掲載: 2009.05.22


2009年4月18日早朝、軽井沢駅構内の様子を駆け足で見てきました。

なお、文中コメントは当サイト管理人の個人的なものです。碓氷峠鉄道文化むら等関係部所には関係ありませんし、当サイト関係者一致の公式見解でもありません。全ての文責は管理人一人にのみあります。
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撮影日:2009.04.18

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軽井沢駅の様子。


軽井沢駅から碓氷峠方向を望む。
線路は分断されたまま、雑草が目立つ構内跡でなんらかの工事が始まっている気配は全くありません。再開発計画は頓挫したままのようです。
軽井沢町ならびに関係者としては十分に検討した上での再開発計画だったのでしょう。しかし、いろいろな問題が取り沙汰されていた外資系ディベロッパー・ファンド主導で(経営破綻の経緯を見ると、再開発計画が着工前に頓挫してしまったことは、語弊があるかも知れませんが、軽井沢町にとってむしろ良かったのではないかと思います)、手続き面や内容でわかりにくいところがある計画だったと思われます。軽井沢町内でも異論が少なくなかったようです。本当の意味で軽井沢町振興に役立ち、鉄路復活にもつながるような形での仕切り直しを期待します。


「しなの鉄道」となった軽井沢駅1・2番ホーム(旧3・4番線)より碓氷峠・横川方向を見る。


ホーム先端より碓氷峠・横川方向。
右側の線路・2番線がかっての旧4番線で、EF63に推進されて峠を登ってきた列車の多くが(特急についてはほぼ全てが旧4番線に)停車しました。

※この区間を通過する全ての列車は、EF63の連結と解放のため、軽井沢駅ならびに横川駅に数分間停車しました。


同付近寄り長野方向。
右側のホームはかっての1番線。2番線とも線路が撤去されていて、ホームだけが残っています。線路と架線は無くなりましたが、ホームはほぼ当時のままです。


同上。
かって、旧1番線ホーム先端のこのあたりでEF63が上り列車(碓氷峠を横川・東京方面に降りる)と連結されていました。
レールとともにバラストもあらかた撤去されてしまっています。
旧1番・2番線の跡には、横川寄よりカフェテラス式飲食施設(画面左手奥)、旧軽井沢駅舎記念館の車両展示場が設置されています。


上写真より長野方向。
橋上駅舎は軽井沢駅。赤い小屋根がついている建物が、旧1番・2番線跡に設置された飲食施設です。


上写真の位置よりさらに長野方向。
カフェテラス式の飲食施設です。飲食施設については利用したことがないのでどういうものかわかりません。現在も営業しているかどうかも未確認です。今回、ホームから見た限りでは営業している気配が感じられませんでした。夏の観光シーズン期間のみの営業かも知れません。
旧1番線ホーム、しなの鉄道で利用されている現ホームともに、ホームならびに上屋は碓氷線廃線時のものが多く残っています。特に横川寄りについては古い時代のものが残っており、往時を偲ばせるものとして上手く保存利用して欲しいところです。


同付近より長野方向。
かって、EF63が下り列車(碓氷峠を登ってきて長野方面へ行く)から解放されたあたりに、留置線へのポイントが新設されています。近年に設置されたものと思われます。ポイント設置に伴い枕木やバラストが交換されているため、EF63の油染みの形跡は残念ながら無くなっています。


上写真奥のホーム上屋。
碓氷線廃線時の姿で残されています。


上写真より長野側、ホーム上屋下より碓氷峠・横川方向。
右手に上記のポイントが見えます。


ホームの長野寄り。
旧1、2番線は撤去されましたが、旧1番線ホームは残されています。
右側に残る線路は、旧軽井沢駅舎記念館で保存展示されているマルタイの展示線です。信号機2つは同館の展示物ですが、設置場所ならびに展示方法が中途半端な印象は否めません。
この点について言えば、碓氷線ならびに旧軽井沢駅舎とは関係ないマルタイ(下記)の展示方法と共通する問題でしょう。
「しなの鉄道」の現有主力車両である169系や115系が現役引退する時点で、旧軽井沢駅舎記念館を拡充(保存展示車両に169系や115系を追加)して「しなの鉄道」も含めた内容にするという将来構想があるのであれば、記念館の中途半端な印象も理解できるのですが・・・。旧軽井沢駅舎記念館の現状が完成形であるとすれば、せっかくの素材を活かしきれておらず勿体無いと思います。


しなの鉄道115系とEF63-2。


しなの鉄道115系と10000。


ホーム長野側より碓氷峠方向。


マルタイ(マルチプル・タイタンパー)。
Plasser&Theurer社製MTT08-16SLC。1985年製。旧軽井沢駅舎記念館の展示車両の一つです。しなの鉄道設立当時に同鉄道に譲渡されましたが(信越本線地区以外より移籍)、故障が多く2003年3月に現役引退しました。

※詳細は「しなの鉄道・会社情報(車両)」をご覧ください。


モーターカーTMC200C形(製造番号901)。
同じく、旧軽井沢駅舎記念館の展示車両の一つです。展示線の一番横川寄で展示されています。
同形車は碓氷峠鉄道文化むらのEF63動態運転線にもいます。なお、展示されているこの車両が碓氷線に入線したことがあるかどうかは未確認です。

※この形式は汎用であり、碓氷線の急勾配用に開発されたものではありません。


10000(EC40-1)。
旧軽井沢駅舎記念館の最重要展示物。鉄道記念物の指定をうけており、碓氷線のみならず日本鉄道史でも最も重要な保存車両の一つです。


この車両だけは当初より屋根付展示です。そのため他車両と比較して良好な状態を保っています。
旧軽井沢駅舎記念館で展示されるにあたり塗装整備が実施されましたが、軽井沢の厳しい気候が災いし汚れが目立ってきていました。清掃が行われたようで、前回見た時よりは綺麗な状態になっています。ただし、太陽光に照らされる部分の褪色が若干認められます(バッファー部分等)。
我が侭を言えば、現存する碓氷線アプト式機関車4両(軽井沢駅の10000、軽井沢町内のED42-2、横川のED42-1、大宮のED40-10)を、EF63・EF62とともに一箇所で屋内展示して欲しかったというのはあります。場所としては碓氷峠鉄道文化むらが理想ですが、展示スペースや保存の点から大宮の鉄道博物館内という選択肢もあり得たのかなと思います。今はもう仕方ない話ですが。
ただ、軽井沢町内のED42-2については、少々残念な姿になってきている(車体の褪色や部品欠損が目立っている。また、一般人が無許可では見学できない場所にある)のもあり、旧軽井沢駅舎記念館に移動し補修整備して10000とEF63-2との間あたりで保存展示する方法も、可能性が少しでもあれば検討してみて欲しいと思います。


EF63-2。
旧軽井沢駅舎記念館の展示車両の一つで、10000、デキ13に次ぎ重要な車両です。


展示スペースに屋根がないこともあり、近年は赤錆や塗装剥落が目立ってきており心配な状態でしたが、再塗装が行われ展示当初の姿を取り戻しました。


同上。
軽井沢の厳しい天候を考えれば、屋外展示車両の維持がこの先さらに困難になることが予想されます。
腐食や褪色が一定以上に進んだ段階で数年おきに再塗装するやり方では、いずれ限界にくると思います。
いっそのこと、旧1番・2番線と現1番線とを展示車両の長さ分だけ屋根ですっぽりと覆ってしまい、完全屋内展示に近い形にしてしまう方が良いのではないかと思います。そうすれば、いかにも窮屈な10000形の展示屋根の解消にもつながるのではないでしょうか。屋根下にダミーの架線を張れば、EF63-2のパンタグラフを上げた状態で展示できます。
※電気機関車の屋内展示でダミー架線を張っているものは、「長浜鉄道スクエア」に先例があります。


同上。
旧軽井沢駅舎記念館で展示される際、EF63-2は塗装整備が実施されました。その際、屋根上が全て青色になりました。再塗装整備でもそれが踏襲されています。
現時点では、静態保存されているEF63形のうちで一番美しい外観です。

※静態保存されているEF63のうちで、展示にあたって塗装整備が行われたのは本機と1号機のみです。他は廃車留置時の姿のままで保存されています。(11、12号機については動態復元時に再塗装)


旧軽井沢駅舎記念館。
現軽井沢駅の長野寄りに隣接しています。
左手前の石碑が「碓日嶺鉄道碑」の縮小レプリカです。
今回は開館時間前だったため、内部の見学はできませんでした。

※旧軽井沢駅舎記念館の説明は、当サイトの「碓氷線概史」付記をご覧ください。


「碓日嶺鉄道碑」の縮小レプリカ。
オリジナルは碓氷線ならびに我が国鉄道史で最重要な石碑の一つであり、このレプリカも由緒あるものなのに、説明板が全くない状況は相変わらずです。碑文が難解であることもあり、予備知識のない人にとっては意味不明なものと思われます。
旧軽井沢駅舎記念館の最重要展示物の一つとして位置付けられるべきものであり、それに相応しい説明板の設置ならびに落書き防止対策(透明アクリル板で隔離してしまう等)が望ましいと思います。

※現時点では落書きの類は認められません。駅構内の一角ですぐ傍に交番とタクシー乗り場があるため、比較的安全だとは思いますが、昨今の深刻なモラル低下を思えば万全の対策が望ましいと思います。

※この碑の説明は、当サイトの「碓氷線概史」付記をご覧ください。


草軽電気鉄道・デキ13。
旧軽井沢駅舎記念館の正面奥で保存展示されています。
展示スペースに三角形の簡易式屋根がありますが、軽井沢の厳しい気候では限界があるようです。前回見た時よりも褪色が著しく進んでいます(本来は黒色ないし濃い灰色)。屋根のないところに展示されている車輪は褪色とともに錆が目だってきています。

※この電気機関車の説明は、当サイトの「碓氷線概史」付記をご覧ください。
長期保存ならびに防犯の観点から、デキ13も旧軽井沢駅舎記念館に入館しなければ見学できない場所に移動し、屋内展示に近い状態で保存するのが望ましいと思います。
これについては下記の「サイロの碑」も同様です。


軽井沢駅構内煉瓦サイロの碑。
上記デキ13の横にあります。
前回よりも色褪せて、苔類が増えた感じです。周辺に腐葉土になりかけた落ち葉が目立ち、残念な状況です。

※この碑の説明は、当サイトの「碓氷線概史」付記をご覧ください。


同上の説明板。
説明板が著しく風化してしまって、文章がほとんど判読できない状況です。この種の説明板は見た目は良いのですが、厳しい天候下での耐久性には問題があるようです。

冬期の厳しい気候を考えると、いっそのこと(北海道の各種保存施設のように)冬期は屋外展示車両・展示品にシートをかけて保存優先にしたほうが良いのかも知れません。
理想を言えば、碓氷峠鉄道文化むら、碓氷線のアプト式旧線遺構ならびに新線、旧軽井沢駅舎記念館で共通する保存展示基準があっても良いのかなと思います。基準作りを通して、知恵と資産(資金だけでなく、人的知的資産も含め)を関係各所が互いに出し合い、碓氷峠の観光資源を活かし、鉄路復活も含めた積極的活用の基礎を作っていくという考え方もあると思います。鉄道博物館を筆頭に各展示施設やJR東日本から、より積極的に知恵を借りるべきなのは言うまでもありません。

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