国済寺

こくさいじ

関東管領足利基氏の執事上杉憲顕[のりあき]の六男、憲英[のりふさ]が 康応2(1390)年に峻翁令山禅師[しゅんのうれいざんぜんじ]を招いて開いた。
天正18(1590)年に徳川家康から寺領30石の朱印状を下付されている。
本堂裏には憲英の墓がある。

境内中央の山門。

国済寺の総門である黒門。正面上部には「興禅窟」と記された扁額が掲げられている。

憲英の館、庁鼻和[こばなわ]城はこの辺りにあった。城跡の土塁が境内北西に残る。

(1999.06.05)


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