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PDA連載企画 第1回目

入力に着目したPDA選び・片手による入力


●PDAで何をする?

 PDAを選ぶに当たり、まず、自分の使い方を考えてみよう。一体自分はPDAに何を求めているのか?どんな場面でPDAをどのように使いたいのだろうか?

 住所録だろうか。電話メモだろうか。ネタ帳や備忘録。ま、その人その人で色々あるだろう。
 とりわけ重要なのは、その使い方に「PDAでの入力」が絡んでくるかどうか、という点だ。絡んでくる、としたら以下の文章は恐らく無駄にならないと思う。PDAは単にデータの閲覧手段で入力は一切考えていない、という人にはあまり参考にならないと思いますが・・・。
 というわけで、昨今のPDAはネット接続やメール閲覧やムービー・オーディオの再生など色々な機能があるけども、ここでは、メモ−文字データ−の入力、というPDAの原初的機能に絞って、PDAというものを考えてみることにしよう。

●どこででも入力できる、ということ

 PDAはどうして小さいか?少なくとも入力することを考えた場合、どこででも入力できるという特性を生かせるマシンの方が良い。だから、多くのPDAは片手に収まる大きさになっている。当たり前、の事かも知れない。
 が、この「どこででも入力できる」というのは実はくせ者だ。片手に収まる大きさだからといって、実際には必ずしもどこででも入力できるわけではないのだ。その辺りを説明してみよう。

 ザウルスMI-E1、各社のPalmOS採用端末(Palmマシンと総称)、PocketPCを見ると、一見、こういう縦型タイプのマシンは、どれも「どこででも入力出来る」ように見える(キーボード内蔵タイプの物もあるが、取りあえずペン入力タイプのPDAを考える。大半の横型のキーボード内蔵タイプのマシンはユーザーが立って使うことを考慮していない)
 PDAを使う時の典型的なイメージは、立った状態で、片手に本体を持ち、片手にスタイラス(ペン)を持って操作する、というものだろう。

 が、ちょっと考えると、実はこれはかなり限定された状況ではないだろうか。そもそも、何の荷物もなく立った状態でいるという機会がそんなに多いだろうか?これは、かなり理想的な状態であって、実は片手がふさがっていることの方が圧倒的に多いように思える。自分が所用で外出している時の姿を考えて欲しい。少なくとも、僕個人は、片方の手しか空いてない時の方が圧倒的に多いと思う。
 勿論、これは人それぞれだと思う。手には何も持たないでいることが殆どだ、と答えられる人は幸いであろう。そういう人はPDAの選択肢がかなり広いことになる。が、個人的な話をすると、日常での移動の場合、僕個人は両手が空いていることは殆ど無いと言える。


ケーススタディ:お暇なら読んでね・・・

【最悪ケース】
朝の通勤だ。自宅から最寄りのナニワ市営地下鉄駅まで徒歩5分。今日もギリギリだ。あ、まずいショーワ方面行きが出るアナウンスだ!走らねば!
改札通ってホームへ。滑り込む電車。はあーやれやれ。
では、読みかけのSFでも。おや、今日は何だか混んでるなあ。本を取り出すのもなかなか大変だ。うーむ。
 (しばし熟読・・・) あれ、何だこの表現は?どういう意味なんだろ?。翻訳SFはこれだからなあ。後で調べたいなあ。メモっておきたいなあ・・・。手帳はポケットの中にあるけど、一度両手を空けないといけないからなあ。この混雑の中ではちょっと遠慮しちゃうなあ。ううう。
おっとマチタニ線からスジミドー線に乗り換えだ。うーん、歩きながら手帳にメモるのも無理だしなあ。どうしよう。ああ、続き読みたいなあ。
 それにしても、ジテンノー駅のこの乗換が結構歩くんだよねー。やっぱり次引っ越すときはもうちょっと乗換が楽なところにしよう。あ。綺麗な人だ
さてさてスジミドー線のホーム到着。ちょうど電車がやって来ました。アレ、何だっけ?何かしなきゃいけないような・・・。まいいや、取りあえず小説の続きを読もう。
読んでいる内に職場の最寄り駅に到着〜。んーもう着いちゃったか。続きをもうちょっと読みたかったなあ。おお、そうだそうだ、さっきのメモしなきゃ。ちゃんと覚えているとは偉いな、オレ。どうせ地下鉄から上がった交差点で信号待ちしなきゃいけないだろうからその時にでも・・・。
げっ雨!?慌てて傘を取り出す。ああー良かった折り畳み傘持っていて。でもこれじゃメモ出来ないよ・・・。職場に着いたらメモろうか。
職場到着。来るなり上司から「○○の件はどうなった?」と言われ、慌ててファイルを取り出して説明に向かう羽目に。メモどころではなくなり(T_T)。
会社が終わる頃には朝にこんなことがあったことなどすっかり忘れ、読みかけの本に没頭。しかし、このあやふやにしていた表現を突っ込まれ、その後ネットでの論争に破れることになろうとは知る由もないオレであった・・・。
【終劇】

 つまり、両手がフリーなのは、歩いている時なくらいで、歩いている時以外は、電車に乗って吊革につかまっている、あるいは、電車の中かホームで本を読んでいて、殆どの場合片手しか空いていない、と分析できる。
 そうすると、両手が空いているのは、
 ・本を持っていなくてホームで電車を待っている時
 ・本を持っていなくて吊革を掴まず扉付近の壁に肩でももたれながら電車に乗っている時
くらいなものだろうか(あ、私の通勤経路の場合、電車で座ることはまず期待できません)。

 とすると、立った状態で手帳やPDAで入力できるのは、上の2つの、両手が空いているかなり限定された状況の時だけになってしまう!付言しておくとスタイラスを使う限りは歩きながらのPDA入力はほぼ無理だと言っていいだろうから、歩く時もPDAに入力は出来ない。手帳も厳しいだろう。
 ワタクシは基本的に通勤の途中は本を読むことにしているので、本を持っていないことはあまりないと考えると、まあ、上の2つの状況は殆ど無く、稀少な状況と言って良いくらいだ。つまり、上の使い方では、この稀少な状況でしか入力できない、というワケである。これでは何のために常に手帳やPDAを持ち歩いているのか分からなくなる。
 例がやや極端だったかも知れないが、とにかく、いくら持ち歩ける大きさだと言っても、紙の手帳もPDAも、実際には思ったほど自由に入力できるわけではないことがお分かりだろうか。

 勿論、上のケースで言えば、片手に持っている本をどこかにしまえば入力することはできる。ただ、それは僕の場合は長続きしないほど煩雑だったので、次にその場合を詳しく考えてみる。

●ワタクシ的典型的メモ例

 個人的には、本を読んでいる時というのは、メモが必要になる代表的な場面だ。本を読んでいると、面白いと思った事、記憶すべき事、調べるべき事を書き留めておきたいと思う機会が多い。特に、一応Web日記などを書いている関係上、ネタになるようなものに飢えている。であるから、本で触発された物事なども都度記録しておきたいのである。というわけでこの、本を読みながらメモを取るケースを考えてみよう。

 場所は通勤電車の中。本を左手に持っている。場所によれば吊革にもつかまっているのでその場合は両手がふさがってしまうが、まあ、大抵は吊革にはつかまらずに本を読んでいる。乗換で歩くときも本を読むことがあるくらいだ(危ないからヤメロ>オレ)。
 で、通勤電車で吊革につかまらずに立っていて、メモりたい事が本の中に出てきたら、どうやってメモを取れば良いだろうか?

 くどいかもしれんが、立った状態で、本を読みながらメモを取ることを考えて欲しい。分かりやすい例で、紙のメモを取る場合を考えよう。

A−1.読んでいる本をどこか−スーツのポケットなり鞄なりに−しまう。
A−2.メモ帳とペンを取り出す。
A−3.左手でメモ帳を持ち、右手でメモを書く。(右利きの場合)
A−4.メモ帳とペンをしまう。
A−5.本を再度取り出し続きを読む。

という手順をとらなければならない。つまり一度両手を完全にフリーにしないといけないのだ。

 これは紙の手帳に限らず、大半のPDAにおいても変わらない。ザウルスやPocketPCでもやはり左手で本体、右手でペン(スタイラス)というのは変わらないのである。Palmでも普通はこのような使い方が想定されている。

 この方法は、いかにも煩雑だ。本を読むのさえ窮屈な場合がある満員電車の中で、ポケットや鞄から本やメモ帳やらを出したりしまったりする上の作業をするのはかなりツライ。
 また、本の中の語句をそっくりそのままメモりたいときなどは進退窮まってしまう。本を見ながらメモを取ることが出来ないのだから、一度俺様脳みそのバッファメモリに記憶させておく必要がある。が、そういう語句は「知らない語句」な場合もままあるので、ミスったり、記憶違いなまま入力してしまう。で、確かめるために本をまた取りだして見て比べて、正しければPDA・手帳をしまえばいいが、間違っていれば再び本をしまって上記の手順を繰り返しPDA・手帳に書き込まなきゃならんのである。

 また、そもそも、メモを取るってーのは本来的に面倒なことであって、特に小説の場合は、続きを読みたい心が先立って、ただでさえメモは後回しになりがちなのに、メモをする度に漏れなく上の一連のA手順を踏まねばならないときては、メモなんぞしていられないってのが正直なところ。
 こういうユーザーにとっては、メモを取るために必要な手順は、少なければ少ないほど良い。そうすれば、メモを取ることに対する心理的なイナーシャが低くなり、メモを取ることが容易に習慣づけられる。しかし、上の方法ではあまりに煩雑過ぎて、億劫さが先立ってしまい続かないのだ。個人的には、メモの有効性を知りつつ実践出来なかったのは、上の手順での煩雑さが実行に当たっての大きな障害になったのだと思う。

●鉄筆を捨てよ!街へ出よう!

 紙手帳やPDAでメモを取る際の、一見些細と思われるかも知れないが、実用上はかなり重大な障害になる問題については、上の説明でお分かりだと思う。
 結局、これは、片手で本体(被記録物−紙なりPDA本体なり)を持ち、もう一方の片手でペン・又はスタイラスを持って入力する限り解決しないことであり、今後このまま文明が進歩しようと無くならない制約であろうと思われる。まあ技術が行き着くところまで行けば思考をそのまま記録できるデバイスが出来るとか、三本目の手を体に付けるとか出来るようになるかも知れないけど、まあそれはSF的お話としておいてね。
 やはり、片方の手で本体・片方の手で筆記具というスタイルを根本的に見直さないと、上の制約はいつまでもつきまとうだろう。つまり、問題になるのは個々のマシンの細かな入力方法の違いではない。この片手本体保持・もう一方の片手で筆記具(紙の場合はペン、PDAの場合はスタイラス)を持ち入力、という入力スタイルこそが問題なのだ。
 そこで、発想の転換をしよう。どうするのか?

 スタイラスを使うのをやめてしまうのだ。

 え?どうやって文字を書くのかって?大丈夫。人間には親指という大変使いでのあるリソースがある。利き腕で本体を保持しつつ、その同じ手の親指で、文字入力エリアに直接文字を書いてしまうのだ。つまり、今までスタイラスを動かすだけだった右手(右利きの場合)で、本体を保持しつつ入力するという一腕二役をやってもらうのである。これが出来れば、左手がふさがっていても右手だけで入力できるようになり、紙の手帳では入力が難しかったり事実上できない場面でも容易に入力できるようになり、メモ帳としての稼働率は劇的に改善されるのだ!
 が、この使い方は、残念ながらPalmマシン以外のマシンでは実際は無理と言って良いと思う。というのは、親指では複雑な文字を書くのがとても難しいからだ。複雑といっても、「比叡山の叡の字」とか「薔薇」とかいったいかにもふくざつ〜という文字ではなく、平仮名・数字レベルでいきなり難しくなってしまう。お暇があれば店頭で試しても良いだろう。スタイラスを使えば何の苦労もなく入力できるひらがな文字・数字が、ザウルス・PocketPCでは誤認識の嵐が吹き荒れ、とても常用できるレベルではない筈だ(2001/04現在)。
 しかし、Palmでは、入力に採用されているGraffitiという人工文字の殆ど全てが、一筆で書けてしまう極めて単純な図形であるため、スタイラスを使わずとも、多少の慣れは必要だけど、太い親指で十分に実用になるスピードで入力できてしまうのだ。親指でGraffitiを書くのにすっかり慣れた今となっては、こんな単純な図形を書くためだけに利き腕全部が占有されてしまうのが勿体ないと思うくらいで、このちょっとした技とPalmwareを組み合わせることで、Palmマシンは片手でテキスト入力できる実用メモマシンとして使い倒すことが出来る。
 ただし、やはりスタイラスを使うまでの確実性はないので、過信はしないで欲しい。横着なことをしている分、スタイラスを使うよりは認識率が多少下がってしまう。あと、慣れには個人差もあろうかとも思う。しかし、こうすることで全体としては実用度は飛躍的に向上するので、十分その手間をかける価値がある筈だ。

●人類が生み出した究極のメモ手段、汎用PDA型メモデバイス:Palmマシン

 さて、この片手入力方式−仮にTASUT(Throw Away Stilus Using Thmb:スタイラスを捨て親指を使う)方式とでも言いましょうか−で使った場合の利点をもう少し具体的に述べよう。
 もう一度、このTASUT方式を説明しよう。Palmでの入力方法であるGraffitiは、一筆書きの英数字で形状が非常に簡素なので、スタイラスを使わずとも親指のツメで文字を入力できる。スタイラスは使わず、利き腕で持ちながらPalmを持った方の親指でGraffitiエリアに直接親指でGraffitiを書いてしまう。持つ手と書く手を一本化してしまうという技、それがTASUT方式である。

TASUT方式で、片手で本を読みながらメモを取る場合の手順は

B−1.Palmマシンを取り出す(同時に電源投入)。
B−2.Palmマシンを持っている手でメモを書く。
B−3.Palmマシンを戻す。

という3つのステップだけに簡略化される。
 両手をフリーにする必要がないから、本を持つ手は本を持ったままで良いのだ。本に出てきた分からない表現を、本を見ながら書き写すことも当然出来る。上記のA手順と比べて欲しい。メモを取るための道具を出して書いてしまうだけで、必要最低限のステップに合理化されているのが分かるだろう。これ以上簡略化するには、常にPDAを手に持っているか(しかしこうするとメモを取る手順は1ステップだけで済む!)、何らかの手段でPalmマシンを腕に固定化するなどするしかないだろう。
 Graffitiによるやや煩雑な入力をいとわなければ、本にある文の一センテンスを一字一句違わず、丸写しすることすら出来る。これも場合によっては威力を発揮する。
 何より、メモを取る際の心理的抵抗感が上と比べて全然低い。これなら先の展開が気になる小説でも続きを読むのを中断して、メモを取る気になれる。
 上のケーススタディ最悪のケースであれば、最初の「メモしたい」と思った時にすぐメモできる筈だ。仮にそこで出来なくても、歩きながらだってメモできてしまう。思いついたことをメモする、という実利的な面に着目すれば、これ以上の入力手段は存在しないように思われる。せっかく思いついたのに外部的な状況からメモし損ねたという、メモ・アイディアの取りこぼしは劇的に減る。

 尚、一見すると、親指で直接Graffitiエリアに文字を描く、というTASUT方法は洗練されていないように見えるかも知れない。
 確かに最初は親指での入力はやや慣れが必要だろうし、例えるなら箸を使わずに和食を食べるような、乱暴で原始的な方法のように思われるかも知れない。だが、考えて欲しい。
 立ってメモを取る場面では、メモを取るのに両腕が占有されてしまうというのは、電子的にメモを取れるようになったつい最近に至るも、人類を縛り続けていた桎梏だったと考えられないだろうか?この便利な世の中で(何せもう21世紀だ!)、何故未だにそんな制約を受けなくてはいけないのだろう?
 Palmを親指で入力するという使い方は確かに変則的で、使っている姿はスマートではないかも知れないけど、そうすることでユーザーは「立ってメモを取るときには両手を使わなくてはならない」というこの一種原理的な制約から解き放たれ、2本の手という限られたリソースをより有効に活用できるようになるのだ。大げさに言えば、TASUT方式で使えばPalmマシンは人類が生み出した究極のメモ手段になり得るとすら言えるのではないかと思うのだ。
 スマートだとか、格好良いとかいうことも多少は重要だろう。それは否定しないが、そうした表層的な物事に惑わされず、本質を掴むことが重要だとワタクシは思うんである。TASUT方式は、外見上はスマートじゃないかも知れないが、実用上はこれ以上スマートな方式はないくらいだとすら思う。格好悪いというだけで使わないのは勿体ない。外見上の格好悪さなど、このスタイルが主流になってしまえば、どうなるだろう?

●携帯電話はどーだろー?

 この辺で
 携帯電話端末でも片手で操作が完結するじゃないか。
 という、まことごもっともな指摘が出るかも知れない。何せ今や、電車の中を眺めれば、携帯端末をいじっている人を見ないことはないというご時世である。使用料さえ払えば、端末本体はタダという表面上の価格的なメリットもある。結構速く入力できる人もいるようである。
 が、入力端末として見ると最悪に近いと思う。とにかくあの効率の悪いキーボードをどうにかしてもらわないと使う気にならない。一文字に最悪6回(濁音・半濁音のお段の文字)ものボタン押しを要求する上(押しすぎたらその間違え回数のn倍?)、そもそも日本語の文章では統計的に使用頻度が2番目に高い「お」段の文字に、5回のボタン押しを要求される点でもう、十分にユーザー敵対的・悪夢的であって、これを諾々として使うのは、人間側が機械の都合に合わせる旧日本軍鬼下士官的敗北主義だとすら思う。ワタクシは機械の奴隷にはなりたくない。あくまで、機械の方が人間様の都合に合わさんかい!と思うのだ。
 細かいことを言えば携帯電話をPDAにしない理由は他にもあるが(画面がちっこいとか、通話中のメモは一体どこにすれば良いのか?という問題とか)、最低この入力問題を解決しない限り、携帯電話をメモ入力手段として使用することはないだろうということは言っておく。まぁ、ボタン式は画面タップという微妙な操作と違い結構乱暴に扱えてマシンからの物理的なキックバックもある点は良いとは思うのだが・・・。個人的には、CUT-Keyはちょっと気になる存在ではある。
 というわけで、片手操作で実用的なスピードでメモ入力が出来るのは、現時点ではPalmマシンだけなのである、とひとまず結論しておこう。

●結論としては・・・

 さて、かなり長くなってしまったが、以上でメモを取る際のPalmマシンの独自性と優位性は説明できたかと思う。
 以上を踏まえた結論としては、PDA選びの際に入力性を考慮するなら、TASUT方式を使えるPalmマシンを選択に入れて損はないっつーことである。現実に片手しか自由にならないのにメモをしたいというケースは多いと思うからだ(勿論、これも人それぞれなんだろうけど)。
 良いアイディアというのは、どこで浮かぶか分からないものだ。そして、思いついたらすぐに捕まえておかなければ、日常に流されてどこかに霧散してしまうものだろう。
 TASUT方式は、筆記具と紙、立った状態では両手を必要とする紙のメモに比べても、入力の容易さで優れていると言って良いかも知れない。何しろPalm本体と、自由になる片手さえあれば入力できるのだから。思いついたアイディアを逃さない、個人的にはこれだけでPalmを選ぶ理由になる。
 しかし、このTASUT方式は何度も言うがかなり変則的な使い方であり、デフォルトでは「そうすることも出来る」というレベルの使い勝手でしかないのに注意して欲しい。Palm OSがTASUT方式のような使い方を考慮していないのである。快適に使うにはもう少し準備が必要になる。
 つまり、片手操作に向いたマシンを選び、さらにネットで手に入るPalmwareを使って補完するといった作業が必要だ。次回からしばらく、対象をPalmマシンに絞って具体的に説明していきたい。
(第1回終了:2001/04/06脱稿)

尚、TASUT方式とは、私つえだ〜が勝手に便宜上つけた名称です。上の方式が別の何らかの名称で既に定着しているかも知れませんが、私のアンテナでは確認できませんでした。
次回以降の予定:
片手操作マシン:CLIE〜ジョグダイヤルの有効性とPowerJOG
入力とカーソル移動問題:FEMを使う