LIKE A HURRICANE

 

                                                  後編

 

                         

                                                                 

                                                                                    

                                            

                                                                  

 

 

 

 

 

観客達のざわめきが一向におさまらない。

それらの視線の先に在るのは、異形のリングだった。

 

いや、もはやそれはリングとすら呼べない。

今大会から、より実戦形式を意識して造られたエクストリーム専用闘技場-------。

 

それは決勝と準決勝戦だけに使用される、高さ3メートル弱の防弾ガラスで囲まれた

直径約10メートルの円形の闘技場だった。

 

床面には一般道と同じように、煉瓦が敷き詰められている。

受身をとり損なえば、へたをすると一命すら落としかねなかった。

 

 

 

「なるほど・・・これは面白そうだな・・・」

控え室のモニターでその様子を見ていたゼンイェン・デヴールがうっそりと呟いた。

「おいおい、頼むよデヴール。いくら相手が女だからって甘く見てちゃ------」

 

情けない声で話し掛けてくる同じジム所属のトレーナーを軽く手で制し、デヴールは再び

ソファーの上にゆっくりと身体を伸ばした。

「・・・あと30分経ったら起こしてくれ」

「なっ・・・・おい! あと一時間で試合が・・・!!」

怒気を孕んだ声でトレーナーの男が呼びかけた時には、既にデヴールは眠りにおちていた。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

-------では続いて、WESTゲートからは来栖川綾香選手の入場です!」

歓声と共に綾香が闘技場に姿を現すと、観客達の声は困惑したものへと一変した。

 

それもそのはず、綾香が身に纏っているのは真っ白いブラウスに芥子色のニットベスト、

そしてモスグリーンのミニスカートに紺色のハイソックス-----つまり綾香が今年の春まで

通っていた高校の制服だったからだ。

 

 

「・・・・・・・・」

さすがにデヴールの表情が歪む。

 

ただでさえ欧米人からすると日本人は実年齢より下に見られがちなうえに、制服を着た

ことでその要素は著しく強調され、デヴールには綾香が14、5才にしか見えなかった。

 

更に制服は体型があまり出ない服ということもあって、鍛え上げた綾香の身体のラインを

上手く隠している。ただのミニに見えるスカートの丈の長さ等も、来栖川ラボによる最新の

目線誘導技術を使用していた。

 

だが何より綾香が重視したのは平常心------だった。

 

 

どんなにトレーニングを積んでも試合でそれが発揮できなければ何の意味もない。

スパーリングでは世界ランカーと互角に渡り合っても、試合ではまったくと言っていい程勝てない

選手を綾香はこれまで何人も見てきた。

 

そんな所謂チキンハートと呼ばれるタイプではない綾香だったが、今回はもっと上の次元での

精神状態を必要とする相手だった。

 

余計な緊張は筋肉の反応速度を落としてしまう。

綾香が目指したのは極限までのリラックスした状態で試合に臨むことだった。

その為に敢えて着馴れた高校時代の制服を着用することに躊躇いは無かった。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

試合が始まる五時間ほど前----------。

 

「んんっ・・・んむっ・・・・・・」

会場へ向かうリムジンの中で、綾香は美味しそうに浩之のモノを口に頬張っていた。

 

座席は全てフラットにされ、ダブルベッド以上の空間が車内に出現している。

 

通常の車よりもホイールベースが五倍はある、フルストレッチリムジンだからこそできる芸当だった。

もちろん運転席との間に、完全防音の壁があるのは言うまでもない。

 

昨夜遅く自宅に戻った綾香は、昼過ぎにはこの車で浩之を迎えに行っていた。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

「あ、あのっ、浩之・・・・その・・・・・・!」

まさか玄関前で自分を待っていてくれているとは予想していなかった綾香は、思わず

どもってしまった。身体の方も小刻みに震え出し始めている。

 

「はは・・・らしくねぇなぁ、いつもの調子はどーしたんだよ綾香?」

「そ、それはっ、だって・・・・だって・・・・・」

遂には俯いてしまった綾香を見て、慌てて浩之も昨夜の約束を果たすことにした。

 

「綾香・・・・」

「は、はいっ!」

バネ仕掛けの玩具のように直立不動に姿勢を正す綾香。

その頬は紅潮し、瞳は期待と不安が入り混じった色を映し出している。

 

「その・・・さ、こんなオレでよければ・・・・・・・」

「ひ、浩之・・・・っ!?」

もう既に綾香は視界が溢れる涙で霞んで良く見えなかった。

「まぁ来栖川浩之ってのも・・・いい響きだよな? 綾・・・・」

「うあぁあぁぁぁん!」

 

浩之が言い終わる前に綾香はその広い胸に飛び込んでいった。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

明日、死ぬかもしれない--------。

 

その覚悟が今まで重かった綾香の口を開かせた。

 

  

神岸さんの事もある。

いくら他県の大学に行っているとは言え、自分が強引に身を引かせてしまったようなものだ。

それくらいの自覚は綾香にもあった。

そして浩之が彼女の事を割り切ってしまっている訳では無い事も。

 

更に家の事情もある。

来栖川の名をこれほど重荷に感じたのは綾香は初めてだった。

 

だが逃げるわけには行かなかった。

正面からきちんと対峙しなければならない。

それが出来ないようならば、自分には何の資格も無いのだ。

 

 

そして綾香は昨日の夜、浩之に抱かれた後にプロポーズをした。

 

不思議と声は震えていなかった。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

「ぁあ・・・・んっ」

いつも以上の大きさを誇示するに至った浩之のモノを目にして、綾香が我慢し切れずに

自らの手で熱く潤んでいる部分にあてがう。

 

くちゅっ・・・・・。

淫猥な水音が車内に響いた時には、既に半分以上が綾香の中に埋まっていた。

 

そしてその瞬間、綾香は自分の下で仰向けになっている浩之と目が合ってしまった。

「・・・・・・!!」

綾香は耳朶まで真っ赤にしながら、それでも浩之から視線を外さなかった。

「綾香・・・・・・・」

 

一瞬、軽い振動が地面からリムジン内のシートに伝わってきた。

慌てて浩之が綾香の腰を両手で支える。

「うっ・・・・あはぁっ・・・・!」

腰にしっかりと添えられたがさついた大きな掌。

そこから一気に快感が綾香の全身に広がっていった。

 

気が付くと、綾香は浩之の首にしがみ付いた状態で前後に激しく腰を振っていた。

そうする事で綾香の最も敏感な部分が擦りつけられる事にもなる。

 

「ああん・・・んんっ・・・・ごめん、浩之っ・・・あたし・・・・・・!」

謝りながらも綾香は腰の動きを止めようとはしない。

 

浩之も車中での行為など初めてだったためか極度の興奮状態に陥り、かつてない程

荒々しく綾香の濡れた唇を塞いでいた。

「んん〜っ!・・・んむぅっ!!」

強引に顔の向きを変えられた綾香は口の中に舌をねじ込まれていた。

 

「むん・・んっ、ひろ・・・ゆ、ひ・・・っ!」

お互いの舌先は複雑に絡み合い、相手の口内を、歯茎を蹂躙し尽そうと蠢く。

 

更に浩之の手は白く張り詰めた尻を強く鷲掴みにすると、一瞬、腰の浮いた綾香に向かって

思いきり自分の腰を打ち付けた。

 

「か・・・・・はっ・・・!」

浩之の先端が直に綾香の子宮口を軽く叩いていた。

 

「あ・・・・は・・・あっ・・・・・・!!」

綾香の瞳は中空を見詰めたまま固定され、美麗なラインを描く首筋は無防備に晒された。

その口はだらしなく開けられて淫らな呻き声のみを漏らしている。

 

 

上質な生地と、恐らくは洗練されたカッティングで仕立てられているであろう綾香のブラウスの

前ボタンを、浩之は敢えて無造作に引き千切った。

「あんっ・・・」

その行為すらも快感を高める為のスパイスでもあるかの様に、綾香は嬌声をあげた。

 

ブラウスから文字通り零れ落ちた綾香の乳房は、ブラに包まれていても圧倒的な量感を

浩之の視神経に伝えてきていた。

 

「大きいなぁ、やっぱり綾香のは・・・・」

素直に感嘆の声をあげた浩之だったが、手の方は無意識にその双房を揉んでいた。

「あ・・あん・・・やだぁ、浩・・・・之っ!」

「あっ、悪ぃ、痛かったか?」

「ううん・・・もっと・・・・・ぎゅっとしてっ!」

 

浩之は言われるままにブラの中に指を潜りこませて、固くなった蕾を軽く摘みながら綾香の

真っ白い乳房全体を強弱をつけながら優しく揉み解した。

「ふわぁ・・・・っ、気持ち・・・いいよう」

繋がったままで敏感になっている先端を指先で弄られ、綾香は頭の中が蕩けそうになる。

 

「んんっ・・・浩之っ・・・・・えっちだよぉ・・・」

「・・・・じゃあ、やめようか?」

「あっ、うそうそ!」

綾香が慌てて自分の言葉を撤回しようとした瞬間、浩之は腰を前後に動かして、

桜色の肉芽を激しく擦れさせていた。

 

「あぅあああんっ!」

不意打ちで襲ってきた快感に、綾香は軽く達してしまっていた。

 

「はあ・・っ、はあぁぁ・・・・んあ・・・っ」

浩之に身体を密着させて荒い息を吐きながらも、綾香の其処は断続的に根元を

締め付け続けている。

「綾香・・・・?」

まだ状況がよく掴めていない浩之は心配そうに綾香の顔を覗きこんだ。

 

「あっ!? ダメっ! 見ないで浩之っ!」

あまりにも弛緩しきっただらしない顔を見られるのは、綾香にとって裸を見られることより

何十倍も羞恥心を伴う事柄だった。

 

「ん・・・・綾香もしかして?」

「う、うん・・・イっちゃった・・・・」

 

「そっか、じゃあしばらくこのままでいよう-------」

浩之が綾香の髪を優しく撫でながら呟いた。

「えっ、でも浩之はまだ・・・・・」

胎内に収まっているモノは未だ硬さを全く失っていない。

「いいんだよ、そんなコト気にすんなって。それにもうすぐ試合だろ・・・?」

「浩之は・・・いいの?」

不安の色を濃く滲ませた声が思わず出てしまう。

「ばーかっ、明日から親公認でやりまくれるじゃん、オレ達」

茶化すように乳房を揉みながら言われたその言葉は、綾香の身体に深く染み込んだ。

 

「うん・・・・浩之、明日もいっぱいしようね!」

綾香の目尻には光るものが浮かんでいた。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

試合開始から7秒-------。

 

 

綾香は一定のリズムでデヴールの周りを時計回りにステップを刻んでいた。

 

デヴールから仕掛けて来た場合に備えて、急所が集中している正中線を隠す半身の

体勢で向かい合っている。

 

一方、デヴールの方は視線と身体の向きだけで綾香の動きを追っていた。

 

デヴールの構えはあくまで打撃系のものだったが、昨日の闘いで現在のエクストリームで

グラウンド技術bPのレコバを寝技で倒してのけたあたり、警戒が必要だった。

 

 

 

トッ、トッ、トッ・・・・

 

トッ、トッ、トッ・・・・・・・・・タンッ!

 

相手がリズムに慣れた頃合いを見計らって、綾香は一気にステップの間隔を変えた。

 

 

「おおっ・・・!?」

観客から声が上がる。

 

それもその筈、綾香は身を翻してデヴールに己の背中を向けてそのまま後方に、デヴールの

方へと跳躍していたからだ。

 

 

「む・・・・!?」

さすがのデヴールも虚を突かれていた。

だが半瞬で立ち直ると、迷わず綾香の背中めがけて渾身の正拳を叩き込む。

 

綾香は強烈な恐怖心と戦いながら、後ろ向きに跳んだ直後に急制動をかけていた。

 

漆黒の艶やかな長髪が、その反動で空中に孔雀の羽のように舞い上がる。

 

その黒い壁は僅か一秒弱ほど闘技場内に現れただけだったが、デヴールの拳の軌道を

迷わせるのには充分過ぎる時間だった。

 

 

 

 

「がは・・・・ッ!?」

身体を「く」の字に折り曲げてデヴールが苦悶の声をあげる。

 

 

その腹部には、綾香の肘の先端が5cm程めり込んでいた。

 

即座にサイドステップをして距離をとると、綾香は最も得意とする右のハイキックをまだ

俯いたままのデヴールの後頭部へ放った。

 

「はぁあっ!!」

これが決まればいかにデヴールと云えども立ち上がる事は不可能と思えた。

 

 

 

綾香が勝利を確信した瞬間、ひょい、と無造作にデヴールが頭部を更に深く下げた。

 

デヴールの、男にしては長めの金髪を数本引き千切りながら綾香の蹴りは空を切っていた。

 

 

完全に無防備な綾香の軸足に対して、デヴールの下段蹴りが唸りをあげた。

 

「くうぅっ・・・!!」

辛うじて軸足を地面から跳躍させる事で蹴りを避けた綾香だったが、次の瞬間、全身の

皮膚が粟立っていた。

 

何時の間にかデヴールは綾香の方に脚を向けて地面にうつ伏せになり、未だ空中に留まって

いる綾香の股間めがけて踵を天高く蹴り上げていたからだ。

 

 

軸足を狙った蹴りはこの為のフェイントだった。

 

空中では如何なる姿勢制御も不可能だった。

 

 

 

デヴールの踵は綾香の恥骨を砕き、子宮内にあった浩之の精を闘技場に撒き散らさせた。

綾香は大量に吐血しながら頭から石畳の地面に落ち、そのまま絶命していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

--------そこまでのビジョンが生々しく綾香には視えた。刹那の出来事だった。

 

「ひぃああぁあああっ・・・!!」

おそらく生まれて初めての魂切る悲鳴を綾香はあげていた。

 

デヴールの踵が股間に届くまであと20cm。

もはや脚を閉じても防げない距離まで迫っていた。

 

だが綾香は目を瞑ろうとはしなかった。

 

 

 

 

----------!?」

突然、綾香の周りの空気が異質なものへと変貌した。

 

死を覚悟した綾香の視線の先には、まだデヴールの踵がある。

 

「なっ・・・!?」

決して蹴りが止まった訳ではない。

その証拠に、綾香自身も未だ宙に浮いたままだった。

 

観客の歓声が極端に歪んで綾香の耳に届いている。

 

 

 

-------ゾーン!?

 

知覚の限界領域として知られる「ZONE」に入った事を綾香は一瞬で理解していた。

 

 

交通事故等で死に瀕した瞬間、人は周囲の動きがあたかもスローモーションで動いて

いるように見える事があるとよく言われている。

また、世界トップクラスのアスリート達も稀にそれと似た体験をするとも------。

 

 

逃れる事が叶わぬ「死」に直面した綾香は、能力の限界を超えて「ZONE」に入っていた。

 

 

 

スゥッシュが見える。

 

世界的に有名なナイキのマークだ。

 

デヴールが履いているレガースの踵部分が僅かに磨り減っているのまでが見えた。

 

 

だがこの状態が何時まで続くのか分からない以上、即座に対応しなければそれは死に

繋がることを意味していた。

 

 

掌打-------!!

 

思考よりも先に使い慣れた技が出た。

僅かな時間差で繰り出した左右の掌底がデヴールの足首を捉える。

 

 

瞬間、世界が色を取り戻した。

 

 

「綾香さぁああんっ!!」

葵が悲鳴をあげたのと綾香が掌打を放ったのが同時だった。

 

 

「・・・・・!?」

足首辺りに不可思議な感触を感じたデヴールだったが、そのまま思いきり上方へと脚を振りぬく。

 

 

「くううぅっ!!」

綾香は重ねた手の平に強烈な衝撃を受けていた。

 

 

 

 

左の掌底、左肘、左肩。

右の掌底、右肘、右肩。

 

それぞれがクッションの役目を果たして衝撃を分散し、尚且つデヴールの打撃力を殆ど

受け流す事に成功した綾香は、更に上空に舞い上がっていた。

 

 

「っ・・・・!?」

完全に綾香の所在を見失ったデヴールは、すぐさま立ち上がりながら後方を振り返る。

 

だが石畳が砕ける音が自分の後ろから聞こえ、反射的に振り向いたデヴールの

側頭部には既に綾香の右ハイキックが襲いかかっていた。

 

 

 

バシイ・・・ッ!!

 

完全に綾香の足の甲がデヴールの頭部にヒットしていた。

「やったぁ・・・! 綾香さんっ!!」

綾香のハイキックの威力をよく知る葵は歓声をあげていた。

 

だが綾香の項の毛は逆立っていた。

完全に入った筈の蹴りにも拘らず、慌てて脚を引き戻そうとする。

 

 

其処にデヴールの裏拳が飛んできた。

 

「なっ・・・・!?」

首を振って危うくかわしたものの、綾香の滑らかな頬には一筋の赤い線が引かれていた。

 

「綾香っ!」

浩之も我を失ってセコンド位置から立ち上がる。

 

 

並の格闘家ならば一撃で昏倒させ得る綾香の右ハイは、デヴールが自らの肩に頬を

密着させて蹴りを額で受けた事により、殆どのダメージを相殺されていた。

 

 

「そんなっ!? あの体勢から避けれるなんて・・・っ!」

葵が絶望的な声を漏らす。

 

 

 

 

「おおおあっ!!」

雄叫びをあげてデヴールが綾香に襲いかかる。

 

綾香の反応がコンマ数秒遅れた。

絶対の自信があった蹴りを受け止められた動揺からだった。

 

 

正中線への左右交互の三連打。

 

誤魔化しの無い真っ直ぐな打撃。

 

それ故に綾香は全てを避ける事ができなかった。

 

 

視線のフェイントに「素直に」反応してしまった綾香は、まさか本当にデヴールの視線

通りに正拳が来るとは予想していなかったからだ。

 

動態視力がいい綾香故に陥った、デヴールの視線による二重のフェイントだった。

 

 

「あぐうっ・・・!」

二撃目までは何とか捌いたが、最後の鳩尾への下段突きを避けきれずに、辛うじて拳の

軌道を変えるにとどまっていた。

 

「げえぇっ・・・・」

だがその拳は脇腹をえぐり、綾香の肋骨二本に亀裂を生じさせていた。

 

 

「くうぅっ・・・!」

痛みを堪え脇腹を押さえながらバックステップで体勢を整えようとする綾香に、

デヴールの容赦無い追撃の蹴りがすかさず襲いかかった。

 

脇腹を狙ったミドルキックだった。

 

 

「いやぁあああっ!!」

目を覆って葵が叫ぶ。

 

 

まるで吸い込まれるようにデヴールの蹴りは綾香の脇腹にヒットしていた。

 

観客達の中にも目を背ける者がいる。

 

だが綾香だけはまだ諦めていなかった。

 

 

クリーンヒットに見えたデヴールのミドルキックは、当たる直前に綾香が横方向に身体を

浮かせる事でその衝撃の大部分が吸収されていた。

 

そしてそのままデヴールの脚を両腕で抱え込むと、綾香は思いきり体を捻っていた。

 

 

「うおおおっ!?」

デヴールのアキレス腱が悲鳴をあげる。

 

 

「かぁああっ!」

渾身の力を込めて綾香ごと石畳に向かってデヴールは蹴りを放った。

 

 

煉瓦の破片が舞い上がる。

 

寸での処で縛めを解いた綾香だったが、額をしたたかに石畳に打ち付け、切れた場所

からは夥しい量の血が流れ出していた。

 

 

 

「はあっ・・・はあ・・・・っ」

肋骨の痛みがぶり返してきたのか、綾香の息が荒い。

 

額から流れる鮮血の太い帯は、綾香の端整な顔立ちの左半分を覆っていた。

 

「く・・・・っ」

一方、デヴールもアキレス腱の断裂までには至らなかったものの、片足を引きずっている。

 

 

 

両者の攻防、ここまで僅か2分10秒------。

 

 

だが明らかに綾香はスタミナの大部分を消費していた。

 

動けるのは良くてあと2、3分。

 

改めて靴底から伝わる石畳の感触。

 

 

綾香はストリートファイトでも自ら禁じ手としてきた技を使うことを決意していた。

 

 

「はぁああっ!!」

気合と共に一気にデヴールとの間合いを詰め、左右のフックとローキックのコンビネーションを

続けざまに叩き込む。

 

しかしその全てが弾かれ、捌かれていた。

 

「綾香さんっ!? そんな雑な打撃じゃ・・・・!!」

葵が危惧の声をあげた時には、既にデヴールの拳が綾香の身体に数発めり込んでいた。

 

石畳に紅い霧が模様を作っていく。

観客席からも悲鳴に似た声があがっていた。

 

スピードの落ちた綾香の拳を、デヴールは余裕でかわす。

 

その避けかたは単に首を振っただけだと言うのに、綾香の拳は大きく空を切っていた。

 

 

 

瞬間、綾香の瞳が輝いた。

 

デヴールの頬を掠めた拳を戻す動作は、途中で止まっていた。

その指先はデヴールのTシャツの襟首を捉えている。

 

奥襟。

 

片手で奥襟を掴んだままデヴールの方へ素早く身体を密着させ、綾香はその場で

半回転していた。

 

 

-------背負い投げ。

 

その技のダメージは環境に大きく左右される。

特に路上やこの闘技場のように固い地面の場合には-------。

 

「はぁあああっ!」

更に綾香は空いている方の腕をデヴールの喉許の隙間に入れ、そのまま押えつけながら

投げていた。

 

これだけ反射神経が優れた相手だと、上手く受け身をとられてダメージをあまり与えられない

可能性もある------そう判断して敢えてこの投げ方を選んだ綾香だった。

 

-------!!」

葵は自分の目を疑った。

綾香の投げ方は明らかに相手に深手を負わせる為のものだったからだ。

 

頭から落ちればデヴールの頭蓋骨陥没は確実だった。

 

 

そこまでしても勝利を求める綾香の姿勢に葵は恐怖を感じていた。

 

 

 

浩之。

 

浩之。

 

ごめん。

 

 

「はあああああぁぁっ!」

刹那、愛する男の笑顔が脳裏に浮かんだが、綾香はそれを振りきった。

 

鈍い音をたててデヴールの身体が石畳に叩き付けられる。

 

 

 

 

自らが仕掛けた技の恐ろしさに、綾香はデヴールの状態を確かめるのを一瞬躊躇った。

 

 

其処に凄まじい勢いでデヴールが地を這うようなタックルで襲いかかってきた。

 

 

「なっ・・・!?」

慌てて膝を出した綾香だったが、それはデヴールの瞼の上をカットしただけだった。

 

 

 

 

 

------地面に叩きつけられる瞬間、デヴールは両腕を頭の上で交差させて辛うじて

受け身をとっていた。

 

 

だが余りの衝撃に未だに肘から先が痺れている。

 

もし咄嗟に腕が出なかったら今頃はベッドの上か天国だったに違いない。

その認識が、かつてない程にデヴールのテンションを上げていた。

 

 

「かあああっ!!」

叫びながら綾香を寝技に引き込もうとそのまま突進する。

 

素早く両脚を後方に引いてタックルを切ろうとする綾香の踵に何かが当たった。

それは闘技場を囲んでいる特殊防弾ガラスだった。

 

綾香は一瞬安堵した。

 

今マウントを取られたらヒビの入った肋骨が耐えられそうにない。

いくらデヴールとはいえこの体勢から寝技に持ち込める筈が無かった。

 

 

その時、重力が突然消失した。

 

綾香はその場でデヴールに持ち上げられていた。

更に胴体を物凄い力で締め上げられる。

 

 

「あがぁあぁああっ・・・!」

ここにきて綾香の体重の軽さが仇となった。

肋骨の一本が乾いた音を立てて砕ける。

「ごふ・・・っ!!」

紅い色をした呼気の塊が綾香の口から吐き出された。

 

 

「綾香さんっ・・・!」

葵は震える手にタオルを握り締めていた。

 

もう見ていられない。

試合を止めようとタオルを投げる動作にはいった時、誰かの手が肩に置かれた。

「先輩っ!?」

真っ青な顔をした浩之が、だがしっかりとした口調で葵を制止した。

 

「まだ・・・綾香は・・・・ギブアップしていない・・・・」

「でもっ!!」

「頼む、葵ちゃん。もう少しアイツの我が侭に付き合ってやってくれ・・・」

 

 

 

------もはや葵は語るべき言葉を持たなかった。

 

 

 

 

目の前が暗くなる。

 

デヴールの頭は綾香の顎の下辺りにあって、威力のある拳の届く位置では無い。

 

もはやもう一本の肋骨が折れるのも時間の問題だった。

さすがにそうなればレフェリーが試合を止めるかも知れない。

 

 

荒い息を吐きながら綾香は、オープンフィンガーグローブの親指の部分を、デヴールから

死角となる位置で僅かにずらした。

 

 

葵すら知らない事だが、綾香は密着戦用に備えて親指を異常なまでに鍛えていた。

 

エクストリームでは殆どが自分よりも体格が上の者ばかりなので、必然的に身体を

密着させられると打撃技などは他の者に比べて威力が封じられる事になる。

 

更に今回のような状況に追い込まれた場合に有効な技------。

 

 

 

指先だった。

 

 

綾香は身体を僅かに捻り、軋む肋骨を敢えて無視して思いきりデヴールの両腋に

左右の鍛え上げた親指を突き立てた。

 

「ぐわ・・・っ!?」

その指先は実に3cmも腋の部分にめり込んでいた。

 

だがそれと同時に綾香の残るもう一本の肋骨も砕けた。

「がふ・・・っつ!!」

 

激痛で吐き気すら感じながら、綾香の視界には仄かに浮かび上がる光点のような

ものが映っていた。

 

それこそがこの苦境から抜け出す事の出来るたった一つの希望だった。

 

 

肋骨と引き換えに、デヴールの腕が僅かに緩んだ。

もはや勝機はここ以外に無かった。

 

「デヴールっっ!!」

綾香は叫びながら頭を振り、長い黒髪をデヴールの顔面に叩き付けた。

 

「う・・・っ!?」

瞬間、毛先がデヴールの眼球表面をしたたかに叩いた。

「ちぃぃいっ!!」

視界を完全に失ったデヴールは即座に綾香をホールドし直し、後方の防弾ガラスめがけて

投げつける体勢にはいろうと身体を反転させた。

 

肋骨の痛みで上手く受け身が取れなければ、綾香を待っているのは------。

 

 

「綾香さあぁぁぁぁんっ!!」

葵の悲鳴も虚しくデヴールが思いきり身体を反らせた。

 

 

観客席から興奮した叫びや悲鳴があがる。

 

 

 

 

 

-------だが、綾香の頭部は防弾ガラスまであと10cmという所で止まっていた。

 

そのまま、デヴールが膝から崩れ落ちる。

 

その顔面には、綾香の肘がめり込んでいた。

 

 

 

 

 

人中------人体の急所の一つ、鼻と上唇の僅かな隙間に存在する其処に、綾香の肘が

寸分の狂いも無くヒットしていた。

 

 

最も避けられ易い顔面のほぼ中心に位置する故に、実戦で狙われる事が殆どない場所

だったが、その技の威力は、三ヶ月前に行ったスパーリングで綾香の拳が相手のその部分に

偶然当っただけで、その相手が半日起き上がれなかった事からも窺い知ることができる。

 

 

ましてや肘は人体で最も固い部位の一つ。

 

通常ならば避けられた顔面への打撃だったが、髪の毛で眼球を叩かれ、一時的に視力を

失っていたデヴールには綾香の肘自体が見えていなかった。

 

さしものデヴールも人中に至近距離から肘を叩きこまれた瞬間、意識を断ち切られていた。

 

 

 

 

舞い上がる土煙の中から、赤いオープンフィンガーグローブが天に向かって突き上げられる。

 

 

 

 

-----勝者! 来栖川綾香っ!!」

 

 

 

試合時間6分48秒。

 

2003年 エクストリーム WORLD GP 準決勝が終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふうっ・・・まったくとんでもない化物ね、アイツは」

控え室でモニターの画面を見ながら綾香が呟いた。

 

 

 

結局ドクターストップで決勝に出られなかった綾香の代わりに出たのは、試合後数分で

目を覚ましたデヴールだった。

 

その試合もたった今、デヴールのハイキックで決着がついていた。

 

そして試合後のインタビューでデヴールがマイクアピールをしている姿が映し出されている。

 

 

「何て言ってんだ? アイツ・・・・綾香?」

ベッドで横になっている綾香に付き添っている浩之が尋ねた。

 

 

「・・・・・・・」

「綾香?」

「・・・・るって」

「えっ?」

「待ってるって・・・・私がケガを治して出てくるまで・・・それまでベルトは預けておくって」

「はあっ!?」

呆れ顔を通り越して呆然としている浩之の横で、綾香は笑いが込み上げてくるのを

抑えきれそうになかった。

 

 

 

 

葵が飲み物を持って控え室に戻ると、頭を抱えている浩之、そして「痛い痛い」と情け

ない声をあげながら何故か笑っている綾香の姿があった。

 

 

 

 

 

                                          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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あとがき

 

 

こんにちは。へのへのです。

ここまで読んで下さってありがとうございます。

 

何とか、何とか2003年内に終わらせる事ができて(2003年の試合なので)

正直ほっとしています。

 

実はパソコン歴一年の私が初めてプレイしたPCゲームが「To Heart」でした。

生来の格闘技好きから当然のように綾香に萌えてしまい、勢いでこのSSを

書いてしまったのですが・・・・。

 

 

このSSで綾香を好きになって下さるひとが増えることを祈って-------。

 

 

 

 

では。