なくした、笑顔
「ふぅ、これで最後の荷物ね......。」
ガランとした部屋。
来た時と同様に、少女は唐突に去ろうとしていた。
葛城家から。
「さよなら.......」
惣流・アスカ・ラングレーは、今日まで自分の家だったものに別れを告げた。
ブシュッ
ドアが閉まり、二度と見ることのないだろう家の中の光景を視界から閉ざした。
カードキーを新聞受けに落とし、きびすを返して、彼女は去っていった。
寂しそうな背中を残して。
なんで、こんなことになっちゃったんだろう。
新しい部屋の中で、ぺたんと座り、辺りを見回しながら、ふと思った。
真新しい、部屋の匂い。
ピカピカのテーブル。
がらんとした食器棚。
花のいない花瓶。
でも、それは私が選んだこと。
あの家から出る。
シンジと別れる。
「くっ......。」
視界がぼやけて初めて、自分が涙を浮かべていたことに気づく。
なんで、.....泣くのよ。
何が悲しいのよ。
私は自由になったのよ。
もう、あの酔っぱらいの相手をしなくてもいいし、洗濯物に気を使う必要もない。
ナプキンを自分で捨てに行くなんてこともしなくていい。
湯船に浮かんだ髪の毛の掃除もしなくていい。
でも.............。
すっかり暗くなり、蛍光灯と弁当を買いにコンビニに行くまで、アスカはずっと座りっぱなしだった。
テレビから笑い声が聞こえてくる。
画面をぼぉっと見ながら、独りで食事。
なんで、こんなに寂しいの?
ミサトと、...シンジがいないだけ。
ペンペンも.....、だっけ。
一人で食べる食事がこんなに味気ないなんて。
「....お風呂入ろ。」
脱衣所で脱いでしまってから、お湯を張っていないことに気づいた。
いつもなら、シンジに怒鳴り散らす。
しかし、ここにはシンジはいない。
全裸のまま、湯船をさっと洗い、お湯を張る。
ジャー
シャンプーとリンス、石鹸とタオル。
全てなかった。
あらためて自分が一人だということを思い知らされる。
ドイツにいた頃は義母が、つい昨日まではシンジが........。
私の面倒を見ていてくれた。
全部自分でやらなきゃいけない。
今まで着ていた服は、もう着る気にならなかった。
衣類と下着の段ボールから、適当に引っぱり出して、アスカは今日二回目の買い物に出かけた。
「ミ、ミサトさん.......」
「ん、何?.....シンちゃん。」
葛城家の食卓は火が消えたようだった。
初めてこの家に来た頃と同じように、シンジは肩をすくめ、自信なさげな顔で保護者の顔を見ていた。
「あ、あの.......ア、アスカ....元気ですかね?」
ビールを口に運びながら、観察は怠りなかった。
「何言ってるのよ。....今日引っ越したばかりでしょ。
元気に決まってるじゃない。それとも、アスカのことが心配なのぉ?」
「え、だって.......し、心配じゃないんですか?」
からかうような口調を肌で感じたシンジは、少しムキになってミサトに反論した。
「アスカが自分で出て行くって言ったんだから、心配しちゃダメよ。
それにアスカの心配をするよりも、明日のデートのことを心配したら?」
「そ、そんなっ....デ、デートなんかじゃありませんっ。」
顔を真っ赤にしながらシンジはミサトに食ってかかった。
ゆっくり食事をしていたペンペンも、何事かと顔を上げた。
そう、確かにシンジは霧島マナと明日デートらしきものをする。
それがシンジに後ろめたい感情を巻き起こしていたのも事実。
どうしても晴れやかな気持になれない。
バレンタインの頃からアスカとぎくしゃくし始めた。
ホワイトデーで決定的になった口喧嘩。
翌日、アスカは誰にも相談しないで引っ越しを決めてしまった。
そして、わずか3日間で慌ただしく去っていった。。
自分のせい......?
その気持が、マナとのデートに対する感情を萎えさせる。
そんなシンジをミサトは横目で、じっと見つめていた。
パチッ。
灯りを消しても、カーテンのつけていない窓から、月明かりが射し込む。
顔に光が当たらないように、シーツをまくる。
ベッドの中で丸くなり、膝を抱えた。
寒い。
........体が。
寒い。
............ココロが。
ホームシックにでもかかったかのように、あの家が懐かしくなる。
嫌なこともあった。
でも、楽しいこともあった。
最初は、全然気にならなかった。
でも、いつの間にか気にするようになった。
そう......家でも、学校でも、....ネルフでも。
いつも、バカにしていたのに。
.....家でも、学校でも、.....ネルフでも。
情けない奴。
いつも、「ゴメン」って、謝ってばかり。
でも、あの笑顔。
魅入られる自分。
だけど、あの笑顔が向けられるのは、もう私じゃない。
自分の物にならない笑顔だったら、......いらない。
見たくない。
その場の勢いで言った訳じゃない。
私は自由になりたかった。
シンジの笑顔から。
シンジの笑顔を見たいと思い始めている自分から。
シンジの笑顔を独占したい自分から。
シンジに恋してしまいそうな自分から。
でも、....寂しい。
だからって、逃げるなんて。
そう....私は逃げたんだ。
自由になったんじゃない。
私はずっと追われるんだ。
シンジの笑顔に。
バカシンジ.........。
「グッ......ウッ......ウッ...........」
枕に顔を突っ伏して、誰も聞くことのない泣き声を殺した。
持ち主の意志に関わらず、栗色の髪が月に輝く。
泣き疲れて眠ったのは、日付が変わってだいぶ経ってからのことだった。
翌日。
シンジは後悔していた。
デートの場で、マナにあんなことを言ってしまうなんて。
「シンジ...どうかしたの?
暗い顔してる.....。全然笑ってくれないね。楽しくないの?
映画、面白くなかった?」
ホワイトデーのクッキーのお返しに、強引に連れてこられた映画の後、マナがシンジの顔を覗き込んだ。
「あ、何でもないよ....た、楽しいよ。マ、マナ。」
「何でもないじゃな〜い、教えてよっ。
私達の間に秘密は無しにしましょ?」
そのセリフにシンジの顔の温度は上がったが、すぐに表情に陰が射す。
「ねぇ、どうしたの?」
とうとう、シンジは話してしまった。
「昨日、アスカが.....引っ越したんだ。」
「えっ.....。」
途切れる会話。
俯く二人。
「だ、だからってシンジがそんなに暗い顔することないじゃない。
アスカさんが出ていったのは、シンジのせいじゃないんでしょ?」
明るく振る舞うマナの声に、シンジは表情で答えた。
マナにどう答えていいか、わからなかったし、マナもそれ以上問いただそうとはしなかった。
気がつくと、駅の改札。
「じゃ、私帰るから。」
「あ.....、うん。」
無言のまま、向き合う二人。
「ごめん.....。」
マナは悲しそうに微笑んで、「さよなら」と言った。
ホームに消えるマナの後ろ姿を見ながら、シンジはますます気持が落ち込んでいった。
とぼとぼと家に帰り、ペンペンの出迎えを受ける。
最近、使徒は姿を現さないというのに、ミサトはずっとネルフで残業ばかり。
「ただいま。」
「クェッ。」
真っ直ぐ自分の部屋に入る。
ベッドに座り、壁にもたれて、天井を眺めた。
アスカがいないと、こんなに寂しいなんて。
最近はネルフでも滅多に一緒にならないし、学校は春休みだし。
「アスカ.......」
ゴン......ゴン.......ゴン.......
壁を後頭部で叩く音がしばらく聞こえた。
独りの部屋が寂しい。
暗い。
さっきから気になる。
机の上の.......
何度も何度も、目をやる。
でも、勇気が出ない。
手に取る勇気が。
一人で食事をして、適当に風呂に入って。
ベッドに入ったのは10時過ぎ。
眠れない。
彼女が自分の心を占める大きさに気づく。
「だけどチョコ、くれなかったじゃないか。」
アスカの性格なら、くれないはずだということはわかっていた。
だからといって、マナから貰ったと自慢しなければ、よかった。
あの時、確かに自分はアスカに自慢したかった。
でも、何故?
くれなかったから、八つ当たりした?
そんなこと、しなければよかった。
見せびらかすようにして作ったクッキー。
『アスカの分はないよ。そして、アッという間にアスカは出ていってしまった。だって、チョコくれなかったじゃないか。』
『別に欲しいなんて言ってないわよ。......うるさいわねっ。』
『そうだよね。どうせアスカは他の人から貰うんだからいいんだよね。
僕があげても、どうせ邪魔なんだろ。』
『何よっ、少しばかりもてたからって、いい気になって。
アンタなんか.......ダイッキライッ!』
「僕のせいだ......。
あんなこと、.....しなきゃ良かった。」
プルル...プルル...プルル...プルル...
枕元の携帯が鳴った。
ネルフからの呼び出し以外、鳴ったことがない携帯。
「まさか、使徒?」
慌てて携帯をとる。
「もしもし?」
「...........」
「あれっ?........もしもし?」
「..............」
「い、碇ですけど...........誰?」
「..........グスッ」
「えっ?」
プツッ.....プー...プー...プー...
「な、何だったんだろう.....間違い電話かな?」
ディスプレイを見たシンジは凍り付いた。
| アスカ
***−****−**** |
「ア、アスカ.......」
携帯を握りしめる。
ピピピッ
短縮ダイヤルを押した。
ディスプレイに表示される、アスカの番号。
発信ダイヤルを押す勇気が出なかった。
アスカが出ていってから、一週間が過ぎた。
シンジはずっとアスカに逢えないでいる。
学校は春休みだし、ネルフでも時間をわざとずらされている。
ハーモニクステストの時には、シンジが行くと、もうプラグの中に入っているし、なかなか出てこない。
回線を繋ぐ勇気が出ない。
リツコたちとの事務的な会話が聞こえる度に、シンジの心が痛んだ。
どうして、声をかけてやらないんだ?
アスカの声が聞きたいんだろ?
心の中のもう一人のシンジ。
その声は日増しに強くなっていった。
そして、毎晩のようにかかる無言電話。
もちろん、アスカだということはわかっている。
「アスカ?.....アスカだろ?
ねえ、返事してよ......」
でも、何も答えてくれない。
今夜もミサトは残業。
シンジは食事を済ませた後、風呂にも入らないで、ずっと考えていた。
右手には携帯。
左手にはミサトからやっと聞き出したアスカの住所。
どうすればいいんだろう。
アスカに逢いたい。
あの電話は、絶対にアスカだ。
でも、聞いても答えてくれない。
......僕が聞いてばかりだから?
何か話したいことがあるんじゃないか?
アスカが僕に。
もう一度、メモを見る。
「よしっ。」
シンジはアスカの家へと向かった。
「えっと、ここかな?」
こざっぱりとした、ワンルームマンション。
102号室。
そろそろ携帯が鳴る時間だ。
ドアの前で、シンジは息を潜めて待った。
10分後。
プルル...プルル...プルル...プルル...
着信音が妙に響く。
深呼吸。
ピッ
「もしもし?」
「..........」
「アスカ.....だよね。」
「...........」
「アスカだと思って話すけど、......今、アスカの家の前にいるんだ。」
「!........」
息を飲む音。
「迷惑だっていうことはわかってる。
でも、アスカがいなくなって、すごく寂しくなって。
......いつも一緒にいたから、....いなくなって初めてわかったんだ。
......ア、アスカのことがす、すごく大切なんだってことに。」
「..........」
「....ごめん、迷惑だよね。
いつも謝ってばかりで。
でも、...僕にとってアスカは大切な人だから。
アスカの笑顔をもう一度見たいんだ。」
「............」
「アスカ....出てよ.......。」
「..........」
「アスカに戻ってきて欲しいんだ。
アスカの......アスカの笑顔が見たいんだよ。
ねえ......アスカ.....。」
気がつくと、携帯にではなく、ドアに向かって話していた。
自分でも知らないうちに、気持の整理がついてくる。
言葉にすることで、はっきりする思い。
そう、僕はアスカのことが........。
だから、こんなに落ち込んでいたんだ。
だから、寂しかったんだ。
だから、ここに来たんだ。
「アスカ.....ようやくわかったよ。
僕は、....アスカのことが.......好きなんだって。
僕のこと、嫌いで、迷惑だってこともわかるけど........。
僕に何かできることがあったら言ってよ。
黙って話を聞けって言うのなら、話を聞くよ。
話したいから、何か聞きたいから、電話するんでしょ?
ねえ.........。」
ブシュッ。
唐突にドアが開いた。
「アスカ..........。」
グスッ......グスッ......グスッ.......
だらんと下げた左手に携帯を持ち、涙でグシャグシャになったアスカの顔。
「........シンジ.....」
「アスカ....泣かないでよ。
......笑ってよ。」
「シンジ....。」
月と、電信柱の影にいるミサトだけが、二人の抱擁を見守っていた。
−エピローグ−
「結局、一週間で家出は終わりって事ね。」
リツコがマグカップを傾けながら、ミサトに尋ねた。
「ま、そういうこと。
でもねぇ......。」
頭をぽりぽり掻きながら、ミサトは溜め息をついた。
「どうかしたの?.......何かまずいことでもあった?
最近のあの二人のシンクロ率、凄い伸びよ。」
「......シンクロし過ぎちゃうのよねぇ。」
「.....なるほどね。」
リツコはマグカップを置いて、微笑んだ。
「じゃ、今夜は相手のいない者同志で、飲みにでも行く?」
リツコの誘いに、ミサトは乾いた笑いで同意した。
初めての方は初めまして。そうでない方は、どうも。nozです。
平岡様とは、ひょんな(笑)ことで知り合いまして、リンクしていただいた上に投稿作品までいただいてしまいました。お返しのリクエストが「せつない系のLAS」ということでしたので。......う〜ん、ちょっと強引でしたかね?
何はともあれ、今後の平岡様のサイトのますますのご発展を祈願して。
99/03/24 noz
平岡 :やったっ!nozさんから強引にお願いした投稿SS、お送りしましたぜっ。
シンジ:またネットで盛大なご迷惑をかけましたね、平岡さん。
平岡 :まずnozさんに謝らないと・・・nozさん、無理言って申し訳ありません。
シンジ:じゃぁ・・・感想をどうぞ。
平岡 :せつないとはこーゆことだよ、シンジ君。
シンジ:い、いきなり大きい声で恥ずかしいこと叫ばないで下さいよ!ったく。
平岡 :や、実際そうなんだよ。なんかこう、心の芯をきゅっと真綿で締め付けられるような思い。
それがせつなさってヤツなんだよ。
シンジ:なるほど。でも、アスカ少しかわいそうですよ。
平岡 :でも喧嘩も嫉妬もできないようなカップルは、ホントの恋人同士じゃないよ。
シンジ:だから平岡さんはベタベタしてるだけの話は好きじゃないんですか?
平岡 :ご明察。
シンジ:でも僕、よく自分の気持ちに気付けましたよね。
平岡 :気がつかなきゃ取り返しがつかないだろ?
シンジ:ですね。
平岡 :それに二人の会話、独り言を盛り上げるような絶妙な無言の間。
いいよねぇ。
シンジ:いいですね。
平岡 :まさにリクエスト通りっ。さすがはnozさん!素晴らしいっす!!
シンジ:平岡さん、どこかジャスティ・ウエキ・タイラーみたいになってますよ。
平岡 :そ、そうかな?(^^;
シンジ:ともかく、nozさん、本当にありがとうございます!無責任な管理者に変わってお礼を言います。
平岡 :読者のみなさん、是非感想を送って下さい!つーか送らなきゃダメですよ。
シンジ:感想は、こちらのアドレス(noz@crt.or.jp)か、nozさんのHP、「N2爆弾」の掲示板にどうぞ。
平岡 :また次はいつになるかわかりませんが、必ずやこのお礼作品をnozさんに、ブワ〜ッと送ります!!