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1997 BS7H (Scarborough Reef) DX-Pedition

DXペディションの全記録


【ペディション参加への誘い】

1996年11月、JARL・70周年記念式典の後に行われたパーティーの席上、JA9AG・吉井さんと会い、 マレーシアが領有権を主張している"スプラトリー・DX-Pedition"の件に付いて尋ねたのが、 後のBS7H・スカボロー・リーフのDX-Pedition参加のきっかけでした。
吉井さんのグループらが1997年3月31日から4月7日の予定で計画しているマレーシア領スプラトリー(Pulau Layang Layang島) からのDX-Peditionに参加するメンバーを募集している事を知ったのです。
この南紗諸島海域にある"スプラトリー諸島"は、過去にもマレーシア、ベトナム、フィリピンなどが領有権を主張している島からの運用があり、 通算で9回のDX-Peditionが行われているところ。 マレーシア領スプラトリーからも過去に9M0S、9M0Aなどのコールサインで4度のQRVがありました。 今回もこの島から9M0Aのコールサインで運用しようというものでした。
マレーシア領スプラトリー(Pulau Layang Layang島)は、最近になってマレーシアが領有権を確固たるものとするため、 ダイバーなど一般観光客の誘致を当て込んで国営のリゾートホテルを建ててしまった島。
"本職"も一段落して「どこかDX-Peditionにでも...」と考えていた筆者(JA1RJU)にとって、こんな“適当な場所”はなかったのです。
さっそく吉井さんに応募人員の件を確認したところ、申し込みはまだ無いとの返事。 「それでは私が行きましょうか?」と、その場で参加を決めてしまったのでした。
ところが、この「9M0」の参加を決めた数日後に突然、東紗諸島海域にある「BS7・スカボロー・リーフ」行きの話しが持ちかけられたのです。 「スカボロー・リーフ」からは過去に2回の運用が行われ、3回目の運用は6mとサテライトの運用をしたい、 というのが“誘い”の理由でした。
DXに興味を持つ一人として世界の「ウオンテットカントリー・No2」にランクされる「BS7」から運用出来るというのは大きな魅力でした。 さらに"初の6m運用"の一言は、私にはより魅力を感じさせるものでした。
しかし、この時点では「BS7」の運用日程が、「9M0」とダブッてしまう事になるのです。 せっかく決めたばかりの「9M0」行きをキャンセルする事も出来ず「BS7」行きは辞退する事にしたのです。 正直なところ、「BS7」は“岩礁だけの危険な場所”のイメージが強かった事も、積極的に参加の決断が出来なかった理由の一つだったかも知れません。

1997年の新年を迎え、「9M0」の具体的な準備を始めていた1月の中旬になって「BS7」の話しが再び持ち込まれたのです。 今度は、当初の予定から約1カ月遅れの、4月下旬から5月にかけてのスケジュールでした。
一度は断った話しでしたが、今回はスケジュール的にもダブルこともなくなり、「辞退」する理由も無くなったので、 この時点で「BS7」行きも、80%ほど決定しました。 2つのDX-Pediが日程的に重複しないとは言え忙しくなるのを覚悟しながら...。
また、今回のスカボロー・リーフからの運用で最も重要なことは、先の2回の「BS7H」の運用では、 メンバーが島に向けて出発した場所がフィリピン(DU)領土からで、 中国領土である他国のこの島に"無断"で上陸して運用する事に対して"異議を唱える"声も出てきていたため、初めて"中国領土から出発し、 中国領土へ帰港"するルートでの運用を行うことでした。 これにより、法的にメンバーは"ビザ"の不要な"ただの中国の国内旅行"とみなされたのでした。
ビザの取得、航空券の予約と、忙しくなりだした「BS7」に比べ、「9M0」は機材が全て、マレーシアの前線基地であるコタキナバルに置いてあるため、 準備らしい準備もなく楽でした。
一方、吉井さんは「9M0」の最後のスケジュール調整に、2月初めにマレーシアまで出掛けました。 ところが、肝心の最終スケジュールがなかなか決まらず、不安を感じ始めていた矢先の2月28日、 突然「9M0」のDX-Pedition中止の連絡があったのです。
われわれが予定していた時期に、DX-Peditionの目的地、Layang Layang島常駐のマレーシア軍が大演習を行なう事になった、と言うのが理由でした。
スプラトリー諸島のある南シナ海域の南紗諸島は、中国、ベトナム、フイリピン、マレーシアなどの近隣諸国の領有権問題で国際紛争の元になっているところ。 この島がマレーシア海軍の最前線基地となっている以上、今回の中止決定は仕方のないことでした。
後で知ったのですが、われわれが予定していた約1週間前に、米国人夫婦がこの島から「9M6」で運用していたため、 われわれのスケジュールが予定通り実施されたとしても、HFではあまり“歓迎”されなかった?のではないかと思われました。
また、予定していた6mの運用も時期的に早い事もあり、オープニングも期待出来ない事から、こちらも2〜3年後に再びトライすることで納得。 あまり悔いの残らない“運用中止"の決定でした。
この「9M0」の中止によって「BS7」行きのスケジュールに100%集中する事になったのです。 スプラトリー運用中止の原因となった南紗諸島の緊張状態が、後に行われた「BS7H」のDX-Peditionに少なからず影響を与えることになろうとは、 この時点では知る由もありませんでした。

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