしれません。恋愛ゲームへの依存度が高いほど、また恋愛弱者であるほど恋愛ゲームは帰結だと主張し、恋愛ゲームへの依存度が低いほど、また恋愛強者であるほど恋愛ゲームは要因だと主張する……。強者は弱者を弱者は強者を理解することは困難ですから、そこに相互理解は生まれないでしょう。強者は恋愛ゲームに関わらず救われ、弱者は恋愛ゲームに関わらず救われない…もしそうだとしたら、恋愛ゲームには夢も希望もないのかもしれません。(笑)
しかし、確かに言えることが2つあります。
その1つは、仮に2次元コンプレックスというものが存在するとして、
初めから2次元コンプレックスな人なんて誰もいないのではないか
ということです(更に言えば誰も好きで2次元コンプレックスになった訳じゃないということ?)。
生まれた時から映像のみを与えられて育ってきた人がもしいたとしたら分かりません。しかし普通は初恋の相手は現実の異性なのではないでしょうか?(その意味では現実の恋愛をする前の若者に恋愛ゲームを与えることの是非も問われそうです。)誰だって、最初は人並みの恋愛を夢見たはずなのです。
少なくとも、恋愛ゲームに触れることになった(もっと極端には2次元しか愛せなくなってしまった……)原因が心のどこかにある、筆者にはそう思えて仕方ありません。あるいはそれは失恋なのかもしれませんし、そうでないかもしれません。強者には決して想像することができない要因。その恋愛ゲームに触れることになった原因を考えるのも、彼らを救うためには非常に重要なことです。ともかく、その意味において、恋愛ゲームは1つの帰結と言えるのではないでしょうか。
そして、もう1つは、たとえ恋愛ゲームが現実の恋愛を阻害しないとしても、
少なくとも恋愛ゲームで遊んでいる時間は恋愛活動を営むことができない
ということです。これはいくらビデオゲームが高尚な文化的活動だと主張してみたところでビデオゲームで遊んでいる間は創造的な営みができない、という一種の後ろめたさに属するものと言っていいかもしれません。
当然ですが、2次元のキャラクタと話している間は現実の女の子と話すことはできません。その間にも、誰かが渋谷でナンパしてるでしょうし、あんなことやこんなことをしてるでしょう?(笑)
そう考えると、恋愛ゲームが恋愛を全く阻害していないとは言い切れない部分もある気がします。その意味において、恋愛ゲームは1つの要因と言えるのではないでしょうか(あくまで、現実世界でパートナーを見つけられる可能性が万に一つ以上ある人の場合の話ですけどね…)。
つまり、恋愛ゲームは帰結であるか要因であるか、ということではなく、1つの帰結でもあり1つの要因でもあるということになります。(モテない人が悪循環的に更にモテなくなる、と書いてしまっては全く救いがなくなってしまいますが…。)恋愛ゲームで遊ぶ場合は、このことを心に留めておく必要があるのではないでしょうか。
- 私、アニメ、漫画、恋愛ゲームとか結構好きで、キャラにもはまりやすいですが(恋愛感情とは違う気はしますが)、だからといって三次元の女に興味がなくなるってことはありません。でも、そうなってしまう人がいるという可能性は否定し切れません。
全てはその人の感じ方でしょう。三次元しか愛せない人もいれば、二次元もOKな人、二次元しか愛せない人がいても、それはその人の勝手と考えます。
- 2次元のキャラってほんとに魅力的ですよね。実在する人物と違って悪い面は見せないし。#って言うか、そう作らないと売れないし。:-)そうして一旦具体的な自分にとっての理想像を作ってしまうと現実の異性に対して自分の理想を求めてしまうが為に恋愛ができなくなると言うのはあると思う。#って言うか自分がそう?でも2次元のキャラに抱く感情ってのはやっぱり恋とは違ういわゆる"萌え"って奴ですよね。
- 恋愛ゲームというのは大抵の場合、男から、しかももてない男から見て理想的な女性が容姿や性格などでいるものです。男の方もプレーヤーとして現実ではできないことができるし。
そんな男がキャラに恋する気持ちは分からないでもないです。自分も理想の女性として2次元キャラを持っていた時期がありますから。だからといって現実の女性を愛せなかったことはないですけどね。
恋愛ゲームをやっているから現実の女性を好きになれないということはないと思うのですが、また実際に2次元キャラしか愛せない人もいるのが事実でしょう。でも、これって、相手が2次元キャラかどうかの違いだけであって、ドラマの俳優に恋する人間とやっていることは変わらないと思うんですよ。ただ、マンガやゲーム、アニメというのはその手の権威者から見ると反社会的なものらしいのでいい的(まと)になってしまうんでしょうね。
- 恋愛などの理屈よりは感覚的、もしくは感情的なものが重要になってくる事柄について一番気をつけなければならないのは、頭で解っているつもりになっている事だと思います。つまり何が言いたいのかというと、自分にとって心地良い非現実的な事にはまってしまい長い間そこに居続けると、自分でも気がつかないうちに、現実に目の前で起こっている事に対して自分がどうするかという時の反応に影響をあたえてしまうという事です。この事についてはおそらく「現実と非現実を区別できなくなるような、そんなバカな事があるか」とか、「俺はそんな事はない」などの意見がすぐ出てくると思いますが、オウムをはじめとする一部の宗教団体における信者に与える影響、ちょっと違いますがみじかなところでいくとCMや広告の人に与える影響(CMや広告が、例えばある製品について、その機能仕様よりもイメージをうりつけてくるのはその影響力を知っているから)、などなど様々な例をあげることができることからも、ある種の感覚や感情が本人が知らないうちに植え付けられるという事があります。
以上の事を踏まえた上で、現実の恋愛と恋愛ゲームの話にもどします。そこで、ゲームをやりつづけると、まさか「好雄」がいない限り女性の電話番号を知るすべを知らないうえに土日しか女性に電話をかけてはいけないと思っているトキメモ人間や、女性の行く先々をすべてチェックして先回りしつづけるストーカー同級生人間になるとは言わない。だがゲームというものは限られた世界、限られた人間、限られた反応しかでてこない。
しかし、現実の恋愛の対象は生きている人間であって、人間である以上、いろいろな意味で心も体も日々成長していき、受け答えも反応も少しずつ変わっていく。ある質問に対して厳密に言えば同じ答は二度と返ってこないのが当然だし、同じ質問を繰り返す事もない。したがって、恋愛ゲームを長時間やり続けあまりにはまってしまうと、目の前の人間や周りの状況が自分の予想とはかけ離れてしまった時にどう対応して良いのかが解らなくなってしまう。それによって不確定で不安を起こさせる目の前の人間をなんとなく敬遠してしまう事が起こりうると思う。そんな事は分かりきった事だから気をつければ良いというだろうが、はじめに長々と書いたように、無意識に慣らされた人間は、頭でわかったと言いながら、現実的に影響を受けてしまっている事が多い。だらだらと書いてしまった上に、中途半端な気がするが、結論としては、大なり小なり影響をうけてしまうもので、自覚する事が難しいだけにかなり厄介だと思う。
4、大人になれないロマンチストたち
恋愛ゲームを遊ぶ人で、(現実の)恋愛には興味がない、ということが本当にあり得るのでしょうか。とても考えにくいことです。恋愛に興味のない人が、恋愛ゲームに興味を持つとは到底思えません。恋愛ゲームの問題は、イコール恋愛の問題と言って良いのです。
さて、恋愛ゲームと2次元コンプレックスにおける人のスタンスとしては、次の5つのパターンが想定できます。
- アニメ絵が嫌いな人
- 恋愛も恋愛ゲームも両立できる人
- 能力的には問題ないはずなのに、自分を過小評価して恋愛ゲームに走っている人
- 自分だって恋愛をしたいんだと主張しながら、現実問題としてずるずると恋愛ゲームに染まっている人
- そもそも恋愛をするには不適応な人
各パターンにおいて、恋愛ゲームがどのような影響を与えるのか見ていきましょう。
まず1の場合ですが、アニメ絵が嫌いな人というのは、アニメ絵に対して生理的嫌悪感に近いものを抱いています。生理的、なのですからアニメ絵が平気な人にとってはかなり理解し難いですし、また逆に受け付けない人には平気な人が理解し難いでしょう。これについては多数派、少数派に関わらず、どちらが正しいということではなく、お互いに「そういう人もいるんだ」と知ろうとすることが大切だと考えます。もちろん、このタイプの人は問題ありません(恋愛ゲームなしでも精神的に豊かな生き方ができることが前提ですが)。
- 友達が、AVのパッケージを見て、「眼中ねーよ」と、美少女ゲームの箱を小脇に抱えてマジの目つきで言ったとき、ものすごく怖かった。
ダメ!ゼッタイ!俺には理解できん……ときメモグッズとかに何万もかけてる奴は本人は別に開き直ってるんだろうが、興味のない人(世の中の大部分だと思うけど)には、二次元のキャラに本気で惚れ込むなんて、ほとんどホラー映画みたいなもんだよ、実際。個人の趣味といわれたらそれまでだし、文句言うわけでもないけど、結局は「やばい人」「近寄りがたい」と思われるのは避けられないですよ。その辺はしっかり事実をみたほうがいいです。これは多少偏見あるかもしんないけど、おおむね一般論です。
「オタク文化が市民権を得た」なんて所詮自己陶酔。偏見はなくなりはしませんよ。変にオープンな人は損してると思います。でも、こそこそしてるのもどうかなって思うけど。
「市民権を得た」なんていう勘違いを持ち込もうとしたのは岡田斗司夫氏でしょうね…。
光を当てられることによって、いわゆる「オタク文化」の中でも、救われる人もいれば、居心地が悪くなってしまう人もいるというのに……。
次に2の場合。これも問題ありません。恋愛能力もあって、実践している人は、恋愛ゲームを遊ぶ遊ばないに関係ないでしょう。後は、あまり恋愛ゲームに偏り過ぎて相手に呆れられることのないように気を付けるだけです。(笑)
- 恋愛ゲームをプレイしているときの自分…主人公に感情移入し、ゲーム中のキャラに対してその人格では恋愛感情にも似た想いを抱く。彼女らが傷つくような行動はとれない…意図的に心を殺してゲームとしてのイベントや展開を制御したいと思わない限り絶対出来ない。私は、この感情移入の度合いが大きいほど優れた恋愛ゲームだという感触を得ます。
現実感の喪失…プレイ後、特にエンディングの流れた後にふと我に返ったときのあの感覚…時々、「やばいな…」と思いますよ(^^;
現実の恋愛はゲームほど簡単ではないし、綺麗事でない部分も多いのに、ゲームではかなりお手軽。
恋愛ゲームに傾倒している男の子は、現実の女の子との恋愛に恵まれていないと思われる方々(失礼)が多いように見受けられますし…時が過ぎれば、ゲームで見せられた夢と現実との差に気付くとは思いますが、中には現実よりも居心地の良い恋愛ゲームの世界を選んでしまう人もいるかもしれませんね。
私は恋愛ゲーム愛好者としては年輩者組に入る年齢だと思いますが、妻子持ちです。ゲームと現実を両方とも受け入れることが出来ていると思います。そのかわり、ゲーム中と現実の自分の2面性に分裂症気味な所も感じていますが(^^;
恋愛上手は、また恋愛ゲーム上手でもあるでしょうね。
次に飛んで5の場合。これも問題ありません。(笑)そもそも彼らには恋愛というフィールドが与えられていないのですから、「モニタを消して街に出よう」という文句は全く説得力を持ちません。阻害されるかもしれない恋愛そのものがないのですから。それを更に恋愛ゲームまで奪ってしまうのは余りにも酷というものではないでしょうか?(笑)もし、間違っていると思ったら、あなたが手を差し伸べるべきです。(笑)
残る3と4ですが、これらの場合は少なからず恋愛ゲームが影響を与えていると思われます。
現代は男性問題の時代であり、それが恋愛ゲームと強く関係していることは次講以降述べていくことになると思いますが、とりあえず、現代は男性にとって生きにくい時代ということができます。ですから、特に若い男性には自分に対して不安を持ち、自信を失い、過小評価するという傾向が見受けられます。これが3の場合です。もし、本当は十分恋愛能力があるはずなのに恋愛ゲームがあるために踏み出せないということになれば、それこそ「阻害されている」といういうことになるでしょう。
最後に4の場合。これが一番危険です。(笑)
ともすると恋愛弱者予備軍になりかねません。
自分には恋愛能力があるのか、もしくは本当に恋愛をするつもりがあるのか、よく自問する必要があるでしょう(場合によってはタイプ5に属していたのかもしれませんし…(笑)あるいはもちろんタイプ3に属している可能性もあります)。いつか、いつかではいつになっても始まりません。自分は現実の恋愛に興味があるんだ、と主張してみても、もう数年も恋をしてないようでは説得力がありません。
ひょっとして、恋愛を必要以上に美化していないでしょうか。「恋に恋する」とは聞き慣れた言葉ですが。ピュア過ぎるのかもしれません。なるほど、恋愛ゲームは恋愛以上に恋愛的です。しかし、もし本当に恋愛をしたいのであれば大人にならなくてはならないということなのです。
以上、長くなりましたが、自分が恋愛競争においてどんな立場に置かれているのかをよく知れば、自ずとこれからの行動の指針が見えてくるでしょう。本講が恋愛ゲーム及び2次元コンプレックスとの上手な付き合い方を考えるきっかけになれば幸いです。
- 2次元のキャラクターそのものに惚れ込むことは別にいいと思うんですが(実際私もハマってるわけですし…)そのことによって、3次元の人間を恋愛対象とみなせなくなってしまうことは、大きな問題だと思います。また、そのことが現在の恋愛ゲーマー(ギャルゲーマー)を社会的に暗いとか、オタクだとかいう印象を与えているのではないでしょうか?
それと、非常に危険だと思われるのは、恋愛経験のない中高生などが、本当の恋愛をする前に恋愛ゲームにハマり、手軽に2次元キャラと恋愛をしてしまうことだと思います。それこそ不健全だと思います。恋愛ゲームというのは実際に恋愛の楽しいことやつらいことを経験してからやるからこそいいのであって、そういう経験もなしにいきなり安易なゲームの中での恋愛に溺れることは、それこそ2次元コンプレックスに陥り、現実の女性に目を向けることができなくなるのではないでしょうか?
- 虚構(ゲームと書いても良い)というのは楽しい物だがあくまで現実を見据えなくてはならないと思う。また現実をしっかり見据えるからこそ虚構もより一層楽しめるのではないかと思う。ただ、これは私の意見であり他人に迷惑をかけないのであれば構わないのかもしれない。少なくても最近のオタクメディア悪玉論には賛成できない。なぜかといえばそれを規制している国の代表たるアメリカで凶悪犯罪が減らないことを一つ挙げてもアニメやゲームの影響よりも大きな原因があるだろうことはわかる。この様な意見の出る背景には我々のような知識のある人間が自分達のことを世に認めさせる必要があるのではないか、人間は良く分からない物を怖がる。故にオタクは差別されるのである。そのためにも私達は現実を見る必要があるのではないのだろうか。
- アニメ絵のキャラクタが好きな人の場合、ゲームのジャンルが恋愛なのかどうかはあんまり関係ないと思っているのではないかと感じます。
恋愛ゲームに登場する人物の仮想人格を好きになるという点についてですが、足りない部分はプレイしている本人が頭の中で補完するわけで、そう考えると自分に都合のいい異性の幻を自分で作り上げてそれに恋していると言える部分もあるのではないかと思います。そう考えると、「アニメ・ゲーム・漫画等に登場するキャラクタが好きになってしまい、現実の異性に興味を示さなくなる」というよりは、現実の異性に興味を示す(現実の恋愛を経験する)前に疑似恋愛で満足してしまっているというのが二次元コンプレックスの正体なのかもしれないと思います。
ゲームとの関係を考えると、グッズやイベントで盛り上がるという時点でもはやそれは恋愛ではないと思います(本人がどう意識してるかは別として、どちらかというとお祭り騒ぎみたいなものと思います)から、実際には「ゲームの登場人物が好き」と表現していてもそれは恋愛感情とは無縁に近いのではないかと思います。また、「声優の追っかけとかやっててもそのほとんどは恋愛感情ではない」ということ。
実際、恋愛ゲームでは恋愛の甘い感情の側だけをうまく体験できるようになっているはずです。快楽だけを与えるようになっているという意味では、恋愛というよりはむしろセックス産業みたいなのに近いのではないかと感じることさえあります。
恋愛ゲームの登場人物、人造人間として未完成な人物がけっこう多いような気がします。ある程度性格を形作っているものはありますが、その性格のバックグラウンド(過去の経験)がなくて、活発だとか勝ち気だとかおとなしいとかそういうテンプレートから抜けきれてない人造人間が多いような気がします。性格がこういうのだと見せられた後、その人物の行動を予測すると大体そのとおりにしかならない、というのでは人間失格です。簡単に一言ですませば「みんな単純」といえるかも。もし「恋愛ゲーム」を恋愛に近づけようとするのであれば、この辺りがちゃんとしてないといけないと思います。あまり近づきすぎると「人生ゲーム」になっちゃうかもしれませんね(笑)
もうお分かりだと思いますが、恋愛シーナリーにおいては現実味がない方がいいということなんですよね。
- えー、なんかの本で読んだのですが、「その人の性欲の対象は、初めて能動的に射精したときの対象に、かなり影響される」と言う論があったように記憶しています。ま、刷り込みがある、と。
この論を、全く真に受けるわけではないですが、ある意味、正鵠を得てると私は考えてます。
つまり、2次コンもこの類のものではないかということです。
この日本という、各種メディア上で独特の表現がなされている情報環境で、こういう状況が起こるのも当然でしょう。
ゲーム自身、(日本では)アニメ漫画の影響を色濃く受けてるのは間違いなく、同じパターンの「好み」を誘発させられる要素が内在してるのは、「恋愛ゲーム」も例外ではないでしょう。
有り体に言って「オタク」文化圏の一つの形であるということです(その人がオタクか否かに関わらず、そうゆう環境から、其の要素を持つ可能性が、他国と比べて格段に高いということです)。
だからといって、悪い事、忌むべき事、といってるのではなく、こういったのも一つの快感原則の、心の「鋳型」の様な形であって、「楽しめて」「他人に迷惑を掛けない」のであれば、堂々と謳歌していいものだと思ってます。
謳歌していいんでしょうか?(^^;
必要以上の正当化は思わぬ危険をはらむ場合がありますよ。(^^;
- 結論からいってしまうと「愛があるならすべてOK!」となるんではないかと思います。2次元キャラにはまるのも現実の異性に恋愛感情を持つのも全て本人の自由であるのだから周りがとやかく言うもんじゃないと思いますし、本人はそれで幸せであるのならいいじゃないですか。実際、私の友人にも2次コン入っている奴がいますが、本人は至って幸せそうにしているので温かく見守っています(笑)。
- 私は、ゲームはゲーム、現実は現実とわりきってるから、いくらキャラ萌え〜とか声優さんが好き、とか言ってもそれはあくまでフィルタの向こう側の世界であって、現実の恋愛とは関係ないと思ってます。もちろん、二次元と三次元の好みはある程度の共通点はあるし、ゲームをプレイしているときは擬似現実ではあるのですが、それはやっぱり擬似であって現実とは違うということです。ただ、人によっては現実と擬似世界の区別がつかない、もしくは擬似世界の方により魅力を感じるということがあるかもしれません。私は、現実を捨てきれない人間ですが、擬似世界に生きられる彼らはある意味私より幸せな人間なのかもしれません。他人からどう見えようとも……。
もちろん、「本当に」自分で幸せだと思っているならば他人が口出しすべきではないでしょう。恋愛に未練があるからこそ悩まなければならない訳で……。
- とりあえず自分のことを棚にあげて……以下に意見することをお許しください。
恋愛ゲームは社会人になって青春時代の恋愛を懐しむ目的で楽しむのは、まだ健全だと思っていますが、恋愛も経験せず恋人もいないいわゆる秋葉原、日本橋、大須に通うようなオタクな若者にとっては、現実の恋愛よりも2次元の世界に心を奪われ、現実がおろそかになるとしたらそれはお気の毒だと思います。しかしながらそのような人種は次世代の種を残せず消滅するわけですからそのような人たちの遺伝子は受け継がれないので、生物学的な歴史から考えると、ある意味で自然淘汰されてしまう側の人間になってしまう危険性があると思います。2次元の世界にハマってしまった若者たちはそれに気がついて、あくまでもゲームはシミュレーションであって現実にもっと恋愛や失恋をして精神的な大人になって欲しいと思っています。(中略)
そのようなゲームで育った人が、またその業界に入っていく傾向が最近はあるようで、これらの業界が大きくなっているということは、現実の世界で大人に成りきれない男の子が増えているのではと心配してしまいます。日本だけの現象なのかも知れませんが、このまま誰かが現実に起動修正するようにしないと、将来、日本から健全な若者がいなくなってしまうかも知れません。
……と、意見して、自分を棚から降ろします。^^;自分が自然淘汰組に入ってしまうのかどうかはこの先の努力次第でしょう。人間努力しなければ淘汰されてしまうことでしょう。
……淘汰されればいいのではないでしょうか。淘汰されるべくは。
環境の変化に対応していけないものが滅ぶのは当然のことですし、またその方が人のためになるはずです。
ひょっとしたら恋愛ゲームは滅び行くものたちが安らかに眠れるようにするために存在しているのかもしれませんよ。(笑)
- 少なくとも、「2次元」であることから一般に「2次元コンプレックス」と呼ばれる状態に陥るとは思えません。恋愛ゲームによって、自分(プレイヤー)が恋愛を(疑似)体験できること、これが「2次元コンプレックス」の原因だと思います。当然といえば当然なことを書いているのですが。
仮想の恋愛に感情移入することは、誰にでも出来るし、他のカタチで(世間でいうところの)一般人にもこういうことはあると思います。例えば、歌。歌はさまざまなことを伝えることができますし、その歌が嘘だとかいうつもりはありません。ここで言いたいのは、「現実に起こったことを歌っているものはそう多くはない」ということです。その歌の世界、それが嘘であるかを人々は問わず、歌の世界がどれだけリアルであるか、またそこに自分をどれだけ重ねあわせることができるか、そういう点で判断したりもします。これは、そっくりそのまま恋愛ゲームとそのプレイヤーにも置き換えることができるのではないでしょうか。とするならば、恋愛ゲームでの恋愛は、人によっては実在の人物との恋愛と同等、もしくは以上のリアルさをもって体験できる可能性はあるハズです。
では、「2次元コンプレックス」と呼ばれる人は、どうして「3次元」の恋愛を否定するようになってしまうのか。どうして「2次元」なのか。これは、「2次元」で提供されているその物(恋愛ゲーム)に問題があると思います。まず、プレイヤーは(3次元での)自己のパーソナリティーに左右されません。例えば、会話でのプレイヤーの台詞に選択肢こそあるものの、ゲーム内ではひとりのキャラクターとして固有のパーソナリティーを持っています。当然、ゲーム中の人格がプレイヤーの「3次元」での実生活に直接影響を及ぼすこともありません。「3次元」での自分、そして「2次元」での自分が保証されているその「安心感」、これが一つ目の要因でしょう。そして、もうひとつは、恋愛対象となる相手。「2次元」での恋愛対象はパターンも言いようによっては「3次元」よりも様々。必要十分に「リアル」なそれは、しかし、商品として第3者に作られたものでもあります。プレイヤーが恋愛を体験したいと思うような対象、それそのものが商品として提供されているわけです。恋愛ゲームならば、自分の好みの人と*必ず*恋愛することができるという「安心感」、これが2つ目の要因ではないでしょうか。
従って、「誰にでも出来る感情移入」と、「恋愛ゲームの2つの安心感」によって、人は「2次元コンプレックス」と呼ばれる状態に陥るのだと思われます。
……男は好きでもないのに、やおいは好きな人たち、いますよね。あれも一種の「安心感」を求めているのではないでしょうか。同性(読者、この場合女性)が登場しない安心感。自分が感情移入する同性キャラを持たないの代わりに、自分の代わりに幸せになってしまうキャラがいない安心感。そして、やはり「3次元」の自分に影響しない安心感。人は安心したいのではないでしょうか…。
そして、果たしてその安心感は本物なのか……それは夢の終わりに明らかになることでしょう。
- なんか好きなキャラの名を改めて書くとこっ恥ずかしいですね。なんだか、教室の端っこで好きな女の子の名を小声で言い合っているかのような。
こんなことを思うのはやはりわたしが2次元の女の子にすっかりはまってしまってるからです。きっと。
で、ですよ。一旦好きになってしまったら。心の中にいる「あの人」というのは2次元も3次元もないわけで。いい歳して変なこと言ってるような気もしますが、その名をつぶやいただけでどきどきしたり、絵を見てかわいいとかかわいくないとか思ってみたり。
……というようなことは、2次元キャラを作る人たち、ならびにわたしの内的な原因に支えられているわけですが、わたしはこの自分の事態をやばいことだとは思ってません。同様な趣味の人がたくさんいらっしゃっても、別にやばいことだとは思ってません。現実の方の世界の恋愛から逃避している、という事実があろうとなかろうと、自覚があろうとなかろうとどうせ、人の伝統的な平均レベルの嗜好と自分の嗜好がちょっと違う、ぐらいにしか思いません。
こういう風に書くのは、2次元コンプレックスについて、やばいと思う人にとってはやばい問題であり、どうでもいいと思う人にはどうでもいい問題なんじゃないかと思うからです。ゲームなりアニメなりが「恋愛弱者」を救っているのか、救っていないのか、と悩む人にとっては難しい問題でも、ふにゃ〜、萌え〜と言ってる人には簡単な問題なのかもしれない。
はたまたゲームも好きだけど、現実の世界でもよろしくやっている、という人もいらっしゃるでしょうし。問題は自分がどう思っているか、だと思います。
内的な問題に答えはないのではないでしょうか。2次元コンプレックスの人がそうでない人に白い眼で見られることが正解ではないし、それに逆らおうとするのもまた正解ではない。2次元コンプレックスを一つの嗜好として社会に認知させようともそれはきっと正解ではない。必要悪っていうんですか。こういうの。
なんといいますか。社会の片隅でくすぶっている方が楽でいいです。PTAや学者の目を逃れて。もちろん社会の片隅に隠しておけないほど市場が大きくなってますけど。だから碧さんの悩みは尽きないのでしょう?
そんなわけで答えはないまま。
α、(おまけ)2次元キャラクタの寿命
「恋愛ゲームの平均寿命は3ヶ月だ」と主張しているにも関わらず相変わらず「ときめきメモリアル」シリーズなどが出ていることはほとんど理解し難いものがあるのですが、筆者がただ異常に飽きっぽいだけなのかどうか気になったので尋ねみました。(^^;
問、ある2次元キャラクタに最長どれくらハマったことがありますか?(^_^;;何年、何ヶ月、のような感じでお答え下さい。もしよろしければそのキャラクタも教えて頂ければ幸いです。(^^;;)ちなみにこれは恋愛ゲームはもちろんその他のゲームやアニメ、マンガ等全てのキャラクタが対象です。
平均値:2年5ヶ月
中央値:1年5ヶ月
最長 :14年
最短 :数時間
さすがに10年も前に恋愛ゲームはありませんので恋愛ゲームでは数年が限度ですね。(^^;
とても長い人が何人かいらっしゃって平均値を押し上げていますので、中央値の方が適切でしょうか。それだと1年5ヶ月。この辺りを恋愛ゲームの最大寿命と考えてることができるかもしれません。ちなみに筆者の最長が11ヶ月ですから、やはりやや飽きっぽいのかもしれません。(笑)
#恋愛ゲームで飽きっぽい人は恋愛でも飽きっぽい?(笑)
次回予告「恋愛ゲームに求められているもの」
恋愛ゲームを追っていると、未だ現代男性の多くが抜け出しきれない「恋愛幻想」と呼ぶべきものに行き当たることに気づきます。その時、恋愛ゲームには一体何が求められているのでしょうか。恋愛ゲーム学は自然と社会学の領域にまで踏み込んで行くことになります。
なお、これに関して恋愛ゲームに関するアンケート6を行う予定です。ご協力をお願いします。
本講はもちろん次講についてのご意見・ご要望、あるいは恋愛ゲーム全般について考えていることがありましたら電子メールで秋風碧(t70584@hongo.ecc.u-tokyo.ac.jp)までお寄せ頂ければ幸いです。m(__)m
戻る