外伝「はじめてのくちづけ」

作・PDX.さん

 


 

 

パパゲリオン外伝
はじめてのくちづけ


 花嫁は、文句無く美しかった。
 この時代、ずいぶん少数派となった神式の結婚式。白無垢を身にまとった彼女の姿に、居並ぶ人々が溜息を漏らす。
(おめでとう、ヒカリ…)
 友人代表として招かれたアスカは、親友の晴れ姿に見とれてすらいた。
 中学生の頃からの想い人である鈴原トウジとようやくゴールイン。22歳の花嫁は、かつて彼女にとって悩みの種であった雀斑も消え、楚々とした美貌を身につけていた。
「…洞木さん、綺麗」
「そうね。ミサトのウェディングドレスもまぁまぁだったけど、やっぱり日本人はキモノよね」
 美しいドレスに身を包んだアスカとレイが小さな声で囁き合う。花嫁であるヒカリを立てるため控えめの服ではあるが、それでも地の美しさは隠せない。花婿の高校・大学時代の友人達の視線が二人に引きつけられるのも当然と言うものであった。そして彼らは、続いて信じられない物を目にすることとなる。
「ママぁ、ヒカリお姉ちゃん、すっごくキレイ!」
 瞳をキラキラ輝かせて言う美少女。御年8歳の惣流ユイカ嬢である。その可愛い口から飛び出した『ママ』という単語。
「そうね、とっても綺麗なお嫁さんね」
「うんっ」
 髪や瞳の色こそ違えど、顔立ちは瓜二つの二人だ。母娘であってもおかしくはないであろう。…あまりにも年齢が近すぎることさえ気にしなければ。
 当然、若き狼達は事情を知りたがったのだが、求めた答えは得られなかった。

「あ、ここで結構です」
「はい。えー、15320円になります」
「えっと、カードでおねがいします。ママぁ、カード!」
「んー? カードね、はい」
「これでおねがいします」
「はい、毎度ありがとうございます」
 アスカとユイカの住むマンションの前でタクシーから降りる3人。披露宴の二次会で、アスカとレイはしこたま飲まされたのである。理由は簡単、美しい二人に目を付けた男性陣、特に新郎の元学友達が彼女らを酔いつぶしてモノにしようとしたのだ。
 難攻不落と呼ばれた二人であるし、ケンスケが上手く皆を牽制したことも功を奏した。そして、三次会に連れ出されることは免れることができた。『小さな子供がいるから』という至極単純な理由で、彼女らは飢えた獣の群から無事に脱出を果たしたのである。
 それでも結構な量のアルコールを接種してしまった二人であるが、ケンスケがタクシーを手配し、「おうちに帰るんだよ」とユイカに任せたのだ。

 後日、鈴原トウジの友人が「あの時相田が邪魔しなければあの女をゲットできたのによぉ」とこぼしたが、彼はむしろ感謝すべきである。
 NERVにとって…組織としてのNERVはともかく、上層部の人々にとって現在最も重要なプロジェクトである『サードチルドレン再サルベージ計画』におけるVIPである二人なのだ。
 事実、私情混じりではあるが加持夫妻が保安部を張り付けていたのだ。もし不埒者が彼女らを変なところに連れ込もうとしたら、彼は危険人物として拘束されていただろう。

「レイおばちゃんも泊まっていくの!」
 いつもの調子で自分のマンションに歩いていこうとするレイの腕を引っ張るユイカ。酔った美女二人を無事に自宅に連れ帰るよう、『相田のお兄ちゃん』に言われたのだ。
 酔いどれ美人ズをエレベータに引きずり込み、ボタンを押す。
 なんやかんやで、なんとか自宅に転がり込んだ。
 さすがにこの状態では二人ともシャワーを浴びる余裕はないであろう。とっとと寝かしつけることにする。
 ユイカは二人の着ているよそ行きの服を脱がしてしまう。このままベッドに放り込むと皺だらけになってしまうからだ。家事スキルの低い母親が反面教師となったのか、彼女はこの点『よくできた子』であった。
 パーティドレスにふさわしい洒落たランジェリー。一瞬、キレイ…と胸を踊らせたユイカであったが、そのまま二人をアスカの寝室に放り込んだ。
「じゃ、ママ、レイおばちゃん、おやすみなさい」
「んー、おやすみぃー」
「…おやすみなさい」
 寝室のドアを閉め、ふう、と一つ溜息をついたユイカは、とてとてと浴室に歩いていった。

「…ユイカ、いい子ね」
「あんたに似たのよ」
「…あなたにも」
「ぷっ」
「…ふふっ」
 ベッドに横たわったアスカとレイは、しばし笑い続けた。彼女らの愛する娘をダシにしてお互いに誉め合っていては世話がない。
「ヒカリ…綺麗だったなぁ」
「…ええ」
 白無垢に身を包んだ親友の姿を思い出す。楚々として、凛として。そしてわずかに上気した笑顔。紛れもなく、彼女の半生で最も美しく輝いた瞬間。
(花嫁衣装…か…)
 自分はそれをいつ着ることができるだろう。そう思い、小さく溜息をつく。
「キス…」
「んー?」
「ヒカリさん、鈴原君と…」
 挙式そのものは神前だったので、誓いの接吻は二次会でのご披露だった。
「ま、あの照れ屋のヒカリが衆目の中でキスするなんて、あれくらいしか機会がないから貴重よね」
「…あなたは…」
「ん?」
「あなたは…キス…したことがあるの…?」
 普段のレイであれば、このような問いを発することは無かったであろう。だが、アルコールのせいで酩酊気味の意識が、そのような言葉を紡がせた。
「…あるわ」
 一方のアスカもまた、酒精の支配から自由ではいられなかった。だからであろう、照れることもなく事実を口にした。
「アイツのママの命日だったわ。好きでもない相手とデートする羽目になって、途中でスッポかしてさ。部屋に戻ったらアイツがいて…」
 まだ、アスカの中の想いが形になっていなかった頃の稚拙なファースト・キス。
「その次にキスしたのは、アイツと抱き合ったとき。…いまいちムードはなかったけどね」
 最後の戦いを間近に控えた極限状態。互いに求めた物は慰めか、それとも。とにもかくにも、幼い二人は肌を重ね、その不器用な行為は一つの実を結んだ。
「へったくそだったわよ。愛撫もキスも」
 苦笑するアスカ。その唇を見つめるレイ。
「…」
「ん? アタシの顔に何か付いてる?」
 アスカがレイの方を向いた瞬間、何か柔らかな物が彼女の唇に触れた。
 驚きに目を見開くアスカ。彼女の視界は、親友であり妹分であり、恋敵でもある人物の顔、そのどアップで埋め尽くされていた。
(えーっと、レイの顔がアップで、アタシの唇に何か触れていて、柔らかくて暖かくてえーっと…)
 アルコールに支配され、思考能力大幅ダウンの惣流・アスカ・ラングレーさんは、正解にいたるまで随分時間をかけてしまった。
(あ、キスよキス。レイの唇がアタシの唇に重なってキスしてんのよそうそう…って、えええええええっ!!)
「ちょっ、ちょっとアンタ、一体何してンのよおおおっ!」
「…キス…接吻…べーぜ」
 とろんとした表情を浮かべるレイの前でワナワナと震えるアスカ。
「…アンタのこと殲滅する前に一つだけ訊いておくけど、一体どういうつもり?」
「…間接キス」
「…はぁ?」
「間接キス…碇君との絆」
 ぽぽっ、と頬を染めるレイの脳天に炸裂する、アスカ渾身のグー。
「8年ごしの間接キスなんてあるかぁ!」
「…きゅう」
 レイ、殲滅。ベッドに突っ伏してマグロと化す。
「はぁ、はぁ、はぁ…あ」
 その横にぱたんと倒れ込むアスカ。
 いきなり全力で動いたため、一気に酔いがまわったのであろうか、そのままマグロ2号の出来上がり。

…翌朝。
「ママーーっ、レイおばちゃん、朝だよーっ! 昨日お風呂入ってないんだから、早く起きてシャワー浴びないとぉ!」
 ドアの外から響くユイカ嬢の声。その愛らしくも元気な声に、二日酔い気味の頭を揺さぶられ、よろよろと起き出す美女二人。
「…頭…痛い…」
「さすがに飲み過ぎた、というか飲まされすぎたわね。まったく男なんてスケベな事しか考えていないんだから」
「…コブができてる…」
「そりゃそうよ、アンタがあんな事しなけりゃ…」
「…」
 とある事実に思い至った二人の間に漂うダークな空気。
「…私のファースト・キス…」
「あ、あ、あ、アンタが悪いんだからね!」
「…私…汚れてしまったのね…守れなかった…許して碇君…」
「どさくさに紛れて何を言うかぁー!」
 再びアスカのグーが炸裂しようとしたとき、二人はもう一人の視線に気が付いた。
「…ユイカ…」
「あ、あははは、こ、これはね…」
 振り上げた拳について言い訳しようとしたアスカであるが、その努力は実を結ぶ前に愛娘のキラキラした瞳に駆逐されてしまった。
「ねぇレイおばちゃん、ファースト・キスしたの?」
「…え、ええ」
 昨日のヒカリのキスがよほど印象的だったのであろう、もう好奇心全開で、若き母親と叔母が触れたくない話題を振ってくる。
「ね、ね、ね、誰と? レイおばちゃん誰とファースト・キスしたの?」
 悪気も含む物も何もない笑顔というのは、時に最強の凶器である。そして、ユイカの叔母は、その攻撃に弱かった。
「…い、碇君」
「ええ〜〜〜、パパぁ!?」
「…え、ええ」
「わぁいいないいな、パパとキスっていいな!」
 もうぴょんぴょん跳ねながら力説するユイカ。その幼くも微笑ましい仕草は、諸般の事情でへたれ気味であった二人に元気と微笑を分けてくれる。
「ユイカもパパとファースト・キスする!」
 ユイカ、断言。
「うっ…」
「…そうね、ユイカ。碇君が帰ってきたら、おねだりしてみなさい」
「うんっ!!」

…後に彼女らの想い人が帰ってきて、珍妙な親娘同棲生活が始まった時、ユイカが幼い日の誓いを果たしたかどうかは定かではない…。

 

 



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