皎月原

こうげつはら

用明天皇の時代、皎月という官女がお咎めを受けて佐久郡の平尾へ流されてきた。 いつも白馬を愛していた官女はあるとき小田井の原へ馬を引き出して乗り回していた。 ところが天の竜馬だった白馬は空へ駆け上がり、平尾山の頂上に立ち止まった。 そこで官女は「吾は唯人ではない。白山大権現だ」と言って光を放って岩の中に入ってしまった。 その後官女は白山大権現と言うになり、時々小田井の原へ来て馬の輪乗りをして、 跡には草が生えなかったのでそこを皎月の輪と呼ぶようになったと伝えられている。
参考:佐久市教育委員会案内板

享保七(1723)年小諸藩の馬術師範で、皎月原で押兼流馬術を習得したと伝えられる押兼団衛門長常が 当時の小田井本陣安川圧右衛門に送った文書「夢想皎月記」の中に見られる。
この古歌を昭和十年、御代田村が建立したのがこの歌碑である。
参考:佐久市教育委員会案内板

(2001.8.16)


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