外伝「パパ帰宅、そして、ハンバーグ」
作・PDX.さん
私、惣流ユイカ。14歳。
自慢じゃないけど、お料理には自信があるの。
昔っから忙しかったママに代わって、ずいぶん小さいころから私がキッチンに立っていたから。忙しい合間を縫って、マヤお姉ちゃんがお料理を教えてくれたから。
だから、クラスの女子の中では私が一番お料理は上手だと思う。
ママも、レイおばちゃんも、ミサトさんやミユキも、私の作る料理を美味しいって言ってくれる。
「ふふ、これならユイカ、今すぐにだってお嫁に行けるわね」
「ママったらぁ!」
「うふふ、でも本当に美味しいわよ、このシチュー」
「ねぇねぇ、今日は何点?」
「ふふ、100点満点。文句なんか言えないわ」
「やったあ!」
いつの間にか私の方が、ママよりもお料理上手になっていた。ママに誉めてもらいたくて、いつも疲れて帰ってくるママに美味しいものを食べて欲しくて、頑張ったから。
でも、そんな私にとって、一つだけ『鬼門』がある。
ママの大好物。ハンバーグ。
「ねぇねぇ、今日は何点?」
「ふふ、100点!」
「ええ〜っ」
昔から、ハンバーグだけは別格だった。たとえ100点を貰っても、それは満点じゃなかった。
「ふふ、ママはね、世界一美味しいハンバーグを食べたことがあるから。ふふ、あのハンバーグは120点満点ね」
どこが足りないのかママに聞いても、いつも答えは同じ。
挽肉の練り具合も、ほんの少し表面が焦げるくらいの焼き加減も、ソースの塩加減だって、ママの好みに合わせているはずなのに。
120点満点のハンバーグ…それが、パパの焼いたハンバーグなんだって、レイおばちゃんが教えてくれた。まだ14歳のママと暮らしていた、まだ14歳の頃のパパ。私が、一度も会ったことの無い、パパ。
NERVの病院から、ママと私のお家のある居住ブロックに向かうエレカー。
ハンドルを握っているのは勿論ママ。ママの隣、助手席は私の指定席だったんだけど、今日、初めてそこを譲った。
パパ…ママと私の所に帰ってきてくれた、14歳のパパに。
「ねぇシンジわかる? 今左の方に見えているのが、昔コンフォートマンションが建っていたあたりなのよ」
「うん、なんとなくわかるよ。でも、随分ビルが建ったんだね」
「あんたばかぁ? 14年も経っているのよ?」
すっかり観光案内な会話。なんだかパパがおのぼりさんみたい。
ママの後ろの席に座った私は、斜め前、ママの隣に座っているパパの横顔をじっと見ていた。ママが見せてくれた写真と同じ笑顔。繊細そうな男の子。この人が、私のパパ。
そう思うと胸が一杯で、私からは何も話しかけることができなかった。パパも、私相手では緊張しているみたい。時々ママが私に話しかけてくれないと、話の輪に入れない。
それでも勇気を振り絞って、話しかけてみた。
「パ、パパ」
「え? な、なに、ユイカちゃん?」
「あ、あの、晩御飯…」
「え?」
「ば、晩御飯、何がいいですか?」
帰ってきてくれたパパを、私の手料理でお迎えしてあげるんだ、だから、パパの食べたいものを作ってあげるんだ。
「ハンバーグよ!」
「え? ママ?」
ごめんね、ママ、今日は、今日だけはママのわがままを聞いてあげられないの。だって、今日はパパの…。
「ハンバーグよ、いいわね、シンジ?」
「う、うん」
「ずっと前から、予約してたんだから…」
「予約?」
そ、そんな話聞いて無いよ、ママ?
「研究が行き詰まったときとかにね、初号機のケージで愚痴をこぼしてたのよ。『バカシンジ、とっとと帰ってきなさい。このアタシがお腹を空かせて待ってるのよ? だから、早く帰ってきて、アタシのためにハンバーグを作りなさいよね…』だなんて」
ハンドルを握っているママの後ろ姿。
14年間、私を育てながら、パパをサルベージするための研究に青春を捧げてきたママ。私が視線をずらした先には、信じられないほど透き通った笑顔でママのことを見つめるパパがいた。
なんて優しい笑顔。
不覚にも、パパの笑顔に見とれてしまった私の視線に気づいたのか、パパが私を見て言った。
「い、いいよね、ユイカちゃん?」
「え、あ、そ、その、はい」
「ふふ、じゃ、決まりね」
そう言ってママはハンドルを切った。
「ま、ママ、どこに行くの?」
「ショッピングセンターよ。シンジ、ひさびさに食品コーナーで買い物したいでしょ?」
ママにそう言われたパパの笑顔には、でっかく『図星』って書かれていた。
『サード・ヘヴン』
この第三新東京市で二番目の規模を誇るショッピングセンター。その地下一階の食料品コーナーを、私達は親子三人で徘徊してた。
どうして一番大きなショッピングセンターに行かないのかというと、あそこはファッション物は充実しているんだけど、食料品コーナーの質はここに負けるから。
(あーあ、こんな考え方するからミユキに笑われちゃうんだ、私)
お肉、野菜…ちゃんと選んでカゴに入れているパパ。ふふ、中学生の男の子が食料品コーナーでお肉や野菜を買っているなんてなんか可笑しい。
「ねえ、ユイカちゃん?」
「は、はい?」
「スパイスは何があるのかな?」
「え?」
家のキッチンにスパイスのストックが何があるかを尋ねられて、それを律義に答えている私。パパは少し考えて、
「それだけあれば充分だよ」
と笑ってくれた。へへ、誉められちゃったのかな。
でも、そうすると、パパのハンバーグには、私の知らないスパイスは使われてないってこと? うう、ますます気になる…。
「ただいまーっ」
私もママも出かけていたんだから当然お家は留守なんだけど、これはお家への挨拶。
「…シンジ」
「う、うん。た、ただいま」
「おかえり、シンジ」
「おかえりなさい、パパ」
しばし玄関で立ち尽くす私達。なんだかとても穏やかな一瞬。そうだ、そうなんだ、パパが帰ってきたんだ。本当に、帰ってきたんだ。
「ねぇアスカ、キッチンはどっちかな?」
両手に下げたスーパーのビニール袋を手に、男子中学生らしからぬ問いかけをするパパ。ミサトさんが、所帯じみた男の子だったなんて言っていたのは、あの人らしいジョークだと思っていたけど事実だったんだ…。
「キッチンはそっちのドアよ。でもその前に、着替えくらいしないとね?」
「う、うん、でも、僕の着替えなんてないよ?」
「ふっふーん」
にーんまりと笑うママ。荷物をキッチンに置いてきたパパの腕を取って、お部屋に引きずり込んせいった。でも、あの笑顔、ちょっとだけミサトさんに似てた…。
「じゃじゃーーん! どう、ユイカ?」
ママの部屋から出てきたパパが着ていたのは、シンプルなデザインのエプロンだった。
「…」
なんて言えばいいんだろう? 「可愛い」とか「似合う」だと、なんか男の子だと傷付いちゃうかも知れないし、う〜ん、たくましくもないし、かと言って渋くもないし…。
「でも、よくこんなのあったね? 僕が昔着ていたのとそっくりだ」
「あら、アンタが着てたエプロンそのものよ?」
「ええ?」
「ふふ、アンタの持ち物は、全部残してあんのよ?」
「ぜ、ぜんぶ?」
「ええ、あの戦いの後で残っていたものは全部ね」
「そ、そう」
「ふふ、ベッドの下のアレやソレもね」
「ア、アスカ…」
真っ赤になって狼狽えているパパ。一体なにがあったんだろ?
テーブルに座ってキッチンを見つめている私。ずいぶん久しぶりという気がする。
いつもなら、今の私みたいに、ママが私のことを見ているのに。今は、ママと私の二人でパパの後ろ姿を見てる。
でも、むむむ。包丁を持つ手つきといい、リズミカルな手さばきといい、パパ、できる。
動作の一つ一つに無駄が無いのが実感としてわかる。
「ねぇママ」
「なぁに、ユイカ?」
「パパって、昔からああだったの?」
「ん〜、最初はちょっと、んん、かなりおっかなびっくりだったわね」
「そうなの?」
「ミサトなんかと暮らしているから、生きるために仕方なくやってるって感じだったわ」
なんか酷い言い方。親友のミユキのために、ミサトさんをフォローすべきだと思ったけど、残念ながらあの料理をフォローできる言葉は私の乏しいボキャブラリの中には含まれていなかったみたい。ごめんね、ミユキ。
「だから、さんざん私が文句つけて、怒鳴って、仕込んであげたのよね」
「…ママはお料理しなかったの?」
「…懐かしいわね…」
なにげに話題を逸らしわね、ママ…。
「なんだか二人とも楽しそうだね?」
私とママが楽しく(?)語らっている間に、パパのハンバーグができ上がったみたい。
パパ特製の和風ハンバーグ。シメジとシイタケが入った醤油味のソースがかかっていて、いい香りが漂ってくる。付け合わせの温野菜にも、同じソースがかかってる。スープは、さっぱりしたお吸い物。シンプルな組み合わせだけど、バランスはとれてるみたい。サラダがない代わりに、温野菜をどっさり用意してるし。
「うふふっ、うふふっ」
ママ…本当に嬉しそう…こんな子供っぽいママの笑顔なんて見るの初めて。
「お待たせ」
エプロンを脱いだパパがテーブルについて、親子三人勢ぞろい。
ちょっとパパが若すぎるけど、私とママの昔からの夢がかなった瞬間。
「じゃ、食べるわよ。いただきます」
「「いただきます」」
ママは、緊張した面持ちでナイフをハンバーグに入れる。フォークに刺したそれを、ちょっとためらってから『ぱく』と口にした。無言でもごもごやって、それを飲み込むママ。
少しの間。そして。
「…シンジのハンバーグだぁ」
考えてみたら当たり前のことを、でも、あんなに実感込めて、愛おしげに口にするママ。照れながら、苦笑を浮かべてママを見ているパパ。あ、パパが私のこと見てる。そ、そうなんだ、私も食べるんだよね。
では、記念すべき第一刀。
き、緊張するよおお。さっきのママもこんな気持ちだったのかな。ドキドキしながらナイフを入れる。切り口から、たっぷりの肉汁がこぼれる。むむ、表面の焦げ具合も、火の通り具合も、ママの好みにバッチリ。
そう言えば、ママってドイツ出身のくせに、照焼きとかのお醤油の焦げた匂いが大好きなの。だから、こういう照焼き風の和風ソースもママのツボなの。さすがパパ、わかってるんだ。ママは『仕込んだ』なんて言ってたけど、そんなに厳しくビシビシ言いつけてたのかな? でも、パパのハンバーグに、ママの方が慣らされちゃったのかも。
フォークにささったハンバーグを、ぱくっ、と一口。
うわ。
お肉の匂いと、ソースのお醤油の匂い、そしてキノコの匂いが、香ばしいハーモニーを奏でて、隠し味のハーブやスパイスが、さりげなく自己主張してる。なにより、塩加減も甘みの具合も、私が知ってるママの好みのド真ん中! でも、ここまでなら私でもできた。それでも100点だったの。
そして、このハンバーグが、120点満点のハンバーグなんだ。ママに尋ねなくても、顔にはっきり書いてある。でも、そんなこと抜きにとっても美味しい!!
「ど、どう、かな?」
「お、美味しい、美味しいです!」
パパの満面の笑顔。
うん、パパ、その気持ちわかるよ。自分の作ったお料理を、誰かが『美味しい』って言ってくれるのってとても嬉しい。ママの事が大好きなパパの気持ちがたっぷり篭っているから、このハンバーグがこんなに美味しいのかな? でも、私の手が届かなかった20点の秘密を絶対聞きだしちゃうんだから。
そう思いながらハンバーグを食べている私は、幸せいっぱいな中に、だけど、私の知らないパパとママの絆を感じて、ほんの少しだけ寂しいと思っていた。
そんなわけで、パパの作ってくれた美味しいハンバーグで満腹満腹。付け合わせの温野菜が思ったより食べごたえがあって、丁度いいボリューム。確かに、別にサラダを一皿出すよりも、こっちの方が洗うお皿の枚数も減るし合理的。うわ、パパって本当に主婦みたいな考え方する人なんだ。なんか共感。
「はい、デザート」
「あ…!」
パパが冷蔵庫から出してきたデザート〔いつの間に作っていたの?)を見て息を飲む私。なんのことはない、フルーツを盛りつけてヨーグルトをかけただけの物。
だけど、そのフルーツが問題だった。
輪切りのパイナップル…の缶詰。セカンドインパクト以降常夏になってしまった日本ではずいぶんポピュラーな果物だけど、私はなぜか生のパインよりも缶詰めの方が、それもドーナツ型のこれをそのまま食べるのが大好きだった。だけど、そのことを、どうしてパパが知っているの?
あ!
ふと思ってママを見ると、ニヤニヤと笑ってる。
マ、ママ、パパに話したのね!?
でも、でも、パパも、ママのためのハンバーグのことだけじゃなくて、私のためのデザートのことも考えてくれてたんだ。ママも、パパのことだけじゃなくて、私のことも考えてくれてたんだ。私がちょっとだけ感じていた疎外感は、嘘のように消え去っていた。
嬉しい。嬉しい。とても嬉しい。私、この二人の、パパとママの子供でよかった!
「はい、シンジ、あ〜ん」
「ちょ、あ、アスカ、恥ずかしいよ」
「だ〜め、後でアタシも食べさせてもらうんだから」
「ユ、ユイカちゃんが見てるよぉ」
「い〜の、はい、あ〜ん」
くっ、そ、そう来るのね、ママ?
娘の目の前で堂々といちゃつくママの姿を見て、ほんの数瞬前に抱いた私の感激はなんだったの? と思う反面、ママにからかわれて真っ赤になってるパパの姿を、私は『やっぱり可愛い』だなんて、少しだけ思っていた。
終
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