和田宿本陣 長井家

わだじゅくほんじん ながいけ

文久元(1861)年3月10日の大火で焼失したが、和宮の宿泊地とされていたため、 幕府の拝借金によりその年の11月に再建された。大名などの宿泊に当てられる「座敷棟」と本陣所有者が生活する「居室棟」に別れていたが、 ここに復元されている建物は「居室棟」にあたる。
明治維新後、「座敷棟」は丸子町龍願寺へ移築され、「居室棟」は村役場、農協事務所として昭和59年4月まで使用されていたが、役場の新庁舎移転に伴い解体される予定であったが、 調査の結果重要な遺構として昭和61年より解体修理が行われ5年後総工費1億8千万円で往時の姿に復元された。

切妻平入りで規模は約444u(135坪)、軒高さ5.3m、棟高さ8.8mで、正面間口21.6m(12間)、奥行16.2m(9間)、出桁は約1.5mである。 内部は述べ14の部屋があり、土間上部にのみ二階部屋が2室ある。 木材は土台を栗とし、大半は唐松で一部に杉を使用している。屋根は石置きの栗板葺きである。





御入門は明治期に丸子町向陽院に移築された。ここに復元された門は移築された門の実測調査により平成元年度に再建されたが、 既に整備された道路の関係から旧位置とは異なる場所となった。

参考:文化庁、和田村、和田村教育委員会 案内板

(2002.10.23)


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