written by FUJIWARA |
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The Next Generation of "NEON GENESIS
EVANGELION"
第13話 再び始まる日常
碇アイの朝は早い。 午前6時、目覚まし時計が鳴ると同時に目を覚まし、ゆっくりとベッドに上半身を起こす。 その母親は低血圧気味で朝はことのほか苦手だったが、娘は寝起きは良いほうだ。アイは欠伸を一つし、大きく伸びをして眠気を飛ばす。 実のところ、訓練中の朝5時起床に比べれば6時に起きることなど何の苦痛でもない。 ベッドに起きあがったまま、アイは部屋の中を見回す。 一週間ぶりに帰ったコンフォート17マンションの自分の家、自分の部屋。 机の上も、本棚に並んだ本も、ステレオの上に積まれたMDも、全て一週間前にアイが出ていったときのままだ。チェロケースでさえ、再び元の場所に置かれてある。 正直、無事にこの部屋に戻ってこれるなんて思っていなかったから、何もかもが新鮮に映る。 最後に、アイは枕元にある写真立てに目を向けた。 そこには、まだ赤ちゃんの自分を抱いた、本当の両親の写真が飾られている。 弐号機で出会った、両親。 「おはよう、パパ、ママ」 アイはニコッと笑顔を見せて、初めて写真の中の両親に朝の挨拶をした。 窓から朝日が射し込んできている。今日も天気は良いようだ。
アイはベッドから起きあがると、赤いパジャマ姿のまま洗面所に向かった。 歯を磨いて顔を洗い、豊かな薄い紅茶色の髪を丁寧にブラッシングする。 かつてこの家に住んでいた母親は、たとえ遅刻することになっても朝シャンは欠かせなかったが、家事全般を任されているアイにはそんな余裕はない。 それに朝からシャワーを浴びると、その音で気持ちよく眠っているはずのもう1人の母を起こしてしまうかもしれなかった。 アイは洗面所から出ると、台所に入ってパジャマの上からエプロンをつける。 そのエプロンは、かつて父親が使っていたものだ。 「えっと……、卵でしょ、ウインナーでしょ、それから唐揚げとコロッケとマカロニサラダ……」 冷蔵庫の中身を確認しながら、朝食と昼食のメニューを考える。 しばらく見ていなかったが、冷蔵庫の中はきちんと整頓されていた。 「決めた。炒り卵にしよっと」 油で温めたフライパンに卵を割り入れ、調味料とパセリの粉末を入れて手際よく箸でかき混ぜる。そのかたわら、昨日のパーティーで余った料理を電子レンジで温める。 卵が焼き上がったあと、今度は小さく切ったウインナーを入れて炒める。 ピピピ、と軽い電子音がして、ご飯が炊きあがったことを知らせた。トースターに食パンを2枚セットしたあと、炊きあがったばかりのご飯を弁当箱に詰める。それから紅茶を入れるためにお湯を沸かす。 キッチンの中を所狭しと動き回るアイは、かつての父親にそっくりだった。 一週間ぶりだが、普段の調子でたくさんのプロセスをこなしていく。
やがて、壁にかけてある時計が午前7時を示すころ、眠そうな顔で蒼みがかった銀色の髪をした、アイのもう1人の母が起きてくる。 「……おはよう」 「おはよう! ママ!」 アイはいつもの明るい声で、母と呼んで慕う綾波レイに挨拶した。 レイがテーブルにつくと、アイもエプロンを外してテーブルにつく。 レイはときおり欠伸をしながら、新聞に目を通す。 アイはレイのためにパンにバターを塗ったり、紅茶を入れたりと忙しい。 朝食を食べ終え、食器を流しに運んだあと、アイは自分の部屋に戻って制服に着替える。 食器を洗うのは、レイの役目。 「じゃあ、ママ。行ってきます!」 「……行ってらっしゃい」 穏やかなレイの笑みに見送られながら、アイは久しぶりの学校に向かった。 その髪には、母の形見の赤いインターフェイス・ヘッドセットが太陽の光を受けて輝いていた。
アイが自宅を出るそのころ、第壱中学校の校長は新任の教師を前に憮然とした表情を崩せずにいた。 校長の前に立つその青年、中肉中背で眼鏡をかけているが、身体つき、顔つきの面からいえば特筆すべきことはない。 美男子でもないが、醜男でもない。まあ、よくある顔だ。 だが、青年の身なりは余りに特異だった。 少なくとも、新任の教師には全く相応しくない格好だ。 泥で油で汚れた迷彩模様が入ったサバイバルスーツ、同じく泥にまみれたぼろぼろの靴。足にはゲートルがきちんと巻かれて一見、軍人風。 校長は葉巻を吸おうとライターに手を伸ばすが、ガスが充填されていないことに気づいて苦々しげに舌打ちする。 葉巻を机の上に投げ出して、校長は苛々した口調でいった。 「……何なんだね、その服装は」 だが、その青年は薄ら笑いを浮かべて悪びれた様子もない。 「すみませんね。朝8時までに到着するようとのことでしたので、空港から直接きたもんですから。……時間があれば着替えてきたんですがね」 しらっとした口調で、青年は応じる。 「しかしその格好は何だね。まるで軍服じゃないか」 「私がいた共和国は内戦のまっただ中でしてね。こういった服装でないと、色々と面倒なんですよ」 「まあ、いい……」 校長は憮然と黙り込んだ。 「それはどうも」 沈黙が続く。 校長は憎々しげに青年を睨みつけ、青年は冷笑を浮かべて校長の視線を受け止める。 校長が再び口を開いたのは、きっかり3分後だった。 「相田先生。キミには1年A組を担当してもらうことになる。……あのクラスにはネルフからの干渉があるが、まあしっかりやりたまえ」 「ほう、ネルフですか」 片眉をあげて、新任の教師、相田ケンスケはいった。 懐かしい名前を耳にして、冷笑を浮かべるケンスケの表情が柔らかくなる。 ネルフという名前は、彼の憧れであり、青春であった。10年も前、エヴァンゲリオンという決戦兵器に乗って世界を救った友人たちを間に、ケンスケはネルフにかかわっていた。 いまのケンスケが在るのは、彼らのおかげといっていい。 ケンスケの本業は写真家である。 かつて戦略自衛隊の士官でもあった彼が扱う題材は、「戦争」であり、その道ではケンスケ・アイダの名は世界中に知れ渡っている。 戦争はいつの時代もなくなることはない。世界のどこかで、必ず無益な争いが繰り広げられている。 友人たちが残したこの世界で、いまなお続く愚かな争いを、ケンスケはカメラという手段で表現し、戦争の愚かさ、残酷さ、惨たらしさを世界中に訴えてきた。 「写真による平和使節」として、彼の作品は高く評価されている。
それが突然、中学校の教師になるハメになったのは、かつて世話になった上官から頭を下げて頼まれたからである。 命さえ助けられたことのあるその上官の頼みを、さすがのケンスケも無碍には断れなかった。 その上官の狙いが、第壱中学校を通してネルフの動向を探ることにあるのも分かっていたが、 『……ここの内戦もそろそろ終わりそうだし、1年くらい、まあいいさ』 弾丸が跳び交う戦地で撮影を続けながら、苦笑してケンスケは呟いたものである。 「どうしてあのクラスにネルフが干渉してくるのかワシは知らんが、あの組織のことだ。ありふれた理由でないことは確かだ。先日の避難訓練の際にも、裏で動いていたようだしな」 量産機が第3新東京市を攻撃してきたとき、一般の住民は避難訓練との名目で3日間疎開していた。 当然、ケンスケの情報網はその避難訓練が再びエヴァンゲリオンを出撃させるためのカモフラージュであったことを突き止めている。 情報によると、エヴァ弐号機が出撃し、黒い量産機を撃破したそうだ。 弐号機に誰が乗って戦ったのか、までは突き止められなかったが。 「まあ、気楽にやりますよ」 表情を消してケンスケはいった。 (面白くなりそうだな) 心の中で薄笑いを浮かべながら。
バサッ、バサッ アイが下駄箱の扉を開くと同時に落ちてくる、手紙の山、山。 一週間分のラブレターが、アイの足元に散らばる。 「やっぱり……」 アイは小さくため息をついた。登校中から嫌な予感はしていたのだ。 隣に立つミサキを見ると、同じように下駄箱かにこぼれ落ちるラブレターにうんざりしている様子だった。 「おっはよ、アイ! 久しぶり!」 「一週間も学校休んで、どうしたのよ!?」 「おはよう碇さん」 次々に声をかけてきてくれるクラスメイトに笑顔を返しながら、アイは散らばったラブレターを拾い集めた。 まだアイは誰とも交際するつもりはないから無視してやればいいのだが、一応アイは全てに目を通し、本人にきちんと断ることにしている。 ただ、どうしてもそのことに時間をとられるので、煩わしく思うこともある。 「アイ、何通あった?」 ミサキが問いかける。 「分かんない……」 「私は12通……。でもお互い、伝説にはまだまだよね」 ミサキは悪戯っぽく笑っていった。
第壱中学校に伝わる伝説。それは13年前、この学校に通っていた女子生徒にまつわる話。何でもその少女は1日に最高で100通以上のラブレターを貰ったという。 さらにこの伝説には続きがあって、その女子生徒は貰ったラブレターを足で踏みつぶし、全て捨ててしまったそうだ。 もちろんその女子生徒とは、惣流・アスカ・ラングレー。 アイの実の母親。 『バッカみたい。いいたいことがあるんなら堂々といったらいいじゃないの。男らしくないわね!』 の捨て台詞ともに、現在まで語り継がれている。 もっとも、「堂々といって」も、玉砕するのだが。
教室に赴き、何人かのクラスメイトと言葉を交わしたあと、アイは自分の席に座って貰ったラブレターを確かめた。 全部で31通。 なぜか、女の子からの手紙も5通あった。 (はあ……、うんざり) 一人ひとり断って、そのたびに相手の悲しそうな顔を見るのは余り好きではない。 そのときちょうどチャイムが鳴ったので、アイは中身を読むのをやめて全部机の中に閉まった。 隣の席に座るクラスメイトが声をかけてくる。 「ねえアイ、知ってる? きょうから新しい担任の先生がくるんだよ」 「そうなんだ 新しい先生ってどんな人?」 「さあ? よく分かんない」 クラスメイトがそういったとき、ガラガラッと扉が開いて眼鏡をかけた、軍服のような格好をした青年が入ってきた。 呆気にとられた表情で、クラス全員が奇妙ないでたちの青年を見つめる。 「何……、あれ?」 「あの人が新しくくる先生?」 ひそひそ声があちこちで漏れる中、クラス委員長のミサキは我に帰ると「起立!」と声を張り上げた。 「礼!」 本当にこの人、教師なのか!? 誰もが半信半疑のまま、頭を下げて着席する。 そのあと、ケンスケはおもむろにチョークを取り出して黒板に自分の名前を書く。 「俺の名前は相田ケンスケ。きょうから君らを受け持つことになった。受け持ちは保健体育だ。みんな、よろしく頼むよ」 校長の前では見せなかった人懐っこい笑みを浮かべて、ケンスケはいった。 その笑顔で、クラス全員の疑惑が和らぐ。 「んじゃ、出席をとるからな。全員元気良く返事してくれ。まずは男子からだな。……浅間ヒロシ!」 次々に名前が呼ばれている中、アイはじっとケンスケの顔を見つめていた。 (あの先生、どこかで会ったことある……) アイはどこかで、この軍服姿の青年に会った気がする。 どこでだっただろう? 「よし、男子はこれで終わりだな。次は女子だ」 女子の出席番号1番はアイである。アイは小さく咳払いして、いつでも返事できるよう身構えた。 「いか……、り?」 だが、ケンスケの口から漏れたのは、点呼ではなくて疑問の声だった。 「……はい」 返事をしてもよいのかどうか、一瞬アイは迷ったが、ケンスケがそれ以上何もいわないので、仕方なくアイは小さな声で返事をした。 目を丸くして驚いた表情で自分を見つめるケンスケに、アイは確信する。 (やっばりあたし、この先生に会ったことある……。多分先生もそれに気づいたから……) しばらくしてケンスケはわざとらしく咳払いを一つしてから例の人懐っこい笑みを浮かべた。 「すまんすまん。すごく可愛い女の子だなって思ってさ。年甲斐もなくときめいたよ」 ケンスケの冗談に、クラス中がドッとわく。 「よし、碇アイは出席、と……。次は……」 出席をとるのを再開するケンスケ。 だが、ケンスケの声はアイの耳には届いていなかった。 (どこで、会ったんだったっけ……?) アイはずっと、そのことを考えていた。
その疑問が解消したのは、放課後、アイが「ami」に寄ったことがきっかけだった。 まだ準備中の店内で熱い紅茶をご馳走になっていたとき、突然ケンスケが店内に入ってきたのだ。 「ケ、ケンスケやないか!?」 「うそっ、相田君!?」 軍人のような格好で入ってきた青年に、思わず声を張り上げて、心底驚いている表情を見せるトウジとヒカリ。 そんな2人は正反対に、ケンスケは落ち着いた笑みを返した。 「やあ、トウジに委員長。久しぶりだな。元気だったかい?」 「久しぶりって、オノレ、いままで何やっとったんじゃ!?」 「そうよ! 結婚式にもきてくれないで! 招待状ちゃんと送ったでしょ!?」 声を荒げて詰め寄るトウジとヒカリだったが、ケンスケは動じた様子もない。 「すまんすまん。ずっと中東で撮影していたんだよ。……それにしてもトウジ、何だよその格好。似合ってないな。やっぱお前にはジャージだな」 「うっさいわい」 「相田君だってその格好、相変わらずね」 「ああ、これが俺のいわばトレードマークだからな」 「でもケンスケ、ほんま久しぶりやな!」 いつの間にか談笑している3人を、カウンターに座ったアイは呆然として見つめる。 ケンスケはそんなアイに気づくと、 「何だ、碇じゃないか。寄り道はいけないぞ」 と冗談っぽく注意する。 「相田先生……」 「先生やと!? どういうこっちゃ!?」 アイの呟きに、トウジが声をはりあげた。 「ああ、ちょっと頼まれてさ。しばらくの間、壱中で教師をすることになったんだ。きょうがその初日さ」 「相田君が教師ですって!? 信じらんない!」 「それはひどいな、委員長」 「アホ。誰かってそう思うわ。ケンスケが先生やっとるなんて聞いたらな」 大きな声で笑う3人に、アイは訳が分からなくなった。 そんなアイに、ヒカリが教えてくれる。 「この人と私たちとは中学校のクラスメイトだったの。アイちゃんはもう忘れたかもしれないけど、アイちゃんがまだ小さかったとき、何度か会ったことがあるのよ?」 ヒカリの言葉に、アイははっと気づいた。 記憶の奥底にある、自分を抱き上げて「高い高い」してくれた少年。まだ小さかったアイを、トウジやヒカリと一緒に面倒みてくれた少年。 「あのときの……」 「思い出してくれたか?」 ニヤッと笑ってケンスケはいった。 「俺も教室で初めて見たとき、正直驚いたんだ。あのとき小さかった女の子が、こんなに大きくなってるなんてな。……綾波は元気か、碇?」 「はい。……って、ママのことも知ってるんですか?」 「綾波も、惣流も、シンジもみんなワシらと同じクラスやったやんや」 「そうなの。トウジと相田君と、碇君の3人で、3バカトリオなんて呼ばれていたのよ」 「そう呼んどったのはヒカリと惣流だけやないかい!」 再び笑い声が起きるなか、ケンスケは急に表情を改めるとアイに訊ねた。 「……シンジと惣流は、まだ帰ってこれないのか?」 父やトウジの親友とはいえ、一般人にそこまで話してもよいのか? アイが不安げにトウジを見上げると、 「大丈夫や。ヒカリとケンスケだけはシンジと惣流がエヴァで消えてしもうたことは知っとる。そやから、別に教えたってもええ」 「……まだです」 アイは表情を暗くして、うつむく。 「そうか。早く帰ってきてくれるといいな」 ケンスケがいったのはたったそれだけだったが、優しい口調に、アイはなぜか心が温まるのを感じていた。 「はい」 だからアイも笑顔になって頷いた。 「よし。きょうはワシらの奢りや。ケンスケ! 何でも好きなもん食うてええで! もちろんアイちゃんもや!」 「委員長の料理を食べられるなんて嬉しいね。何しろ、昔は委員長の料理を食べられるのはトウジだけだったしな」 「ば、ばかいわないでよ! 相田君にだって食べさせてあげたでしょ!?」 赤くなるヒカリに、ドッと笑いがわく。 「そうや、アイちゃん。綾波もここへ呼んだらどうや? 昔の仲間が全員集合や!」 「はい!」 アイも元気よくいって、携帯電話を取り出した。 |
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<2000.08.25> |