大垣道追分道標

おおがきみち おいわけ どうひょう

徳川幕府は成立直後、五街道を造り、 中山道と東海道を結ぶ街道として美濃路(大垣道)を造った。 美濃路は将軍上洛の道であり、朝鮮通信使及び琉球使節、大垣湊への重要な道であった。
左が中山道、赤坂へ向かう。

その中山道との追分にある、宝永六(1709)年の自然石の道標。「是より 右東海道大垣みち 左り木曾海道たにぐミみち」とある。
以前は享保三年の角柱の道標、「享保三月日」「右みのぢ 大かきミち、あつたミち」「左きそち たにぐみミち、ぜんこうし道」 もあったが現在は垂井の個人宅に移されている。

(1998.5.10)


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