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2002/04/28(日)

バイオU
 日本橋で実物を見る。惜しいなあ、これでポインティングデバイスがホームポジションから手を離さずに扱えるタイプのだったら買ってたかも(^^;)。何かコンセプトがちょい過激すぎて顧客が二の足を踏む製品じゃないかねえ。
 あと、最近のパッドはエッジモーションという機能がついていて、ホイールスクロール的なことができるようになっているようだ。操作性はTrackPointには及ばないけど、操作性はともかく「出来る」というだけでも随分違うので、次のノートPC選びはもう少しターゲットを広げてもイイかも、と思ったり。
 MP3プレイヤーを見て回る。Exrougeが良さそうなんだが、試聴できるところがなくて、ランダムプレイがどんなものか試せず、買うにはいたらず。これ、何回も苦渋を呑まされているので、今度こそはちゃんと確認しておきたいのだが・・・。ショップも怠慢だよなあ。試聴機くらい用意しておけよ。

2002/04/23(火)

『東京セブンローズ』読了
 後半は本題である日本語ローマ字計画がメインへ。井上ひさしのかねてからの日本語論そのままの描写だった。
 「漢字は悪魔の文字」をモットーに日本語をローマ字化しようとする占領軍の軍政官に対し、主人公は当然反感を抱き、押しとどめようと試みる。
 さて、一方で日本帝国は、植民地・占領地では日本語を強制していた。漢字かなを全廃し、全てローマ字にしようとする占領軍の横暴さ、文化への無理解は言うまでもないが、それはそのまま、他国の文化を軽視・蔑視し自らの言語を強制した、過去の日本帝国の愚かさ・横暴さとダブり、主人公は率直に反省する。まあ、こういうとこ、人によっては戦後民主主義的とかどーとかいって受け入れられないのかも知れないけど、僕は率直に共感する。
 他でいくら良いことやっていたところで、現地の言語を実質的に禁じてしまったのは、取り返しようのないマイナスポイントというのは、自分が自国語・自国文化を抑圧される立場に立ったらという想像力を働かせば十分に分かることではないかな。ま、これ以上はくどく言いませんが、こういうことに右翼だの左翼だの保守だの革新だのというポリシーはあまり関係はなく、あるのは事実の認識と想像力の問題だと僕は思います。
 それと女達がしたたかで強いのが何とも良かったし、終戦時の世相が個人の目で等身大で描かれていて、面白かったです。

2002/04/22(月)

『東京セブンローズ』
 上巻を読み終える。
 倫理的に爛れきってしまった周囲を見て、敗北感に打ちひしがれる部分はどうにも痛々しく、あまり笑って読めない。
 この作品、窮乏時代を反映していて、食べ物に関する描写が凄く多くて、こちらの体調がまともだと読んでいるうちに食欲をそそられる筈なんだが、何せ無嗅覚状態なため、ほとんどそういうことがない。嗅覚が効かないと、粗食も平気になる。なまじ「おいしさ」が分かるから「美味しいモノ」を食いたくなる。こういう窮乏時には、むしろ嗅覚とかの感覚はない方が楽に過ごせるかも知れない、とか思ったり。

2002/04/19(金)

風邪
 今週になって風邪を引いてしまい(1日仕事を休んだ)、今は治りかけているんだがまだ喉が痛い。それと、鼻水とかはほとんど収まっているんだけど、嗅覚がイカれていて、またもや食べ物の味が分かんなくなっている。食べ物の味に、いかに嗅覚が決定的な要因を果たしているのか、嗅覚が機能しなくなると凄く良く分かる。舌のセンサーだけじゃ食べ物全体の味はほとんどわかんねえですね。
 先週作った手作り餃子2種(普通のとエビ餃子)が冷凍庫で出番を待っているのだが、こんな時に食うのは餃子を作るのにかけた手間を考えると勿体なかったりして(^^;)、ここしばらく普段に輪をかけてテキトーな食生活。晩飯が生食パンに野菜ジュースとか。豪勢なモノを食っても味がわからないので取りあえず空腹が満たされれば良い。何を食ってもうまくも何ともないので、量もそんなに食わないで済む。これで運動できればダイエットの好機なんだが、風邪治りかけ状態で無理して風邪を再び引いたりしたらシャレにならんからねえ。食いもんに金かかんないのは良いけど、これじゃ栄養が偏るし、食事の楽しみってもんが・・・。文字通り味気ない生活である・・・。

『東京セブン・ローズ』(井上ひさし、文春文庫)
 通勤用に。旧かな使いや旧字体の使用が徹底していて、時々「?」となるが、大体は前後の文脈で類推できる。
 ヤミが横行する中での、オート三輪を運転する個人運送業者の日記という体裁。終戦間近い東京の生活・風俗のディティールが凄い。あれだけ爆撃を受けても尚、帝国の勝利を信じていた素朴な庶民の姿が良く分かる。
 こっちはあまりにもモノがないため、「何も印刷していない紙の価値が紙幣に近づき、紙幣の価値が逆に紙屑に近づく」ってな状況。当時の米国は国内の工場という工場をフル回転させていて、日米生産能力の差は対数的なオーダーに達していたはず。こんな状況で本土決戦で勝つ気でいる辺り、今となっては正気とは思えない。やっぱり栄養が足りなくて思考能力が落ちていたんだろうか、情報隠蔽の怖さか。
 しかしモノがなく、死と隣り合わせの日常でありながら、何か妙に乾いていて明るい。男手が兵隊に取られ農家によるし尿回収も滞りがちになったため、出すモノも出すなという隣組の回覧が回っているなんてのは、哀れさを通り越してユーモアすら漂っているよなあ。

2002/04/17(水)

モーター
 にちょいはまっている。電気関係の本を読んでいたら、たまたまそっちの方に流れてきたんだけど。
 例えばPC用ファン。ワシはこれはマブチモーターと同じような原始的なDCモーターだと思っていたんだけど、実は、そういうモーターではモーター内部のブラシという部品が摩耗してすぐに使えなくなってしまうので(それとPCに使うにはブラシから電気的な雑音が出るので良くないということもある)、PC用のファンなどの耐久性が要求されるような用途にはブラシレスDCモーターというものが使われている。DCモーターのブラシという機構をなくして、その代わりステータの磁極をICで制御してローターを回転させるという、ちょっとインテリジェントな仕掛けがしてあるモーターだ。であるから、実は何とも単純な部品に見えるPC用ファンにも、ホール素子というセンサと駆動用のICが仕込まれていて、ICによる制御がされている・・・と聞くと何かびっくりしないかい?僕は驚いたよ。こんなもんにまでICが使われてるんだなあって・・・。
 考えてみるとモーターには随分世話になっている。毎日通勤で利用している電車はもちろんモーターで動いているし、バイクにもセルモーターやウィンドシールド動作用モーターがある。PCはファンの他、HDDやCD-ROMのスピンドルモーターなどが入っている。冷却ファンも単純だからといって無視して良いもんじゃなく、今のGHzレベルのプロセッサだと冷却風が当たっていないとOS起動すらしてくれない重要な部品だしね。ビデオデッキにもモーターが入っている。洗濯機とか換気扇、エアコン・冷蔵庫の類もそうだな。どうも家電でモーターが入っていないと言えるのはテレビくらいなもんじゃないかって話もあるくらいで。
 あちこちに応用例があるし、具体的な動きとして目に見えるので、勉強しているとふむふむと気づかされることが多く、面白いデス。

戦車
 ここ。名神高速を走っていると、時々じえーたいの車両を追い抜くときがある。対空砲とレーダーらしいのを牽引しているトラックとか。さすがに戦車はねえなあ。
 それにしても74式戦車は38トンか・・・。軽いねえ。徐々に退役しているんだけど、MBTというより、軽戦車に近い存在かもなあ。

2002/04/14(日)

蛍光灯スタンドライト
 大学入学ん時に買った東芝のインバータースタンド、最近は机の上ではなく床に置いて専ら寝る前の読書スタンドとして使っていたのだが、先日、掃除機をかけているときにぶつけてプラスチック製の傘の部分を割ってしまい、その部分が運の悪いことに蛍光灯のプラグを固定している部分だったために、蛍光灯を固定できなくなってしまった。傘の部分から蛍光灯がぶらぶらと垂れ下がってきて、使いにくいことこの上ない。しばらく我慢していたんだが、蛍光灯がむき出しなために何かの拍子に割りそうで、割ってしまう前に、これは廃棄して、リプレースすることを決意した。学生の頃から、床に入り本を読んで意識がもうろうとなる頃合いを計らって眠るという就眠パターンなため、寝ながら本を読むときに本を照らす明かりは必需品なのです。旅先とかでも欲しかったりするくらい(^^;)。
 最初は東急ハンズで売っている、最近流行らしい、和紙を使ったあんどんみたいなのを考えていたのだが(デフォでは白熱灯だが電球タイプの蛍光灯に取り替えるつもりだった)、ハンズへ行って現物をしげしげと見るとどうも大きいし、ちょいお高い。大きいのはまたぶつけて壊しそうでダメ。また、卓上スタンドはたいてい傘の部分が大きくて、これまたまた何かの拍子にぶつけそう。「縦型で蛍光灯」のスタンドがあれば良いのだが、東急ハンズでは何万円もする非常にファッション性の高いのしかなく、高いし大きすぎるし、デザイン的にもワシの部屋にはどうにも収まりが悪い。
 似たようなものを取り扱っていないかと思い、ヨドバシ梅田へ。ハンズのあんどんと似ていて半額くらいのがあるのだが、大きさがかなりでかくて明らかにジャマ。ベットサイドに置くような、傘の小さなライトを探していたのだが、あまり適当なものがなく、仕方なく卓上の蛍光灯スタンドライトで、大きさが出来るだけ小さいのを探して買う。これ。名前もあんどん。
 これ、蛍光灯卓上ライトでは一番小さかったから選んだんだけど、買ってから本体の大きさの割には箱がバイクのトップケースに難なく収まるくらい小さく、はて分解した状態で入っているんだろうかとか思う。実は、コンパクトな収納形態に変形させることができて、その状態で箱に入っていたので箱も小さかったのだ。しかもこの収納形態のまま、傘を回転させて外に光を出すことが出来る。結果的に縦型の蛍光灯スタンドという、思っていた通りのものが手に入って、満足。デフレのこのご時世に、7000円もしたんだけど。
 古い蛍光灯スタンドの方は、分解して、インバーター回路とか中身だけを抜き出してから、再利用できない外側部分だけ廃棄した。金沢にいる頃から10年以上使い続けたもので、この明かりの下で何冊の本を読んだことか、とか思うと、全部をサクッと捨てるのは忍びなかった。分解するとき、回路からハンダ付けを外さないと分解できないようになっていたので、久々にはんだごて出動。接続を忘れても良いように、デジカメで回路の周辺を撮影しつつ作業した。この中身は、ちょい加工してPCを置いている金属製ラックにつけてPC用のライトとして再利用するつもり。インバーターの基盤、タバコを吸っていた頃の名残でヤニがかなり付着しているようだ(^^;)。

図書館
 大阪市立中央図書館にて。戦後賠償の本と、米国自動車産業の本、オートバイのサスペンションの本を借りる。
 米国の戦前の自動車生産量をネットで探していたのだがなかなか見つからなかったのでそのため。1929年の世界恐慌時の445万台が戦前の米国乗用車生産量のピーク。1938年の日本のトラック等を含めた自動車生産量が年間3万5千台で、世界第6位でござい、えへんぷーいと威張っていたが、一方米国は1938年は200万台と落ち込んだものの、1937年には393万台にまで回復していた。その差、100倍以上である。しかもアメリカのこの数字、乗用車のみでトラック等は含んでいない。恐ろしいのは太平洋戦争開戦後は、この民間生産力がほとんど全て軍需に振り分けられたことだ。それでも1942年は乗用車を22万台作っているが(まあこのついでの22万台ですら戦前の日本の生産量を大幅に超えているわけだが・・・)、43年・44年は1000台にも達していない。日本の100倍の能力を持つ生産ラインが99.9%軍需に振り向けられ、リー軽戦車、シャーマン戦車、M10装甲車、ジープ・トラックの類がどこどこ量産されたわけである。そら勝てないわな。
 国策として対米戦争が如何に間違っていたかは、この数字を見ても明らかだろう。この差は単純に生産力だけの差ではない。米国では多くの若者が既に自動車の運転経験があった。自動車なんか軍隊にはいるまで見たこともない人間も珍しくはなかった日本とのこの差。
 100倍の生産能力を持つ桁外れに巨大な相手に対し戦いを挑むことがどれだけ愚かなことか(今は違うけど当時は戦車も戦闘機もみんなレシプロエンジンで動いていた。乗用車の生産能力は今よりはるかに容易に軍用に転換でき、この格差が軍事力に大きく影響することは推定できるし、すべきであった)。むしろ、かなり屈辱的な条件を呑まされようとも、米国との戦争は絶対に避けるべきであったと思うねえ。しかも、その条件が、泥沼化した華北・華南から段階的に撤兵するべしなどという、頭に血が上った軍人以外なら妥協可能なものだった(日本が中国に呑ませた対華21条条約に比べればねえ)ことを考えれば、なおさらだろう。
 僕が靖国神社に対して批判的なのは、A級戦犯を合祀しているから、ではない。それはそれで、「結果」しか見ていない一面的な見方だと思う。そうではなくて、当時においてすら十分分かりうる国力の差を全く顧みず、誤った国策を推進した連中を神という無答責な地位に押し上げて無批判に称揚することがどうしても納得できないからだ。戦犯として刑に服したのでその罪はチャラにするべきだ、というような考え方もあるだろうけど、個人的な犯罪であればその理屈はある程度通じるだろうけど、何百万人もの犠牲を出した戦争責任についてはそれは通じねえよなあと思うね。

2002/04/11(木)

職場
 机等のかなり大がかりな移動があって、書類の整理・廃棄を進めているのだが、その作業の中でかなりとんでもないものが出てきた。
 満州国特許発明局発行の商標登録証。康徳11年発行とある。昭和19年らしい。敗色が濃厚になってきた頃だ。
 こんな書類が残っているのは、大前提としてオレの勤め先が1935年設立の、戦前からある企業であることがある。戦後派の企業(ソニーとかホンダとか)ではこのようなことはあり得ないからね。ラジオメーカーとしては大手とは言えないまでも中堅的メーカーの地歩は固めていたらしく、また、市場としての満州もそれなりに重要視していたのだろう。恐らく、当時の勤め先の手持ちの権利としてはほとんど唯一の「海外」商標だったのではないだろうか。もう一つ大きな要因は、幸運にも会社が爆撃を免れたことだ。大阪は数度に渡りB-29数百機が飛来する大空襲を受けているが、会社のある近辺は当時はまだ市街というほどには発展しておらず、さしたる軍事施設もなかったため、爆撃目標にはならなかった。ちなみに大阪における爆撃で悲劇的なのは、大阪造兵工廠を狙った昭和20年8月14日の空襲だろう。終戦の前日である。これにより森ノ宮にあった大阪造兵工廠(大阪城に隣接した巨大軍需工場群−敷地面積123ha、働く工員の数は実に6万8千人に上った−だった)が破壊され、戦後もかなり長い間廃墟のまま放置されていたと聞く。現在は高層の公営住宅が建ち並んでいるが、確かにあからさまに人工的な町並みである。
 満州国設立という史実に対しては、現在の僕から見ると、1930年代においては国際的にはあまり誉められない露骨な植民地主義・帝国主義的行動という批判的な見地をとらざるを得ないのだけど、こうして登録証を見ると、当時の日本人が本気で新国家を建設しようとした熱気みたいなものは伝わってくる。これをビジネスチャンスと捉えた人間も多かっただろうし、だからこそ、勤め先の当時の担当者が商標を取ったりしたのだろう。もっとも、今の視点から見れば、当時の日本全体を突き動かしていただろうその熱意は、抑圧的でありすぎた国内の諸制度の改革にこそ向けられるべきだったのであり、そのような内部の問題を外部に出ていくことで解消しようとしたのは、全く以て筋違いであって、そのためにアジア各地で生じた無数の悲劇を考えると、満州国設立なんてのは正当化出来ないし、してはならないと強く思うけれども。
 尚、満州国商標登録証のフォーマットは、大きさも書式も昔の台湾の商標登録証に酷似していた。あと、局長の名前は現地の満州人(中国名)らしいが、審査官の名前は日本人。この辺も、形式的な名目だけは現地に与え、実質的な権力は日本人が握る、植民地主義的な構造が透けて見える。この審査官(とその家族)は、果たして無事に日本に引き揚げてこれたのだろうかとか考える・・・。

2002/04/09(火)

テリオス
 ちょっとした議事メモ打ちには最適だなあ。ATOKもよろし。結構職場で使う機会があり、早くも元が取れ出している感じがする。AJ-2はCPUがアレで、何かやっぱり全体的に動作が鈍いけど。
 昨年度まで2月に1回、業界団体の会合に出ていたんだけど、その時にもこれ使えるなあ。今年は行けるかどうか不明なんだけど。

『沈黙のファイル−「瀬島龍三」とは何だったのか−』(共同通信社社会部編、新潮文庫)
 元参謀本部の参謀で、戦後は戦時賠償を巡って暗躍した瀬島龍三のドキュメンタリー。面白かった。もうちょっと賠償について勉強してみようかと思ったな。賠償したから戦争の罪滅ぼしは済んだなんてことを言う人もいるからなあ・・・。それはちょっとどうか、ってのはこの本を読めばよく分かります。
 長崎で回収した「三発目の原爆」(この三発目の原爆ってのは誤認で実は観測用のラジオゾンデだったんだけど)を取引材料に米ソ戦を誘導し、日本の再建を図るっていう参謀本部の一部の構想を見ると、ろくなアセスメントをせずに突っ走ったことに対して全く何の反省もしてないのがアリアリ。トップがこんなんだから、中国ナショナリズムを見くびり泥沼の戦争にはまりこみ、ソ連軍に危険な火遊びをしかけ、ついには途方もない国力の差があることが初めから分かっている米国との絶望的な戦争までやらかすわけだよ・・・。
 最近、この辺の問題意識を共有している人って恐ろしく少なくて、いやまあそれは仕方ないんだけど、むしろ逆に日本帝国のこの辺りの行動を正当化するような論理に囚われてしまっている人が多いんじゃないかと思うことがあってねえ・・・。困ったもんだよ。それと当時の日本帝国の動きに対して批判的だったりするだけで「左翼的」だ何だと決めつけるのはホントーにカンベンしてもらいたいもんだよ。そういうのは一種の思考停止に他ならないと思ふ。

2002/04/03(水)

CEマシン
 テリオス(HC-AJ2)を中古で購入。税込み・中古ワランティ込みで43000円。AJ3が7万円くらいであったんだけど、CEマシンに5万円以上はとても出せません。LOOXなんて型落ちのアウトレット品なら8万円くらいであるご時世だし。
 用途は、・出先用のIA・ちょっと中途半端な長さの文章の入力・職場での議事録、といったとこ。もしかしたら職場でのサブマシンとしてノートPC代わりに使うことになるかも。なので、キーボード内蔵タイプ。んで以て、以前の経験から、CEはタップを要求されることがしばしばありキーボードから手を離すことを強制されかなりうざったいので、タップをしないで済むポインティングデバイス内蔵。ということになると、事実上テリオスしか選択肢がなくなってしまう。んで、ちょっと前から中古を狙っていたのが、2週ほど前にAJ3が6.8万円で出ていてどうしようか、しかしこの価格ならLOOXを買ってしまった方が良いなあ、せめて5万円を切ってくれないことにはとか迷っているところに、AJ2が3.8万円くらいで出たので、即決した。
 CE用ドライバがあるCF型のLANカードと、64MBのCFメモリも購入。で、テリオスのLAN接続にチャレンジ。考えてみると、Palm・ザウルス・CEとまあ見境なくPDAに手を出してきたが、PDAでLANに接続するのは今回が初めてだ。
 予想通り、苦労する(^^;)。PC系の環境設定で一晩夜更かしして、翌日ネットで情報収集してようやく解決。ブラウザでネットは見られるのに、机の上の隣のマシンの共有フォルダが見られない不思議。
 ポイントは2つ。
 プライマリWINSを母艦PCのIPアドレスにしておかないとダメ。PCでは職場でもプライベートでもWINSなんていじったことなかったんで完全に盲点だったよ。しかもこれ、マニュアルに全く表記がない。ふざけろ・・・。
 それと呆れたことに、テリオスにデフォルトで入っていたマシン識別のための名称、「HANDHELD_PC」の「_」(アンダーバー)の文字が、MS network Clientでは認識されない文字で、マシン名称を変えなければ、CEマシンから共有フォルダが見られないことも判明。さすがマイクロソフト、周到なワナを用意してくれてますわ・・・。
 とまあちょいとばかり苦労したが、LAN接続は何とかうまく行った。つながってみると赤外線やシリアルより速くて、ファイルのやり取りの融通も利くLANは便利。あと、FTPやエディタを入れて設定し、これで出先でWebを更新できる環境が整った。次の旅行・ツーリングからは、ノートPCではなくテリオスを持っていくことにする。
 んで、今日は職場環境でLAN接続を試してこちらは割とスムーズにうまく行く。
 あと議事録用に使ってみたり。勤め先の関係で、CLIEはちょっと人目をはばかるんだが、Teliosなら大手を振って使えるわい(^^;)。
 ただ、中古だけに充電池がかなりヘタっていて、2時間くらいしか保たない。ノートPC並みだ。ホントは6時間くらいは余裕で保つ筈だが。これは買わないといけないかなあ。しかし、バックアップソフトがデフォルトで付いてきて、CFメモリカードがあってマメにバックアップしていれば、バッテリ切れによるデータ全損をそう恐れなくていいってのはよろし。データもそうだが、アプリを入れるのもLANの設定とかも、もうしたくないしな(^^;)。


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