星渓園
せいけいえん
元和9(1623)年荒川の洪水によりここの西方にあった土手(北条堤)が決壊して池が生じ、
清らかな水が湧き出るようになったので「玉の池」と呼ばれ、これが星川の源流となった。
慶応年間から明治にかけて、本陣の竹井澹如翁がここに別邸を設け、
玉の池を中心に木竹を植え名石を集めて回遊式庭園とした。
明治十七年には昭憲皇太后がお立ち寄りになり、大正十年には秩父宮がお泊りになるなど、
知名士の来遊が多かった。
昭和二十五年に熊谷市の所有となり、翌年「星渓園」と名付けられた。
昭和三十年代に湧水が枯れてしまい、現在は荒川の水を用水から導入している。
老朽化のため平成二年から四年にかけて、復元整備工事が行われた。
正門は数寄屋感覚を取り入れた純日本的なものになっている。
星渓寮は園内の中心的建物で、12帖半の一の間を中心に、
二の間、前室、茶室、立礼席などがある。
正面に見えるのが積翠閣。高床式の建物で、和室と洋室からなる。
隣は二室からなる松風庵で、3棟の中央に位置している。
(99.06.05)
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