IF外伝「女神のスキャンダル」
作・PDX.さん
碇レイ、21歳。蒼銀色の髪と、紅の瞳が印象的な美人。
中学、高校時代と同じく、ここ、第三新東京工科大学のキャンパスでも、彼女は噂の人物だった。その類いまれな風貌、落ち着いた物腰に惹かれる男子学生は多く、交際を申し込む声は耐えることがない。にもかかわらず彼女はどんな相手からの申し込みも断り続け、浮いた話一つ流れたことはない。
いや、噂が流れることはあるのだが、それはいずれも『だれだれが碇レイに交際を申し込んで玉砕した』という話ばかりである。例外的なものとして、彼女が同性愛者ではないかという噂が、休日に紅茶色の髪の美女と腕を組んで歩いていたという目撃談を伴って流れたことがあったがこれは御愛嬌。
決して多くはないが、気さくに話の出来る友人は何人かいるので、決して彼女は孤高を保っているわけではない。中学時代の「綾波レイ」を知る者から見れば長足の進歩である。
ただ、恋愛というものにたいして全く無関心でいるかのような態度が、周囲の人々からは『勿体ない』と評されていた。
『月の女神』
いつも静かに佇み、しかし、伸ばした手が決して届くことはない彼女は、誰が評したのかそう呼ばれていた。
今日も彼女は、学内カフェテリアのお気に入りの木陰の席で、文庫本に目を通しながら紅茶を楽しんでいた。遠巻きに男子学生が彼女を見つめているのもいつものことである。だが、そんないつもの風景をかき乱す闖入者が突如出現したのだ。
「あれ、レイ?」
「…いか、 シンジくん?」
どう見ても中学生、いや、着ている制服から察して間違いなく同市内の中学生であろう少年が彼女の名を呼び捨てにし、彼女がそれに反応したのだ。カフェテリアにざわめきが拡がる。
「どうして?」
「研究所に用があって。リツコさんに」
「案内するわ」
「そうだね、レイさえよければ」
「ええ」
喜色満面。このとき初めて彼女の笑顔を見たという人間も少なくはない。そして、席を立った彼女は、あろうことかその少年の腕を取り、嬉々として腕を組んで歩きながら研究所の方へ去っていったのだった。あまりのことに声もあげられない弥次馬一同を残して。
「用って?」
「アスカが、リツコさんに提出しないといけない書類らしいよ。なんでも機密保持の問題で、メールじゃだめなんだってさ」
外見が7歳になってしまい、偽装のためにユイカと同じ小学校に通っているアスカであるが、立場としては未だにリツコの研究所の一員である。ちなみに、リツコの研究所はNERVの関連施設であるが、平時に使用される一般窓口がこの大学内にあるのだ。
「アスカは?」
自分の用事、しかも機密がどうのという用事にシンジを使い走りに出したアスカにやや不満げな声。
「クラスメイトの子の誕生パーティーに、ユイカと一緒に行ってるよ」
「…」
たとえ小学生であってもつきあいは大切ということか。そう言えば、高校や大学で友人をつくれ、と彼女にさんざん説教していたのは当のアスカではないか。レイとしては苦笑を禁じえない。
「ユイカも?」
「うん、もともとユイカのお友達なんだってさ」
「…そう」
(碇君と、ふたりきり…)
アスカもユイカもいない状況でシンジと二人きりという願ってもいない状況に、レイの頬がほんのりと染まる。
(ごめんなさい、碇君…今だけでいいから、こうして…)
頬を染め、幸せそうな笑顔を浮かべてシンジと腕を組んで歩くレイ。21歳と14歳ということで身長の差があるぶんいまいち格好はつかないが、それでも「初々しい若いカップル」にしか見えない。事実、すれ違う学生達が唖然として二人を見ている。
このとき、レイの頭の中は現在98%くらいまでシンジのことで占められているため外部の人間のことなど気にしてもいないし。シンジは周囲の視線に気付いているが、これは自分が中学生なのに場違いな場所にいるから珍しがられているのだろうと判断していた。彼は、『月の女神』というレイの異名とその由来を知らない。
リツコへの用事は、研究所で直接彼女にそれを手渡しただけで済んでしまった。NERVがらみということで、研究所の奥には一般の学生や研究者は入室できないが、レイもシンジも有効なIDを持っている。
「あら、ありがとうシンジくん」
「はい、アスカから頼まれたディスクです」
「お疲れさま。ごめんなさいね。私が毎日ちゃんと帰宅できていれば、家で渡して貰えるのに」
「いえ、おやすいご用です。でも…」
「なにかあったの?」
「大学のキャンパスに中学生がいるからでしょうか、なんかずいぶん珍しそうに見られてしまいました。アスカの時もこうなんですか?」
「まあね。見た目には小学生が、機密IDが無いと入れないゲートをくぐっていくものだから、最初はちょっとしたさわぎになったわ」
シンジが今日、なにかと好奇の視線を浴びてきた真の理由に気付かないリツコではなかったが、いちいち指摘すべき問題ではなかったし、指摘しないほうがいいだろうと思って口には出さず、シンジの話に合わせておいた。
「なにか、アスカに届けるものはありますか?」
「こちらからはないわ」
「じゃあ僕はこれで帰ります」
「レイも今日はもう講義とかないのでしょう? シンジくんと帰ったら?」
「そのつもりです」
研究所を後にする二人。来たときと同様、二人は腕を組んでいる。シンジにしてみれば多少照れもあるし、なにより肘のあたりに当たる柔らかいものを意識してしまうのだが、レイの方から腕を組んできたのを離そうとしたら、あの物憂げな瞳で見つめられてしまうのでそれもできない。アスカの癇癪とユイカのおねだり攻撃に匹敵する、レイの対シンジ必殺技なのだ。
結局、その日レイは自宅に到着するまで、シンジの腕を離すことはなかった。シンジとデート気分で歩くことを満喫できた彼女は、終日幸せそうであった。
翌日。
いつものように、学内カフェテリアのお気に入りの木陰の席で、文庫本に目を通しながら紅茶を楽しんでいたレイに声をかける人物がいた。
「レーイ?」
「…橘さん」
レイと同じ講義を受けている学生の一人である。この大学における、レイの数少ない友人の一人でもある。
「ふふ、すっごいことになってるわね?」
「…なにが?」
「ま、レイじゃしょうがないか。PDA持っているでしょ? 学内オンラインマガジンなんて普段見ないだろうけど、ちょっと見てみて」
「…?」
小首をかしげつつ、バッグから取りだしたPDAを操作する。流行のイベントがどうの、今年のファッションはどうの、という無意味な情報しか掲載されていないオンラインマガジンを見る習慣はないので、該当ページをアクセスするのに手間取る。と、ようやくアクセスできたトップページが表示される。
「!!」
驚愕に目を見張るレイをニコニコしながら見ている橘さん。レイのこんな表情など、彼女ですら見たことがない。
一体なにがそんなにレイを驚かせたのかというと…
『ショック! 月の女神はショタコンか!?』
という大文字ゴシックの見出しと、昨日の腕を組んで歩くレイとシンジのツーショットの写真が、オンラインマガジンのトップを飾っていたのだった。
「ね、ね、この子って、前言ってた弟さんでしょ?」
「ええ」
「ふふ、可愛い子よねぇ。レイがこんな幸せそうな顔しているの、わかる気がするわ」
「…何を言うのよ」
照れて、拗ねた表情を浮かべながらPDAを片付けるレイ。しかし、電源を切る前に、記事のトップを飾っていた写真をPDAの壁紙に設定することは忘れなかった。
結局この騒ぎは、オンラインマガジン編集部からの執拗なインタビュー依頼に対して彼女が答えた「彼の名は碇シンジ。弟よ」という簡潔な回答により沈静化した。もっとも、ショタコン疑惑がブラコン疑惑となった後にしばらくして沈静化したのだが。
また、余談であるが、同大学の女子学生の何人かが碇シンジ少年に対してアプローチをしたが、彼の左右につきしたがう二人の女子小学生によって排除されたそうである。
なんであれ、碇レイの周囲は、今日も概ね平和だ。
終
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