昭和四十六年に新築された本堂。畳秀山の扁額が見える。
寛延二[1749]年の本庄宿の大半を焼き尽くす「開善寺火事」など、
多数の火事により古い堂は残っていない。
勢至堂(三夜堂)。明治九年に新築され、昭和四十二年に旧地(愛宕神社入口向い付近)
から本堂西側に移築された。本尊は旧地古墳から出土した銅造勢至菩薩立像である。
境内南側の古墳上に小笠原信嶺夫妻の墓がある。
寛延二[1749]年の本庄宿の大半を焼き尽くす「開善寺火事」など、
信嶺は徳川氏の家臣で、もと信州松尾城主であり、
天正十八[1590]年豊臣氏の関東攻めにより本庄氏滅亡後本庄城を賜り、
本庄領1万石を領した。
(99.5.23)