今日近所の文教堂で本を買っていたんです。その時に、ちょっとレジが 立て込んでいて、あるお客さんが「中央公論」を買うときにぴったりの お金を差し出したんですね。 その時に、店員はPOSレジなのに、POSを通さないで「ありがとう ございました〜」なんていって、そのままお金をもらって手でレジを 打っていたんです。 これは非常にまずい。何がというと、POSシステムは、単に店員の レジを打つ手間を省くのが目的ではなくて、それ以上に在庫管理、販売管理 として使われているわけです。だから、商品は全部POSで通さないと、 正確な在庫販売管理ができなくなるわけ。手でレジを売っているのだから、 お金の収支は合っているのだろうけど、それだけではだめなんですね。 どんな商品がいつ売れたか、というのが非常に大切。 そういう教育を、末端の店員(たぶんバイト)まで施すのは非常に難しい。 難しいけど、それを避けていてはせっかくのシステムも、宝の持ち腐れになる。 僕は来春からシステム屋さんになって、(POSを売るかはわからないけど) コンピュータを仕事上必要としている人につくって、売るわけです。しかし、 ただいいモノをつくって、売って、それで終わり、ではないことが非常に 実感としてわいちゃいました(笑)。上記のような店員にもきちんと システムをなぜ導入したのか理解してもらって、もっとも的確な使い方を 教えるまでが、「良い仕事」なんだろうな、と。
デジカメで写真を撮って、頻繁に入れ替えよう企画は、企画倒れに 終わりました(^^;。 結構面倒なんですよね、入れ替えるの。それにデジカメをあまり 使う場が無いというか。オフの時くらいしか使わないから。 僕の持っている35万画素のデジカメだと、パソコンの中だけで 扱うには十分すぎる画質なんです。しかし、やはり35mmフィルムの 良さにはかなわない。 100万画素クラスだと、35mmフィルムクラスの画質にようやく 追いついた感があります。しかし、プリンタが追いついていない。 昇華型プリンタを使うと確かに写真レベルの印刷が出来るのだけど、 いかんせん高すぎる。本体の値段はレーザープリンタ並、印刷できる 大きさははがきサイズまで、一枚あたり100円の専用用紙。これでは 気軽に印刷できるフィルムを使った方がいい、ということになります。 それから、デジカメは非常に電池の消耗が激しい。30分電源を 入れっぱなしで使い切ってしまいます。これは何とかして欲しいなぁ。
というか、今日読んだ本なんだけど、内田康夫さんの浅見シリーズで、 「朝日殺人事件」という本を読みました。 これに出てくるのが、僕が住んでいた富山県の入善町、のお隣の朝日町(笑)。 ここで百河豚(「いっぷく」と読む)美術館や、町役場などが出てきて、非常に 懐かしい思い出がよみがえってきました。昔は自転車でよく見て回った場所が 出てくるのは、非常に懐かしくて、嬉しいものですね。 その中で出てくるのだけど、殺される女性の部屋に浅見さんが現場検証で 入るのです。その部屋の中にうず高く積まれた書籍を見て、浅見さんは 「これだけの知識が、一瞬にしてこの世から消えてしまったのか…」と 悲しむシーンがあるのですよ。 それを読んでいて、確かに一瞬にして消えてしまうんだなぁ、とはかなくなりました。 それだからこそ、このような場所で自分の思っていることを書いて、僕が死んだ後も この世に僕の考えを残せたらいいなぁ、と思ってしまいました。ちょっと暗い話題ですな(^^;。
K’もかなり詳しいね、聖書関連の話は。勉強になります。 ところで、ちょこっとだけ補足。死海文書とは、エヴァンゲリオンにでてくるやつ じゃありません(爆)。 死海付近の洞窟で、第二次大戦後しばらくして偶然見つかった大量の古文書で、 中身は簡単にいうと、キリストのような新興宗教を起こした人間の話などが載っていたのです。 つまり、紀元前後のあたりに、キリストのようにユダヤ教の新しい解釈で名乗りを上げている 宗教家はたくさんいたのです。たまたま、その中のキリストが、非常にうまく民衆の中に 広がっていった。死海文書にあるのは、うまく広まらなかった新興勢力だったわけです。 ある意味、キリストの弟子たちは「マーケティング」がうまかったんでしょうね。巧みに 民衆の心をつかんだ。そして時代の移り変わりに従って時の権力者たちと仲良くなったり、 対抗したり。2000年生きている宗教だけあって、そういうところはすごいと思うのです。
本当、聖書は面白いです。それにヨーロッパ人の考え方の基本にもなってますんで 読んで理解することは現実生活にも役立つと思います。 そもそもキリスト教の限界はまず初めに神有りという所ですかね。 ただ聖書も人間が作り出した物ならば、人類誕生以前のことを明確に書けなかった としても無理はありません。 さて神の力の限界について前回は書きましたが、僕の考えでは神は全知全能であっ たけれども地球を維持して行くには不適当だったと思うのです。 その最大の理由は不死です。神が単一体で存在し、絶対に死なないとすればミスを カバーするという点で致命的なバグがあります。 つまり神の行うことがもし若干でも間違っていたら、それを修正することはほぼ不 可能であるということです。年が経つにつれてゆがみが大きくなり、神は生きてい ても地球は滅んでしまうでしょう。 逆に人間には寿命があります。ですのでもし先代が間違っても後世の世代がミスを 修正することが出来ます。組織化された中で世代交代に一番ベストなのは先代の死 です。 また人間は年老いて能力が低下しても、次世代の若者がすぐに変わりますので全体 としては人間は絶えずベストな能力で望んでいることになります。 神は死ねませんから遺伝子の継承が出来ないという点で限界があるのかな?と思い ます。 >ただ、旧約聖書の中にある、モーゼの創世記に描かれている地球誕生の描写は、 >あまりにも科学的なのは見逃せない事実だと思います。一度旧約聖書を読むこと >をすすめますね。かなり面白いです。 うん、映画なんかで使われてるのも大抵聖書から取られています。 ハルマゲドンのの時に666番目に光臨した悪魔がダミアンであったり、初めは天 使は人間狩りを趣味とする邪悪な天使であったが、ある人間が死闘を演じて天使を 倒し、それから人間の見方になったとか。 ただ死海文書によると聖書の半分が覆されるという話も聞きます。 元々旧約聖書はキリストの弟子が書いたわけですし、書き写しのまたコピーですの で何百年も後の出来事が一緒に書かれている点で信憑性に欠ける物ではあるんです が。
K’、書き込みありがとう。ということで、このお話を少々続けます。 >まだ不明です。一説には何らかの理由で人間に干渉できなかったか、もしくは神の >能力にある一定の限界があったか。 神の限界、というのが、宗教的な限界にもつながっている、という指摘もあります。 つまり、神を信じて、その規律を守る人間だけを助ける、という風に、慈悲を与える にも限界があります。それがさらにヒューマニズムの限界にも通じているわけです。 >ここから人間を作った神は実は別の神に作られたという説もあるんです。 ここからかどうかはわからないけど、聖書をよく読むと、実は神というのが 2種類いることがわかります。 「神」と「神たち」と訳されている部分がそれです。本来ユダヤ教もキリスト教も 一神教なのに、なぜ複数形で書かれる神がいるのか。これは非常に興味深い テーマです。 これは、そもそも旧約聖書において、「外から来た存在」として「エロイ」という言葉が 出てきます。また、「エロイム」というのがその複数形なのです。 新約聖書では、その「エロイ」という言葉をキリストが張り付けにされた時、聞くわけです。 そこで、彼の弟子たちはキリストが最後に「エロイ」という何かに助けを求めているのだから、 それはきっと父なる神であろう、という風に解釈するわけです。そのために、エロイも、 その複数形のエロイムも「神」と訳されてきたわけです。 実は、この言葉が「宇宙人」を指すのではないか、と解釈する人もいます。確かに 語源を見れば、「外から来たモノ」なのだから、当てはまるわけです。実際は、 どうなのかはわからないけど。 ただ、旧約聖書の中にある、モーゼの創世記に描かれている地球誕生の 描写は、あまりにも科学的なのは見逃せない事実だと思います。一度旧約聖書を 読むことをすすめますね。かなり面白いです。
いつもこーじの読書量には感心させられます。 僕ももっと本を読んで映画も見たかったんだけどつい日々の生活に流されて後回し になってしまってます。いけませんね。 卒業旅行の時はちょっと重いけど、リング、らせん、ループ、Brain Valleyを 全て持っていって飛行機の中とかで全て読もうと企画中(笑) さて、 >ここでまた疑問が出るわけです。つまり仮に人間が「神」によって進化させられ >たのなら、その「神」はどのように進化して、その存在になり得たのか、が説明 >が付かなくなる。 >というか堂々巡りになるわけです。これについてはまだ答えが考えつかない。結 >局自然に進化したのでしょうか…。 これなんですが、聖書の解釈ではこんな説もあるんです。 神はアダム(つまり人間)に知識の実を食べてはいけないと言っていました。 しかし蛇がイブを誘惑するまでもなく知識の実は誰でも簡単に取れそうな状態に あったんです。なのになぜ神はアダムに「忠告」という不確実な手段を執ったので しょうか?もっと魔法とかで守れたはずなのに。 本当は神は人間が知識の実を食べるのを覚悟していたのかもしれません。 本当の狙いは知識の実の後ろにある生命の実を食べられては困るから。 永遠の命を手に入れられらもはや人間は神と一緒になってしまうからです。 しかしなぜ神が捨て石みたいに知識の実を差し出さなければならなかったのかは まだ不明です。一説には何らかの理由で人間に干渉できなかったか、もしくは神の 能力にある一定の限界があったか。 ここから人間を作った神は実は別の神に作られたという説もあるんです。 聖書って宗教的な所は別にして物語として読んでみるとおもしろいです。 弟がミッション系の高校だったから聖書はなぜかうちにあるんだよね(笑)
僕が起きたのが12時半頃。すでにみんなは起きていて、お食事中だった。レーズンパンや おにぎりで腹を満たす。 当初の予定通り(^^;、今日は観光は出来ない状態。とりあえず、まったりと2時くらいまで 過ごし、久保田さんの腕前を見るためにゲーセンに向かう(笑)。そのために女性陣は メイクを始める…。いやぁ、ちまちゃんが一番念入りにしていたのは気のせいか?? って書いたら怒られそうだ…。 メイクも完了して、いざゲーセンへ。といってもマンションから歩いて30秒ほど(^^;。 そこでSEGAのピストルで撃ちまくるゲームをこづ(?)と久保田さんが始める。 久保田さんのうまいことうまいこと。1発で敵を仕留める。これで「スナイパー」の 称号をみんなに与えられる(笑)。 そこのゲーセンはそれほど大きくないので、隣の駅の高槻まで移動。 で、また一路ゲーセンに。ここでも、全く別のゲームを久保田さんは 上手にやってのけた…。 さらに別のゲーセンへ(笑)。結局3つハシゴした。ここで藤原ちゃんは 一足先にお帰り。 ゲーセンを出て、今度はカラオケに向かう。しかし、どこも2時間以上 待つとのこと。平日の4時くらいなのに、めちゃ混んでいる。いったい誰が こんな時間にカラオケに入っているのだろう…。人のことは言えないけど。 結局どこにも入らず、こづ邸に戻ってまったり。なぜか「ハイスクール奇面組」の 再放送を見たりする。みんな「うしろ指さされ組」が歌っている主題歌をソラで 歌えている…。 それから僕とこづとくらさんはしばしの睡眠。のこりの金馬ちゃんと久保田さん、 やすげ&ちまりんは漫画を読みいる。 7時に駅で藤村さんとその友人たちと待ち合わせしていて、男だけで飲もうという 話になっていたので、移動。僕とくらさん、こづがその飲み会に参加。やすげは 翌日の観光のために久保田さんたちと一緒に藤原ちゃんの家に。 この飲み会は、神戸大の平井さんに、藤村さんの友人の浜田さんが 時間を作ってくれた。駅近くの中華料理屋で飲む。非常に楽しい時間を 過ごした。このあとこづ邸に移って2次会。藤村さんには感謝感謝。 みなさんは翌日の予定があるとのことなので、11時前にお帰りに。 その後3人でおしゃべり。くらさんの事が中心だったかな。で、 1時半頃就寝。 今回は「人と会う」のがメインになったけど、非常に楽しかったし、 いい刺激を受けました。今回お世話になった方々、ありがとうございました。
この間の関西オフは、場所的には動きがなかったので、新たにページを 作らずにここに書いてみます(笑)。めんどくさいだけかもしれない…。 2月3日。当日に切符購入。相変わらずだけど、ちゃんと指定も取れた。 これで座っていける。名古屋を過ぎたあたりで、こづ邸の最寄り駅が思い出せないことが 判明(^^;。急遽くらさんに電話する。最寄り駅は摂津富田。新快速も快速も止まらない…。 4時半過ぎに摂津富田に着く。ここで、こづ邸がマンションの何階かを思い出せず、 またHelpを仰ぐ(笑)。今度は久保田さんの携帯。そこで一緒にいた藤原ちゃんに 「8Fだよ」と教えられて、いざこづ邸へ。 こづ邸にはまだだれもいない。こづは一人でDiabloをしていた(笑)。6時が集合時間だった らしい。とりあえずPCのマニアックな話で2人で盛り上がる(^^;。うーん、こんなんばっかしか。 5時過ぎにくらさん到着。白菜やらなにやらをお土産で持参。で、スープを作り始めるくらさん。 その間僕とこづはまたマニアックな話へ…。 6時過ぎて、こづと2人で買い出しに出ようとしたら、ちまちゃんとやすげ、中村ちゃん、大介くん、 金馬ちゃんが現れる。買い出しでは、太巻きを購入。これは、関西では太巻きを節分に 食べる習慣があるからだそうだ。食べるときも、恵方(毎年かわる)を向いて笑顔で 無言で食べるらしい…。初めて知った。 メンバーがそろうまでUNOをする。これが夜中にかなりはまるのだが…。 7時近くになって久保田さん、藤原ちゃん、つっきー参上。だいたいこれで全部かな。 で、食事を始める。持参したカメラで太巻きを食べる写真は撮ったので、そのうち公開予定。 かなり奇妙な光景だった…。 太巻きはかなり美味しかったが、くらさんのつくったスープも美味しい。それからみんなが 持ち寄ったお菓子なども食べる。 一通り食べ終わった後くらいに、くらさんの自作酒をみんなで回す。イースト菌を 使って発酵させたとかで、かなりパン臭いお酒だった(爆)。2本作ってきて、 1本は水から、2本目はオレンジジュースから作ったらしい(^^;。オレンジの方は すでに砂糖が完全に発酵していて全然オレンジの味がしない。世にも奇妙な味だった…。 9時近くに藤谷君現る。しかし、卒研の仮発表が翌日ということで、11時前には 帰っていってしまった。先週新宿で飲んでいるから、今回は強くは引き留めない(笑)。 夜も更けてきて、みんなでUNOをすることに。これが、面白いルールを用いて 行われた。その名も、「Active UNO」…。どこぞのゲイツ君が喜びそうな名前だ(笑)。 これは、全く同じ色、同じ種類のカードを持っていると、順番に関係なく出すことができ、 出した人から順番になる、というもの。文字で書くとよくわからないな(^^;。 とにかく、そのルールのおかげで、自分の出す番じゃなくても常にカードを見ていないと 勝てなくなり、かなり白熱したゲームに(笑)。 結局3時過ぎまでやっていたかな。それからお休みタイム。しかし、10人が6畳で 寝るのはやはり不可能だった…。結局5時くらいに大介&中村ちゃん、それから つっきーは帰っていった…。
最近磯村のページを見たら、ちゃっかり更新されていました(笑)。そのページは 下記にあるので、ご参照を。 その中の話で、職業のレベル、というのがあったので、僕なりの反論をば。 諸坂先生の話で、「少しでも上のレベルを目指せ」という話があったのです。 そこで、磯村は「職業にレベルがあると先生は考えているようだけど、 それは違うと思う」と書いているのです。 しかし、最初の認識が違うと思う。僕が聞いた印象は、職業そのものに ランクがあるのではなくて、同じ職業の中でもいろんなレベルがある、という ことをいいたかったんだと思う。もちろん、諸坂さんは職業に貴賤あり、と 考えてそうな人ではあるけど(笑)。 上記の書き方じゃよくわからないだろうから、僕の印象を例を使って説明しますね。 僕の職種はSEになるわけですが、SEとして必要な能力は、最新の通信・情報技術と、 顧客との交渉能力です。 しかし、諸坂さんのいう「高いレベル」とは、上記の能力にプラスして、ビジネスプロセスの 観点から業務を見たり、経営者的な視点を持つこと、だとおもうのです。それによって 単なるSEではなくて、コンサルタント的な能力を持ったSEになる。 きっとこういうことを諸坂さんはいいたかったんだと思うのです。どの職業が レベルが高いか、ということではないと思う。 で、この考えは非常に大事だと思うし、僕自身心がけてきたこと。常に 向上心を持って、自分の器を大きくするのは大切だと思います。http://www.din.or.jp/~fiso/nikki/19971225.html