泉の手前は玉泉寺。
大ケヤキの根本から湧出し、「垂井」の地名の起こりとされる。 「続日本紀」天平十二(740)年十二月条に見える、美濃行幸中の聖武天皇が 立ち寄った「曳常泉」もこの場所と考えられており、古くからの由緒がある。 近隣の住民たちに親しまれる泉であっただけでなく、歌枕としても知られ、 はやく藤原隆経は
昔見し たる井の水はかはらねど うつれる影ぞ 年をへにける 『詞花集』
と詠んでいる。
泉の下流に作られた噴水。
葱白く 洗ひあげたる 寒さかな
という一句を残している。句碑は向かって左奥にある。
(1998.5.10)