【2015年シルバーウィーク東北巡り旅】
【2015年シルバーウィーク東北巡り旅】



《9月19日(土)》
金曜夜のドリームなごやに乗って東京着0540。今回ほど早着がありがたいと思ったことはなかった。
東京駅の券売機で、あらかじめえきねっとで予約しておいた乗車券やら指定席券やら受け取る。なにこれ超便利。なんたってみどりの窓口で行列しなくていい。JR東海も早急に取り入れるべし。
発券後、即座に東北新幹線ホームに移動。なんせ狙いはやまびこ111号の自由席車だから。いくらシルバーウィークとはいえ、6時台の2番列車がグリーンまで満席とかおかしい。全てこの連休中に仙台で連日ライブやろうっていう嵐のせいだ。<アラシックに殺されるぞ
え、なんで名古屋から仙台への直通名鉄バスあるのに、東京経由してるんだって?予約開始日に秒速で満席だったさ!
自由席も当然満席で、デッキもいっぱいなので車両中ほどの通路に陣取ることに。でもよく見ると、そんなにアラシックっぽいヤバめなギャルはいない。家族連れ多め。っていうか、朝6時の新幹線に間に合うように子供とか起こして連れてくるの虐待じゃね?<大げさ
仙台まで2時間立ちっぱなし。仙台で半数くらい下りる。もっと下りるかと思ってた。ようやく座席確保。
北上で下車して東北本線に乗り換え。



2駅で花巻に到着。15年くらい前に利用した時は冬でこの僅か2駅の間に雪で立ち往生しそうになり、飛行機に乗り遅れるところだった。



今回の旅、いくつかの目的があって旅先を東北に決めたんだけど。
(1)SL銀河に乗ってみよう
いや、旅行計画発案時は満席で諦めてたんだけど、乗車券発券のためえきねっとを漁っていたら偶然指定席にキャンセルが発生していたので、これは乗るしかあるまいと経路自体修正したw
バック方向で入線。











いよいよ乗車。







コンセプトは宮沢賢治の作品や世界観といったところ。プラネタリウムなんてのもある。





車内には他にも賢治に関するあれやこれやの展示が。

















列車交換のため、宮守駅で停車。有名な話だけど、釜石線の駅にはエスペラント語による愛称が付いている。







車内では乗車記念写真のサービスをしていたので、普段証明写真以外では写真に写らない主義の私も珍しく撮ってもらうことに。



ちなみに隣の席の女の子が可愛かった。釜石まで一緒だったけど、一人旅のようだったし話しかけてみればよかった。
遠野に近づくと、辺り一面に田園風景が広がる。ああ、これはマヨヒガがあったりするわ。



遠野駅に到着。またもや熱烈な歓迎。



遠野では灰捨てや点検などのため、1時間半近く停車。ちょうど昼時でもあるので駅の外に出る。
その前に、いい感じの跨線橋があるため、機関車を撮影しまくる。









ちょうど祭りの日だったようで、山車や神輿が練り歩いていた。





郵便ポストには河童がいた。・・・河童だよな?



昼飯(牛丼)を食べて、駅に戻る。祭り期間中ということですぐ出せるメニューしか提供しておらず、名物とか食べ損なった。







列車は遠野を出発。遠野で降りる人が多く、車内人数は半分くらいになった。私の指定席も2人が下り、ボックス席をさっきの女の子と2人で分け合う形に。これって端から見たらカップルに見えね!?
足ヶ瀬駅で点検停車後、神アリス上有住駅に停車。





なんでも上有住駅の近くには日本最大の地底滝を持つ鍾乳洞やがあるとのこと。
上有住駅を出発。ここから隣の陸中大橋は、釜石線最大の難所仙人峠を通過する区間。
下の写真、中央に見えている線路は同じ釜石線。つまりカーブを繰り返しながらこの高低差を上がってきたということ。



やがて陸中大橋駅に到着。





いよいよ終点の釜石へ。陸中大橋を出てすぐはまだ険しい山岳地帯が続く。



花巻を出てから4時間半、ようやく釜石に到着。











その昔大洋ホエールズというプロ野球球団があってな。
釜石といえば、駅前一等地にデンと構える新日鉄。





しかし本日の旅はここで終わりではない。
(2)大槌町に行ってみよう
東日本大震災で壊滅的な被害を受けた佐藤裕美姐さんの出身地。今どうなっているか、この目で見てみなければ。
駅前からバスが出ているので乗車。
道中よく見れば、まだ仮設住宅らしきものが残っている。



海岸にはくそでかい防潮堤が。



JR山田線の橋梁。ここを列車が走る日はもうこないんだろうな。



大槌町に到着して、中央公民館入口で下車。
これが大槌町の現在の姿。







もうね。新国際競技場で1千億だ2千億だ言う前にやることがありゃしませんかね?
再び釜石に戻ってホテルにチェックイン。
たぶん15年前に来た時もここに泊まってる。



前夜の夜行バス含めると、移動距離1000km以上。さすがに疲れた。

《9月20日(日)》
ホテルから徒歩で釜石駅まで移動。





まずは三陸鉄道南リアス線で盛まで。
・・・なんか三陸鉄道釜石駅に妙なのがあるんだけど。



そして乗車。・・・なんだこの罪深いデザインは。



なんかやたら混む。おまけにどこぞの大学のゼミ連中かなんかが前方展望占拠して騒いでて五月蠅いことこの上なし。
車窓からはあちこちで津波被害の復旧途中の光景が。





正直、このあたりの被災地は居住不可能域として放棄もやむなしだと思うのだが。
やがて列車は恋し浜駅に到着。





駅の名前もあって、どこぞの絵馬や錠前よろしく、ここではホタテの貝殻に願い事書くと恋愛成就とかで有名らしいのだが・・・



・・・これだけの数があると情念というか怨念というか何か吹き出してきそうだ。ハート弾幕とか。
列車は終点盛に到着。
旅の目標3つ目
(3)大船渡を再訪してみよう
震災以前に工場検査で来たことのある大船渡。震災でどのように変わってしまったのか。
・・・さて、ここは線路だったはずなんだが。















JR大船渡線は線路を剥がされBRT路線に。
でも、元々バスで足りる客数で、鉄道時の倍のペースで運行するとなれば、こちらが選ばれるのも致し方無しなのか。



これに乗って今度は気仙沼まで。
(4)BRTを乗り潰してみよう
盛駅周辺はあまり変化なかったけど、大船渡・下船渡に近づくにつれて惨々たる状況が。





それでも、復興を感じさせるものもあった。









ところでBRT、線路跡を利用した専用道路を走ってると目の前に遮断器が現れる。近づくと上がる。道路側を止める列車とは逆。



なんで?と考えてすぐ解った。これは一般車両が専用道路に入ってこないようにするための常閉遮断器なんだ。これがないと過失であれ故意であれ一般車が入ってきて一車線しかない専用道路で鉢合わせ必至だもんな。
名古屋市が復興支援してる陸前高田に到着。この3階建てプレハブが市庁舎。



やがて進行方向に巨大な構造物が見え始める。高台造成用の土砂運搬ベルトコンベヤ、通称「夢の架け橋」



奇跡の一本松で下車。
(5)奇跡の一本松を見てみよう



むしろ夢の架け橋の真下なので、工場萌えにはたまらないっすよ。











ただ、これもつい先日役目を終えて、あとは解体を待つばかりとか。まあ解体するにも時間かかるだろうけど。
で、一本松なんだけどバス停から10分くらい歩く。しかもなんか遠回りさせられてる。
ようやく見えてきた。











私としては、背後の崩壊した建物の方が気になった。
どうなればこんな破壊の仕方になるんだ?津波で基礎が洗掘されて、落橋したのか?
っていうか、取り壊せされずに放置されてるのも。



橋のたもとの柱石もおそらく津波の水圧で傾いてるし。



しかしやっと高台の造成が終わっただけで、これから実際に街ができるまではまだ時間が掛かるだろうし、復興への道は長い。
むしろここまで大仰なことしてまで津波浸水地を復興させる必要があるのかとも思う。
再度BRTに乗車し、気仙沼駅に到着。



待避線にはポケモントレインが止まっていた。なぜ気仙沼でポケモン?



今度はBRT気仙沼線に乗り換え。目的地は南三陸町志津川。
バス停がJR志津川駅かと思ったら、内陸よりの南三陸さんさん商店街にあって焦る。目的地までちょっと歩かなきゃならん。
まあそれでも徒歩目線だとバス車窓から見逃していたものも見えてくる。











歩道まで整備する余裕がないらしく、無理矢理ガードレール跨いだり車道の端歩いたりしながら目指したのは・・・
(6)震災遺構 南三陸町防災対策庁舎を訪れてみよう
ボランティアの方の手により、すぐ側で花と線香が頒布されていたので、花を購入。線香は元々焼香するつもりで持参してた。
祭壇が設えられていたため、花を供え焼香してここで亡くなられた方々の冥福を祈念してから写真撮影を開始。







気になったのは下の写真。床スラブに開口が無いため、屋内階段が無く従って上下階の移動手段は屋外階段しか無かったことが解る。
確かに建築基準法上では用途庁舎・3階建・不燃構造・1階あたりの床面積200u以下だと2以上の直通階段は必須ではないのだが、これだと室内にいた人は窓の外で増す水かさを見て上階に避難しようと思っても、そのためには建物外に出て水没しつつある屋外階段を使うほかなく、逃げ道を閉ざされ犠牲になったのだろうと思うと心が痛い。



このアンテナによじ登らなければ助からなかったほどの津波が来たというのは、実物を目にしても信じがたい。



ここでも周りは盛土の山だらけ。





しかし下の写真もそうだが、周りは山に囲まれてて一見盆地にしか思えず、どこに津波が来るほどの海があるのだろうと思ったら、この防災対策庁舎の先がすぐ入江だった。
典型的なリアス式海岸。水深や湾口面積の減少度合いが大きいから、津波も恐ろしい高さになったんだろうな。



来た道を早足で戻る。バス停のある商店街に着いたのは、BRT発車時刻数分前。危なかった。さすがに商店街の中を周る余裕はなかった。





BRTに乗って終点前谷地まで。柳津から前谷地までは鉄道の気仙沼線も残っていて併走区間なはずなんだけど、その割にはだだっ広い田んぼの中の一本道を駆け抜けたり、



かと思えば行き違いも困難な住宅街の細道を通ったりとか、あのバス経路はなんだったんだろう?
前谷地でJR石巻線に乗り換えて小牛田まで。小牛田から更にJR陸羽東線に乗り換えて古川まで。



この日のお宿は古川。仙台から新幹線1駅という好立地なのにホテル取れてよかった。嵐がコンサートやらなきゃこんな苦労することなかったのに。
そういや、前日の釜石でもそうだったけど、夕食はコンビニや駅デパートで買った弁当や総菜をホテルで。
そりゃ土地の名物とか食べてもみたいけど、下手な店入って2,3千円取られるリスクを考えちゃうとねえ。
その分、朝食はホテルのバイキングを楽しんだけど。

《9月21日(月・祝)》
陸羽東線で小牛田に戻ってから、東北本線で仙台へ、更にJR仙石線に乗り換えて中野栄駅で下車。
仙石線ホーム遠いよ。おまけにやたら混雑してたんだけどなにあれ?石巻まで行くのなら、仙石東北ライン使った方が早いし。
私が下りた中野栄でも結構下りたけど、ほとんどの人のお目当ては最寄りの仙台うみの杜水族館。時間があったら行きたかったけどねえ。
バスに乗って目指すは仙台港フェリーターミナル。
(7)太平洋フェリーに乗ってみよう
あとはお船に乗ってるだけで名古屋に直行って寸法。
乗るのは新いしかり。苫小牧から仙台を経由して名古屋へ行く航路。





時間が来て乗船。取ったのはS寝台。1等以上は2名以上の定員なので、繁忙期は人数分の料金取られるため、やむなく。
ベッドに荷物を押し込んで、とりあえず昼飯。鰯の梅煮が美味しかった。白飯と炒飯がかぶったのが不覚。



メシ食ってる間に出航。窓の外を見ると、ウミネコが追っかけてくる。



食べ終わって、デッキへ出てみる。







で、陸地からこれだけ遠ざかったというのに、まだ付いてくる。







結局、出航してから30分くらい延々と追跡してきたが、やがて着水したり引き返していったり。
船内に戻って、あちこち見て廻る。









こちらが一夜を過ごすS寝台。
BS放送を中心としたテレビが見れるが、船で受信した放送波を地上アナログ回線に変換して分配するという謎仕様。
したがって画質は昔懐かしちょっと滲んだアナログ画質。
コンセントは1つあるので、3口コンセントとか持ってれば複数の電子機器の使用や充電が可能。
で、テレビの左にスクリーンがあって、これを降ろすとプライバシーは保てるのだが・・・暑い。
通路の空調を遮り、狭い室内が電子機器や体温の発熱で暖められるため、あっという間に耐え難い蒸し暑さに。
だから寝台に居る時は少しスクリーンを開けていた。使用済みの湿布薬を固定テープ代わりに使って。





やがて名古屋から仙台に向かう姉妹船きそとすれ違うというので、再び甲板へ。



きそを見送った後、反対側の陸地を見てみる。煙突と建物、コンベヤの配置から、おそらく相馬市の新地発電所。もっと南には福島第一がある。



いしかりはこの時ソフトバンクによるインターネット設備が故障していて船内Webが使えない状態だったんだけど、このように陸地が見える程度の距離を航行しているので、場所によってはLTEの電波を拾えた。甲板や窓の側じゃないとダメだけどね。
寝台に戻って、さあ何しようかと思っている内に・・・寝落ちた。ただでさえ移動づくめで疲れが溜まってたし、前日は2万歩近く歩いてたしなあ。
目が覚めるともう夕食の時間。
しかし問題が。バイキング形式だからと昼飯を食いまくった上に寝てたもんだから腹が減ってない。
でも食っとかないと翌朝までラウンジの軽食しかないので、無理にでも詰めておくことに。

メインはステーキなんだけど・・・固かった。



夕食後は、電源が使えるラウンジにノートPC持ってってこの日記を書いたり。
夜も更けてきたので展望大浴場へ。といっても夜なので窓の外は黒一色だが。たまに他の船の明かりが見えるくらいで。
船が揺れると水面もグラグラ傾くのが面白い。
風呂から上がった後は、湯冷ましのためデッキへ。海の上で余計な明かりがないので星がよく見える。東の空にはオリオン座が出ていた。
寝台に戻って就寝。

《9月22日(火・休)》
起きてまず朝飯。



窓の外見ると島とか見える。もう伊勢湾内か。
そのうちに、セントレアの近くを通過するというので慌てて朝食を終わらせデッキに出る。



ということは、もうすぐ名古屋港に着くじゃないかというわけで、荷物をまとめて下船準備を整える。



9時半ちょい前に到着。ちなみに定刻は9時40分なのでちょい早着。地下鉄方面へのバス乗り場到着が9時32分。バス発車は9時30分。次のバスは10時30分。
フェリー到着寸前にバス発車時刻を設定する名古屋市交通局の悪意を感じざるを得ない。
1時間待つか、あおなみ線野跡駅まで約2キロ歩くか。
選んだ手段はタクシー。暑い中歩きたくないし、時間を金で買った。
んで、無事帰宅。やっぱり家が一番だ。(お約束)


というわけで、シルバーウィークを利用した4泊3日の東北旅行は終了。
震災の被災地の現状を確認しつつお船に乗りたいという所から始まった計画だけど、思っていた以上に被災地の復興が進んでいないというのがよく解った。
いや、そもそも復興させる方向にも疑問を感じざるを得ないが。津波浸水域を盛土してまで元通りの居住地にするのもなあ。
政治家連中は何かにつけて東北行ってあの惨状を見てるわりに、オリンピックとか余計な方に金突っ込んで平気な顔していられるのはどういう了見なんだろうな?



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