アニメ・特撮・映画レビュー

*このコーナーも、私のWOTAKU度を発揮するこーなーでごんす。*

「無敵超人ザンボット3」 「ウルトラセブン」 「戦争のはらわた」
  「ID4」

「無敵超人ザンボット3」

 昨日、このアニメがLDボックスとして発売されることを知りました。
 20年前の作品です。監督は「ガンダム」でおなじみの富野氏。キャラデザインはこれまたおなじみの安彦氏。
 LDのTVCMのキャッチコピーは「ガンダムの原点がここにある!」などというものでした。本論のテーマもそこに集約されているのかも知れない。

 中学二年のある日、土曜日の午後に、た〜まに見てたのがこの番組。当時の印象としては、「こってる、暗い、重い」「戦闘シーンがねちっこい」といったかんじで、いわゆるフツーのロボットアニメのテリトリーをそれほど逸脱したものとも思えなかったし(実際そうだった、それはしかしガンダムにまでも適用可能なのだが)、小学校5年以来はまっていた「宇宙戦艦ヤマト」を越えるものとは思えなかった。

 しかし数年後...

 ガンダムブームがまきおこり、富野氏の過去の作品が再評価されるなかで、「ザンボット」もあちこちで再放送された。私はじっくりと全話を見ました。

 「こりゃたしかにガンダムの原型だわ!」と思った。しかも2クール26話限定決め打ちで作っただけあって、全体の構成はむしろ「ザンボット」のほうがむだがなく引き締まって見えた。

 なんといってもガンダムの原型というべきは、脱1回読み切りロボットプロレスであり、全編をつらぬくミリタリーテイストではないだろうか。

 こう書くと、「ザンボット」は毎回違う「怪獣」が出てくるじゃないか、ザクみたいに敵(あるいは味方)の量産兵器が出てこないじゃないかとの指摘を受けそうだ。
 事実、ぱっと見はふつーのロボットアニメに見えてしまうかもしれない。

 でもよく見てほしい。

 ジャキジャキとザンボマグナムを組み立てるザンボエース。ロボットに銃を持たせたのはこの番組が初だ。これが後のガンダムのビームライフルへと発展していくのは言うまでもない。
 移動要塞基地宇宙空母であるキングビアルは、接近戦を行っているザンボット3に対して援護の長距離ミサイルを撃つのをためらう、曰く「敵味方の距離が近すぎる!」。
 ザンボット3が敵と戦う度に、日本各地が廃墟と化し大量の難民が発生し、難民キャンプがあちこちに出来る。さらには移動中の難民が戦闘の巻き添えを食って、ゴミのように死んでいく場面まででてくる。
 主人公たちがいきなりパトロールをしているところからはじまる話や、主人公ロボのザンボット3を国連軍のパイロットが操縦する話、ザンボット3の限界潜行深度を試す話など、フルタイム・フルロケーションで敵と「戦争」をやってるんだという演出はこの手のアニメではかつてないものだった。

 それにくわえてもっとすごかったのは、正義の味方のはずの主人公とファミリーたちが、人々に賞賛されるどころか、逆に戦いの元凶として石を投げられるという凄まじすぎるシチュエーション設定だ。
雰囲気的には友人たちをはじめ周囲の人々も、段々と主人公たちの戦いに理解を示すようになるが、これがラストシーンに向けて張られていた最大の伏線だったのである。

 以下、最終回へとなだれこむ怒濤の展開について述べてみたい。

 番組後半、敵である宇宙からの侵略者「ガイゾック」は人間爆弾作戦というアニメ史上空前絶後の卑劣な作戦を展開する。すなわち、難民を誘拐し、脊髄に時限爆弾を埋め込む手術(最近のUFO番組に出てくる”インプラント”みたいだが)を施した後、記憶を消して解放し、難民の群の中に戻す。そして周囲の難民とともにドッカンというわけである。

 今考えてみると、結構手間のかかる作戦だ。それなら難民キャンプや人口密集地を爆撃でもしたほうがよっぽどコストパフォーマンスがいいんじゃないのって感じもしますが、基本的にガイゾックは主力兵器である巨大メカ怪獣の「メカブースト」による攻撃をザンボットに毎回封じられているわけだから、そういうテロ攻撃に訴えるのもある程度必然性ありというところか。

 ともかく、それまでの一話 ともあれ、人間爆弾作戦は主人公勝平のGF、アキの爆死(「アキと勝平」)、仲間の浜本(だったっけ)を含む”人間爆弾”たちの集団死(「星が輝くとき」)によって頂点を迎える。
 アキは本人が人間爆弾にされているという認識がないままに突然爆死するので、精神的苦痛は伴わなかったが、浜本のほうは悲惨だった。
 その衝撃のシークエンスはこうだ。勝平のケンカ友達で暴走族の香月、そしてその子分の浜本たちは難民として逃亡中に敵に捕らわれてしまう。ザンボットの活躍で浜本のグループを含む誘拐された人々は救出されるが、背中の星形のアザの有無により誰が人間爆弾にされたかが明らかになった。
 浜本は、自分が人間爆弾にされたことを知った。
 人間爆弾にされてしまった人々は人気のない場所で死のうと移動し始める。
 浜本も一度は死を決意し、立ち去ろうとするのだが、恐怖に耐えられなくなり、叫びながら勝平たちの方に駆けていこうとしてしまう!

「俺、死にたくないよ! かーちゃん、もう悪い事しないから、何でも言うこと聞くから助けてくれよー!!」(ディティールは少し違いますがほぼ正しいです。)

 だが、浜本は助からない。
 他の人間爆弾の人々が彼を引き留め、そしてみんな爆死してしまう.....

やっぱこれって、TVで表現してきたことの、ひとつの限界点って言うべきですかね...

 当時にしても現在にしても、「子供番組」においては、当面の「悪」が倒されたら、たとえばばらまかれた細菌で苦しんでいた人々が、けろっと回復してしまうようなものがほとんどであった(ある)というのに、大人番組でも正面切って描かないような「正義」の側の力の限界と犠牲者の苦しみながらの無惨な死をこれでもかこれでもかと、叩きつけてくる。
 死を一度決意した人間が見せる「ためらい」までも描くとは...

 この「ためらい」に匹敵しているのは、団鬼六の「花と蛇」のなかで、ヤクザの前で放●を強制され、一度は決意した女が、8ミリカメラが回りだした音を聞いてくじけてしまう場面かな..(脱線)

 ともあれ、敵ガイゾックの極悪非道ぶりは頂点に達し、伝説の最終3話、特攻大決戦に突入だ。

 もはや、私が書くまでもなく、日本アニメ史上、そしてテレビドラマ史上に永久にのこるであろうもっとも壮絶な敵との最終決戦については点描風に書かせていただきます。

 ご存じの人も多いとは思うが、「ザンボット3」は家族や親類が戦闘集団を形成して敵と戦う、という点でも斬新なアニメだと言われている。

 主人公勝平(声:大山”ドラえもん”のぶ代)とともにザンボットに乗り込むのは、いとこの宇宙太と恵子だが、勝平の兄が戦闘母艦キングビアルの戦闘指揮官をやっていたり、母親がオペレーターだったり、父親と叔父さんたちがキングビアル分離後の、各戦闘艦の艦長だったりと、まさに一族郎党総動員状態。

 さらには、一族を束ねるじーさんばーさん、たまに活躍するガキ軍団にペットの犬をいれると14人プラス1匹となる。

 最終3話において、この内の8人プラス1匹が死んでしまう。 しかも犬以外は全て「自ら選択した死」だ。
 じーさんばーさんが、まず分離後の母艦にて敵母艦バンドック(ゴメンナサイ)に体当たりし、突破口を開いたかとおもえば、勝平の父も敵の最終メカ「赤騎士&青騎士」にこれまた分離母艦にて特攻、そしてついにファミリーは敵将ブッチャーを倒す。

 これで終わりかと思いきや、敵母艦の残存部分に敵「ガイゾック」の実体が隠れていた。

 ザンボットのパイロットのうち勝平を除く2人(宇宙太、恵子)は、すでに相当なダメージを受けていた自らの機体の限界を悟り、勝平を活かし、突破口を作るために進んで特攻を行う。
 このとき2人はエンジン出力を臨界(爆発寸前)にして突入するが、他のロボットアニメなら、主人公とひっついてハッピーハッピーで終わるはずのヒロイン、恵子が冷静に自爆の処置をした後、「母さーん」と叫びながら特攻する様はあまりにも壮絶だった。
 
 そして、一人残った勝平はザンボット3分離後の機体(ザンボエース、単体でもロボットとして機能)で、ついに敵母艦バンドックに突入する。 
 もはや、飛び道具など何一つ残っていないザンボエースは、ただ白刃のみをかざして、垂直に降下していく。  
 その数秒間.. 
 主人公勝平そして私を含めたおそらく全視聴者の、「怒り」をかなり含んだ「万感の思い」もまた、ザンボエースとともに突入していったと思う。 

 だが、バンドックの中をメチャクチャに引っかき回し、ついに敵の本体を発見した勝平は富野氏お得意の「大どんでん返し」を受ける...

 勝平の家族、親戚、友達、そしてその他の人々をゴミのように大量虐殺してきたガイゾックの正体とは..「悪意を持った生物を自動的に殲滅するシステム」だった!
 もちろん、何が悪意であるかは機械的に判断不能だと思うが、ガイゾック=コンピュータードウル8号は、地球人類を「環境を破壊し、仲間同士で殺し合う」どうしようもない生物と判断し攻撃したという。

 なんたる説得力!

 この事実に直面し、勝平は地球人類のために戦うことが絶対の正義である、という、自らのアイデンティティーの正当性を再確認させられる羽目になる。

 さらにダメ押しのように、ドウル8号は勝平の周囲の人々がファミリーの戦いについて理解してなかったではないか、と突っ込みをいれる。 
 ファミリーの命を賭してまでも守る価値があるのか!と。
 まだ小学生の勝平にとってなんと過酷な問いであることか..

 この時点で勝平は「そんなことはない! みんないい人だ!」と、とりあえず叫ぶことしかできないのだった。

 そしてガイゾック本体もあっけなく消滅した後も、物語はさらにもう一つの山場を我々に用意していた。
 放り出された勝平の機体が大気圏突入により燃え尽きるのを防ぐため、勝平の兄と叔父二人が、自らを犠牲にした減速を行うのである。

 そして熾烈なハルマゲドンは終わった。

 奇しくも故郷の駿河湾に落下した勝平は、戦いの余韻と疲労のなか、震えながら眠っている。「俺達、無駄なことなんかしちゃいないよな..」 と、うわごとを言ったのち、かけつけた故郷の人々に救出される。
 善意の人々の行為を描くことによって、一応、希望を感じさせるエンディングとなっている。

 私がこの原稿をダラダラと書いている間に、LDボックスが発売され、太田出版から本がでたようだ。 いまさらストーリー紹介を書く必要もないような気がするが、思わず書いてしまいました。

 以下は、私独自の総論を書かせていただきます。

 ザンボットとは何だったのか?

 富野氏は当時まだ若く(36才)、スタッフ達と、「人生とは」とか、「家族とは」、なんていう議論をマジで戦わせながらこの作品を作っていったと聞く。
 そのせいか、全編、異様な熱気とテンションに満ちた作品となっている。
 そのラジカルなパワーは、当初、「ロボットプロレス」を脱するというコンセプトに現れ、さらに「人間爆弾」と「特攻」においてマキシマムに達したと言えよう。
 その「死」に関する描写は、後の「ガンダム」などよりもはるかにラジカルでロウ(ナマ)だ。

 そして、ザンボットには危険性がある。

 「特攻」の描写である。

 みなさんご存じのように、日本は第二次大戦末期において組織的自爆戦法である「特攻」を行い、そして負けた。
 戦後、特攻に関してはきっちりした総括がされないまま(戦争全体の総括自体されてないが)今日に至っているのが現状であり、ザンボットは意識してかどうかしらないが、戦争物以外において「特攻」を正面から扱った希有なフィルムだろう。

 自己犠牲の極北の表現行為たる特攻に対して、ザンボットはかなりの必然性を与え、「肯定的」とすら受け止められ得る描写をしている。
 もちろん私は、戦時中における、見ず知らずの司令官からきわめて通常の戦闘命令のごとく下された命令に従って行われたような特攻と、ザンボットにみられる、戦闘状況内での自己判断によって家族や同胞を救済せんがために自発的に行われた特攻とを同列に論じるべきではないことを承知しているつもりだが、それでも言わざるを得ない。

 「ザンボット3」は「危険」なアニメである、と。

 なぜなら、生命を賭けても守るべき価値があるのか、という問いをあまりにもストレートにわれわれに突きつけてくるから。

 もはや、「電脳剽軽倶楽部」で扱うにしてはヘビー過ぎるテーマになってしまいました。
 「ザンボット」の項についてはとりあえずここで筆を置かせていただきます。
 私自身、太田出版の本を読んでる最中で、一部記述の間違いを訂正させて頂きました。その他、気付いたことがあったらまた加筆したいとは思っています。(了)


「ウルトラセブン」 (Requested by  O.HORIBATA)

 はっきりいってわたしは再放送で見ました。
 すでに多くのところで多くの人に語られており、キャラクター商品としても安定した人気を確立してしまっているセブン。
 しかし実相寺監督たちの担当したエピソードや、最終話などは凄じいハイテンションやラディカリズムに満ち満ちていた。
 以下は私の好きなエピソードと総論です。(予定)

狙われた町」 INVADER:METORONIAN
 ご存じ究極の一本。冒頭の○チガイの大暴れから、最後のシブいナレーションまで、一挙に駆け抜ける、特撮界随一のジェットコースタームービーBY実相寺昭雄。
 モロボシダンが下町のボロアパートでチャブ台をはさんでメトロン星人(星人が一発で変換できませんでしたよ、ATOK9さん)と対峙したのち隣室(!)のスペースシップへとなだれこむ展開のシュールさは、まさに天下一品五反田店ってかんじで絶品。

 夕日を背景にした戦闘シーンは「セブン」随一、いや、ウルトラシリーズNO1との噂。ペキンパーにも見せたかった。
ニューヨーク現代美術館にぜひ所蔵して欲しい。

「第四惑星の悪夢」 STAGE:4TH PLANET
 怪獣、宇宙人、かぶりものが一切出てこない。
 人間そっくりのロボットに支配された惑星。下町(?)に住む虐げられた人間たち。レジスタンスを支援する羽目になったダンたち。人間の秘書のおねーさんに「ええい、人間のつくったコーヒーはいつも味が違う!!」などと怒鳴り散らすロボット秘密警察(?)長官。エキストラを使う代わりに人間を本当に撃ち殺してドラマを撮影するテレビ局。などなど、ブラックユーモアを交えながらも、管理社会への恐怖や怒りが全編にわたって炸裂しまくり状態。
 一応、最後はウルトラセブンが登場して、地球向けの侵略ロッケト軍団基地もろともロボット政府をぶっつぶすが、このシーンも格闘戦ではなく、飛行しながらのビーム掃射(また一発で変換できなかった)という、まったく「セブン」らしさの無さという点ではダントツ笑撃隊なオハナシです。ほんとに子ども番組かいな、これ。

☆TO BE CONTINUED☆


戦争のはらわた (CROSS of IRON) Directed by Sam Pekinpah

 一連のペキンパーの”もの凄い”作品群のなかでは、けっして評価が高いとはいえない作品。
 
 私自身、「ワイルドバンチ」と比較するとやはりパワーダウンは否めないと思ってしまう。

 だが..

 戦争映画という観点からすると、最大級の評価を与えるべきだと思う。前半における塹壕白兵戦のシーンは第二次大戦もののなかで、演出とリアリティーという点でおそらく最高峰だろう。
 あのシーンに匹敵しているのは私の知っている限りでは、アニメ「火垂るの墓」の冒頭の空襲シーンと、映画「ピンクフロイド ザ・ウォール」のアンツィオ橋頭堡のシーンぐらいか。
 
 そして、ペキンパー映画の定石もきちんと踏んでおり、おなじみのスローモーションバリバリ戦闘シーンも健在だし、どこかシュールなオチもなかなかシブい。
 ペキンパー一家も、ジェームス・コバーンほかけっこう出演しており、脇を固めるマクシミリアン・シェルやジェームス・メースン、デビッド・ワーナーも激シブだ。

 そして、おそらく唯一の、メジャーなアメリカ人監督によって撮られた、ドイツ軍が主人公の映画だという点は特筆に値すると思う。もっともご存じのとおり、ペキンパーはこのときハリウッドをホされて、ヨーロッパに「亡命中」だったからこそナチを主人公にできたのだが..

 さらに言えば、この映画の最大のポイントは「等身大のドイツ軍」を描いていた、ということだろうか。

 少々マニアックな話になるが、私が一番驚いたのはジェームス・コバーン演じる主人公・シュタイナー軍曹たちのコスチュームだった。
 皆さんはTVの「コンバット」にでてくるドイツ軍の格好を憶えているだろうか。全員が、きちんとヘルメットをかぶり、詰め襟のホックをとめて、きちっとブーツをはき、さながらタミヤのプラモそのもの(最近はちょっと違うが)のノリで、アメリカ軍にバタバタやられてしまう。
 ところが、この映画に登場するドイツ軍は(ソビエト軍もだが)服装バラバラ、武器もバラバラ(ソ連軍の武器を分捕って使っているドイツ軍までいた)、エリを立ててるはマフラーしてるはリアルなことこの上ない。
 しかもフランスから着任したばかりのストランスキー大尉(マクシミリアン・シェル)の軍服は汚れもなく、生地も高級であるといったようなところまで再現されており、マニアの皆さんは狂喜乱舞だったことだろう。

 だが私が指摘したいのは、ペキンパーが服装や装備に気を使ったのは単なるマニア受けのためでなく、作品を盛り上げるために必要な演出としてやっていた、ということである。
 たとえば、ストランスキーの軍服がピカピカなのは、平和なフランス戦線からやってきた貴族系の将校というキャラクター設定に沿ったものだし、ドイツ軍兵士がソ連軍のマシンガンを使っているのは、戦況の逼迫と最前線の現実をさりげなく描写するためだ。

 そしてそれ以上に重要なのは、「等身大のドイツ軍」を描くことによって、逆に、ドイツ軍の抱えていたネガティブな側面が浮き彫りにされている、という点だ。
 
 この映画のドイツ軍は、ペキンパー流のいわゆる「愛すべきあらくれ男たち」といった面々で、映画の中ではロシア民間人やユダヤ人に対する残虐行為は全くでてこない(ソ連女性兵士をレイプ?する場面はあったが)。
 したがって、この映画を見ただけでは当然、東部戦線、ひいては第二次世界大戦の全体像はわからない。むしろ、ドイツ兵が「いいひと」すぎると言われてもしかたがない映画だと思う。
 
 それでも私はこの映画が重大な意義を持っていると思うのは..

 「残虐行為をやったドイツ軍が”ロボットみたいで命令に絶対服従の血も涙もない人々”ではなく、”大半がごく普通の人間”であったからこそ問題だ。」と私が考えるからだ。だから私は、「インディー・ジョーンズ」をふくめたハリウッド製戦争アクションは結果的に製作者の意図(ナチの残虐性のアピール)と逆に作用してしまうと思うし、もっと批判されるべきだと思う。

 多分、ペキンパーの意図は別のところにあったような気がするし、この映画は日本でもロードショー番組なんかでよくやってて特に珍しいタイトルではない。しかし、深読みし過ぎかもしれないが、考えようによってはかなりトンデモない映画だと思う。
 
 ちなみに、有名なラストも、私の解釈では一般庶民(シュタイナー)も、貴族(ストランスキー)も、軍人(ブラント大佐)も、みんな平等にソ連軍とともに地獄に落ちていくという、ヒトラーの黙示録的シナリオ? のような気がするんですけど..深読みでしょうか..(了)

「ID4」 (番外篇)
 
*以下の文章は、私の身内の依頼により某映画会社の地方限定ミニコミ誌用の原稿として書かれたものなのですが、このままの形で採用されるかどうかわからないし、私自身けっこう気に入っているので「番外篇」として掲載させていただきます。

えめりっひなにものぞ!

by敬親 

 ハリス何者ぞ!列強諸国の威を借りるイソップ話の狐ではないか!!」とかつて吉田松陰先生は叫んだ。 

 ハリスは当時(江戸末期)日本が不平等条約を押しつけられた時の米国公使だ。 

 私も言いたい。「ローランド=エメリッヒ何者ぞ!ハリウッド資本の威を借りるUFO話のTANTANたぬきではないか!!」。 

 あえて言おう、「ID4」はKASUであると!! 

 世界中の映画マーケットの頭上に直径6キロのハリウッド資本型UFOが現れ、7月4日シンクロ攻撃でプラズマ兵器の直撃をかましまくった。 
 攻撃された観客のみんなは、頭の中が地球内プラズマ空間状態と化し、いまにも目から葉巻型UFOに乗った「失われた13支族」が飛び出してきそうだ。 

 パワーブック一丁サラシにまいてマザーシップに乗り込んだブラム兄貴は、ワイヤレスでウィルスを注入しちまった。それだったら帝国海軍の精神注入棒こわさに柱にしがみついて10分間「セミ」をやらされた山下猛造はなんだったんだ、といいたい。 
 よーするに「注入」ってのは「物理的接触あり」なほうがよかったんじゃないっすかってこと。じゃないとわざわざ乗り込んだ意味ないんじゃないんっすか? 

 まあ、そういう瑣末なつっこみは置いといて..問題は、例えば「うなぎ」の10万分の1の密度のシナリオでも、100倍の予算をかければ、客が1000倍入る、ってことを証明しちゃった、てことかな。
 黒船健在なり!火縄銃でチマチマやってるような日本映画なんて太平洋を越えて飛んでくるアームストロング砲に一撃で粉砕されちゃうというこの状況!

 攘夷、攘夷、断固攘夷!

 岩井の俊サン、金子の修サン、樋口の真サン、押井の守サンに庵野サン、チマチマやってる場合じゃないよ!世界のマーケットへ行け、そしてなんとかせい!大河原サンもなんとかせい!
 
 日本のTAKUもメッセサンオーばっか行ってないで、この状況をなんとかせい!代々木アニメーション学園を第2の松下村塾とせよ! 

 もはや草莽屈起してアンチハリウッドを唱えねば腹悶癒しがたし、てカンジ?

結論:日本も橋本SANが一式陸攻にのってマザーシップに突っ込む瞬間古手川祐子がソフトフォーカスで出てくる映画つくるしかないね。

(おわり)

P.S.やっぱりこの原稿、ボツになりやした..トホホ。

今後の予定

「機動戦士ガンダム」
「聖戦士ダンバイン」
「攻殻機動隊」
「オネアミスの翼」
「伝説巨神イデオン」
「特装機兵ドルバック」
「装甲騎兵ボトムズ」
「太陽の牙ダグラム」
「機甲界ガリアン」
「超時空要塞マクロス」
「超時空世紀オーガス」
「超時空兵団サザンクロス」
「ゴライオン」
「ダイケンゴー」
「ソドムの市」
「ケネス・アンガー」
「ワイルドバンチ」
「NIGHT OF THE LIVINGDEAD」
「DAWN OF THE DEAD」
「ORGY OF THE DEAD」

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