うちのゼミの恥をさらすようですが、現在の3年生のゼミ長が 10月にゼミを抜けてしまったんです。そのために、先生が 悩んだ結果女の子をゼミ長にすることにしました。 これは、先生や他のゼミ生から見れば「男がふがいないから」 という風に見えると思います。実際つい最近まで僕もそう考えて いたから。 うちの先生は別に男女差別論者と言うわけではないけど、やはり 上に立つのは男だ、という考えのようで、女の子がゼミ長になったのは 今回が初めてなんです。そういう意味では「悪しき前例」と考えて おられるかも知れません。 しかし、男がふがいないとかそういう見方をやめてみると、 女の子がゼミ長になったことは「良き前例」になるのではないかと 思うのです。 男が、女が、ではなく、ゼミ長という仕事をこなせるかどうか、という 点で見れば、現在のゼミ長が3年生の中では一番適任なわけだし、 実際最初にゼミ長を決めるときも「女の子だから、ゼミ長にはすすめ られない」という風に4年生でも話していたのだから。むしろ 男女にこだわらずに最初から適任である人間を選んでおけば ゼミ長がゼミを抜けた、と言われなくてもすんだのかも知れません。 だから、これからゼミ長を選ぶ時には「女の子だから」と言っても、 実際に適任であればゼミ長に選ばれるチャンスが、増えたと思うんです。 今まではそんな選択しもなかったのだから。そういう意味では「良き前例」 になったと思うのです。
OSと人間の脳って、似ている気がする。特にマイクロカーネルを採用したOS。 カーネル部分では基本的な入出力を受け持つ。脳の一番古い時代に出来た 根幹部分は生命維持のための機能を受け持つ。 カーネルの上にはアプリケーションを動かすためのサービス群があり、その上に アプリケーション層がある。脳も根幹部分の上には感情などを司る部分があり、その上に大脳新皮質という、 記憶や創造力を受け持つ部分がある。なんか似ている…。 OSは、「小さな政府」理論にも似ているかも(笑)。必要最低限のサービスを政府が行い、 それ以外は民間に任せるというのは、最低限の入出力をカーネルが行い、あとは サービスとして付加したりアプリケーション層に任せたりする。…、マニアックな比較だな(^^;。
生活していく上で、人間は様々な場面で選択を迫られます。そんなときのために、 常に選択肢を多く持っていることは、最適な判断ための材料になり、とっても重要だと 思うのです。 結果が同じでも、2個の中から1個を選択するのと、10個の中から1個を選ぶのでは 意味が違うと思うのです。 だから、常日頃から様々なものに関心を持ち、かつそれを頭の中で有機的につなげて 考えていく姿勢というのが大事だと考えています。なんでも強引に結びつければいいってもんでも ないけど(笑)。
そろそろ卒論を書き始めないと1月が大変。1月末日が締め切りだけど、 今のうちに書いておけば1月がまるまる遊べてかなり時間を有効に 使えると思うのだけど。 なかなか筆が進まない…。いや、実際には一太郎で書いているから筆じゃなくて 指が、なんだけど(^^;。はぁ。
金木っち、見に来てくれてどうもありがとう!たしかにここは少々硬い(友人曰く「過激な発言」だそうな)ですね。 青臭いことばかり書いている気がするんですよ、自分でも。だからあまり積極的に人に勧めてないの(^^;。 MLなんかでも宣伝したことない。 でも、青臭いことって文字通り青いうちにしか言えないと思うので、これからも続けていこうと思っています。 おごってっていっても、君の方がようけ儲けるでしょう(^^;。こっちがおごって欲しいわ(笑)。 さて、金木君とのつながりは、彼が書いているとおり山田村で今年の夏休みに行われた 「電脳村ふれあい祭」です。ここでの出来事は 日記に書いてあるので、興味を持った人は読んでみて下さい。 最近筑紫さんの「ニュース23」で山田村のことが取り上げられていました。今までのマスコミの 取り上げ方と同様、PCを導入しても使っている人が少ない、などと批判的な内容。僕は、ま、こんなもんだろうな、 と思っていたんだけど、山田村MLでは「取材が足らない」という批判が出たりして、結構大きな反響がありました。 また、テレビを見てメールで意見を投じてきた人も多くなり、注目を集めたという意味ではテレビの効果はあったかもっしれません(^^;。 その視聴者の声の中に、「家庭にPCを配ったと言うが、そのお金は国民の税金なんだから、成果を上げるべきだし、 またそれについて情報を開示すべき」というものがありました。確かに国民の税金を使ってPCが配られているのだから、 そのPCが使われていないものが多いと聞けば、「税金の無駄使い」といわれても仕方がないと思うのです。 ただ、この声はあくまでも山田村ではPCが家庭に配られているから、特に感情的になっているのだと思います。 というのは、地方行政ではいわゆる「箱もの行政」というのが多いですよね。「箱もの行政」とは、国から補助金を もらって、その自治体には大きすぎるような展示会会場やコンサートホールなどの建物を造ることを意味します。 こうやって作られた全国各地にある「箱もの」、実稼働率は年間3割ほどがせいぜいという話を聞きます。 つまり、使われている率で言えば、山田村のPCも、地方のホールも変わらないわけです。 それでも、山田村でPCが配られたことは非常に意義のあることだと思います。それは、一部の人たちではあるけれども、 村民の意志が変わってきている、ということ。「ふれあい祭」のイベント終了後もメールを駆使してふれあい祭に参加した 人たちとコミュニケーションを取ったり、関西の方に遊びに行ったりしているんです。これはたぶんPCが配られなかったら 絶対に生まれなかったコミュニケーションであり、意識じゃないかと思うんです。 本当に少しの人たちではあるけれども、その人たちが村の外の人間たちと出会い、影響しあい、それを 村の中にフィードバックしていく。これは「箱もの行政」では出来なかったことだと思います。インターネットという 道具があってこそ可能になったとも言えましょう。マスコミにはこの「意識変化」に気づいて欲しいと思います。 PCを配ったことや、使っているか使っていないかで判断するのではなく、この内面の変化は、短時間では 表面に出てこないかも知れないけど、10年後にはきっと大きな変化だと認識されるものになるはずです。
どーも。電脳村ふれあい祭でお世話になった金木です。 バイト疲れの暇つぶしに来てざーっと全部見ました(~_~;)。 でも硬い内容が多くて、面白いけど、さらに疲れたです。 バイトも進まないし。 てなことで、今度おごってください。僕もおごってもらうの大歓迎なので。 ではがんばって続けてくださいね。(^.^)/~~~
ふと思ったこと。同じ大学の友人で、非常に気位が高い男がいまして、 いろんなことにコンプレックスを抱いているようで、友達からおごってもらう ということを絶対にしないのです。 僕なんかは、おごってもらえるのなら、いくらでも、と思うのですが(笑)、彼にとっては プライドが許さないのでしょう。おごるというと「絶対にいやだ」なんて言って絶対に 自分でお金を出します。 そんなにかたくなに拒否しなくても良いのに、なんて思うこともしばしば。 少なくとも学生の間はおごってもらったって、別に損得関係もないわけだし、 良いんじゃないかな、と思うのです。 おごられ上手、というまでいかなくても、相手がごちそうしてくれるときには素直に受け入れるのも 大人の態度だと思うのですが。
ちょっとエッセイの内容を変えようと思ったら、ファイルがうまく元通りにならなくなってしまって 結局消してしまいました…。もちろん、バックアップはあったので、とりあえずここに 過去のログがありますので、こちらに書き出しておきました。昨日までのエッセイはそこで見て下さいませ。 最近はお天気が続いて、良い感じですね。とはいえ、ぜんぜん家から出ないで本ばかり読んでいるので 僕はかなり不健康なんですが(^^;。 それでも、たまに海に散歩に行ったりします。伯母の話だと、子供の頃父の兄弟は茅ヶ崎に 避暑に来ていたそうです。その記憶があってか、父は茅ヶ崎に引っ越してきたわけで。 昔避暑地だった場所から毎日学校に通うというのも、確かに「旅行」に近いなぁ、なんて 思ってしまいました。
今日神奈川新聞を読んでいたら、柳美里さんのサイン会が 脅迫のために中止になった、という記事がありました。 なんで彼女のところに脅迫が来たかというと、彼女が在日朝鮮人だから。 日本ペンクラブなどが彼女の支持に動いたりしているようですが、 それと共に、「(脅迫騒ぎが)本のPRのためなんじゃないか?」 などというバッシングも増えているそうです。 彼女の親が朝鮮出身であることが、なんで悪いことなんでしょう? 僕には、脅迫したり、バッシングをしたりする人間を理解できません。 先週の「Friday」にはSOFTBANKの孫さんが70億円の豪邸を建てた、 という話が載っていました。その記事の中では、出来た屋敷に訪れた 孫さんのことを「在日朝鮮人の孫会長」という風に書いてあり、 文章の最後には、「最近はSOFTBANKの経営も悪化しており、また 内部告発もされている。近いうちに着の身着のままでこの屋敷を あとにするんじゃないか?」なんていうひがみ根性丸出しの 書き方をしていました。 これを読んだときには金持ちに対するひがみだけかと思っていたけど、 柳さんの話を読んで、これは単に成功した者へのひがみではなく、 在日朝鮮人であることが絡んでくるのではないかと思ったわけです。 朝鮮人だからといってなんで差別するのか、全く理解できないのです、 僕には。だって、同じ人間でしょう。しかも、隣国であり、僕らが 戦争で多大な被害を与えてしまった国の人々です。それなのに、戦争が 終わって50年以上たっても未だこのような差別意識を持っている のは、信じられません。 関西では朝鮮人が多いのですが、関西大震災の際、朝鮮人学校に 日本人もたくさん逃げ込みました。しかし、行政は「朝鮮人学校は 各種学校の分類に入り、救援物資を送る対象にはならない」といって 救援物資を渡さなかったらしいです。信じられないことです。 その時に援助してくれたのが、韓国の人々です。彼らは日本にいる 同朋のために救援物資を送りました。そして、それはそこに逃げ込んだ 日本人達にも配られたのです。 こんな国を挙げての差別が許されているのだから、日本という国は 大した国です。「朝鮮人は日本人をばかにしている」なんて憤っている 人間がいますが、僕に言わせればばかにされて当然でしょう。こんな 差別をしているんだから。それで「国際化」しなければ!なんて 言っている。国際化する前に、こういう意識をなくしていかなければ ならないのではないでしょうか?
今日の写真は火曜日の最後のゼミのあとの飲み会風景。 円谷(左)とよっしー(右)。かなりハイテンションだったらしい…。