written by FUJIWARA


 

The Next Generation of  "NEON GENESIS EVANGELION"

第3話 絆、奪わな

 

 

 

暗闇の中を、アイは走り続ける。

パタ、パタ、パタ……。

辺りに響くのは、自分の足音だけ。

自分がどこを走っているのか、どうして走っているのかは分からない。ただ、いいようのない恐怖を感じながら、アイは走る。

薄い紅茶色の髪を振り乱して。

レイに買ってもらった、お気に入りの赤いパジャマで。

裸足で。

「助けてよ……、助けて、誰か……!」

助けを求めながら、固いアスファルトの上を走る。

蒼い瞳から涙が滝のように流れ出ているが、アイは涙を拭おうともせず、ひたすら走る。

 

 

ウオォォォォォーーン

 

 

時たま背後で響く、不気味なうなり声。

しかし、アイには振り返ってそれが何かを確かめる勇気はない。

だから走り続ける。

足からは血が噴き出していて、地面を踏みしめるたびに激痛が走るのに、アイは足を運ぶのを止めない。

「助けて……、ママ!」

母と慕ってやまない、蒼銀の髪の女性の名を呼びながら、アイは走る。

 

 

一体どれだけ走っただろうか。アイにはもう、時間の概念は失われていた。

それでもアイは走る。

足を止めたら最後、不気味なうなり声をあげる何者かに襲われるかもしれないから。

 

 

やがてアイの前方、暗闇の中に一寸の光が現れる。

すると目の前が一気に明るくなって、レイが現れた。

「ママ!」

涙で顔をぐしゃぐしゃにして、アイはレイの胸に飛び込んだ。

「ママ……、ママァ!」

恐怖からようやく解放されたという安堵感で、アイはレイの胸の中で泣き叫んだ。

だが、レイはその場に突っ立ったまま。一言も口にせず、アイを抱きしめてもくれない。もちろん、アイの髪を撫でてくれることもない。

「……ママ?」

アイは訝しげに見上げた。

 

「……!?」

そこにいたのは、レイではなかった。

四つ目の、真っ赤なロボットのようなもの。

そしてそのロボットは、不気味に笑った。

 

 

 

その嫌らしい笑みを見て、アイは声を限りに叫んだ。

「イヤアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

ガバッ。

アイは自らの叫び声で、ベッドから飛び起きた。

アイの全身を、冷たい汗が濡らしていた。

大きく肩で深呼吸しながら、恐る恐る辺りを見回す。

暗闇の中、「3:00AM」という緑色の文字が妖しく浮かんでいた。

「あんなモノ、見たから……」

アイは小さく、呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それより18時間ほど前。アイはレイと共に、第3新東京市とネルフ総本部を結ぶリニアトレインの座席にいた。

「すごい……! ここがママの働く場所なのね」

生まれて初めて見るジオフロントにアイは感嘆の声をあげる。

信じられないくらい広い空間。地底だというのに地上と変わらないくらい明るく、湖や森林まである。

窓の外を食い入るように見つめるアイに、隣に座ったレイは優しさと不安が入り交じった視線を向けている。

 

「地上にある集光ブロックで集めた光をひいているの。だから地下でもこんなに明るいの」

アイに説明するレイ。

アイは興奮を隠せないまま、レイの話を聞く。

「ほら、あれが私の働いているところ……」

レイはジオフロントの中ほどにある、ピラミッド状の建物を指さした。かつて「世界再建の要、人類の砦」とまで呼ばれたネルフ総本部が、普段と変わらない姿で森林の中にたたずんでいた。

「こんなところで働いているなんて、ママってすごいんだね」

「……そうね」

レイはアイににこやかに微笑みかけた。

 

 

 

 

 

トウジとヒカリの店で夕食をとった翌朝、レイはミサトからの突然の呼び出しを受けてジオフロント内にあるネルフ総本部に向かっていた。

こうしたことはこれまでに何度もあったことで、珍しくも何ともない。

だが、今日は違った。

レイの隣には、薄い紅茶色の髪の少女が座っていた。

いつもの制服姿。

登校前の準備を終え、ちょうど朝食をとっている最中にミサトから電話がかかってきたのだ。

電話をとったのは、レイだった。

 

『レイ……? 私よ』

『……おはようございます』

『おはよ。急で悪いんだけど、いますぐ本部まで来てくれるかしら?』

『分かりました』

 

アイはこんがり焼けた食パンにバターを塗りながら、電話で話すレイの後ろ姿を不安そうに見つめる。

 

『そうそう、今日はアイも連れてきてちょうだい』

『……どうしてですか』

『ちょっち、ね』

電話を切る前の何気ない加持ミサトの言葉が、レイの心に残った。

 

(何かあったというの……? アイを連れてこなければならないこと……。まさか、使徒……? いえそんなはずはない。使徒はもういないのだから。じゃあ、何?)

不安。

(たとえどんなことがあっても、アイは私が守るわ。だから心配しないで、碇君……、アスカ……)

レイは自分にいい聞かせ、アイにきょうの学校は休むよういった。

 

 

 

 

ジオフロントを周回するリニアトレインは、ゆっくりとスピードを落とし始め、ネルフ総本部前のホームに滑り込んだ。

シューッと空気が抜くような音がして、扉が左右に開かれる。

ぴょんっとジャンプして列車から降りたアイに、近寄る人物がいた。

ネルフ作戦担当副司令、加持ミサト。

「待っていたわ、レイ。それから……アイ」

「おはようございます、ミサト、さん……?」

アイの口調が変わる。

 

(初めて見る、こんな怖いミサトさんの顔……)

 

アイは小さいころからミサトのことを知っている。

レイの古くからの知り合いで、仕事上での上司。

幼なじみである加持ミサキの母親。陽気でちょっと酒癖の悪いお隣さん。

レイ同様、本当の娘のように可愛がってくれ、家族の暖かさを教えてくれた、大切な人。

だが、今日のミサトにいつもの笑みはない。赤い服に身を包んで厳しい視線でアイとレイを見つめるミサトに、アイは一瞬、恐怖さえ感じた。

 

「おはようございます。加持副司令」

冷静なレイの言葉を耳にして、アイが怪訝そうな顔をする。

「ふくしれい……? 副司令って……、なに?」

 

疑問に思うのも当然だった。アイは、レイやミサトがどんな仕事をしているのか全く知らされていないからだ。

自宅に白衣が何着かあることから、レイは何かの研究者だと思っていた。

 

ミサトは唖然とした様子のアイに向き直る。

その顔に不安を一杯に浮かべて自分を見つめているアイに、一瞬、ミサトの心が痛んだ。

「初めまして、アイ。私は特務機関ネルフ作戦担当副司令、加持ミサトです」

石膏で固めたような無機質のミサトの声が、アイの心を貫く。

 

 

普段とは全く違うミサトの冷たい口調と、意味が分からない言葉にアイは呆然となった。

「とくむきかん……?」

「説明はあと。2人とも、私についてきてちょうだい」

そんなアイをよそに、先頭をきって歩き始めるミサト。仕方なく、アイもレイの後について歩き出した。

「大丈夫、アイ。私がついているから、心配しないで」

そういってレイが手をつないでくれる。

冷たい手を通してレイの温かい心が伝わってくる。

アイは少しだけ安心した。

 

(いつもと感じが違うミサトさん、副司令、特務機関……、一体、何なの? 何か起こっているの?)

アイはレイに小声で聞いてみたが、レイは無表情のまま、答えてはくれなかった。

 

 

 

 

 

アイとレイが通されたのは階段状になった大きな部屋だった。

座席に向かって大きなスクリーンが備え付けられてある。座席には誰も座っていなかったが、スクリーンの前に金髪に白衣という格好をした女性が立っていた。

赤木リツコである。

(ミサトさんと同じくらいの年なのかな……、若く見えるけど)

初めて見る女性に、アイは戸惑う。

 

「碇アイさんね? ようこそ、ネルフ総本部へ。私は赤木リツコといいます。よろしく」

「初めまして……、碇、アイです……」

 

にこりともしないリツコに、アイはどもりながら応じた。

ただでさえ知らない人と話すときは臆病になってしまうのに、こんな応対をされると恐怖感さえ覚えてしまうアイだった。

無意識にレイの手を握る右手に、力を入れてしまう。

 

(こんなにアスカにそっくりなのに、人見知りするのはシンジ君の影響なのね)

少しおかしくなって、リツコは口元に笑みを浮かべた。だが、すぐに表情を引き締め、冷酷な科学者の顔に戻る。

 

「赤木副司令。どうして今日はアイをつれてくるよう……」

「レイ。黙って」

レイが話しかけようとするのを、ミサトは冷たい声で制した。

ぐっと唇を噛み、レイは黙った。

 

 

「説明するわ。碇アイさん。まずはこれを見てちょうだい」

そういってリツコは白衣のポケットからリモコンのようなものを出し、スイッチを押した。

室内が暗くなり、スクリーンに光が灯る。

やがてスクリーンに映し出されたのは、ビルの高さほどもある人のようなものだった。四つ目で、真っ赤。テレビアニメでよく登場するロボットのような。

もちろん、アイはそんなものを実際に見るのは初めてだ。

 

アイはスクリーンに目をやりながら、呟く。

「ロボット、ですか?」

「……誰かさんと同じようなこというのね」

呆れたようなリツコの口調。

ミサトは無表情だった。

 

「厳密にいうとロボットじゃないわ。『使徒』に対するため、人が作り出した究極の汎用人型決戦兵器、人造人間エヴァンゲリオン。人類最後の切り札。これはその弐号機よ……。ふう、この台詞も何年ぶりかしらね」

「汎用……人型……決戦兵器……人造人間……エヴァンゲリオン……弐号機……」

一句一句、リツコの言葉を繰り返す。

だが、全く意味は分からない。

 

 

「そう。使徒については知っているわね?」

「はい……、でも、あれは国連の軍隊が全て倒したって……!?」

「それは表向きな情報ね。残念ながら事実はそうじゃないわ。2015年……、いまから13年前のことね。ちょうどあなたが生まれる前、第3東京市を使徒と呼ばれる未知の生物が襲ったの。襲ってきたのは全部で15体。サキエル、シャムシエル、ラミエル、ガギエル、イスラフェル、サンダルフォン……」

次から次へと使徒の名前を告げるリツコ。そのたびにスクリーンにはそれぞれの使徒の映像があらわれる。

イカのような、ムカデのようなもの。

八面体の大きな物体。

クモ……?

目玉の化け物。

……。

アイはスクリーンに目を向けたまま、聞いているしかない。

「……アラエル、アラミサエル、そしてタブリス」

第17使徒だというタブリスだけ、映像はなかった。

 

「これらの使徒を殲滅……、ちょっと難しいわね。つまり倒したのはこのエヴァンゲリオンなの。零号機、初号機、そしてこの弐号機。全部で3体のエヴァがあったわ。でも零号機はもうなくなり、初号機は完全凍結。いま動かせるのはこの弐号機だけなのよ」

スクリーンには再び赤い巨人が映し出された。

 

「エヴァのおかげで私たちには一時の平和が訪れた。だけど再び、使徒に匹敵する敵が現れたの。予想では一週間以内。間違いなくここ第3東京市を襲うわ」

リツコは一息ついて、

「そこで私たちはその新しい敵に対抗するためのある計画を生み出したわ。それがZ計画。このエヴァンゲリオン弐号機で新しい敵を倒すの。ミサトと私はその責任者なのよ」

「それとあたしとどんな関係が……」

リツコがミサトに視線を向けると、ミサトは冷たい口調を崩そうとせずにいい放った。

 

「アイ。あなたが乗るのよ。乗って敵と戦うの」

「……え?」

アイの表情が凍り付いた。

 

 

 

 

 

「乗る? あたしがこの……エヴァンゲリオンに……?」

驚きの余り言葉を失うアイ。固い表情を崩さないミサト。

だが、ミサトはそんなアイの様子を見ながら、心の中では涙し、アイの両親に謝罪している。

 

(ごめんねシンジ君、アスカ。私を許して)

 

だが、もうZ計画は発動してしまった。もはや元には戻れない。

ミサトはZ計画の最終責任者である。

ミサトは昨夜泣けるだけ泣いたあと、感情を捨てた。冷徹な指揮官に徹し、再び子どもたちを戦場に送り込む。それこそがいまのミサトにできる、全て。

 

(確実に地獄に堕ちるわね、私)

そうミサトは確信する。

 

顔面蒼白のアイに、ミサトはもう一度いった。

「あなたが乗って、戦うの。新たな敵、……黒いエヴァ量産機と」

「え……? ええ……!?」

しどろもどろになるアイ。

 

「……そんなことはさせないわ」

 

突然の声だった。

痛いくらいに、アイの手が握りしめられる。

信じられない、という思いでアイは声のした方を見上げた。

そこには紅の瞳を燃やして、ミサトとリツコを睨みつけるレイがいた。

「絶対にアイはエヴァには乗せない!」

激昂して叫ぶレイ。アイさえも初めて見る、怒れるレイの姿だった。

 

 

 

 

 

アイはレイに叱られたことがないわけではない。頬やお尻をぶたれたことも何度かある。

だが、そんな時でもレイは決して激昂することなく、静かに、そして悲しい目でアイを見つめるのが常だった。

それだけにアイはレイの怒る姿が信じられなかったし、長年つき合っているミサトやリツコにしてもそうだった。

「アイは私の大切な娘。あの人たちとの大切な絆を危険にさらすわけにはいかないの!」

 

レイの脳裏に、10年前のできごとが甦る。

碇シンジと惣流・アスカ・ラングレーの2人からアイを託された日のこと。

 

ネルフ総本部の一室、出撃前のひととき。

赤いプラグスーツを身にまとった少女が、ぽつりと、レイに呟くようにいう。

 

『レイ。あたしたちにもしものことがあったら……、アイのこと、アンタに任せるからね』

『……何を、いうのよ』

『そのまんまの意味よ。もし、あたしたちが還ってこれなかったら……』

『アスカ!』

『アイには、あたしのような人間にはなってほしくないから』

『あなたのような……?』

『そ。他人を拒絶して、独りで生きていくなんてこと考えているような人間。下らないプライドで目の前の幸せを逃がしてしまうような人間』

『……』

『アンタのことずっと人形みたいだと思って嫌ってたこともあった。でも、いまは違う。いまのアンタなら、アイを立派に育ててくれそうな気がする。素直で、誰にでも優しい女の子に』

『私には……無理よ……』

『そんなことないよ、綾波』

 

彼女らの背後から現れたのは白と青のプラグスーツ姿の少年。

 

『碇君……』

『昔、言ったことがあっただろ? 綾波、お母さんみたいな感じがするって。アイをあやしてくれる綾波を見てると、すごくそんな気がするんだ。綾波ならできるよ』

『そうそう。アンタならできるって。……でも、ま、あたしはそう簡単にやられるつもりはないけどね。ほんの気休めよ。き、や、す、め』

『そうだね、アスカなら大丈夫だよ』

『アンタばかぁ!? アンタもあたしと同じエントリープラグに入んでしょうが。しっかりやんのよ! 無敵のシンジ様だからって手なんか抜いたらコロスわよ!』

『そんなあ、殺されたら生きられないよ』

 

最後の最後までいつもの調子で2人は出撃していった。……そして、還ってこなかった。

 

アイと2人だけになったコンフォート17マンション。

『ねぇ、パパは? ママは?』

涙を浮かべて両親を呼ぶ幼いアイの身体を固く抱きしめながら、レイは呟いた。

 

『アイは私が責任持って育てる。だから安心して、碇君、アスカ』

 

 

 

 

 

10年前の、それは神聖な誓い。

その誓いをむざむざと破られるわけにはいかない。

だからレイは激昂した。どんな手段を使ってでも、アイをエヴァンゲリオンに乗ることだけは阻止せねばならない。

アイがシンジとアスカの二の舞になることなど、まっぴら御免だ。

 

レイの激昂を目の当たりにしたミサトとリツコは驚きの余り、その場に立ち尽くしてしまう。

だが、リツコは持てる力を総動員して感情を押しとどめた。

「レイ。あなたの言いたいことはよく分かったわ。でも私は、あなたじやなくて碇アイさんの意見を聞きたいの」

その場にいる全員の視線がアイに集中する。

「あたしは……」

アイは自らの両脚が、ぶるぶると震えるのを感じていた。

 

 

 

 

 

再び、現在。

アイは知らない部屋の中で、涙を流しながら呟いた。

「怖いよ……、助けてよ、ママ……」

 


<2000.08.02>