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1999/11/29(月)

∀「神話の王」
 毎度のことながら、感想遅れた。今回は自作PCのHDD増設&換装のため。
 ロランがパイロット・スーツ姿に。ソシエはあのダサダサムーンレィス宇宙服で海に潜る。
 何回か前から思っているんだが、カプルとヒゲのサイズ差が何だか以前と違っているような。カプルってあんなに大きかったか?
 世界樹の神話は、地上側が地球連邦で、宇宙側がジオン・ネオジオン・ザンスカールetc.なんだろうなあ、などと思ったり。世界樹は、コロニーに代表される宇宙植民技術の象徴だろうか。なるほど黒歴史と密接な関連がありそう。なかなか面白かった。
 が、それ以外はどうもRPGのような薄っぺらな描写が目に付いてしまった。アデスカの民も、エスニックでありながら(何だか弥生人みたいな髪型をしているヤツもいるし)、全く生活感がない。まあ街が出てきてないのだから仕方ないのだが、それにしても。
 あと、ジョゼフが、アデスカ人の女性マヤリトを気にしているのが気になる。もしかしたら血縁だろうか?
 どうも、ウィル・ゲイムやコレンなどの寄り道的エピソードの感が強い。あまり触発されない。次回に続く。

「報復兵器V2」
 古本屋で散々探したがとうとう見つからず、府立図書館かどっかの図書館の閉架図書で見つけてやっと読んだという朝日ソノラマの文庫戦記。「ロケガ」シリーズの野尻抱介氏の掲示板で、光人社文庫から年末に復刊予定に向け準備中という書き込みを見つけて喜ぶ。何せ1回読んだだけで内容なんてほとんど覚えていなかったし。必ず入手すべし。最近光人社文庫はかなり面白くなっているように感じるがどうだろう?

1999/11/26(金)

「今僕」#07「逃れの夜」
 今回は、今までの描写からするとご都合主義と見えてしまうような展開が目立った。あれだけ兵士を動員して見つからなかったペンダントをシュウが偶然に見つけたり、シュウがヘリウッド最上層部までサクッと行けたり、ヘリウッドからの逃亡後、洞窟ライクな場所でシュウが探索隊に発見されるが、その兵士がたまたまナブカだったり。さすがにナブカをヘリウッドから引き離すことまでは出来なかったけど。
 ちょっと考えると、フィクションとしてはこの程度のご都合主義は不問にすべきレベルだと気がつくが、これを甘いと感じてしまうのは、やはり、第3話からの過剰なシビアさが頭にあるからなんだろうなあ。今回が甘いんではなく、今までがシビア過ぎたのだ・・・。
 おそらくペンダントが永久に見つからずハムドの手に渡らないことを願っていただろうララ・ルゥは、ペンダントを持って表れたシュウに、喜ぶより、当惑。彼女の不透明さは相変わらず。一般的なヒロイン像ではない。
 もう一人のヒロイン、サラは砂漠に消えてしまってもう出てこないのだろうか・・・。何か、アベリアって実はサラみたいな過去を持っているんではないかとフト思いついてしまったが・・・。んでサラも、ハムド(ではないかも知れないが、権力者)に盲目的に奉仕するような人間になったりして・・・。考えすぎなら良いけど。
 OPで出てくる人間で本編に唯一出てきていないキャラクター、シス。かなり重要なキャラクターなんだろうが、あと6話しかない・・・。
 それと、第1話をちょっと見返したんだが。異様に手がかかっている街の描写とか、最初見たとき違和感しか感じなかった「あの人は良い人だ」連続発言などのシュウの人の良さが、今見ると凄く胸に迫ってくる。あの、平和で穏やかな世界が、実に遠くて貴重でかけがえのないものに感じてきて・・・。シリーズが終わってから見たら、どう思うことになるんでしょうかねえ・・・。

1999/11/24(水)

「グッバイ・ロリポップ」(松下光洋、早川文庫JA)
 学生時代に既読だが、懐かしくて実家からテイクアウト。奥付を見ると、ちょうど10年前の作品。もうそんなに経つのか・・・。
 ちょうど10年前というと、サイバーパンク以降インターネット未満(Windows前夜)といった時期で、Eメールという言葉は出てくるが、今読むとかなり変。メールヘッダとメールフッタがシステムで固定されてしまい変更できないなんていうのは、その典型。面白いことは面白いのだが、んなのシステムで面倒見ずにクライアント側のメーラーアプリでするべきことじゃん、やはりNIFTY的発想で時代の制約を受けまくってるなあ、とすぐにツッコミが入ってしまう。
 良子が「須田ファイル」というコピー管理機能のあるファイルを、ある方法でコピー管理を回避してコピーするという下りも、少なくともDOSとかUNIXのよーな設計思想のOSでは、回避できない(これを認めるとコピー管理機能そのものが意味を失う)手段だと思うし・・・。
 が、そういう細部を不問にすれば(・・・細部が非常に楽しい作品なんだけど)、結構楽しめたです。

LaLa2000/01号
 突然ですが、今月の至言。
 「体に悪いものほど美味しいんだけどな」(祥子さん@「キス」マツモトトモ)。
 その通りっすよ、祥子姉御〜!!そうなんだよねえ、「キス」作中でのタバコもそうだし、油・脂肪分たっぷりのジャンクフード/洋菓子/ラーメンの類とかも・・・。旨いよねえ・・・。
 表ページでも書いてるけどワタクシ水泳+食事制限による減量をしているんですが、飲み会が続く対策もあって、最近の晩ご飯はぎうにうにプロテインっすよ(それだけじゃあんまりなので、生野菜とか蒲鉾とかを追加することもあるけど。蒲鉾って低脂肪高タンパクで実にヘルシーです)。で、上のようなジャンクフード系食べ物は2ヶ月前からほぼ全面的に禁止しておりますし、しばらく前から晩ご飯を2/3〜半分くらいに減らして慣らしてきたおかげで空腹感はさほどでもないのですが、このプロテインってのがまた絶望的に旨くないわけで・・・。
 「体に悪いものほど美味しい」って、よく聞く言葉かもしれないけど、タバコを苦闘の末ようやくやめ、現在減量でこのよーに苦闘している身にはタイムリーで、実にこう、何というか、読んだ瞬間に身体にゴゴッと響いた言の葉でありましたことよ。

1999/11/21(日)

「水蓮運河」(ペーパー・ムーン・コミックス、新書館)
 実家にて自室の整理中、鳥図明児の「水蓮運河」全4巻を見つける。懐かしや。整理の休憩にちょっとずつ読むが、何だかスゲエ面白い。こんなに面白かったかなあ、と思うことしばし。気に入ったので、実家から大阪へ持って帰ってきてしまった(^^;)。
 作品の世界観・ビジュアルがユニークだし、登場人物もどれも魅力的だ(アリガチ・オヤクソク的ではあるが)。ナゾの多い情報機関の長官と美青年医師、どこまでも冷静な改造人間、自分の活動では未来がないことを知りつつも戦う民族系ゲリラ、過酷な過去から逃亡し名を変え顔を変えてヤバ目の商業活動に埋没する老人・・・。しかし、やはり主人公の少女・東河(トーカ)の存在が大きい。ビジュアルも独特でいいんだが、それだけではない。
 この作品には色んな「境界」が出てくる。水蓮人と湖辺人という民族の境界だったり、大人と子どもの境界だったり、超能力者と一般者の境界だったり、身障者と健常者の境界だったり、男と女の境界だったり・・・。それらの境界が、水蓮人と湖辺人の混血であり、読心能力を持つ(人の発する感情の波を読める)少女、東河に集中する。
 人は、境界を見ることで、物事の区別をすることが良くある。境界がなければ、区別できない物事も多い。しかし、見なくても良いような、見ても意味のなくなったような境界まで見てしまうこともままあることだ。偏見やいわれなき差別はそうして生まれる。東河は、そういう境界を一身に背負ってしまっているのだ。冒頭で彼女が男装しているのも偶然ではないだろう。
 東河は、そのような境界線上にあって、しかも読心能力を持つ。境界を意識することなくダイレクトに人の本質を見抜いてしまう。しかし、そういう能力を持つ彼女自身は、周囲の偏見の目から逃れられず、しかも指を失うことでコンプレックスまで抱えるようになってしまうのである。境界と本質。味わい深いテーマだ。
 また、東河は、その能力が故に、周りの人間の雰囲気に影響されて、自分の精神状態を直接的に左右されてしまう、とも描写されている。「自分の精神」が環境によって揺らいでしまう、不安定な自己。東河は、境界に立たされた上に、曖昧な自己を抱えているという、なかなか「今日」的な問題意識に基づいて造形されているキャラクターであることに気がつく。
 境界に立たされ不安定な自己を抱えていた少女が、失われた、あるいは最初からなかったかも知れない「自分」を取り戻す/獲得する物語。これが東河に注目したときの、「水蓮運河」という物語なのだと思う。ラストの東河の独白、「水園の街よ わたしは生きていける なぜなら 私は私・・・」とは、彼女が自分を取り戻した/獲得したあかしだ。実を言うと初読の時はスッキリしなかったラストなんだけど(表面的には独善的とすら感じるかも知れないよね)、今読むと驚くほどじわりと心に迫ってくるラストだ。
 これは多分、初読時に比べて、「自分を探す」というテーマが、受け手=ワタクシにとってより深い問題になっている、ということなんだろうなあと思うんである(まあ何の影響かは言わないでおこう。っていうか言わずもがなっすかね(^^;)?)。作品は変化せず、受け手を取り巻く状況が変化している。この作品は、今読むのが一番面白いかも知れない。
 尚、ネットでちょっと調べてみると、作者の鳥図明児氏は結婚後インドに移住されており、漫画の創作活動はされていないとの由。ちと残念。

1999/11/19(金)

語るべきこと
 以前紹介した女性戦記ライターの方の日記を読んでいて、大変胸に迫るモノがあった。
 ちょっと前に起きた、6歳の女の子が、実母とその友人、義父に執拗な折檻を受けて、殺されてしまったという事件についてだ。
 事件自体大変辛いことであり、こういうことが現実に起きたと書いているだけで胸が痛む。
 のだが、その女性戦記ライターの方は、小学5年生の息子さんに、「どうして女の子は親に殺されなければならなかったのか」「女の子の魂は誰が救ってくれるのか」と泣きながら問いつめられてしまい絶句してしまったというのだ。子どもと向かい合ってこうした話題について話せるだけ立派で、子どもを育てた経験のないオレなんぞは、もしそんな重い話題が子どもの口から出たら、その瞬間に逃げ出しているかも知れない。っていうか今のメンタリティでは逃げちゃうなー・・・。
 こういう酷い現実の事件を思い出すと、「今僕」のような痛い作品を生み出している人たちの真意ってのは、その辺にあるのかなと思う。現実に起きている事件について子どもと話すよりも、どんなに酷い描写であってもフィクションについて話す方がまだ冷静でいられるし、子どもに語るべき言葉を選べると思うから。
 「今僕」については、こんな重い内容の作品を、BSとはいえ、夜7時なんていうゴールデンタイムに放映することには異論もあるし(特に今週のエピソードは冒頭からいきなりサラの痛々しい脱出劇だったしなあ)、中には「どこからか圧力がかかって作品が安易なハッピーエンド方向にゆがめられるのではないか」とまで危惧している人もいるようだけど(まあでもそれはないでしょうね。1クール作品では介入するヒマもないのでは。っていうかそんなことがないことを願うばかり)、要は受け手の取り扱い方に尽きるだろう。これが、暴力などに対する議論のきっかけになれば、それは教育上も悪いことではないと思うしね。
 もっとも、旧日本軍等の愚行・蛮行などを知っているだけに、「今僕」が必ずしも全くの絵空事ではないことも分かっており、そこを突っ込まれたらかなりキツイんだが・・・。

リヴァお茶くみ描写は女性差別的表現か?
 #06の、ブルーがファイナに向かって「そこの女、お前は身の回りの世話だ」と命じ、ファイナがそれに従ってコーヒーを淹れたりする描写について、複数のサイトで、この感覚はどうなの?という意見が見られた。女性差別的描写ではないか、とか、作り手のセンスが古いとか。うう〜ん、そうですかねい?
 昂治にではなく、ファイナに「身の回りの世話だ」なんてことを言うのは、ブルーという登場人物の差別意識の表現である、とも見えるわけで。あれを作り手の性差意識の発露と決めつけるのは、作り手に過酷ではないかなあ。ファイナがああ動くのも、あの状況で「身の回りの世話」と命じられたら、お茶を淹れるとか食事を運ぶとかいったことくらいしかすることはないだろうから、ファイナがそう動いたと描写したことについても、作り手の性差別的意識が露出したということにはならないのではと思う。
 ここの描写では、そういうことより、ブルーが暴力で威嚇しつつも、航行に支障が出るのを防ぎ、ツヴァイらクルーの士気を過剰に落とさないように気を回しているということ、つまり彼には細心な面もあるということに、むしろ着目すべきなんではないかな。実際、一仕事終えた昂治がファイナのコーヒーをありがたく頂いてリフレッシュしていて、そうしたブルーの配慮はムダではないことが描かれていると見たのだが。このシークエンスで、性差別の問題の方をことさら取り上げるのは、重箱の隅をつつくような不毛さが見えてしまった。
 ただ、確かに、この作品で作り手の意識が女性差別的かな?というところはある。それは、このブルーの描写ではなく、あおいらのフライトアテンダント科の学生が厨房で働いている描写で、男性が全くいないというとこだ。わざわざアテンダントと中性名詞を採用しておきながら、何故かアテンダント科には女性しかいない。むしろこちらの方が、「作り手の古めかしい性差別的センス」と指摘されると言い逃れができないかなと感じるが。もっともここも、「大航宙時代」の社会的背景が十分に語られていないので、何とも判断できない部分もあるんだけどね・・・。
 まあいずれにせよ細かい話で、リヴァって今のところ、素直に見れば非常に面白いと思うんだけど、こういう取るに足らないようなデティール描写で引っかかっている人が目立つような気がする。勿体ないことよ。
 ちなみに、お茶くみと言えば、ワタクシの勤めている職場では、お茶をお客さんに淹れるのは女性が持ち回りですることになってますが、使った茶器を洗ったりするのは、お客さんに対応した者が(男女関係なく)することになっています(で、今のグループで一番下っ端なワタクシはよく洗っております)。お茶をお客さんに出すのに男性を使うのはどうか・・・という意識が(少なくともワタクシの職場では)まだまだ強いようですね。5年くらい経てばまた変わるかも知れませんが。

「今僕」#06「砂嵐に消える」
 サラはついに従軍慰安婦状態(厳密には違うようだが)を自らの手で免れ、ヘリウッドからの逃亡に成功する。髪を切るのは、「女性」性を自ら封じたためか。とにかくも、ヘリウッドでの果てることのない蛮行からサラが逃れられたこと、そして過酷な状況を経ても彼女が生きる意志を持ち続けていることに、ヘリウッドからの逃亡時に見せた彼女の人の変わったような形相に言葉を失いつつも、ひとまず安堵。月光に映えるサラの姿の美しさにも圧倒。
 人狩りを行う徴発部隊。徴発を拒む者は容赦なく殺していく。が、シュウのがむしゃらな行動と「じゃあこいつらもまた人さらうのか!・・・そしたら、誰が止めるんだ・・・!」という言葉に、ナブカは自分自身が無理矢理徴発され家族と引き離されたことを思い出し、動揺を隠せない。
 暗い描写が続くし、ここのところこの作品に関しては暗いことばかり書いているのだが、何だか今週は、生きようとするサラと、殺すのを止めようとするシュウの、異世界から来た二人に、微かな光を見いだしている。甘いだろうか?

1999/11/17(水)

リヴァ&ビッグオー
 リヴァ。うーん、書くこといっぱい。一時期の∀くらいに触発されている。
 アヴァンタイトルの解説によれば、ゲドゥルトの海の出現により、人類の太陽系進出が飛躍的に加速されたという。ゲドゥルトには太陽風の激強いような流れがあり(=ウエーブ)、シールドを施した宇宙船ならば、その流れに乗って自前の推進力要らずで各惑星に容易に進出できるようになった、ということらしい。なるほど、「ゲドゥルトの海」は、大航宙時代の、文字通りの「海」というわけか。
 ブルーらによる司令室乗っ取り&支配は、意外に暴力性むき出しではなく、今のところ、立ち向かう者には暴力を以て直ちに制圧する、という程度。制圧される対象も専ら祐希だけのようだし・・・。
 彼らが頭の悪い不良でないことは、乗っ取り後行なったフーの艦内放送でよく分かる。口調はあくまで丁寧、直ちに現状をディスクローズ、ツヴァイの情報隠蔽を暴き自分たちの乗っ取り行為の正当性を主張し(ただし銃という艦内では究極の暴力手段を使って乗っ取りしたことは隠す)、エリート集団ツヴァイへの反感を利用して一般学生のツヴァイへの不信を煽って、「世論」を味方につけようとしている。巧妙と言っていいだろう。現実でも「隠す」ことにより大変な目に合っている役所・企業が日々新聞紙上などをにぎわせており、一般学生がこういう対応を見せ、その対応を予想してブルー達が動くというのは集団劇として説得力があるし、作り手は多分その辺を意識していると思う。
 ただ、やや残念なのは、ツヴァイがリーベ・デルタ内でどういう地位にあったのか具体的な描写がなかったため、放送内での「ツヴァイの特権思想」という痛烈な批判がどう学生達に響いたのかが今ひとつ分からないところだ。もしツヴァイが現実にそのように振る舞っていたなら(それはリベール−リヴァイアス内でのツヴァイのリーダーシップの発揮などから大よそそうではないかと想像はできるのだが)説得力がより増すだろうし、でなければ学生達がブルーらに全幅の信頼を置けないという伏線になるのだが・・・。
 昂治は祐希を守るために、ブルーらのグループに入ってしまって、しかも有能さを発揮してしまっている。成績は良くなかったが、やればそれなりに出来る人間のようだ。でも、こうやって周りの状況の変化に過剰に適応してしまう(自分を容易に「殺し」てしまう)ところが祐希には「調子がいいヤツ」などと苛立たしく感じられるのだろうなあ。過去にもそういうことがあったようなカットがあったし。ただ、ブルーには昂治を「見せしめ」に利用しようという意図もあるようで、昂治ちょっとピンチかも。
 チャーリーはあれだけ協力したのにブルーらのグループには入れてもらえず。ルクスンに「裏切り者の烙印を押されるのはツヴァイだ」というようなことを言っていたが、チャーリー、君はもっとマズイ立場なんじゃ・・・。
 今まで何回かそうなりかけていたが、昂治とファイナはチューしちゃったようです。あおいの立場は・・・。ま、ファイナはなんだか謎めいた存在だし、このまますんなりカップルになっちゃうとも思えないけど。それにしても「(いやなことを)忘れることは出来ない。過去は断ち切るしかない、自らの手で」とはけっこう苛烈な教義だよね・・・。
 なお、このエピソードはヘッドホンで視聴。どうも「グラティカ」は「ブラティカ」だったようだ・・・。
 「ビッグオー」は、やはり彼女が絡んでくると急に面白くなるねえ。彼女とは当然、R・ドロシー・ウィンライト嬢のことっすけど(^^;)。

1999/11/16(火)

さくら&ダイ・ガード他
 さくらはアニメオリジナル。電話を使ったさくらと小狼の会話劇がなかなか良い。今回からこの二人、「さくら」「小狼くん」とファーストネームで呼び合う仲に。キャーッ(←バカ)。
 そういえば、クロウカード編のラストで、小狼がさくらを初めてファーストネームで呼ぶ下りはアニメではなかったのだったような気がするが(よく覚えてないんだけど)、その補完エピソードか。でも、何でエリオルが小狼とさくらを接近させようとするのか、そんなことをして彼にどんなメリットがあるのか、今ひとつ良く分かんなかったが・・・。あと、小狼のさくらへの想いを基調とした一連のビデオクリップ風シーンは、季節感がふんだんに盛り込まれ、そのままEDになりそうなくらい手が込んでいて圧巻でした。最近これ面白いです。
 「ダイ・ガード」は赤木と城田に連帯感が芽生えるエピソード。城田の言うことは理が通っていて組織人の論理としてまっとうなんだが、たとえ子犬一匹だろうと危険を犯してでも助けようという赤木の信念も、人命・財産を守る者として忘れてはいけない大事なことだ。今回は、たまたま「子犬を助けること」と「全体の損害を防ぐこと」の間に、さほどシビアな相反がないように描かれていたが、これがのっぴきならないほど相反する場合に、どう選択し、どう解決するのか。今後、この辺が描かれることになるだろう。
 「セラフィム・コール」は、連続2話をほぼキッチリ1話分の作画でやってしまうという、実験作。正統調に作ればちゃんと商売になるはずなのに、敢えて実験してしまうというのは、考えてみれば凄いことなのかも。「原作者」が「演出家」になっていたり、「紫音が桜を守るために男の子に復讐する」のが「紫音が男の子を苛めるのを桜が止める」になっていたり、紫音が怪我を負っているか負っていないか、などの微妙なズレを見せたり、きっかけとなったラブレターにも一応のオチが付いていて、それなりに楽しませてくれた。が、先週「ミス」として指摘したカットも全くそのままで、何か深い意図を感じてしまうのだが、よく分からねえ・・・。
 あ、そうそう書き忘れていたこと。このOPテーマの冒頭の歌詞が、「神様おねがい この恋を終わらせて 挫けそうな私を 嫌いにならない前に」なんだが。これ、変じゃないか?「嫌いにならない前に」なんて言葉あるか?「嫌いになる前に」とか「嫌いにならないように」とかなら分かるけど。凄く違和感があるんだけど、どうも誰も指摘してないなあ。そう感じるのは俺だけ?
 「リスキー」は桂木萌退場かと思いきや、実は新キャラファジィちゃんの下りは回想シーンだったというズッコケオチが待っていました。「くるみ」は特に感想ないなあ。川上とも子のボーイッシュ属性声を久々に聞いたなあ、というくらいか・・・(夏の「ウテナ」を除くと「バイファム13」以来かも)。

リヴァについて
 脚本を担当する黒田洋介氏が「あああオルフェ」というWebページで面白いことを書いている(→ここ)。#06でパットがツヴァイの一員ランから肉まんをもらう下りがあるが、これは脚本ではパンだったのが、演出の吉本毅氏により肉まんに変更された、のだそうだ。
 父親を亡くし孤独なパット、パットの隣に腰掛けるが一瞬パットにどう接したらよいか分からないラン。ランは、一口肉まんをかじりかけて、肉まんをパットに分けることに思いつく。暖かい湯気が上り、割れる肉まん(レンズには曇りフィルタが掛かる)。ランは片方をパットに渡す。無言ながら、二人並んで暖かい肉まんを食べるパットとラン。
 パットの孤独感、ランの思いやりが、なにげに表現されているシークエンスだった。この肉まんがパンだったら、と考えると、訴求力増幅っていう「演出のお仕事」を垣間見る感がある。また、作り手からほぼリアルタイムにこういう情報が出てくるのもなかなか面白いことだ。
 それと、食いもんのシークエンスって重要なんだな〜、とも感じる(アキバ組のホットケーキとか、ゾイドの塩コーヒーとか・・・)。でもレンズのフィルタはやりすぎだったかも?

「赤ずきんチャチャ」第11巻(りぼんマスコットコミックス、彩花みん)
 表紙がリーヤ・しいねちゃん・ポピィ君・平八のしかも魔法少女バージョン。店頭でタイトルだけ見てソッコー手にとって、レジに持っていくときに表紙の絵柄を見たら違うシリーズなんじゃないかと一瞬思ったぜ(^^;)。
 相変わらず楽しい作品で、特に、ポピィ君の受難ぶりがかわいそう&可笑しい。しかも実はセラヴィーにまで・・・ってのがますます哀れ。
 平八の飛ばしっぷりも好きだな。魔法少女に変身してしまったリアクションが「うっそ、俺様美しーっ!!」。ローラーブレードで走行中に、空中浮遊で移動しているなると(ポピィ君の弟、赤ん坊エスパー)に横に並ばれるが、何の疑問も抱かないどころか対抗意識を燃やして「ようしっ、あの壁までチキンレースだ!!」。ってなんでそうなる(^^;)。大魔王の息子だけあって大人物・・・なのかなあ(^^;)。親のすねかじりでいながら自宅をゲーセンにしちまってるし・・・(なんだかんだ言いつつポピィ君は平八宅のゲームで遊んでるし)。・・・胆力と資力がちょっと羨ましかったり(^^;)。
 で、りぼん本誌を読んで気になっていた「貴方のマジカルレンジャー・レインボー小隊」の下りはまだ登場せず。次の巻か・・・。
 あと、みんちゃんはPCを導入したそうです。作品に反映されるかな?

256億円が一瞬にしてパア〜
 H-II8号機打ち上げ。1度燃料注入まで行ったのを中止して3ヶ月打ち上げ延期したが、そのような安全策をとったにも関わらず、NASDA初のロケット自爆という残念な結果に終わってしまった。やはり8号機が個体としてデキが悪かったということなんだろうかね?
 まあ衛星の損害は保険が下りるんだろうけど・・・。エンジンが107秒も早く止まっちゃうってのはなんか基本的なところでミスがあった恐れもある。とにかく、原因を解明して対策を施して立ち直って欲しいもんだよ。

1999/11/14(日)

トライガン
 今さらだが。2週間くらいかけてちょっとずつ借りてレンタルで視聴。
 どうでもいいことだが、これ、コピーガードばっちしかかってました。「エイトロン」とかは全くかかって無くてテレビアニメのビデオってそういうもんだと思ってしまっていたんだが・・・。発売元によるのかね?(トライガンの発売元は日本ビクター)
 と、いうわけで各エピソード1回しか見ておらず、感想も穴だらけにつき、最後までちゃんとまとまっていたので印象は非常に良かったというだけに止めておく。そうそう、「ロスト・ユニバース」を非常に良くするとこうなる、という感もあったが・・・。

「夢の旅人/路地裏の宇宙少年」
 「ダイ・ガード」OPが収録されている(マキシシングル)。ワタクシの視聴している今期開始のアニメでは、ほぼ唯一のノーテンキ系。1クールに一つくらいはこういうのが欲しくなる。
 ぱーぱぱぱー、ぱぱぱー、ぱぱ、ぱらららら♪ テンションは上がるが、このフレーズが頭から離れないのはちょっと(^^;)。
 その「ダイ・ガード」、第4話から第6話まで録りためていたのを一気に見る。
 百目鬼という天才少女(?)役CVが、「カレカノ」で芝姫つばさを怪演した新谷真弓。セリフの言い回しといい、モノを食べる時の「モグモグモグ」という擬態語といい、芝姫つばさそのもの。でも、こうして見ると、「エキセントリックな少女役」一般に適性の高い声なのかも。

1999/11/13(土)

「今僕」CDS「子守歌...」
 大地丙太郎講演会で、「今僕」に関して大地監督が唯一言及したのは、この安原麗子(「今僕」本編でもアベリア役のCVで参加)の歌うEDテーマ「子守歌...」が「今僕」という作品をかなり物語っている、ということであった。ので、今日、CDSを入手してきたのだ。
 で、CDSを聴いてちょっとダークな気分になってしまった。
 通常、アニメのOP、EDテーマソングは、尺を合わせるために大幅な編集がされている場合が多く、大半の場合は、原曲を大胆にカットしているというのは、よくご存じのことと思う。ところが、この「子守歌...」の場合、ほとんど全く編集がされていないのである。放映EDの方は曲の末尾に10秒ほど原曲より早くフェードアウトがかかっている点だけが違い、CDSに収録されているのと、放映されているEDテーマがほぼ同一なのだ。
 これにちょっと驚いてしまった。というのは、歌詞を知らなければ分からないと思うので、歌詞を引用する。
 いつも いつも
 僕が 君を 見ててあげるから
 安心して おやすみ
 傷つけ合うことに
 慣れてしまった この世界
 そこで僕らは生まれ 育った
 これだけである。非常に短い。いや表層的なことではなく(実際2分20秒しかないが)、前半で、僕が君を守る、という決意表明があり、後半で、この世界の現状を語っているのだが、結論がないのだ。だから短いのだと思う。眠っている君を僕は守っていけるのか、この(こんな)世界で育った僕はこれからどう生きていくのか、などということが全く表現されていないのである。問題を提示して、結論(暫定的なものすら)を出さずに終わってしまっている。悪いことに、決意を問題提示の前に持ってくるモンだから、その決意も実に根拠無くあやふやなものに思えてくるのだ。
 放映のEDだけを聴いていたときは、多分原曲にはもう少しその辺への言及がある歌詞になっているんだろう、と勝手に思っていたのだが、それが全くないため、驚いたのだ。
 で、ダークな気分になってしまったというのは、この歌が「今僕」を物語っているというのであれば、「今僕」自体が、そういう作品なのではないか、すなわち、サラやシュウやララ・ルゥが理不尽な暴力(性的暴行を含む)を受け続ける、我々の生きている世界はそういう世界であるってことを提示するのみで終わってしまう作品なのではないか、と思ったからだ。
 実際のところ、この歌詞を良く考えてみると、安易な慰めの言葉をかけるシュウと一旦はそれに安心するサラ、が、その後サラは彼女が想像もしていなかっただろう目に遭ってしまう、という第3話が思い出されてしまう。作品全体が第3話だったとしたら・・・。
 また、既に5話放映されているが、このゆっくりした展開では、今後、今までの分だけでもあれだけ執拗な暴力描写を昇華させ、カタルシスを得られるような展開になることはほぼ絶望だと思われる。何となくそうなるかもしれないな、とは思っていたが、最後まで救われない話で終わってしまうのかも知れない。しかし、それを本当にやるのか。僕には見届ることしか出来ないが、覚悟しといた方が良さそうだ。

エクセル・サーガ何故か大阪でイベント
 上の「今僕」CDS購入のため、DiscPierに行くと、エクセル・サーガのファンミーティングなるイベントが、アニメ・ゲームのフロアで開かれていた。エクセル・ガールズとやらのミニライブ&握手会というモンらしい。
 大阪では放映がネットされていないにも関わらず(っつーかこの番組は完全に東京ローカルなんでは)、フロアに人が溢れて、目的の「今僕」CDS入手に手間取ったという混雑ぶりであった。
 第1話のビデオも店内のモニターで流していて、ちょっとそれには心惹かれたが、とても落ち着いて見られるような状況ではないため、CDSを購入後そそくさと立ち去った。全く本末転倒な話で、ンなイベントをやる前に放映をやってくれ、と思うんだが(まあ放送局に言わなきゃいけないことだが)。

1999/11/12(金)

アニメージュ12月号
 ∀特集でちっちゃく掲載されていた、∀の富野監督図案担当というポスターが、オレのハートを鷲掴み。キエルなのかディアナなのか、服装はキエルなんだけどディアナの触覚のある髪型というキャラが軽やかに歩いているのを全身横から描いているのが画面左半分、右半分は、奥に、何故かサーファーのようにブルワンの主翼に乗ってるロランだの、ヒゲ、ノックスの市電(ソシエが身を乗り出している)、ミリシャのトラック、飛行船などが上のキエル=ディアナの後に続いて進んでいるという図案。明るく楽しいポスターで、かつ、この1枚で∀の世界とドラマをコンパクトに表現できている(ちょっと脳天気過ぎる気もするが・・・)。ビデオ・LDの宣伝ポスターだそうだが、なんだか欲しくなってきてしまった。「ママ小」OPで見せた富野氏の「冴え」をまた見たような感アリ。
 ∀本編に関しては、「今僕」ほどのショッキングな展開にはならないだろうと予想しているので、最近は若干安心して見ている。ま、あそこまで理不尽な目に遭わされるキャラクターは∀では出てこないでしょう(・・・と油断してたらまた裏切られたりして)。戦争を止められる立場の人間が、ちゃんと戦争を止めようとしている。∀の明るさはこういうところから来ているのかなあ。などとも思ったりもする。
 そういえば、先週は∀の感想を上げていなかったな。先週はやはり、「ギャバン、私綺麗でしょう!?」ソシエ絶叫ですか。ちょっと視界が滲んじゃったかも。あのソシエの髪型はないでしょう、とは思ったが・・・。ギャバン、やはり戦死は確定っぽいですな(つうか、これで生きていたというんだったら怒るよ)。
 んで、ソシエとロランが急速に良い雰囲気になっている。今回の「追撃!泣き虫ポゥ」(うーん秀逸なサブタイだなあ)では、ロランが以前Kディアナに対して向けたような視線をソシエに執拗に浴びせているしね。アルマイヤに攻撃をかけるコンビネーションも良かった。それにしても∀の飛行性能はまったく大したもんではないんだね。ファーストガンダム並み?

1999/11/11(木)

小説「ヴィーナスの命題」
 M木くんの小説。でキャラ予想図、みたいなものをhal9さんから頂く。
 うんそうそう。こんな感じだなあ確かに。絵を描けるといいね、こういうことが出来て。ああ、やはり益子巧くんが良いんだよなあ・・・。この小説、そろそろ感想を付けてM木くんに返さねばならないんだけど。面白かったですよ>M木くん。詳しい感想とかは別途送ります(このWebページは見てないだろうけど)。
 あとhal9さん、一昨日くらいに電話したら、土・日電話に出なかったのは、hsl9さんちの電話のモジュラージャックのピンが折れていて接触不良で電話が鳴らなかったためで、実は自宅におられたということが判明。しまったなあ、大地監督講演の会場からさして距離もない(歩いて行ける)んだから、ダメモトで寄ってみれば良かったなあと、ちと後悔。

「今僕」#05ひとごろし
 サブタイトルが全てを物語る。真っ黒
 OP前。サラが連れて行かれた部屋で待っていたのは、#04でサラの牢獄でハンカチを拾った優しそうに見えた青年兵士だった。脅えるサラに構わず、執拗にサラの名前を聞き続ける青年兵士。彼もサラを慰み者にする連中の一人だったのだ・・・。
 ララ・ルゥはハムドから受けた仕打ちからだろうか、一人悶え苦しんでいる。
 シュウは相変わらず一人元気にララ・ルゥとサラを取り戻す算段をしているが、ナブカが殺人を犯すのを止められない。
 息の詰まるような閉塞感が重苦しく支配する世界。救いは・・・あるのか?

1999/11/10(水)

CCさくら
 スピネルが甘い物で酔っぱらうという、原作にはない(少なくともコミックスに収録されている分ではない)フィーチャーが印象的なエピソード。酔っぱらいのスッピーは、お菓子を見境なしに求め、お菓子さえ食べられれば上機嫌という、お菓子略奪魔と化す。普段のクールでインテリ風なスピネルとの、あんまりな落差が楽しい。
 知らぬこととはいえ、スピネルにお菓子をムリに勧めて騒動のきっかけを作ってしまったケルベロスが、さくらからお菓子略奪犯と疑われてしまう(真犯人は酔っぱらいスッピーなのに)のも、因果応報で教訓的だったかも?
 久々に、良くできた楽しいエピソードだった。

リスキー&くるみ&セラフィム
 天界&地獄の命を受け、書き置きを残して飛び立つリスキー・セフティ。あれれ、桂木萌ちゃんはこれっきりですか?
 くるみ、カメラのパンダウンの背景にさりげなくCGを使っててちょっとびっくり。将軍のフィギュア削り出しの描写は、まったりとしたカット割りが妙に可笑しかった。
 それにしても、やはり天城博士は軍人だったらしく、女性が軍人という日本陸軍ではあり得ない設定でありながら、「シベリア出兵」なんて実在の事件を背景に出したりしてきて、なんだかどういうつもりなのだかよく分からなかったり。それと、将軍がどういう立場にいるのか分からないが、軍の人事権は「二等兵から大将に至るまで」陸軍省−陸軍大臣(軍政部門)に属するものであった筈で、将軍とはいえ軍政系統には属さない現場指揮者らしい人間に、兵士/将校に除隊を命じたりする権限があるのかどうかちょっと疑問に思った。下手すると統帥権干犯とも見られかねない軍律破壊行為では?などとも。ま、どうでもいいことなんだけどね(^^;)。
 セラフィムコールは第5話。
 お話は夢中夢+双子の入れ替わり?本エピソード中でも対称的な構成を意識していたようだが、今回は姉の視点から、次回は妹の視点から構成するようで、2エピソードに渡ってシンメトリックな構成を取るつもりらしい。色々仕掛けを考えるモンである。
 細部では、視点がキャラの腰の辺りに集中していたのが気になった。体が良く描けていたように見える分、余計目立ったです。あと、小道具の掛け布団が1カットミスっていたようだが、ミスではなく何かの意図があるんだろうか?単純なケアレスミスっぽいのだが、結構実験的な試みをしているシリーズなだけに、深読みを誘われてしまうんだよなあ・・・。

変なの
 仕事中、変な登録商標を発見。
 登録第4311925号「モビルスーツターンエー」、登録第4311926号「ターンエーモビルスーツ」、登録第4311951号「∀/ターンエー」。モビルスーツ且つターンエーとくれば、アレしかないわな。ところが商標権者はサンライズやその親会社たるバンダイではなく、「オフィスアイ」という新潟の会社。指定商品の分野は、電子玩具や文房具、玩具類で、これまたこういうアニメ関連商品分野をもろにターゲットにしている。
  ちょっと調べてみると、この会社、他に「バイストンウェル物語」「オーラバトラー」「モビルスーツ」等の商標を登録している。登録/出願しているのはそんなのばかりだ。サンライズ 若しくは バンダイの版権管理会社かと最初は思ったが、「バイストンウェル物語」なんかからすると、富野氏個人との関連の可能性が濃厚か。

リヴァ
 相変わらず面白い。
 このシリーズの柱は2つある。
 「潜水艦vs駆逐艦」風な戦闘とそれを可能にする世界設定や、航洋型航宙艦リヴァイアスとネーヤの関係、人型機械のナゾといったSFストーリーが一つ。
 家族愛、近親憎悪、友情、劣等感、憧れ、苛立ちなどなどの色んな人間模様と、様々な次元で対立軸を見せる群像ドラマが一つ。
 で、今のところ、この2つの釣り合いがとれており、どちらも面白く感じられる。「ガサラキ」などでは見られなかったバランスの良さで、こういうところもこの作品がスルッと見られる要因か。
 細部では、メインキャラ以外の、コクって自爆した彼とか、着ぐるみの彼女とか、全裸の彼とかの点描が面白い。これらのキャラは点描専用っぽいが、もしこれをシリーズで継続するなら、これはこれで一つのサイドストーリーになるかも。
 イクミは祐希のことを昔の自分を見るように感じているようで、具体的にはよく分からないが、彼は愛憎の果てに肉親を失う、というような過去を背負っているんじゃないかな?祐希の能力の高さは天性のもんだけど、イクミの場合は人生経験に裏打ちされているような・・・。
 今回のリヴァイアスの重力場フィールドの展開は、ネーヤではなく、ツヴァイ+II種グループの面々の苦闘の賜物のようだ。重力場フィールドを展開すると、可潜艇を撃破できたり魚雷を無効に出来たりするあたりのリクツが今ひとつよく分からないが・・・。

1999/11/08(月)

TINAMIX更新
 →ここ。久々。夏の劇場アニメについて。といっても「ポケモン」や「さくら」、「山田くん」ではなく、「ウテナ」と「アキバ」限定。マニア的には全く正しいチョイスで潔い。
 この二人は劇場「アキバ組」を評価せず。それは予想通りなのだが、読んでいてどうも違和感を覚える。この二人(少なくとも東氏は)、テレビシリーズでいえば、第16話「アニマ・ムンディ」を期待して劇場を見たら、第8話「5人目・・・」だったからイカンということのようなのだ。それはめちゃめちゃじゃございませんかね、と思うのだが・・・。劇場版が桜井弘明監督、と聞いた時点で、第8話をやってくれるのだろう(うずらが登場するかどうかは分からなかったが)、とワタクシは思ったし、そう思うモンじゃないかなあ?桜井監督と聞いて第16話を期待するもんかねえ?・・・深い溝があるなあ。大月PDが第16話を期待して桜井弘明を監督に起用したはず、というのもおかしい。第16話が感動的だとすれば、桜井弘明というよりは、やはり脚本の山口宏の、身を削ったエピソードだからだろう。桜井弘明に期待されたのは、やはり第4話、第8話で見せたパワフル&ハイテンションな演出とみるのが自然だ。そういう意味では少なくとも前半は彼の力量が発揮されていたし、とても桜井弘明自身が失敗作と認めるようなデキではないと思う。ワタクシが劇場アキバをあまり評価しないのは、むしろ第8話ほどの徹底性に欠けていて、文芸大作的色気が出て欲張ってしまった感があるからなのだが・・・。
 が、後半についてはこの対談(?)通りでよくまとめている。ワタクシは「置いていかれ」感と表現したのだが、「アキハバラが浮上すること」と「クレインの周りのモニター」の間のリンクがすっぽり欠如しているという分析に、納得。そうそう、そうなんだ。ああ嬉しいな、自分が表現できないでもどかしさを感じていたのがこんなにスッキリと表現されると。
 「ウテナ」は高評価。ラストの青空の違和感の指摘も含め、これには異論はない。

1999/11/07(日)

大地丙太郎監督講演
 結局行ってしまった。
 場所は早稲田大学の大隈講堂。早大のシンボル、時計搭のある建物っす。
 新大阪6:00発の新幹線で。道中は、M木くんの小説(これがかなり凄まじいモノで行き帰りの新幹線で1回ずつ読んだのだが−時間がかかるかかる−、まだ今ひとつよく分からないという・・・)に没入して読んでいて気がつかなかったのだが、大阪では晴れていたのが関東は小雨。ピッチで天気予報を聞くと晴れ時々雨。傘を持っていなかったので、やべえかなーと思いつつ、東京駅〜地下鉄東西線大手町〜早稲田へ、駅から早稲田大学まで歩く。大阪に比べると、東京寒いっす。
 現地到着は午前9時半過ぎ。すでに約30名の先客がいました。大隈講堂前で並んで待っているうちに、ちょっと洒落にならない雨足になってきたので、荷物でスペースを確保してコンビニに走り、折りたたみ傘(ジャンプ傘)を購入。折りたたみのジャンプ傘って初めて。
 ちなみに、早大の早稲田通り沿いにはhal9さんが住んでおられるのですが。一度ベーエムで来たとき、道を間違って早稲田大学に入りかけたことを思い出す。前日から何回か電話したけど不在。残念。
 大隈講堂門扉の前には小花美穂+りぼん編集部からお花があった。
 12時半の開場までずーっと並んでいる気力も無いので(しかし大半の人はずーっと並んでおられました)、途中1時間半ほど抜け出してアキバに行ったり。整理券を配って欲しかった・・・。アキバから戻って再び列に並ぼうとすると、列が一つ新たに出来ており、既に200人以上並んでいる状態になっていた。
 開場は12時半から、開演は午後2時から。
 無料で配られた講演パンフは、大地監督直筆の原稿をはじめ、むっちりむうにぃ、小花美穂、高橋良輔と、かなり豪華な執筆陣でびっくり。これをもらうだけでも来た価値があったかも、と思う。
 開演。第1部は15:00まで。大地監督の経歴、演出(ビジュアル・サウンド)、テーマという話。
 第2部は、紗南ちゃん役の小田静枝さんを交え、主にこどちゃの制作秘話、数々の大地監督作詞曲の中でベスト3の発表、小田静枝さんいったん退場の後は、「お茶の間アニメの21世紀」と題して、大地監督の今まで・これからの作品へのスタンスが総括的に語られ、最後に再び小田静枝さん登場、割れるような拍手の中、大地監督と一緒に退場、16:30過ぎに閉会した。
 講演の聴衆は約600人(主催者発表)とのこと。大隈講堂の1階はほぼ満席、2階にも人がいるという状況だった。ワタクシは「会場に入れないくらい人が来るかも」と思い、早めに出かけたのだけど、そこまで警戒することは無かったようで、開場の12時半から会場に入っても余裕だったと思う。でも、前から5列目という、大地監督の表情もよく分かる席を取れたのは、早く会場に来た者の報酬でせう。
 WorkPadにて講演をメモしたので、詳しくはまとめて別ページにupするかも知れません。とりあえず、講演についての大まかな感想を少し。
 大地監督は、雑誌でのインタビューで想像したのより、ずっと落ち着いた印象の方で、声も想像していたのより数段階トーンが低く、「ちゃんとした社会人」という印象(マイク−スピーカーを通して聞くと、声がちょっと森本レオ風だったり)。話がノるとボディランゲージも入り、それなりに語りが熱くなってきますが、シリアスな話を照れずに訥々と語られており、司会の方のかなり漠然とした質問に対しても、意を汲み取ってキッチリ回答していたのが印象的で、常識のある誠実な人柄を伺わせた。
 小田静枝さんとのやり取りでは、「こどちゃ」開始当初は小田さんを「嫌っていた」「キライでした」と、本人を目の前にして「キライ」を連発したのが凄かった。小田さんも初めて聞く話のようで、意外そう(っつーかちとむくれてました)。紗南役オーディションで5人までに絞り込んだ時、「この人だけはイヤだ」とまで言っていたそうです。「いかにもなアニメ声」なのが原因だったとか。でも、第9話辺りから大分その辺のわだかまりがなくなってきたらしい。まあ、102話もの長丁場を乗り切った戦友同士の、「今だから言える」という文脈での発言で全く洒落のうちで、聴衆も笑って聞いていた。
 講演全体的には、司会者−アニ研部員の学生さん−のスキルが若干不足していて、質問があまりにも漠然とし過ぎていたりちぐはぐな受け答えがあったりしたのがちょっと目立ったこと、質疑応答の時間がなく、もし講演内で言及されなければ直接でもぶつけようと思っていた「今僕」関連の質問ができなかった(講演内でも「現在終了していない作品なので」と避けられてしまい、具体的な話は聞けなかった)ことを除けば、まあまあ面白い時間が過ごせた(ただ、待ち時間が洒落にならなかったけど、これはこちらの読み違いもある)。また、こんな機会でもないと、大隈講堂になど足を踏みいれる機会は無かったはずで、それだけでもいい経験だったと思う。
 主宰は早稲田大学のアニ研(WALT)で、早稲田大学はここ数年、学生側と大学側の対立で大学祭が行われていない状況らしいけど、この企画自体は実にまっとうな「大学祭のアニ研企画」だったし、会場では特に混乱もなく、パンフレットのデキなども含め、好企画を実現させる実行力もありました。関係者の皆様には、「お疲れ様」の声をかけたい。
 尚、パンフと一緒に配られた講演アンケートには、講演の感想や大地監督・小田静枝さんに一言などといった質問欄の中に、「次回講演を希望する方」という欄があって、迷わず「桜井弘明さん」と書いちゃいました(^^;)。

1999/11/05(金)

大地丙太郎早稲田講堂にて講演
 ってことは夏頃から知っていたのだが(→詳細はここ)、東京だしわざわざ行くのもなあーとか思っていた程度で行く気にはならず、すっかり忘れていた(巡回先のWeb日記で言及があり、こんな直前−明後日だよ−になって気がついた体たらく)。しかし、「今僕」という問題作の登場により、状況は全く変わった。作り手がどのような覚悟でもってこのような作品を送り出したのかを、監督本人の口から直接確認できる(かも知れない)絶好の機会となったのだ。
 講演は11月7日(日)12:30開場14:30開演。・・・行くかも。バイクは時間的に辛いな〜・・・(講演が終わって帰阪したら道中で夜になるだろうし、夜の走行はそろそろ寒いし←先週の金沢からの帰路、寒かったっす〜。夏用のグローブだったせいもあるけど)。どうせ新幹線で行っても大して費用は変わらないんだから、行くとしたら新幹線で行きましょうか(所要時間は半分以下、でも最近はJRぶったるんでるからなー・・・)。うーむ、そこまでして・・・という気がせんでもないが。今週末は何もイベントがないので心おきなく減量 及び 部屋掃除に励む・・・という心づもりだったんだが。あーあとアキバのUSER'S-SIDEとイケショップにもちょっと行ってみたいし・・・。WorkPad用のアクセサリとかThinkPad用の消耗品とかIBMのスペースセーバーキーボード2とか・・・。


 DVカム用の学習リモコンシステムの調子が悪い。PCとの接続後1回しか信号を発することができず、1度信号を発したら最後、手動で初期化を行わないとPCからのコントロールを受け付けなくなる、という状態になっている。
 先週DVカム録画に失敗したのは、PCとリモコンを接続した状態でテープの頭出しを学習リモコンからマニュアルで行っていてそこで信号を発してしまい(先週の時点では、このような症状が出ていたことに気が付いていなかった)、以後のPCからのコントロールを受け付けなくなり、肝心の∀放映時の録画開始の信号を受け付けなくなった・・・ということだったようだ。
 要するに、予録では、録画開始の信号しか送れず、停止させることが出来なくなってしまったわけだ。ま、録画開始の信号さえ送ってもらえば、あとはテープが切れるまで録画させておけば良いから、録れることは録れるのだが(CMカット済み映像を書き戻すテープとは別に、エアチェック専用テープを作っている)、段階的に壊れている感じでいやだなあ。∀が完結するまでは保ってほしいのだが・・・。
 S-VHSデッキを∀予録の予備に使う計画は、AVセレクター等の追加投資が必要なことが判明したので、取りあえず保留した。

1999/11/04(木)

今僕をめぐって
 ネットの掲示板で#03に関する妄想一歩手前の感想を見る。#03のサラは暴行を受けたのではなく、戦争で負傷して身体に障害を負った人の世話にかり出されたのであり、最後に流す涙は、自分に対する涙ではなく、そのような人への同情・憐憫の涙である、とか。まあ、#03を見た人なら分かると思うが、いかにも無理矢理で不自然な解釈で、そんな可能性は皆無だと言って良いだろう。この解釈では、何故サラが傷だらけなのか、彼女の服装がどうしてあれだけ傷んでいたのか全く説明がつかない。
 痛いからといって、無理な解釈に逃げても、どうにもなるもんではない。もっとも、痛いからいきなりこの作品はダメだとか(まだ残り10話あるのに)短絡したことを言い出すヤツよりはまだマシかも知れないが・・・。
 まあ確かに、#03をもう一度見るのはまだツライし、逃げたくなるそのキモチは理解出来る。小説作品ではもっとムゴいのがあるんだが(「燃える男」とか。これはサラと同世代の女の子が誘拐され輪姦された上に殺されてしまい、その仇を討つべく復讐鬼となる元傭兵の話。これまたイテエ話でした)、媒体によって訴求力は全く違いますな(「今僕」は油断していたのもあるし)・・・。
 さて、その今僕#04。強烈なメッセージ性を帯びてきています。ナブカらも、シュウと同じく、望んでヘリウッドに来たわけではなく、無理矢理連行されて兵役につかされ、戦争が終われば故郷に帰れるという言葉を信じて戦っている、という。何とも救いのない設定ではあるが、全く他人事ではなく、日本だって50年くらい前は大まかそんな状態だったし、今もこんなことをやっている国は世界にいくらでもあるだろう。50億年後、というハッキリ言ってリアリティゼロの世界設定は、こういう強烈なメッセージ性をある程度和らげる意図もあるのかも知れない。
 サラの描写が痛々しい。わずかな救いは、#04では暴行を受けていないこと、兵士の中にも彼女に同情的な人間がおり、全ての人間の人間性が失われているわけではないらしいこと、くらいか・・・。
 今回で、ララ・ルゥも、ハムドの毒牙にかかってしまったようだし・・・。うう。
 「アニメ批評」の大地丙太郎のインタビューでは相当厳しいことが言われていたようだし、このお話、救いが全くないかも知れない。このままシュウが兵士になり、軍功を立てて英雄になる話になったりでもしたらどうしよう(で、シュウはサラもララ・ルゥも救えない・・・)。先を見るのが非常に怖い作品になってしまっているだよ。


 昨日、一日かけて∀をVHSにダビング。明日放映の「胸に抱えて」を入れて、30エピソード(特番含む)をテープ2本分、録画済み。CMカット済み1エピソード=24分強で、120Tテープに3倍でギリギリ15エピソード入るのだ(テープの数分程度のマージンまで使っていて本当にギリギリ。テープの無駄がなくてちょっと気持ちよかったり)。自分用のS-VHSテープもついでに作る。
 通して少し見ると、結構いい加減に作ってる部分もあるなあと思ったり(^^;)。それでも、放映開始以来、∀はワタクシ的には、「現放映プログラム中ナンバーワン」の地位を常時占めていたのだが、ここ数週は、リヴァ・今僕に急迫されている。連続モノのワクワク感はリヴァの方が若干上だし、人の生死や暴力などに対する問題意識の心への響き方は今僕の方がかなり高い(その分ショックが強烈だが・・・)。このままだと逆転されちゃうかも?
 それはともかく、F河くんには、「カレカノ」後期と∀第30話までの詰め合わせをお送ります。今週末には発送の予定です。

リヴァ#05&ビッグオー#04
 1日遅れだが。リヴァはかなり面白い。
 「誰も助けてくれない」状況に。生存者の救助など、どうも誰も考えちゃいない模様。地上での権力闘争の焦点になってしまっている雰囲気もある。「グラティカ」がリヴァイアスのコードネームらしいが、このコードネームからすると、地上勢力(含む軌道保安庁)たちはリヴァイアスの重力制御技術に関心があるんだろうな(しかもリヴァイアスを確保しようと動いている地上勢力は少なくとも2派いるようだ)。それにしても、地上の報道では相葉家は子ども二人を一気に失ったことにされてしまい、相葉・母のショックは・・・。
 ブルー達は捕虜にした工作員をいたぶっているらしい。確かにあの工作員は人命を大量に奪った許し難い殺人実行犯ではあるのだが、リンチはいかんなあ。ツヴァイのチャーリーが悩殺作戦に籠絡されてしまっており、ツヴァイは工作員の処遇を全くコントロール出来ていない。これはブルーチームとツヴァイとの対立の火種になるかも。
 また、ルクスンはリーベ・デルタでの成績を発表して船内秩序を維持しようとするが、問題になるような秩序を乱すヤツはハナからそんな成績序列なんて気にしないだろうし、あまり効力はなさそうだが。ユイリィは逆に軋轢が生じかねないことがよく分かっていて、抗議する。さすが。で、パットがユイリィらの女性チームに入っていることが気に入らないルクスン。男女7歳にして席を同じくせず・・・とは言うが、どうもルクスンの柔軟性のなさは目立つ。
 発表された成績によると、イクミが2位と非常に優秀なので驚いた。祐希とトップを争っていたんだねー。昂治は赤点っぽいが・・・。パートナーなのにこんなに差がつくものなのか?あ、この辺ちょっと「大運動会」を思い出したりして。
 食料配給は取得免許のコースで差別しているようだ。III種の管制科の生徒が食事量にクレームを付けている。昂治らのII種は比較的優遇されている模様。免許取得のカリキュラムとかが違う関係で、出来る作業がコース毎に異なり、その辺りから食事量割当を決めているのだろう。特に管制科などは地上設備や軌道上のステーション設備での仕事がメインだろうから、現在のリヴァイアスの状況では出来る仕事はなく航行への貢献度は低いので食事も少ない、と推測できる。シビアね。
 シミュレーションルームとおぼしき部屋に置かれているナゾの巨大人型機械。昂治とイクミがこれを見て爆笑しているのがメタフィクション的だ。その後、同じチームにされて怒り狂う祐希にタコ殴りにあう昂治。無抵抗主義とかのポリシーがあって抵抗しないのかなー・・・。弱すぎ。
 で、昂治の感情メインでリヴァイアスの隠された力が発動しているようだ。リヴァイアスは巡航艇2隻を撃破して、ゲドゥルトの海に潜行する。来週も楽しみ。
 ビッグオー。立木文彦が地下に隠された巨人を復活させるってストーリーとか、巨人のデザイン(特に頭部)の類似(特に零号機との)とか、アレを連想させられちゃいました。終わり(^^;)。あ、あとドロシーがキャラ的にどんどん良くなっているね!

1999/11/01(月)

キャンディ・キャンディ
 →ここの「あらまし」からざっと読んで、現況を見てみる。
 著作権法の意義とか法理とかその辺は取りあえず置いておくとしても、実作家として、「絵とお話は作品の両輪である」という、改めて言うまでもないほどの常識的な意識がいがらしゆみこ側にまるでないというのは驚くべきことだと思う。絵の方が手がかかるから分け前は8分漫画家で2分作劇者ね、というのも、どうも非常識というか幼児的というか・・・(まあ漫画家と作劇者の力関係もあるんだろうけど)。手作業が多い方が多く取るんだとか言い出したら、アニメーターとかセル彩色の人なんてどうなるんだとかちょっと思ったりもして。もはや作り手としてのまっとうな意識(責任感、プライドを含む)すらないのかも知れない。こういうこともあるんだなあ。
 ワタクシ自身、思い入れがさほどない作品なので、そういう意味では他人事ではあるのだがね・・・。困ったものである。
 また、「キャンディ」リメイクの話が日本アニメーションから来ていたらしい。どうも、「コナン2」とか見ると、リメイクネタを探しまくっていたんではないかと勘ぐってしまうが・・・。

じゃじゃ馬グルーミンアップ!(小学館、ゆうきまさみ)
 梅田の漫画喫茶(っていうか漫画図書館)にて、10巻まで。
 東京の進学校を中退して、北海道の競走馬生産牧場で働く主人公駿平と、牧場の経営者一家(特に4人姉妹の2女ひびき)のお話。
 キャラクターも良いのだが、「働くこと」とか「働く意義」とかについ思考が行ってしまう。なにげに、使命感とか馬への愛情がないとやれない、大変な重労働であるってことは描かれているのだが、実に楽しそうに働いているのが描かれている。「大学に行って楽なサラリーマンにでもなりな」って、まんまオレのこったなあとか思ったり。
 それにしても、馬の名前が頭に入らなくて困る(T_T)。でも、実際の競走馬の馬名よりはかっちょいいかも。「スピットファイア」とか「ストライクイーグル」とかね(っつーかそれ、まんま戦闘機の名前だって)。
 この漫画図書館、リクライニングする椅子があって(フットレストもある)、実に快適。リクライニングシートはほとんど真っ平らにまで倒すことが出来て、寝椅子にもなる。プライベートの居室にこういう椅子あるといいなあ、などと思ってしまった。でもこの体勢ではネットはきついか・・・とネット中心思想がここでも。
 寮に帰って酒飲みながらネットしながら「レッドサンブラッククロス 死戦の太平洋2」を読む。意外にヒロイックな展開にちょっと涙。


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