石田堤
いしだづつみ
この堤は天正十八(1590)年6月、石田三成によって忍城水攻めのために築かれた。
豊臣秀吉の関東平定に伴い、北条氏に味方する成田氏の根城である忍城は、
石田三成、大谷吉隆、長東正家らによって包囲される。
三成らは地形を見て忍城を水攻めすることにし、
全長28kmに及ぶ堤をわずか1週間で作り上げたと言われる。
実際には自然堤防や微高地を巧みに繋ぎ合わせたものと思われ、
現存するこの堤も自然堤防上に1-2m程盛土したものである。
堤が完成した後、利根川・荒川の水を引き入れたが、城にはあまり水が溜まらず、
堤が決壊して水攻めは失敗に終わる。しかし、北条氏の降伏により忍城は開城する。
現在は約250mの堤を残すのみだが、江戸時代、日光裏街道として植えられた松が
往時を偲ばせる。
忍川より南側部分を南東側から眺める。
忍川より北側部分を南側から眺める。
石田堤碑。
(97.05.10)
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