「ゾイド24」に関する雑文



「ゾイド24」(以下24)、それはそれまでの1/72スケールとは違い1/24スケール(つまり、通常スケール約3倍)で発売されたゾイドシリーズである。全部で9種類発売された。

このシリーズの最大の特徴は、付属フィギュアの大型化である。1/72スケール(大きさ約2cm)とは違いリアルで大きく、しかも各関節が自由に曲げられるために、人形を使った遊びができる。「ゾイド戦闘ごっこ」(子供がゾイドで遊ぶ場合、これは外せない)で「戦場の臨場感」が生まれるのである。1/72スケールの場合、どうしても「ゾイド対ゾイド」の構図になってしまい、ゾイド遊びに占めるパイロットの比重は極めて小さいものになってしまう(何せ本当に小さいから)。それに対して24は、人形を主役にした遊び方ができる。つまり、戦争における「人間対人間の戦い」の雰囲気が味わえるのである。

このことはとても重要だと思う。なぜなら、ゾイドストーリーにおいてゾイドはあくまでも戦争の道具に過ぎず、主役は人間であるからだ(他のロボットものでもそうだが)。戦争においては(勿論戦争だけではないが)、人間がドラマを作っていくのであり、ロボットはあくまで補佐役に過ぎないのである。このことは至極当然であると思われがちだが、実はそうとは言い切れない。

私のようなロボット好きには、しばしば「パイロットとロボットの立場の逆転現象」が起きてしまうことさえある。ロボットばかり注目して、ストーリーを軽視し、重要なテーマ(戦争の愚かさ、なぜ人は争わなくてはならないのか等)を見落としてしまう可能性があるのだ。また、ストーリーだけでなく、登場キャラクター(人間)軽視の傾向が生まれる可能性も大きいと言える。これを解決するには、パイロット(キャラ)への思い入れが不可欠である。

この点、大型化したフィギュアによって24はパイロット(キャラ)への思い入れをより強く持つことができると言えよう(開発者が意図していたかどうかは分からないが)。フィギュアを主役にした「ゾイド戦闘ごっこ」は、ロボット好きの子供が「ロボットは人間がいて初めて成り立つものなのだ。」と実感するよい機会となったはずである。

そして、TOMYも発売当初は24にかなり力を入れいたように思える。《第4回ゾイドアイデアコンテスト大賞受賞作》を【バトルローバー】として発売した事実はその表れと言える。【ゴーレム】を除く8種類の24が立て続けに発売された事実も見逃せない。

しかし、私は発売当時24は1体も購入しなかった。いや、購入する気になれなかった。なぜか?それは「スケールが合わない」からである。他に理由はない。全てこの1点に集約される。

確かにフィギュアの大型化により、(少なくとも1/72よりは)キャラへの思い入れを持つことができることは間違いないが、24と1/72シリーズは一緒に遊ぶことができないのである。24の大型タイプ(例えば【メガトプロス】、【ゴーレム】)とて、1/72では5cmくらいの大きさしかない。一緒に並べるのにはどうしても無理があり、24だけ、1/72シリーズだけ、という遊び方しかできない。どちらかを選んで遊ぶとしたら、多く発売されているスケールを選ぶのが常であろう。そして、どちらのスケールが多く発売されているか?は言うまでもない。

そう言う訳で、私は24には関心を示さなかった。むしろこう思った。「サイズが合わないのだから、絶対人気がなくなるはずだ。このシリーズはいずれ消えるな。」と。そして予想は当たった。24は【ゴーレム】を最後に終了した。暗黒軍の24に至っては、ついに1体も発売されることはなかったのである。

さらに付け加えるならば、【ゴーレム】のデザインは【アイアンコング】を彷彿とさせるものであり(フレームは違うらしい)、24ならではの独自性を打ち出しているとは言い難い。24は【ゴーレム】発売前に既に終わっていた、と言えるのではないか?

「ゾイド24」、それは狙いは間違えていなかったが、[サイズの違い]というデメリットを跳ね返すことができずに散った『悲劇のシリーズ』と言えるのではないだろうか。


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