最終更新日:1999.5.21 |
碓氷峠鉄道文化むら・完成までの歩み(背景史) |
下記では、信越本線横川・軽井沢間が廃止になり、碓氷峠鉄道文化むらが完成するまでの経緯を年表化してあります。 年表化にあたっては、松井田町発行の「広報まついだ 465号」の記事をベースに、「広報まついだ」の他の号等の記事を元に項目を追加してあります。 ※年表中、青バックは国・群馬県・JRの動き、ピンクのバックは県外自治体の動きを示します。それ以外は、松井田町の行政・議会・住民の動きです。 ※本ページの掲載意図は、皆様に事実経過の概略を正しく知っていただくことにあります。 |
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年月日 |
出 来 事 |
1964/10/01 |
東海道新幹線・東京―新大阪間開業 |
1970/05/18 |
全国新幹線鉄道整備法公布 |
1972/03/15 |
山陽新幹線・新大阪―岡山間開業 |
1973/11/13 |
北陸新幹線の整備計画決定(建設費など) |
1982/03/30 |
北陸新幹線の駅・ルートの概要公表 |
1982/09/24 |
整備新幹線計画を当面凍結すると閣議決定 |
1985/12/25 |
北陸新幹線工事実施計画の認可申請(高崎―小松間) |
1987/01/30 |
整備新幹線計画凍結の解除を閣議決定 |
1987/04/01 |
国鉄が分割・民営化し、JR各社が発足 |
1987/12/17 |
JR東日本が「新幹線建設の場合、横川−軽井沢間は廃止」と運輸省に報告 |
1987/12/24 |
松井田町議会全員協議会で在来線存続を申し合わせる。 |
1988/01/08 |
松井田町議会臨時議会で「在来線廃止反対特別委員会」の設置。廃止反対決議 |
1988/01 |
沿線市町、国、県、地元国会議員、JR東日本に存続の陳情 |
1988/02/12 |
行政、議会、団体、住民代表、学識経験者等により「在来線廃止反対対策協議会」を設置(委員数220名)。第一回対策協議会を開催 |
1988/03 |
住民PR(広報紙、立看板、ステッカー、横断幕) |
1988/08/11 |
運輸省が北陸新幹線・長野―軽井沢間をミニ新幹線(在来線の広軌化)とする案を発表 |
1988/09/14 |
第二回在来線廃止反対対策協議会理事会で「在来線を廃止するなら新幹線建設に協力しない」との方針を決める。 |
1988/10→11 |
在来線廃止反対署名活動を行う(署名者数3万3543人) |
1988/10/16 |
在来線廃止反対町民大会を東中学校校庭で開く、参加者4100人 |
1988/11/04 |
高崎駅〜軽井沢駅前で街頭署名活動 |
1988/11/16 |
地元国会議員、国、県、JR東日本に、西毛地区開発協議会の市町村長、議長で陳情 |
1988/11/28 |
地元国会議員、関係自民党議員、自民党整備新幹線建設促進検討委員会委員に町議会議員全員で陳情。 |
1988/11/29 |
JR東日本が政府自民党の整備新幹線建設促進検討委員会に「横川−軽井沢間の廃止」を申請する。 |
1988/12/24 |
運輸省がJR東日本の横川−軽井沢間廃止の代替輸送交通案を群馬県に提示。 |
1988/12/24 |
第二回在来線廃止反対対策協議会 |
1989/01/17 |
政府自民党は整備新幹線建設促進検討委員会で「平行在来線 横川−軽井沢間については適切な代替交通機関を検討し、その導入を図ったうえ新幹線開業時に廃止することとし、そのため関係者(運輸省、JR東日本、群馬県、長野県)間で協議する」と決定。北陸新幹線・高崎―軽井沢間のフル規格着工を決定。 |
1989/01/20 |
町議会で「横川・軽井沢間存続再考を求める」決議。 |
1989/01/21 |
第三回在来線廃止反対対策協議会 |
1989/08/02 |
北陸新幹線高崎・軽井沢間の起工式 |
1989/09/04 |
第一回平行在来線(横川・軽井沢間)対策群馬県協議会。鉄路存続の要請を決定。 |
1989/09/13 |
第一回横川・軽井沢間代替輸送協議会を開催(四者協議会)。鉄路を残した代替輸送機関も検討課題に含まれることを確認。 |
1990/08→09 |
信越本線横川・軽井沢間廃止に関する利用者アンケートを実施。 |
1990/11/30 |
長野県や長野県内市長会などでつくる北陸新幹線建設促進県協議会(長野県)がフル規格新幹線建設の場合の並行在来線(信越線)の経営分離を決議。第3セクター経営の方向に。 |
1990/12/05 |
小諸市議会(長野県)が軽井沢以北のミニ新幹線の早期着工を求める決議案を可決。 |
1990/12/06 |
御代田町議会(長野県)が軽井沢以北のミニ新幹線の早期着工を求める意見書を可決。 |
1990/12/09 |
第八回在来線廃止反対対策協議会理事会。信越本線(横川・軽井沢間)鉄道輸送方策調査委員会の調査研究結果を発表。 |
1990/12/24 |
政府・与党申し合わせで北陸新幹線軽井沢・長野間のフル規格着工を決定。長野県内の並行在来線の廃止も決まる。 |
1991/05/23 |
御代田町議会(長野県)が全員協議会で信越線の第3セクター化の対応を御代田町長に一任。同町長は3セク受け入れを表明。 |
1991/06/02 |
小諸市議会(長野県)が全員協議会でミニ新幹線要求の断念を決定。小諸市長が第3セクター化受け入れを表明。 |
1991/07/29 |
長野県とJR東日本が長野県内並行在来線の信越線分離区間を篠ノ井―軽井沢間とすることで合意。 |
1991/07/30 |
町議会に在来線存続対策特別委員会 |
1991/08/29 |
第二回横川・軽井沢間代替輸送協議会を開催。JR東日本が横川・軽井沢間を廃止した場合、代替輸送機関の利用者は、1日平均184人との乗客予測調査結果を発表。 |
1991/09/17 |
北陸新幹線・軽井沢・長野間の起工式。 |
1992/07/09 |
信越本線横川・軽井沢間問題で軽井沢町・同議会と町、町議会で話し合う。 |
1992/07/13 |
代替輸送機関、横川・軽井沢間沿線地域開発整備について協議する第一回平行在来線(横川・軽井沢間)対策協議会を開催。 |
1993/01/13 |
町議会在来線存続対策特別委員会で箱根登山鉄道を視察。 |
1993/01/14 |
上記委員会、大井川鉄道を視察。 |
1993/05/21 |
第五回平行在来線(横川・軽井沢間)対策協議会を開催し、碓氷ネーチャーランド21構想を発表。 |
1993/08/02 |
北陸新幹線の碓氷峠トンネル(6.11キロ)が貫通。 |
1994/12/15 |
北陸新幹線碓氷峠トンネル出口で新幹線レールの発進式。 |
1995/01/24 |
町議会議員がわたらせ渓谷鉄道を視察。 |
1995/02/27 |
群馬県が議会で横川・軽井沢間の代替鉄道事業の成立可能性調査結果を公表。 |
1995/07/10 |
横川・軽井沢間存続問題懇談会を松井田町役場で開く。 |
1995/10/16 |
群馬県知事小寺弘之氏が記者会見で「鉄路断念」の意向を示す。 |
1995/11/06 |
町議会第二回臨時議会。「JR信越本線横川・軽井沢間の存続についての決議」を議決。 |
1995/11/07 |
町議会議員全員で群馬県知事へ決議文を提出。 |
1995/12/07 |
群馬県議会で知事が「現実を直視し、代替輸送機関の手当を考えなければならない」と答弁。 |
1995/12/08 |
信越本線横川・軽井沢間存続沿線市町議会意見交換会 |
1995/12/08 |
第九回在来線廃止反対対策協議会理事会 |
1995/12/25 |
町議会が沿線市町議会と合同で国、地元国会議員に存続を陳情。 |
1995/12/26 |
町議会が沿線市町議会と合同で群馬県知事に存続を陳情。 |
1995/12/27 |
第十回横川・軽井沢間代替輸送協議会幹事会 |
1996/01/11 |
第三回横川・軽井沢間代替輸送協議会。代替輸送はバス輸送と決定。 |
1996/02/09 |
第十回在来線廃止反対対策協議会理事会。残念だが新しい課題に取り組むことを決め、協議会の解散を決める。 |
1996/05/01 |
信越線軽井沢・篠ノ井間を経営する第3セクター「しなの鉄道」が発足。 |
1996/07- |
横川・軽井沢間周辺整備等推進協議会を群馬県・軽井沢町・松井田町で組織。横川・坂本〜碓氷周辺開発のアイデアを公募。(9/30締め切り) |
1996/11/26 |
横川・軽井沢間廃止後の横川駅周辺整備や地域振興、鉄道沿線活性化を考えるシンポジウム開催。 |
1996/12/25 |
政府・与党が北陸新幹線長野・上越間など3区間を新規着工すると合意。 |
1996/12/27 |
第一回横川・軽井沢間周辺整備構想策定会議 |
1997/03/14 |
横川・軽井沢間代替輸送協議会が、信越線横川・軽井沢間の代替バスをJRバス関東が運行すると決定。 |
1997/04/14 |
JR東日本が北陸新幹線の10月1日開業を発表。列車愛称は「あさま」に決定。 |
1997/05/30 |
全国新幹線鉄道整備法改正法公布 |
1997/06/19 |
運輸審議会が信越線横川・軽井沢間の廃止を答申。 |
1997/07/01 |
横川鉄道文化むら開設準備室を設立(後に碓氷峠鉄道文化むらに名称変更) |
1997/07/25 |
JR東日本が北陸新幹線「あさま」の列車ダイヤを発表。東京・長野間は最速79分。乗客への案内名称は「長野行新幹線」になる。 |
1997/09/30 |
信越本線横川・軽井沢間廃止。104年の碓氷峠の鉄道の歴史に幕が下ろされた。 |
1997/10/01 |
北陸新幹線長野・東京間開業、軽井沢・篠ノ井間は第3セクター「しなの鉄道」としてスタート。 |
1997/11 |
(仮称)横川鉄道文化むらの整備プランを町広報誌で公表。 |
1997/11/22 |
全国近代化遺産活用連絡協議会設立総会が町文化会館で開催される。横川・軽井沢間廃止後の松井田を考えるシンポジウム実施。 |
1997/11/23 |
全国近代化遺産活用連絡協議会メンバーが碓氷峠の鉄道遺産を視察。 |
1998/03 |
町議会で(仮称)横川鉄道文化むら整備事業が承認される。横川鉄道文化むらに20億円、坂本くつろぎの郷に19億円の予算決定。 |
1998/07/18 |
(仮称)横川鉄道文化むら起工式 |
1998/09 |
(仮称)横川鉄道文化むらの最終整備プランならびに名称の碓氷峠鉄道文化むらに決定した事を町広報誌で公表。 |
1998/09/01 |
松井田町都市計画マスタープラン策定 |
1998/09/18 |
信越本線廃止1周年を記念する民間有志主催のシンポジウムが松井田町文化会館で開催され、碓氷線を保存鉄道化する構想が提案される。 |
1998/09- |
碓氷峠鉄道文化むらに展示する鉄道車両の横川駅への集結開始。 |
1998/09- |
碓氷峠鉄道文化むらの工事が本格化。 |
1998/10 |
横川・軽井沢間の代替バスの運行実績、廃止後の一年間で10万8317人(一日平均297人)であることが判明。JR東日本の予想である一日平均180人を上回る。臨時便追加、12月からの増便が決定。 |
1998/12/08 |
JRダイヤ改正に伴い横川・軽井沢間の代替バスが大幅増便。 |
1999/02/12 |
財団法人碓氷峠交流記念財団設立 |
1999/02/26 |
信越本線裁判(信越線横軽間廃止許可処分取り消しを求める住民団体による行政訴訟)に前橋地裁で判決が出る。判決は、住民には原告適格なしとした。 |
1999/04/01 |
碓氷峠鉄道文化むら設置及び管理に関する条例施行 |
1999/04/18 |
碓氷峠鉄道文化むら開園 |