東首塚

ひがしくびづか

北国街道をJRを越すと東首塚の入口がある。

広場奥には社がある。

首塚手前に首洗いの井戸がある。慶長五年九月十五日の合戦が終わった後東西両軍兵の屍は数知れず、 誰か不明の士多く、近くの村民はその様を憐れみこの井戸水で首を洗い懇ろに供養したと伝えられる。

合戦終、徳川家康は陣場野で部下が取ってきた首を実検して、 東と西の二ヶ所に埋めた。この東首塚はこの地の領主竹中家が造ったものである。 このように多くの人々が通る北国街道や中山道沿いに首塚を造らせたのは、 戦乱の恐ろしさを世の人々に知らせようとしたためであろう。

(1998.5.10)


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