written by FUJIWARA |
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The Next Generation of "NEON GENESIS
EVANGELION"
第6話 愛、この手に抱いて
狭い部屋に流れる、チェロの調べ。 アイの得意なナンバー、バッハの無伴奏チェロ組曲第1番ト長調のプレリュード。 そういえばこの曲を最後に弾いたのはいつだっただろう? 両手に注意を払いながらも、アイは考える。
そうだ。 エヴァンゲリオン弐号機のパイロットになることを了承した前の日だ。 「ami」で食事をする前。 学校から帰ってきて夕食の準備をする前、何故だか無性にチェロが弾きたくなった。 夕焼けに向かって弾いていたら、いつの間にかレイがいて、チェロを聴いてくれていた。 (ママ……) 蒼銀の髪の女性のことを、アイは考える。 そして、 (お父さん、お母さん……) ベッドの横に立てかけてある写真を、アイは思い浮かべた。 背後では加持リョウジが、優しい瞳でアイを見守っていた。
「13年前の使徒との戦いで、君のお父さんとお母さんはそろって心を壊した」 タバコに火をつけて、リョウジは話し出した。 「……心を、ですか?」 「そう。シンジ君は人を傷つけることしかできないことに恐怖を抱き、エヴァンゲリオンのエースパイロットであることに誇りを持っていたアスカは、シンジ君に負けたくないという焦りから徐々に心が蝕まれていった」 「……」 使徒を見たことがないアイにはその戦いがどれだけ凄まじかったか想像できず、どこか異世界の話を聞いているような感じだった。 「そしてついにアスカは使徒に敗れ、パイロットの誇りを砕かれて入院。シンジ君も大切な友だちを手にかけたショックで同じように心を壊した。そんな2人を、大人たちは誰も助けることができなかった。俺も死んでいたしな」 「加持のおじさん、死んだの?」 目を丸くして、アイは訊ねた。 「はは。死んだっていうのはもちろんカモフラージュだよ。俺は碇司令の命令で、ゼーレという組織を滅ぼすためにヨーロッパに出ていた。急だったから誰にもいってなかったんでな、帰ってから思いっきりミサトに殴られたよ」
発令所に向かう通路で、1年ぶりに邂逅する男女。 『……加持?』 『よう、久しぶりだな、葛城』 『あんた、死んだんじゃなかったの……?』 『ん? ああ、そういや俺、死んだことになってたん……』 パシィィィィィ! いきなり平手打ちを受け、胸にタックルを受けたリョウジは泣き叫ぶミサトをただ黙って抱きしめてやることしかできなかった。
「……シンジ君は心を壊しながらも、傷ついたアスカをたった1人で看病した。アスカを看病することで、バラバラになりそうな心を無理矢理、抑えつけていた。そんなシンジ君を、アスカは激しく拒絶した」 「拒絶?」 「そう。アスカの心の荒廃は、俺たちが予想した以上のものだった。アスカはシンジ君を憎んで憎んで、憎み続けた。殴る蹴るなんて当たり前、時にはシンジ君を……」 一呼吸おいて、リョウジは続ける。 「……殺そうとさえした」 ハッと息を呑むアイの顔面は、蒼白状態だった。
『ほらシンジ、気持ちいい? 気持ちいいでしょう?』 金髪を振り乱して、血走った目でシンジの首を絞め続けるアスカ。 『気持ちいいっていってごらんなさいよ! ほら、ほら!』 虚ろな瞳で、ただ首を絞められるままになっていたシンジ。 アスカの病室に大人たちが入ってくるのがあと少しでも遅れていたら、シンジの命は失われていた。
「やっぱり、お父さんとお母さんは愛し合っていたわけじゃないんですね」 その言葉にリョウジは小さく笑った。 「そう結論づけるのはまだ早いさ」 「え……? だって……」 「実はアスカはシンジ君を嬲りながらも、心の片隅では後悔していた。ずっとそばについてくれていたシンジ君に感謝していた。そのときのアスカは、もうシンジ君なしでは生きられない状態だった。多分、自分では意識してなかったんだろうが、アスカはシンジ君を、愛し始めていたんだ」 「……」 「一方、シンジ君はアスカに愛情を抱きながらも、自分にはその資格はない、と思いこんで気持ちを心の奥底に閉じこめていた」 「じゃあ2人はどうして愛し合うようになったんですか?」 「君の両親を結びつけたのは、碇ゲンドウ。いまは亡くなられていないが、当時のネルフ総司令で、君のおじいさんにあたる人だよ。碇司令はアスカを生まれ故郷のドイツに送り返そうとした。それをシンジ君が激しく拒否したんだ」
『アスカをドイツに送り返す!? 何いってんだよ、父さん!』 『セカンドチルドレンの心の荒廃は目に余る。それにもうエヴァンゲリオンにシンクロすることもできん。ネルフはあんな荷物をいつまでも置いておけるところではない』 机の上で両手を組み合わせたいつものポーズで、ゲンドウは肩を震わせながら立ち尽くすシンジにいい放つ。 『それにシンジ。お前にも危害を加えられてはこちらがたまらん』 『だけど、ひどすぎるよ!』 『シンジ、何故そこまでセカンドチルドレンにこだわる。お前はセカンドチルドレンのことをどう思っているのだ』 『そんなこと、関係ないじゃないか!?』 『いえないのか、シンジ』 『……』 開いたり、閉じたりを繰り返すシンジの右手。 やがてシンジは答えた。 『す、好きだよ。僕はアスカが好きなんだ』 顔を真っ赤にしていうシンジに、ゲンドウは皮肉な笑みを浮かべた。 『尻の青い子どものたわごとにはつき合ってはおれん。……加持君、セカンドチルドレン送還の件、君に任せよう』 ゲンドウの隣で立つリョウジは、黙ったまま頷いた。 『父さん!』 『シンジ。セカンドチルドレンを好きなら、何故本人に向かってそういわないのだ』 ぐっと言葉を呑み込むシンジ。 『……僕には、アスカを愛する資格なんてないから』 『愛か。愛とは何だ、シンジ』 『……そんなの分かんないよ』 『ただ黙って見守ることが愛なのか。誰かのために犠牲になることが愛なのか。それだけではあるまい』 『……』 『人を愛するに、資格などいるのか』 『……だって、僕は……』 『愛情を求めている人間に、上辺ではなく、心から答えてやるのも愛ではないのか』 『どういう意味だよ』 『さあな……。あとは自分で考えろ。お前がいま、何をなすべきかを、な。最後にいっておこう。セカンドチルドレンの送還は明日の午後1時。ただし、セカンドチルドレン自身がドイツに戻るのを拒否した場合、この送還計画は白紙になる』 シンジが執務室を出ていくと同時に、リョウジはニヤニヤしながらいった。 『碇司令も、父親だったわけですか』 『フッ……。シナリオ通りだ。……あとは任せたぞ、加持君』
「結局碇司令の思惑どおり、シンジ君はアスカに自分の気持ちを打ち明けた。シンジ君の本心を知ったアスカも、心からシンジ君に応えた。そのシーンは俺は見てないが、アスカの病室をモニタしていたミサトによると、 『もう背中がかゆくなって、かゆくなって〜』 とのことだ。こうして、2人は心からお互いを理解し、愛し合うようになり、君が生まれた」 「そう、なんだ……」 「もちろん、俺たちは子どもができることまでは予想できなかった。堕ろさせることも考えた。だけど、2人はきかなかった」
『この子を殺すことなんてできない……、できないよぉ……!』 泣きわめくアスカ。 『お願いしますミサトさん、リツコさん、加持さん。僕とアスカの子どもなんです。僕たちが責任もって育てます。だから、お願いです。僕たちの子どもを殺さないで下さい!』 土下座までして、大人に頼みこむシンジ。 その2人の姿に、大人たちは何もいえなかった。
「それだけシンジ君とアスカは君の誕生を望んだんだよ。確かに生まれてすぐは最悪だったと俺も思う。だけどそんなものはすぐに時が解決してくれた。君を囲んで、あの2人はとても幸せそうだった」 熱い感情が、アイの胸の奥からわき起こってくる。 「10年前、俺たちはあの2人に出撃させることを最後までためらった。だけど2人は、『アイがいつまでも幸せでいられるような、笑っていられるような世界を創りたいから』といって出撃したんだ」 リョウジは少し暗い表情になって、 「……だが、2人は戻ってこなかった。出撃前、2人は君のことをレイに託した。自分たちの代わりに君を育ててほしい、明るくて優しくて、素直な少女に育ててほしいと願って。だからレイは2人の代わりに君を育てた。決して、君をエヴァに乗せるために育てたんじゃない。レイは君を心から愛しているのを分かってやってほしい」 「……ママ」 「俺やミサト、冬月司令、りっちゃんたちネルフの人間は君からどう思われても仕方がない。いまさら許してくれといっても許してくれないと思う。だが俺を含めて全員、君のことを大切に思っていることは確かだ。パイロットじゃなくて、1人の人間として。いまは無理だが、いつか分かってくれると嬉しいな」 アイはこっくりと頷く。
リョウジは優しく笑って、 「今度乗ることになるエヴァンゲリオン弐号機。あのとき出撃した2人は、いまも弐号機の中にいる。娘を守らない親なんてどこにもいないさ。エヴァに対して、心を開いてみるんだ。そうすればあの2人が応えてくれる」 「……はい」 「それから、あのチェロ」 リョウジは個室の隅に無造作に立てかけられてあったチェロを指さした。ここに移ってからミサトがコンフォート17マンションの自宅から持ってきてくれたものだ。 だが、これまで1度も手にしたことはなかった。 「あれが……?」 「君はあのチェロについて何て聞いている?」 「昔から、家にあったものだって……」 「あのチェロはシンジ君が使っていたものなんだよ」 「お父さんが!?」 「そう。君が夜泣きしたときなんかに子守唄がわりにシンジ君はチェロを弾いたものさ。君とアスカのためにね」 アイは思わずチェロを手にとってみる。 (これがお父さんの形見……) 愛おしそうにケースを撫でる。 「一度、弾いてみてくれないかい」 アイは頷き、チェロケースを開いた。
バッハの無伴奏チェロ組曲。 それはシンジが初めてアスカに聴かせた曲。 赤ちゃんのアイが寝つけなかったときに、子守唄代わりにシンジが弾いてあげた曲。この曲を耳にすると、不思議とアイは落ち着いてすぐに寝入ったものだった。 そして、レイがよくCDで聴かせてくれた曲。 弓を使いながら、アイは本当の両親のことを考える。 写真でしか見たことがない両親。 あのエヴァンゲリオンのパイロットで使徒に立ち向かい、最後は命を捨ててまで世界を救ったという両親。 いまも弐号機の中に眠るという両親。 その両親と暮らすことができたのはたった3年間。そのころの記憶など、残っているはずがない。
(だけど) アイは感じる、両親の愛情を。 チェロを弾いていると、いつも心が温かくなった。レイではない、誰かの存在を身近に感じることがあった。リョウジに教えてもらって、初めてそれが何だったのか分かった。
(本当のお父さんとお母さんがあたしを見てくれていたんだ。お父さん、お母さん……。あたしが心を開いたら会ってくれるかな……? 会って、みたいな……) チェロの音色がアイの心を映し出ている。 心が温かくなる、柔らかなメロディをリョウジは耳にして、呟いた。 「バッハの無伴奏チェロ組曲か。シンジ君が得意だった曲だな」 「お父さんも!?」 ぴたり、とチェロの音色がやむ。 「ああ。シンジ君が一番得意にしていて、アスカが一番大好きな曲。それを君が弾くとは……、いや、偶然とは面白いものだな」 アイが嬉しそうに再び弾き始めるのを見て、リョウジは心の中で安堵した。
(もう、大丈夫だな)
リョウジがアイの部屋から出ると、ミサトとリツコが腕を組みながら立っていた。 「お疲れさま、加持君」 「や、ミサトにりっちゃん。遅くまでご苦労さん」 「あんたがアイを襲わないか心配で、ずっと見張ってたんでしょうが!」 「素直じゃないね、相変わらず」 「それからあんた、アイの部屋でタバコ吸うのやめなさいよ」 「おやおや、それは失礼。だけど、灰皿が置いてあったぞ」 「さっき、私が置いておいたのよ」 リツコの言葉に3人は互いに顔を見合わせて笑うと、そろってその場をあとにした。 アイの部屋からはなおもチェロの音色が流れ続けていた。
その翌朝、アイのシンクロテストが再び実施された。 シンクロ率62パーセント。 それがアイの出した数字だった。 |
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<2000.08.04> |