外伝「真白き花の肖像」
作・PDX.さん
某月、某日、某時、某分。
ここ碇家の家主である碇レイさんのオフの日の夕刻…リビングに、彼女の愛する義弟と、これまた彼女の愛する姪っ子が訪れて、楽しいお茶の時間を過ごすひととき。そして、この日はいつになく多数の闖入者が、この三人の時間に紛れ込んできた。
闖入者、その一。加持ミユキ嬢。闖入と言っても、彼女はシンジやユイカと一緒に来訪したのであって、乱入してきたわけでもない。未だに、レイの寡黙ぶりになかなか話し掛けづらいものを感じているミユキではあるが、レイが自分を拒絶していないことを知っているし、今はそれで充分であった。
闖入者、その二。惣流・アスカ・ラングレーさん。こちらは、乱入と言うべきか。いつもの通り学校での自分の義務をその天才的な才覚をフル稼働させて消化し(無論残業などしない)、愛車を駆っての御登場である。
そして、闖入者、その三。
「あら〜〜っ、シンちゃんったら、ハーレムじゃなぁ〜い!」
お気楽な声が、碇家のリビングに響き渡る。
…時刻は少しだけ遡る。
レイ手焼きのクッキーを齧りながら談笑していたミユキの携帯がいきなり鳴ったのだった。
「もぐもぐもぐもぐ…んっ。あ、もしもしぃ、ミユキだけどぉ。あぁ、ママぁ?
え? おつかいぃ? 夕食のぉ? だってショッピングセンター反対側だよぉ。
今? レイさんの所。
シンジさん? いるけど。え? なに? どうして? 迎えぇ?
ちょっ、ちょっと、ママぁ!」
「…どしたの、ミユキ?」
「…切れちゃった…ママが、ここに来るって」
「ミサトさんが?」
「はい…シンジさんがいるって答えたら、急に」
「何考えてんのかしら、あの年増?」
「……」
ふるふると首を振るレイ。ミサトとのつきあいはいい加減長いアスカやレイであるが、彼女の突発的な行動は未だ予測も予想も出来ない。
「で、ママ? 一体どうしたの?」
レイの家から加持家まで、歩いていけない距離ではない。わざわざミサトが愛車を飛ばしてくるほどのことはないのだ。
「ふっふーーん、これヨン」
そう言って、ミサトは持参したアルバムを取り出した。何かと電子化が進み、一般のスナップ写真ならディスクメディアに記録するのが当たり前のこの時代、わざわざ印画紙に焼き付けてアルバムに保存するなんてのはその人にとってよほど価値のある写真に限られる。
満面の笑みを浮かべたミサトが、そのアルバムをシンジに渡す。
「え? 僕ですか?」
「シンちゃんにはまだ見せてなかったわよね」
「ママ、それって…」
「うふふふ、私の一番奇麗な姿の写真よン」
ぱらり、とアルバムを開いたシンジが凍りつく。そこにあったのは、透けるような純白の薄絹を幾重にも重ねたドレスに身を包んだミサトの姿だった。それはまさに真白き花。美しいドレスに身を包み、生涯最高であろう微笑を浮かべた彼女。
「…………」
ミサトの辛い過去、使徒への復讐、最愛の人を失い泣き崩れる姿…それらを知ればこそ、シンジにはこの写真に咲き誇る彼女の笑顔が、何よりも尊い物に思えてならなかった。
「あ、あの、ミサトさん…」
「なぁに、シンちゃん?」
「今更ですけど、御結婚、おめでとうございます」
シンジのやや照れ気味の笑顔に、やはり笑顔で答えるミサト。
「う〜ん、でもシンちゃんも立派になったというか、わかってきたのねぇ」
「え? 何がですか?」
「ふふふ、もしこの写真見て、最初に綺麗だとか言っていたら、へそを曲げる人がいるってことヨン」
ポカンとしているシンジにウインクひとつ、といったところで、そんなミサトの脳天にアスカのゲンコツが炸裂した。
「誰のことよ一体!!」
殴ってからでは説得力のかけらもないというか、自ら名乗ってしまっているアスカ。もっとも、実際シンジがその言葉を口にしていたら、へそを曲げる人物が他にもいるだろうことは間違いない。
「…シンジくん、次のページ…」
何げに話題を逸らそうとする彼女もその一人であろう。
「あ、レイもアスカも写ってるんだ」
ミサトを挟んで、やはり美しいドレスに着飾った二人。まだ14歳の二人の姿…ユイカやミユキには見慣れない姿であるが、シンジにとっては、やはりこの姿が、彼の知っている二人なのである。
「私も、アスカも、ミサトさんの家族として招待されたわ。NERVの関係者としてではなく…」
「そうなんだ…」
NERVの高官であるミサトの結婚式を、非公式にひっそりと執り行うなどということはできなかった。NERVのイメージ向上のための情報操作、という陰口も叩かれたが、あちこちから来賓が招かれ、警備対象者数が普段の数倍に跳ね上がったため保安部の関係者が悲鳴をあげたほどである。そんな中、身寄りのないミサトとリョウジの『家族』として席についたアスカとレイは、その若々しさと美しさで、俄然注目を浴びることとなる。早い話、彼女らもまた、ミサト同様に広告塔として引っ張り出されたようなものであるが。
「まぁでもミサトも悪あがきというか、30の誕生日は過ぎてしまったからって、せめて31になる前にって駆け込むように式を挙げるものだから、アタシもレイも大変だったわよ!」
「そうなんですか、アスカさん?」
「そうよミユキ! ゼーレとの決戦の後で、第三新東京市にはロクにブティックなんて残ってなかったし、アタシもレイもドレスの調達にどれだけ苦労した事か!」
「…ママ…」
真剣な顔の母親の隣でこめかみを抑えるユイカ。
「…アスカ」
「…わかってるわよ、レイ…」
勢いよくまくしたてるアスカを、たった一言で諌めてしまうレイ。
「ど、どういうことなんですか?」
反対にさっぱり話が見えないミユキ。
「…ミユキちゃんと、ユイカがいたからなんですね」
「ええっ? だってこの頃ってまだ私もユイカも産まれて…あっ!」
やっと話が見えたミユキ、そしてユイカ。
シンジが不在のミサトの結婚式…となれば、この頃のアスカは、既にユイカを身篭もっていたことになる。そして、ユイカと同い年のミユキも、また。
「ミサト一人なら、臨月間際で大きなお腹で式に臨むこともできたかもしれないわね。でも、当時のアタシは14歳…そんな女の子が大きなお腹で公式の場に出るわけにはいかなかった。だからミサトは無理して、少しでも早く…少しでも、アタシのスタイルがはたから見てそれとわからないうちに、事を済ませてくれたのよ。…まったく、そんなことならアタシを招待しなきゃよかったのにね」
「馬鹿言うんじゃないわよ、アスカ…あなたを、そして、あの頃はまだ名前もついていなかったけどユイカを招待しないわけにはいかないわ…かけがえのない、家族なんですもの」
「…ミサト…」
「ミサトさんは、碇君の席も用意しようとしてくれたわ。だけど、公式には既に死人となっている人物の席を用意はできなかった。だからこそ余計に、アスカと私が出席することに固執したの」
「そうだったんだ…」
アルバムのページをめくるシンジ。ミサトがいて、リョウジがいて、アスカも、レイも、リツコにマヤ、日向や青葉もいる。シンジの記憶と変わらぬ姿で。
「………」
ページを戻して、さっきの、ミサトを真ん中に、左右にアスカとレイの写っている写真に見入るシンジ。そこには、ユイカと、ミユキもいたのだ。
そして、自分は、そこにいなかった…。
ふとそんな事を考えてしまい、ミサトは決してそんな事のためにこの写真を持ってきた訳ではないと、慌てて話題を変えようとするシンジ。
「と、ところでミサトさん?」
「どしたの、シンちゃん?」
「こ、このブーケですけど、誰に投げたんですか?」
やっぱりアスカかな、と思いつつ尋ねるシンジ。
「ふふふふ、万感の想いを込めて、大切な親友に投げてあげたわヨン」
「そ、それって…」
万感の想いというにはいささか毒の強すぎるジョークである。
「…大丈夫、赤木博士がキレるようなことはなかったわ」
「凄かったわよねぇ、あのマヤのジャンピングキャッチ!」
「ま、マヤさんが?」
「…ええ、赤木博士に向かって投擲されたブーケを、見事ジャンプしてキャッチ。着地の時に転んでいたけど、ハイヒールでは仕方ないわ」
「まぁ、マヤとしてはリツコの名誉を守りたかったのかもしれないけど、おかげであの後、伊吹二尉は結婚願望が強いだのさんざん噂されたわよね」
あの時の光景を思い出して笑っている大人三人と、その光景を想像して絶句する子供三人。
「でも、勝負は私の勝ちよね、アスカ?」
笑いをようやく収めたミサトが、ニヤニヤしながらアスカに囁く。
「何よミサト?」
「ふふ、あんたあの時言ってたじゃない。『ミサトはとうとう30までに結婚はできなかったわね。アタシは絶対にそれまでにシンジを取り戻してみせるわ!』って」
「それがどうしたのよ? 現にシンジはここにいるじゃない!」
「ふふふ、だから、アスカの負けなのヨン」
「一体アンタ何言ってんの?」
「だって、シンちゃんがアスカのお婿さんになれるのは4年後なのよん?」
「だからそれがどう……ああああああああっ!!」
ニコニコしているミサトの術中にはまるかのように絶叫するアスカ。
「そういうコト。シンちゃんが18になるころにはアスカは…だから、私の勝ちヨン☆」
「きぃーーーーっ!」
二人の掛け合い漫才を見て苦笑するシンジ。彼が再び視線を落としたアルバムの中では、あの美しい白い花が優しく咲き誇っていた。
写真を見つめるシンジ。アスカが純白のドレスを着た姿を想像してるのだろうか。そして、そんな彼を見つめるレイ、ユイカ、ミユキ。彼女らもまた、似たような光景を想像してるのであるが、シンジの思い描いているそれとはカップリングが異なるというのは、それこそ言わぬが花…。
終
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