日守の茶所

江戸末期に岩手の美濃獅子門化月坊が関ヶ原山中の芭蕉ゆかりの地(常盤御前の墓所)に秋風庵を建てた。 それを明治になって、一里塚の隣に移し、中山道を通る人々の休憩所として昭和初めまで盛んに利用された。
また、大垣新四国八十八ヵ所弘法札所とし、句詠の場としても利用された。
垂井町説明板より

(1998.5.10)


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