百庚申

ひゃくこうしん

幕末、万延元(1860)年の庚申の年に、発起人中野屋宗助他、 岡の有志13人により造立を計画され、翌万延二年にかけて完成した。
万延元年は桜田門外の変などがあり、国情は騒然としており、 民衆の生活も不安なものであった。そのような状況と庚申の年が重なり 百庚申が造立されたのであろう。

元々この場所には享保元(1716)年に造立された庚申塔があり、 二十二夜待塔、馬頭観音も立っていた。

参考:岡部町案内板

(99.07.30)


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