パパゲリオンIF・第一回
作・ヒロポンさま
ぱっちりと瞼があいた。こういう目覚めがたまにある。
目の中に跳びこんできた天井は白。間接照明の黄色がかった光をうっすらと反射していた。
白濁した意識の中から、いくつかのキーワードが浮かんでくる。
サルベージ・・・・・・病院・・・・・目覚め・・・・・・アスカ・・・・娘・・・・・・・・・実験・・・・・アスカ・・・・
ぐるぐる渦巻く思考の流れを奇麗になぞっているうちに、だんだんと自分の置かれている状況が把握できるようになってきた。
ここはネルフ特別病院のVIP専用病室。八年前の戦いで初号機に取り込まれた僕は、サルベージされて、この病室に寝かされている。
そして・・・・・・
暖かい体温が二つ、僕の側にあった。眠りのあとのけだるい僕の体を挟んで、右側にアスカ、左側にユイカ。僕の大事な人たち。………正直、実感はないのだけれど……
意識の焦点が完璧に結ばれた。
そう、僕は帰ってきたんだ。
寝返りを打つようにして、顔を右側に向けると、あどけないアスカの顔があった。
肉体年齢七歳ということである。実験(実験といえるのかどうか………)の後で、検査して調べたのだそうだ。ちょうど僕とアスカの間にできたと言う子供、ユイカと同い年のアスカ。
僕は、その頬にかかっていた髪の毛をそっと払ってやった。その拍子に暖かい彼女の頬に僕の指先が触れる。
瞬間、夢の中をたゆたっていたはずの彼女の瞼がぱっちりと開き、アイスブルーの瞳が僕の姿を捉えた。
薄闇の中、何も言わず僕たちは見詰め合った。
実験の失敗によって姿は子供になっていても、アスカはアスカだ。力強く理知的な瞳の輝きでそれが分かる。こんな目をした子供はいない。これは僕が、好きだった女性の目だ。間違いなく。
アスカは黙って僕に体を擦り合せてきた。小さくなった彼女の爪先が僕の太股に当たる。僕は胸元に掻き抱くように彼女をぐっと引き寄せた。起きたばかりだからだろうか、その体はあの頃よりずっと温かかった。
「シンジィ」
僕の胸の中にあった顔を少し離して僕の事を覗き込むと、アスカはそのまま背筋をぐっと伸ばして、僕の頬に彼女のそれを擦り合せた。サラサラした涙が僕の頬をぬらす。僕の瞳からもいつのまにか涙があふれていた。
「ただいまアスカ」
相応しい言葉の見つからないままに、僕は震える声でそう言った。
「・・・・バカバカバカ、あんたの事ずっと待ってたんだから・・・・ずっと待ってたんだからね・・・・・」
アスカは僕の顔中にキスをしながら、うわごとのようにそう繰り返し呟いた。最初の再会の時は、取り乱していて、言葉を交わせるような状態ではなかった。多少落ち着いたのだろう。その声音は先ほどよりもずっと聞き取りやすくしっかりとした響きを持っていた。しかし、そんな落ち着きも数瞬。アスカは、激しく身を震わせて、僕の胸の中で再び泣き始めた。
「ごめん」
「・・・・・・・・・」
「・・・・ごめん」
長く感じた時間の流れを潜りぬけた後、馬鹿に冷静な理性が的確な時間の流れを僕の意識に吹き込んできた。過ぎ去った時間はほんの数分。
しんとした時間。泣き疲れたアスカの心臓の鼓動が聞こえる。いつのまにか彼女が、仰向けになった僕の上にのしかかる形になっていた。
今は天井は見えない。かわりにアスカの顔が僕の視界をふさいでいた。
「・・・・夢じゃなかったんだ」
しばらくの沈黙のあと、僕はたいして考えもせずにそう口にした。
「アスカ・・・本当に子供になっちゃったんだ」
胸だって・・・・全然ないし・・・・あの頃よりもずっと軽い・・・・早熟なのだろうか、七歳にしては顔は大人びて見えるけど・・・・・
ペチ
「痛」
アスカが小さな手で僕の頬をたたいた。
「だぁぁぁれのせいだと思っているのよ。バカシンジ」
形のいい眉をくいっとあげてアスカがそう言った。少し甲高い声。目元やほっぺはあの頃より多少ふっくらしていて、可愛く見えるけど、くりくりした瞳でじとっと僕を見詰める姿は、やっぱりアスカだ。
「僕のせいだって言うの?」
「あったりまえでしょ。あんたが、あんな無謀な特攻しかけて初号機に取り込まれたりしなければ、こんな事にはならなかったのよ。もう!あんたのためを思って若返ってあげたんだからね!」
「・・・・・・若返り過ぎだよアスカ」
一瞬の沈黙。
アスカは小さい唇をぎゅっと噛み締めてから、僕の鼻の頭にがぶりと噛みついた。
ガブリ!
「いったぁぁぁぁ」
痛いよアスカ。
「しょうがないじゃない。・・・・」
「・・・・・・・・取り込まれた二号機の中でママに会ったのよ」
鼻の頭を押さえた僕にかまう事なく、ポフッと小さい頭を僕の胸元に乗せると、アスカはぽつりポツリとかたり始めた。
「二号機の中にママが居るって事はリツコからあらかじめ聞いて知ってたんだけど・・・・・・・不思議ね、頭の中にはイメージばかりがあふれていて今ではうまく話せないけど。・・・・・いろんな事をママと話したと思う。いいえ、確かに話したのよ。・・・ママが居なくなってからの事、シンジと出会ってからの事、私もママになったって事・・・・・・・ママは、全部知ってた。ずっと私の事を見ていて、愛してくれていたのね・・・・・・」
栗色の髪。サラサラとしたその感触を楽しみながら、僕はゆっくりと彼女の髪をなでた。
ッン
少しだけ鼻を鳴らすアスカ。心地いいのかなぁ
「それで、ママと話しこんでたらね。いつのまにか私は子供の姿になっちゃってたの。今のこの姿よりずっと小さい子供に・・・・いけないと思って慌てて大きくなろうとしたんだけど・・・・出てきた時にはこの姿だったわ」
話し終わるとアスカは、少し顔を上げて、あごを僕の胸に乗っけた。
「よかったねアスカ。お母さんに会えて」
その言葉にアスカは嬉しそうに頷いてみせてから、ちょっとだけ悲しそうな顔をした。
「うん・・・・・・でも、もう会えないわね。帰り際にママはさよならを言ってた」
「さよなら・・・・・そう・・・・・僕も言われたよ母さんに・・・・」
「シンジも?」
「うん。初号機からサルベージされる瞬間にね・・・・・母さんはずっと僕の事を守っていてくれたんだ。取り込まれた僕の意識が、ゆっくりと溶けてなくなっていくのを母さんが防いでいてくれたんだ。僕が、サルベージされた事で、母さんの役目はもう終わったんだって、そう言ってた」
「そう・・・・私のママの役目もきっと終わったのね。エヴァの中は、とっても冷たくって寂しかった、心を持ったままあの中に居るのはつらい事だわ。だから、使徒との戦いが終って私たちを守ると言う役目が果たされた時点で、ママはきっと消えたがっていたんだと思う。きっと最後に私に会いたかったのよ。今だったら分かるママの気持ち。アタシも母親になったから・・・・シンジが母親にしてくれたから・・・・・」
「アスカ・・・・」
甘い匂いのするアスカを、僕はぎゅっと抱きしめた。
「…………シンジ…痛いよ……」
「ごめん」
ウンッ
小さいうめき声と同時に僕の肩に、誰かのからだが触れた。
それが合図だったかのように、僕とアスカは抱擁をといて、少しだけ−本当に少しだけ体を離すと、横で眠る僕たちの娘、ユイカに目をむけた。
僕の肩に当たったのは、寝返りを打ったユイカの右手だった。アスカに良く似た顔立ちに浮かぶ寝苦しそうな表情は、二人だけで再会を喜び合っていた両親に抗議しているようにも見えた。
「こら、ユイカの焼き餅やきめ」
僕と同じことを思ったのだろう。アスカが小さくささやくようにそう言いながら、柔らかそうなユイカのほっぺたを軽く突っついた。
母親らしい表情…………なのだが………。肉体年齢が年齢なだけに何ともこっけいに見える。僕は、ふつふつと湧き起こってくる笑いを何とか込み上げながら、改めて、僕の娘だという女の子の寝顔を見た。
「どう?シンジ。可愛いでしょ?」
「うん……」
ほんとうに、アスカにそっくり。再会の時は、この子もアスカも取り乱していて、一言も言葉を交わせなかった。薄闇の中に見える髪は、茶色がかった黒。瞳の色は何色なのだろう。あの時もっとよく見ておけば良かった………………あっ、そうか、これからはずっと一緒なんだから、何時でも見られるんだよね。
そんなことを思ったりしながら、ふと頭によぎった質問を口にした。
「どうして、ユイカって名づけたの?」
アスカは笑った。優しく。
「シンジのお母様の名前と私の名前から付けたのよ。この子の名前は、絶対にシンジと関係のある名前にしたかったから…………………あなたのこと忘れないために」
どうして…………………………………この人は
僕はまた泣いた。
「バカ、いちいち泣いてんじゃないわよ」
たしなめるアスカの声。なんだよ、自分だって泣いてるくせに……………
傍から見たら、なんとも奇妙な光景だろう。中学生ぐらいの男の子が、ほんの小さい子供にすがって泣いているんだから。でも、かまうもんか。今はきっと、ないたっていいときなんだ。
しばらく泣いた後で、僕はどさくさに紛れてつまらない質問をした。流した涙が、僕の心にあった「怖さ」を押し流してくれたのだろう。でなければ、こんな事、とても聞くことなんて出来ない。
「アスカは、どうして僕なんかの子供を産んでくれたの?」
僕の質問を受けて、アスカはそのあどけない顔に呆れたような表情を浮かべた。
「はぁ?アンタバカァ、シンジのことが好きだったからに決まってるじゃない」
「でも……どうして、僕なんかのことを好きになったの」
ほんとは、しつこく聞きたくはなかったけど、今を逃してしまうと一生聞けないような気がしたから、勇気を振り絞って口にした。
「シンジは、然るべき時に、然るべき所にいた。多分、それだけだと思う」
アスカは、少し考えるようなそぶりを見せた後、かみ締めるようにそう口にした。
「どういうこと?ただ一緒に住んでいたから、近くにいたから、僕のことを好きになって僕の子供を産んだって事?」
「………そうよ。私にとっての、『その時』に、私にとっての『その場所』にアンタがいたのよ。…………私は、それって凄い事だと思う………シンジは、そう思わないの?」
青い瞳が僕を捕えた。
「思うよ、アスカ」
上ずった僕の声。間接照明の琥珀色を移し込んだ青から目が離せない。
−アスカ…………
僕は、彼女の小さな桜色の唇にそっと口付けた。
唇を離した後で、アスカが婉然と僕に微笑み掛けてきた。僕は、遠い記憶の中に沈んでいたあの夜の光景をまざまざと思い返す。白い肌と瞳の青。
「ねぇ、シンジ」
「なに」
「アタシ、なかなかの美少女でしょう」
少ししなを作るようにして、そう言うアスカ。
「……うん」
曖昧に肯いて見せる僕。
この部屋に監視カメラは付いていないのだろうか?なぜか、リツコさんと父さんの顔を思い浮かべながら、そんなことを考えたりした。
なに考えてるんだろう。僕は……………
−はぁ、なんにしてもアスカのしでかした実験が悔やまれる。
ついつい、先ほどまでの、甘い雰囲気をだいなしにするような、そんな罰当たりなことを頭に浮かべてしまう。
「これからは、シンジが育ててよね、私のこともユイカの事も」
しばらく品定めをするように僕の瞳を覗き込んだ後で、アスカはそう口にして、僕の唇に軽くキスをした。
あどけないその顔に、14歳のアスカの面影が重なる。見まがいようも無い女の顔に、僕は思わず息を呑んだ。
アスカは、紅潮した僕の顔を見て満足そうに肯いた。
「自分の妻になる人を自分で育てる。これって、一つの男のロマンよね。ここまでして、シンジを喜ばせようとするなんて、アタシって健気な女よねぇ」
……………………………
育てるって……………体は小さいけど、アスカの性格はすっかり出来上がっているじゃないか。
僕はそう思ったが、恐くて口に出すことは出来なかった。
その時、僕たちの横で、再びユイカが自分の存在を訴えかけた。
「くしゅん」
可愛いくしゃみ。
その声を聞いてアスカは、僕のからだの上から退くと、シーツもタオルケットも蹴飛ばして眠っているユイカに、優しくシーツを掛けてやった。
「まだ、朝の3時か…………シンジ、寝ましょ。明日から、忙しくなるわ。ゆっくり寝とかないとね」
振り向いたアスカは、そう言うと再び僕の右隣にその身を横たえた。
僕は、そのアスカの体をそっと抱き寄せる。
胸の中にすっぽりと収まってしまうアスカ。存在感の無い彼女の胸が、あまりにも悲しくて、僕はついため息を吐いてしまった。
幸い、アスカには聞こえなかったようだ…………よかった。
「あんっ、もう、シンジのエッチ、ロリコン」
「アスカだからだよ」
そう、心が感じてるんだ。
「わかってる…………ごめんね、失敗しちゃって」
「そんなこと、………僕のために、ありがとう」
しばらくじっとしていると、やがて僕の胸の中から、アスカの寝息が聞こえてきた。
あったかいよ。
ここが僕の居場所だったんだよね。
幸せな今が、過去の認識をすっかり塗り替えてしまったのかもしれない。
僕は、生まれてからずっと、このあたたかさの側にいたような、そんな錯覚すら覚えていた。
つづく
読んだら是非、感想を送ってあげてください。