開善寺

かいぜんじ

畳秀山開善寺は天正十九[1591]年本庄城主小笠原信嶺が開基し、 球山宗温和尚の開山で、本尊は聖観世音菩薩である。
和尚は、城主信嶺の夫人久旺院尼の兄にあたる人で、武田信玄の弟 武田逍遥軒の子で、仏門に入り甲斐国永岳寺にあったが、 信嶺に招かれ当寺を開山した。
その後、三世桃獄祖源の代、慶安二[1649]年徳川家光より朱印地十五石が下されている。

昭和四十六年に新築された本堂。畳秀山の扁額が見える。
寛延二[1749]年の本庄宿の大半を焼き尽くす「開善寺火事」など、 多数の火事により古い堂は残っていない。

勢至堂(三夜堂)。明治九年に新築され、昭和四十二年に旧地(愛宕神社入口向い付近) から本堂西側に移築された。本尊は旧地古墳から出土した銅造勢至菩薩立像である。

境内南側の古墳上に小笠原信嶺夫妻の墓がある。
寛延二[1749]年の本庄宿の大半を焼き尽くす「開善寺火事」など、 信嶺は徳川氏の家臣で、もと信州松尾城主であり、 天正十八[1590]年豊臣氏の関東攻めにより本庄氏滅亡後本庄城を賜り、 本庄領1万石を領した。

(99.5.23)


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