忍藩領界石

おしはん りょうかいせき

忍藩が他領との境界を明らかにするために領内の16ヶ所に建てられたものの一つ。
「従是南忍藩」(これよりみなみ、おしはん)とある。
はじめは木材を用い御分木[ごぶんぎ]と称したが、安永9(1780)年、 藩主松平正允[まさちか]のとき石標に建て直された。
原料の石材は利根川の酒巻河岸から一日50人の人夫が二日がかりで運んだといわれる。 明治になって全て撤去されたが、石原の赤城久伊豆神社に保存されていたものを 昭和14年に現在の場所に建てられた。

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