伊那道 道標
いなみち どうひょう
東堀を南に行くのが伊那道で、
寛政三(1791)年建立で百万遍供養塔をも兼ねた道標には
「右中山道、左いなみち」とある。
伊那道はここから飯田を経由して妻籠と馬籠の間に出るようになっていた。
この道は途中まで初期の中山道の道筋にあたる。
慶長七(1602)年に中山道が開かれたとき、
金山奉行大久保石見守長安が木曽の森林開発、伊那の米輸送の近道として開いたもので、
東堀から南下、三沢から西に向かい、小野峠を越え三州街道の小野、
さらに牛首峠を越えて現中山道桜沢の北に出る道だった。
長安の死後、生前不正があったとしてこの道は廃止となり
慶長十九(1614)年以降現在の道筋となった。
(1996.5.6)
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