中山道の年表

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中山道の年表
西暦和暦月日道の変遷事件・通行
125景行天皇五十五2月日本書紀に東山道の名が現れる。 
667天智六  中大兄皇子が大津に遷都する。
672天武元6月 壬申の乱が起こる。
673天武二7月関ヶ原に不破の関が置かれる。 
702大宝二 続日本紀:「始めて美濃の国に岐蘇の山道を開く」 
713和銅六7月7日続日本紀:岐蘇路開通。(本山を通る道筋) 
771宝亀二10月 武蔵国が東海道へ転属される。
789延暦八 関ヶ原の不破の関が廃止される。 
899昌泰二 碓氷坂に関所が置かれる。 
1172承安二2月12日 源義経が平泉に行く途中、板鼻で宿泊し、伊勢三郎と出会う。
1180治承四  源頼朝が板橋に陣を張る。
1184寿永三1月 木曽義仲軍と源範頼軍が瀬田で合戦を行い、義仲軍の今井兼平が唐橋を破壊する。
1185元暦二6月21日 近江篠原で源義経軍により平宗盛・清宗父子が処刑される。
1333元弘三5月9日 六波羅探題の北条仲時が京を追われ番場で自決する。
1338建武五1月 北朝の足利軍と奥州から上京した南朝の北畠軍が垂井北東の青野ヶ原で合戦を行う。
1352正平七  碓氷峠付近で南北朝(宗良親王、足利尊氏)が合戦を行う。
1355正平十  塩尻付近の桔梗ヶ原で南北朝が合戦を行う。
1400-1407応永七-十四 木曽川沿いに新道が開かれ、木曽の桟が架けられる。 
1530享禄三 赤坂の旧杭瀬川が氾濫し流路が変わる。 
1532-55天文 贄川に関が置かれる。 
1548天文十七7月 武田信玄と信濃守護小笠原長時が塩尻峠で合戦を行う。
1549天文十八  観音寺城主六角定頼により、老蘇の北、石寺に楽市楽座令が出される。
1561永禄四 倉賀野に舟問屋が開設され舟運が始まる。 
1574天正二 鉢形城主北条氏邦、熊谷堤を造る。 
1575天正三 織田信長、瀬田の唐橋を北側に改める。 
1575天正三 下諏訪宿が成立する。 
1582天正十6月19日 滝川一益と北条氏が神流川で合戦を行う。
1582天正十  木曽義昌と武田勝頼が鳥居峠で合戦を行う。
1586天正十四 豊臣秀吉、大津に築城し城下町を建設する。 
1586天正十四 地震と洪水で木曽川の流れが境川から現在の流路に変わる。 
1589天正十七 豊臣秀吉、増田長盛に京三条の橋の改修を命じる。 
1589天正十七 豊臣秀吉、美江寺に問屋場を置く。 
1590天正十八 京三条に石柱を持つ大橋が完成。 
1590天正十八  豊臣秀吉の軍勢が北条側の松井田城主大道寺政繁と碓氷峠で合戦を行う。
1590天正十八 徳川家康が江戸を中心として放射状の道を作り始める(中山道は松井田まで)。横川に関所を作る。 
1592-1596文禄 鴻巣宿が北本から現在地に移される。 
1594文禄三 豊臣秀吉、宿駅制を改め大津から柏原までに7駅を設け、伝馬人足を定める。 
1597慶長二 芦田宿が作られる。 
1598慶長三  高崎城が築城される。
1600慶長五  徳川秀忠、大軍を率いて関ヶ原に向かう。
1600慶長五9月15日 徳川方東軍と石田方西軍が関ヶ原で合戦を行う。
1600慶長五 徳川氏により、近隣から移転させ望月宿が作られる。 
1601慶長六 草津、大津に伝馬が置かれる。 
1602慶長七 中山道を整備し、江戸幕府の直轄地とする。伝馬制を定める。熊谷、高崎、安中などに駄賃を定める文書が発行される。 
1602慶長七 小諸藩により、笠取峠東側に松並木が作られる。 
1602慶長七 元宿から移転させ鴻巣宿が作られる。 
1602慶長七 近隣から移転させ小田井宿が作られる。 
1602慶長七 近隣から移転させ塩名田宿が作られる。 
1602慶長七 近隣から移転させ荒町宿(後の八幡宿)が作られる。 
1602慶長七 近隣から移転させ上町を構成し、従来からの中町・下町と合わせて和田宿が作られる。 
1602慶長七 大湫宿が作られる。 
1603慶長八 長窪古町から移住させ長久保宿が作られる。 
1604慶長九2月大久保長安を総督とし、一里塚が築かれる。 
1604慶長九 安中原市に杉並木が植えられる。 
1605慶長十  朝鮮との国交が回復し、朝鮮通信使の通行が始まる。
1606慶長十一 細久手宿が作られる。 
1608慶長十三 松井田宿が作られる。 
1596-1615慶長 贄川番所開設。 
1611慶長十六 京に高瀬川が開削され、三条橋は三条大橋と呼ばれるようになる。 
1612慶長十七 江戸幕府により、道・橋・堤の補修に関する「覚」が出される。 
1614慶長十九 中山道の整備を行った大久保長安が、生前不正があったとして、小野経由の道が廃止され塩尻経由となる。塩尻・洗馬・本山が整備される。 
1615元和元  家康、木曾を尾張藩領とする。
1615元和元 井伊直政の子直勝が安中城を再建し、町割が行われ、安中宿が開かれる。 
1616元和二 塩尻峠が開かれる。 
1619元和五 助郷が制度化される。 
1623元和九 碓氷関所が置かれ、同時に堂峰に遠見番所が置かれる。 
1624-44寛永 小野に代わり鳥居本宿が作られる。 
1625寛永二 坂本宿が作られる。 
1625寛永二 街道筋が大改修される。 
1628寛永五 関東郡代伊奈忠次により、大宮の氷川神社参道の西側に新たに大宮宿が作られ、中山道が付替えられる。 
1631寛永八 長久保宿が依田川の洪水により流失したため、東側の現在地に移転される。 
1634寛永十一 加納宿が整備される。 
1635寛永十二  参勤交代が制度化される。
1635寛永十二 街道筋が大改修される。大久保一里塚、鵜縄沢一里塚などが街道から外れる。 
1637寛永十四美江寺が公式に宿となる。 
1646正保三 例幣使の通行が始まる。 
1647正保四 木曽の桟が松明により焼失する。 
1644-8正保 加賀藩により新町経由の街道(加賀街道)が作られる。 
1648慶安元 木曽の桟が石垣を使用して再建される。 
1651慶安四 伏見−鵜沼間が土田、犬山から太田、鵜沼東・西町経由となる。 
1651慶安四 深谷宿で往還付替えが行われる。 
1652承応元 落合新宿(新町東側)ができる。 
1653承応二 笛木新宿(新町西側)ができる。 
1654承応三 新町経由加賀街道が中山道となる。 
1659万治二 大目付 高木伊勢守守久を初めて道中奉行に任命して五街道を管轄下に置く。 
1683天和三 元蕨から蕨宿が付替えられる 
1685貞享二3月24日? 芭蕉が「野ざらし紀行」の旅で鵜沼の脇本陣坂井家に宿泊する。
1688貞享五8月11日? 芭蕉が「更科紀行」の旅で鵜沼を木曽路に向かい発つ。
1691元禄四 須原の今井ナギが崩壊したため、中山の南を迂回する道に付替えられる。 
1694元禄七 土田宿が廃止され、伏見宿が正式な宿場となる。 
1695元禄八 薮原、大火。 
1709宝永六  貝原益軒の「きそ路の記」刊行。
1712正徳二 洗馬宿に荷物貫目改所が置かれる。 
1712正徳二 草津宿に荷物貫目改所が置かれる。 
1713正徳三 和田宿に追川より東の橋場・新田が組み入れられる。 
1714正徳四  巣鴨真性寺の地蔵像が建立される。
1716正徳六4月14日駅肝録に正式名称として「中山道」が記される。 
1716正徳六4月触書きに「ナカセンドウ」の読みが記される。 
1718享保三 倉賀野の太鼓橋が石橋となる。 
1721享保六7月塩名田の千曲川の洪水で投渡橋が流失し、御馬寄側には刎橋が架けられる。 
1724享保九 和田峠の両側に、東餅屋、西餅屋など5ヶ所の休憩所を置くことを幕府が許可する。 
1724享保九 新町が正式な宿場となる。 
1731享保十六  比宮[なみのみや]、降嫁のため通行。
1734享保十九 木食上人の改修願いにより、京の日ノ岡峠の勾配を緩め、牛車道に白川石を敷き詰める。 
1742寛保二 塩名田の千曲川の洪水で刎橋が流失し、船渡しとなる。 
1742寛保二 望月(新町)が洪水により壊滅し、鹿曲川の西側に作られる。 
1750寛延三 塩名田の千曲川に架橋される。 
1756宝暦六  「岐蘇路安見絵図」発行。
1759宝暦九 柳瀬川(新町岩鼻間烏川)に渡船許可が下り、徒歩渡りから舟渡りとなる。 
1760宝暦十3月関ヶ原、大火。 
1764明和元3月 高山彦九郎が、三条大橋の袂で御所の方角に向かって平伏する。
1764明和元12月 増助郷が命じられたことにより武蔵から信濃で伝馬騒動が起こる。
1765明和二 望月、大火。 
1773安永二 沓掛、大火により、宿が北側に移される。 
1783天明三7月8日浅間山が噴火し、碓氷峠が不通になる。 
1793寛政五 岩鼻に陣屋が置かれる。 
1796寛政八3月関ヶ原、大火。 
1802享和二  大田南畝(蜀山人)、大阪銅座御用の帰りに中山道を通る。
1802享和二 塩名田の千曲川御馬寄側で河川改修する。 
1803享和三 塩名田の千曲川に平橋が架けられる。 
1804文化元  楽宮[ささのみや]、降嫁のため通行。
1805文化二  秋里籬島による「木曽路名所図会」発行。
1805文化二  心学者脇坂義堂の提案で、大津八丁から京三条大橋まで車石を敷き、牛車の搬送路とした。
1806文化三  「中山道分間延絵図(五海道其外分間見取延絵図)」完成。
1809文化六9月23日 伊能忠敬、下諏訪に到着。
1810文化七5月11日 小林一茶、新町宿高瀬屋で神流川の常夜灯建立のための寄付を強要される。
1813文化十 河渡宿が洪水対策のため幕府貸付金によって1.5mほど土盛りされる。 
1814文化十一  五料の高砂屋文之助により、倉賀野追分に常夜灯が建立される。
1815文化十二  本庄の商人、戸谷半兵衛により、神流川に常夜灯が建立される。
1815文化十二 落合、大火。 
1820文政三 江戸呉服商かせや中村与兵衛が、和田峠と碓氷峠の険しさに驚き、幕府に金1000両を寄付する。 
1821文政四  ペルシャ産のラクダ雌雄二頭が板橋に着き、平尾脇本陣家の庭で公開される。
1828文政十一 江戸呉服商かせや与兵衛(寄付金が尾張藩に預けられ、その利息100両を二分し和田宿、坂本宿に下付された)によって和田峠東側の接待と碓氷峠東側に永代人馬施行所が開かれる。 
1830-44天宝 高宮の犬上川にむちん橋が架けられる。 
1831天宝二 愛知川に常設橋の無賃橋が架けられる。 
1832天宝三 犬上川に常設橋の無賃橋が架けられる。 
1837天宝八 奈良井、大火。 
1838天宝九  「木曾巡行記」発行。
1841天宝十二 上尾、大火 
1843天宝十四  「中山道宿村大概帳」発行。
1852嘉永五 和田峠東側接待の永代人馬施行所が流失後、現在地に再建される。 
1855安政二5月 第15代安中藩主板倉勝明により安中城門から碓氷峠熊野権現までの「遠足」が行われる。
1856安政三  馬籠の峠の牛方が中津川の問屋に対して抗議行動を起こす。
1858安政五 細久手宿、大火。 
1861文久元3月10日和田宿、大火。 
1861文久元10月20日 和宮、降嫁のため京都を出立。
1861文久元10月25日 和宮、赤坂に宿泊。
1861文久元10月28日 和宮、大湫に宿泊。
1861文久元10月29日 和宮、中津川に宿泊。
1861文久元11月2日 和宮、上松に宿泊。
1861文久元11月5日 和宮、下諏訪に宿泊。
1861文久元11月8日 和宮、小田井で昼食。沓掛に宿泊。
1861文久元11月9日 和宮、軽井沢で昼食。坂本に宿泊。
1861文久元11月10日 和宮、安中で昼食。板鼻に宿泊。
1861文久元11月11日 和宮、本庄に宿泊。
1861文久元11月12日 和宮、熊谷に宿泊。
1861文久元11月13日 和宮、桶川に宿泊。
1861文久元11月14日 和宮、板橋に宿泊。
1863文久三5月20日 上尾の旅籠足立屋で侠客・赤尾林蔵が斬られる。
1864文久四1月23日 浦和北の一本杉付近で水戸藩士による仇討が行われる。
1864元治元11月20日 和田峠付近で水戸浪士と松本・諏訪連合軍の戦いがある。
1866慶応二  須原、大火で80軒焼失。
1868慶応四2月20,21日 東征軍東山道鎮撫隊が美江寺を発進する。
1868慶応四3月3日 赤報隊が下諏訪で処刑される。
1868慶応四4月25日 新撰組隊長近藤勇が板橋平尾宿で処刑される。
1868慶応四 堂峰番所が廃止される。 
1868明治元10月27日 明治天皇の行幸が大宮の氷川神社に行われる。
1869明治2 贄川番所閉鎖。横川関所廃関。 
1869明治2 上尾、大火 
1870明治3  宇喜多秀家の子孫が許され、板橋の前田下屋敷に移り、東光寺に墓を建てる。
1870明治3 和田峠東側接待の永代人馬施行所が営業を停止する。 
1871明治4 烏川に常橋が架けられる。 
1872明治5 宿駅制度・助郷制度が廃止される。 
1872明治5 鴻巣、大火。 
1873明治6 塩名田・御馬寄間の千曲川に船橋が架けられる。 
1875明治8 荒川に初めて木製の橋(戸田橋)が架けられ、戸田の渡しが廃止される。 
1876明治9 和田峠に(旧トンネルの上を通る)紅葉橋新道が開通する。 
1876明治910月土地制度改革が行われ、一里塚の払い下げが行われる。 
1878明治118月30日 明治天皇の北陸行幸が行われる。(桶川、新町9/2、醒ヶ井10/22)
1879明治12 碓氷新国道開通。 
1880明治137月15日 JR東海道線開通。(逢坂山に日本初のトンネル)
1880明治139月 明治天皇の行幸が行われる。(大井、塩尻、鳥居峠、野尻)
1881明治147月三留野、大火。 
1882明治15 塩尻、大火。 
1883明治16  JR高崎線開通。
1884明治1712月4日板橋、大火。 
1885明治18  JR東北本線開通。大宮に駅が置かれる。
1885明治18 碓氷新道開通。 
1886明治19  アレキサンダー・クロフト・ショウが軽井沢の旅館を買う。
1886明治19 草津川にトンネルができる。 
1888明治21  JR信越本線(軽井沢-直江津)開通。
1890明治23 国道19号開通。 
1891明治24  下谷から巣鴨に高岩寺が移転する。
1891明治245月11日 ロシア皇太子が大津で護衛の津田巡査に切りつけられる。
1891明治24  濃尾大地震。各地で被害を受ける(妻籠の鯉岩が転倒する)。
1892明治25 塩名田・御馬寄間の千曲川に木橋が架けられる。 
1893明治264月1日 JR信越線開通。
1894明治27 野尻、大火。 
1895明治28 馬籠、大火。 
1897明治30  徳川慶喜が巣鴨に移り住む。
1910明治43 沓掛東側の湯川の洪水で湯川岸沿いの道が流失する。 
1911明治44  JR中央本線開通。
1911明治44  JR信越本線に沓掛駅が開設される。
1911明治44 日本橋のアーチ型石橋完成。 
1923大正128月 室生犀星に招かれて、堀辰雄が軽井沢を訪れる。
1923大正12  関東大震災により日本橋魚市場が築地に移転。被災者は中山道で避難。
1929昭和4  島崎藤村による「夜明け前」発表。
1930昭和5 贄川、大火。 
1932昭和7 洗馬、大火。 
1945昭和208月14日熊谷、太平洋戦争の空襲により焼失。 
1945昭和20岐阜市、太平洋戦争の空襲により河渡宿が焼失。 
1949昭和24  平沢、重要漆工業団地に指定。
1950昭和25 上松、大火。 
1951昭和26 沓掛、大火。 
1956昭和31  信越本線沓掛駅が中軽井沢駅と改名され、沓掛の名が消える。
1971昭和46  碓氷バイパス開通。
1975昭和505月 安中市で文化センターから碓氷峠熊野神社前までのマラソン大会「安政遠足」が開催されるようになる。
1976昭和51  妻籠、重要伝統的建造物群保存地区(歴史の町並み)に選定される。
1976昭和51  贄川番所復元(贄川関所木曽考古館)。
1977昭和52  福島関所復元(史跡公園と福島関所資料館)。
1978昭和53  奈良井、重要伝統的建造物群保存地区(歴史の町並み)に選定される。
1987昭和626月23日 第1回中山道宿場会議。(太田)
1988昭和636月14,15日 第2回中山道宿場会議。(追分・沓掛・軽井沢)
1989平成元5月13,14日 第3回中山道宿場会議。(安中)
1990平成26月2,3日 第4回中山道宿場会議。(蕨)
1991平成35月25,26日 第5回中山道宿場会議。(守山)
1991平成3 唐沢から和田峠までが「歴史の道」に認定される。 
1992平成46月6,7日 第6回中山道宿場会議。(大井)
1992平成4 十曲峠石畳(820m)が復元される。 
1993平成5 笠取峠松並木が公園として整備される。 
1993平成59月11,12日 第7回中山道宿場会議。(馬籠・妻籠・三留野)
1994平成67月23,24日 第8回中山道宿場会議。(垂井)
1995平成76月3,4日 第9回中山道宿場会議本庄大会。
1996平成85月25,26日 第10回中山道宿場会議。(醒ヶ井・番場)
1997平成9  信越線が横川止まりとなる。
1997平成910月9,10日 第11回中山道宿場会議。(草津)
1998平成1010月3,4日 第12回中山道宿場会議長門大会。(長久保)
1999平成1110月23,24日 第13回中山道宿場会議高崎大会。
2000平成1210月7,8日 第14回中山道宿場会議関ヶ原大会。(関ヶ原・今須)
2001平成139月8,9日 第15回中山道宿場会議木曽大会。(馬籠・妻籠・三留野・野尻・須原・上松・福島・宮ノ越・藪原・奈良井・贄川)
2002平成1410月26,27日 第16回中山道宿場会議愛知川大会。
2003平成1511月2,3日 第17回中山道宿場会議桶川宿大会。
2004平成1611月2,3日 第18回中山道宿場会議本庄大会。


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