屋内鉄道展示館の様子 撮影:1999.2.28
下記に掲載されている写真と記事は全て、碓氷峠鉄道文化むら設立準備室の許可を得て、関係者立会いの元で取材したものです。

  屋内鉄道展示館は、信越本線、碓氷峠で活躍した電気機関車であるED42型、EF62型、EF63型が保存されます。
アプト式といわれる歯車を利用した峠の登坂、降坂方法が容易に理解出来るようにED42型はピットの上に置かれて、機関車下部が見学出来るようになります。

1999.2.28現在は、内部が未整備の状態で、現役時代の検査庫内の雰囲気が残っています。
[ED42 1]
1933年(昭和8)年日立製作所製。
大正15年に輸入されたスイス製のED41を手本に、国産化したアプト式最後の電気機関車で28両が作られました。現役時代は通常4両1組(軽井沢側1両、横川側3両)で列車の牽引を行なっていましたが、EF63に後任を譲り1963年(昭和38)に全機引退しました。
現在、旧横川運転区の床下点検用ピットの上ED42 1が置かれており、文化むら開園時にはこのピットの下を歩いて、車体の下のアプト式構造を観察できるようになる予定です。

   
信越本線直通運転用電気機関車である[EF62 54]
この54号機は最終号機で1969年(昭和44)、東洋電機・汽車会社で製造されたものです。EF62の最後まで残った3両の中の1両で、碓氷峠廃止後も横川からのEF63疎開回送などを担当しました。
   

通称「茶ガマ」と呼ばれた
[EF63 18]
1967年(昭和42)、川崎車両・川崎電機で製造され、最後の全般検査(自動車でいうところの車検)の際に往年を連想させる茶色となって出場し、碓氷峠廃止の最終日まで活躍しました。「EF62 1〜26、EF63 1〜13の初期製造車両は登場時は茶色の塗装でした。後に、青色の塗装に変更されています。
   
[EF63 10] 
1963(昭和38)、三菱電機・新三菱重工で製造され、就任から碓氷峠廃止の
最終日まで活躍しました。先頭左側のアンテナは、トンネルの多い碓氷峠で安定した無線連絡を取るために1989(平成元)より設置されたC’無線アンテナです。
なお、EF63の1〜11は当初は高崎第二機関区の所属で、1964年(昭和39)1月に横川機関区に転属になっています。
   
現役時代の検査庫内の雰囲気がまだ残っています。長年の歴史の中で染み付いた機械油の匂いが漂います。
各種工具・計測器類はオープンまでに整理されます。
展示方法は1999.2.28現在未定です。

屋内鉄道展示館横の車両
クハ189−506
碓氷峠をEF63型と協調運転で通過可能な189系特急形電車の先頭車です。
展示方法は1999.2.28現在未定です。
   
ヨ3961
碓氷峠を通過する貨物列車の最後尾もしくは最前部に連結された碓氷峠専用の車掌車です。
展示方法は1999.2.28現在未定です。
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