*** JA1RJU Real 50W QRP EME ***

◎ 144/432MHz のQRP EME

Mitaka Tokyo (PM95sq)


◎都市部で144/432MHz・EMEを運用?
50MHzバンドのEME通信が可能になったのを機会に、1KW局の免許申請の条件を満たすことの出来る、 茨城県の霞ヶ浦湖畔に固定局(JA1RJU)を設置しました。(別項)
これと平行して144/432MHz帯のEMEの運用を試みる事にしました。場所は三鷹市の現在のシャックです。
今回、EMEに挑戦するきっかけは、先にも触れたようにノーベル賞受賞の科学者でもある、K1JT・Joeにより考案されたデジタルモードの「WSJT」でした。
WSJTのモードを使う事によって、JA局が一般にVHF/UHF帯で許可されている50Wのパワーでも、 ある程度の利得のあるアンテナを使用している局を相手にするなら、2WAYのQSOも夢ではなくなったためでした。
高電力での運用ならQSOの可能性が大きくなるのは"計算上"判りきった事なので、 今回は通常、免許される最大パワーの「50W」に"徹底的"に拘(こだわ)る事にしました。
当然、小型のアンテナと出力50Wの電力での運用では、限界は"みえみえ"なのですが、 大型のアンテナを設置するスペースの無くなった都市の住宅地という限られた環境でのEMEの可能性を試そうというのも、 もう一つの興味でした。また、WSJTのプログラムの各モードの習熟のために、他のV/UHFのバンドに比べ、 圧倒的に局数の多い144MHzを受信するだけでも大いに参考になりそうでした。
(参考:WSJT=50MHzはJT65A、144と432MHzではJT65B使用)



144MHzのEME初QSOは14ELシングルアンテナで/現在は144MHzX2 & 432MHz=21ELX2


約30年前の設計となるKLM社製の14ELの給電部(Ra)はログペリ形式


EMEを始めた昔の「CW」時代では考えられない、無謀とも思われるQRPでのトライですが、 WSJTのプログラムの考案と、日進月歩のパソコン(PC)の発達は、"EMEへの世界"への門戸を大きく広げてくれました。
とはいえ、微弱信号を扱うEMEには変わりはないので、現実にはほとんどが相手局側の設備に"おんぶにだっこ"のQSOになるのは覚悟していました。 アンテナは三鷹市の住宅地の狭い裏庭に設置されました(写真・左)。
設置したアンテナの高さが周囲の屋根より低いため、 "運用"出来るのは、月が真南方向(180度)から西(270度)に沈む軌道に差し掛かった限られた時間帯だけで、 月の高さも45度の仰角(EL)が取れる高い位置だけという条件で始めました。 このため、北米方向を受信出来るのは難しいものとなりました。 周囲を見渡せる高さが確保できれば「月の出から、月の入り」まで当然QSOの相手も増えます。

◎30年ぶりに果たした! 144MHz・EMEの"夢"
三鷹市から初の144MHzのEMEによるQSOは2005年12月14日のRN6BNとのWSJT(JT65b)によるものでした。
このQSOは昭和51年(1976年)に本格的にEMEに"挑戦"してから、約30年後の記念すべき初QSOとなりました。
僅か50Wと14ELのアンテナ1本だけで、ヨーロッパの局とQSO出来た時の感激は今でも忘れられません。 この時のRIGは出力50WのYaesu・FT-847の単体でした。
このように、144MHzの最初は14ELのアンテナ一本でのトライでしたが、RN6BNとのQSOで欲?が出て、アンテナを更に一本増やして見ることにしました(写真・右)。
144MHzの14ELを水平に2本スタックにするため、432MHzの21EL(K2RIW製オリジナル)のスタックを取り付けました。 構造上のバランスを取る"重り"の代わりに取り付けた、いわば"バランサー"的な役目も兼ねていました。
本来ならば144MHzのアンテナを4本にしたら更に良い結果が得られるところなのですが、 現在の場所では、144MHzのアンテナを2列2段で設置するのはスペース的に困難でした。


14ELシングルとFT-874の50Wで初QSOに成功したRN6BNのQSL


144MHz RU1AA


144MHz DK3EE


三鷹市に設置されたアンテナで日本国内の局の信号を"月(EME)"を経由して受信するのは困難でした。
EMEにQRVしているJA1、2、0エリアの電波は月経由ではなく、直接(GW)受信出来てしまうからです。 都市雑音のレベルの高い住宅地では、アンテナのEME信号の受信能力を極端に落としてしまいました。
10〜12ELの同程度のアンテナ2本での運用でしたが、DZ1JP、DX0EME、DX0JPなどノイズの少ないフィリピンで使用した場合(別項参照)には、 JA局を含む多くの局が受信出来、2WAYのQSOも多数出来ています。 この結果を見ても、如何に都市部がEME通信に不向きであるかが判ります。
そんな中、唯一三鷹市のQTHからQSO出来た国内局は、2007年3月に茨城県高萩市のKDDIの施設を使って運用した8N1EMEでした。 高萩市とは距離が離れていることで直接波の入感は無く、直径32mのDishから発射される500W出力の"月経由"の信号は144/432MHz帯とも強力でした。
当然、ゲインのあるアンテナは都市部の低いアンテナから発射されるEMEの50Wの微弱信号でも確実に受信してくれ、 記念すべき144MHzでの初JA局のQSOとなりました。
現在EMEで使っているKLM製の14ELX2本は複製ではなく、K6MYC・Mikeから送られてきた"オリジナル"の製品です。 このKLM製の14ELアンテナの1本で、1991年4月23日に144MHzのTEPで入感した、オーストラリア(Queensland州)のVK4ZSH→JA1RJUの初QSOにも使われました。
この時のQSOは、VK4から初のJAとのQSOとして記録されています。(注:VK→JAの初QSOはVK8GBと熊本県のJH6TEW)


144MHz初のJAとのQSOとなった8N1EME


◎EMEはスタンフォード大学のWA6LETから始まった
この三鷹市のシャックでは、昭和50年(1975年)当時に144MHzのEMEに挑戦すべく、免許申請から設備集めなどを真剣に考えた時期もありました。
昭和50(1975年)年1月13日付けで、米国・カリフォルニア州のSRI(Stanford Research Institute) Radio Clubからの呼びかけで、 プロ用の150feetのDish ANTを使い、スタンフォード大学のWA6LETのコールサインで144 & 432MHz帯でのEMEテスト運用を行うとの連絡があった時です。
当時の日本では、特別に許可を得た免許を除きVHF/UHFでは通常10W(最大50W)の免許でした。 CWによる50Wの運用ではEMEでの2WAYのQSOは困難だったため、JA側でテストへ参加した局は144/432MHzとも受信で対応することになりました。 われわれも有志を募り、グループで144MHz帯にトライする事になったのです。
1975年2月20日〜23日にかけて行われたテストに参加するため、グループは北米方面への立地条件の良い千葉県一宮町に移動することにしました。 2WAY QSOは無理としながらも、50Wの移動局(当時は10Wを超える免許には検査が必要だった)のJR1ZRL(特殊通信実験クラブ)のコールサインを急遽取得して、 対応しました。
実験に参加した2月22日は、関東地方では珍しく大雪でした。 トラックに機材を積んで雪道をようやくたどり着いた現地の建物の屋上に、10ELX2のアンテナを雪のチラツく夕刻になって設置、 月の昇る北東の空に向け耳を傾けたのですが、残念ながら受信は出来ませんでした。

◎EMEのQSOを"夢みて"
この実験を機に、144MHzの2WAYのEME・QSOを目指してJR1ZRLは、500Wの特別局申請を行うなど、本格的な活動を始めたのです。 設置場所は、まだ空き地の多かった東京・三鷹市の現在のシャックでした。
設備などは、米国・KLM社の当時の経営者(副社長)だったK6MYC(Mike)が、来日した際に「EMEに挑戦するなら...」と帰国後に送ってくれた、 同社の144MHz帯の14ELアンテナを参考に、製作したアンテナ8本(4列2段)という設計でした。



1950年に144MHz EME・テストのために申請したクラブ局・JR1ZRL

当時は50Wを超える「特別免許」の取り扱いは地方電波管理局ではなく本省での"決済(指示)"での免許だったため、 アンテナ設置方法や操作方法、業務局への影響の有無の調査など、規制が厳しく、九州や北陸では免許されていたにもかかわらず、、 関東管内での免許は、周辺に業務局が多すぎ"障害"が発生する可能性が多いとの判断からなかなか許可されませんでした。
加えて、昭和51年(1976年)1月1日付けで施行された、アマチュア無線による宇宙通信の業務が電波法令上、 「アマチュア業務」の他に宇宙通信の業務を合わせて行うために「通信事項の変更」の手続きを必要とするなどの省令改正があり、 改正前に提出してあったJR1ZRLの申請書の処理は宙に浮いてしまいました。
JR1ZRLの「50W固定局」の定期検査だけは、隔年(2年)できっちり行われる中、昭和55年までの5年間の免許期間中に再申請していないため、 JR1ZRLの「500W特別局」の申請所類は返還されること無く放置され、免許も期限切れとなってしまったのです。
開局時に144MHzのEME局でのQSOのみを目的に免許申請した「JR1ZRL」は、開局以来、ログにはQSO局が一行も書き込まれないまま終了。
結局、関東地区での"初のEME特別免許"は日の目を見ることなく"お蔵入り"となってしまいましたが、 「アマチュア局は安易に電力を求めるのでは無く、アンテナなどの技術的な面を研究しなさい...」と、 定期検査の度に"言い訳け"をしていた、電波検査官(技官)の言葉は、今にして思えば的を得ていたのかも知れない!?。


三鷹市のシャックを訪問してくれた、K6MYC・Mikeのアドバイスを受けEMEに挑戦
右は晴海で開催されていたハムフェアの「SMIRK」のブースに奥さん連れで来てくれた。

K6MYC・MikeとEMEで2WAYのQSOが出来たのは、結局、2004年に正式に50MHzでもEMEが割り当てられてから一年後の、 2005年6月13日の霞ヶ浦で運用した50MHzバンドでした。
まだ、144MHzの本格的なQRVが出来ない現在、三鷹市(日本本土)からの2WAY・QSOは出来ていませんが、 2007年2月にDX0JP(Philippnes Spratry Island)のDX-Peditionで運用した際に144MHzでQSO出来ています。

◎50Wで432MHzのEMEにもトライ


432MHzの初QSOはスイスのHB9Q

144MHz帯に比べ、432MHzのEMEにQRVしている局は144MHzに比べ極端に少ないのが現状です。 432MHzは多素子のアンテナでも小型で工作は楽になるのですが、UHF帯ともなると高出力の出力アンプやアンテナ、 同軸、リレーなど部品の入手、工作が難しいのであまり歓迎されないのでしょう。
50W程度のQRPのEMEでトライしても相手も少なく、三鷹市の設備でQSO出来たのはHB9Qだけです。 それも、相手のHB9Q側のアンテナが利得のある15.28mのDishを使ってくれた時だけという、限られた条件でのQSOです。
432MHz帯で使用しているアンテナは、米国製の「K2RIW」の21EL・4本(写真)です。 これは1978年頃に購入したものですが、このアンテナを使って、 福岡県久留米市から432MHzのEMEにQRVしていたJA6CZD・森さんのCWの信号を聞いた実績があります。
4本組で使っていた当時はサテライト用に愛用していましたが、サテライト用にはゲインが有りすぎてオーバー入力となるため、 送信時に432MHzの自作トランスバータの電力を下げるのに苦労した思い出があります。


432MHz帯の設備は4本組でサテライトに使用していたK2RIW製・21ELの2本を使用
現在のK2RIW・21ELX2のアンテナ(右側)

K2RIWの給電部/アンテナを頭上にささげているのは1972年生まれの息子。



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