外伝「熱戦! 第三中学校運動会!」
作・PDX.さん
三月某日。ここ、第三新東京市第三中学校の運動会の日である。
三学期に運動会というのは日本の伝統に反しているのだが、実際問題、セカンドインパクト後の気候変動の結果、秋とは言え暑くて仕方ないというのが実情なのだ。気候が回復しつつある昨今でも、かつて「冬」であったこの時期で、ようやくかつての「秋」程度の気温である。
とりあえず日中一番過ごしやすい時期、卒業を間近に控えた三年生のための最後の大騒ぎとして、運動会がこの時期にセッティングされていた。
すっこーんと能天気なまでに抜けた上天気。絶好の運動会日和である。
時代錯誤な入場行進と、女生徒どころか男子生徒まで貧血で倒れるほどの校長の長話、前世紀からの伝統たるラジオ体操。全ての予定が多少のトラブルをはらみながらも進行し、ようやく解放された生徒達が、クラスごとに分けられた席に戻ってくる。自分の出場競技まで、しばしの休息の一時である。
当然のことであるが、碇シンジ少年は、ここ2年A組の生徒席に鎮座ましましている。周囲からの羨望のまなざしに晒されつつ。
彼の右隣に座っているのは、惣流ユイカ嬢。髪と瞳の色こそ父親譲りとは言え、顔立ちも、プロポーションも母親譲りの彼女。そんな彼女が、そのしなやかな肢体を体操服に包み、紺色のブルマからにゅっと突き出した長い脚は、男子のみならず女子の目すら惹き付ける。
彼女のさらに右隣に座るのは加持ミユキ嬢。母親譲りの美貌に、父親譲りの垂れ目がチャーミングな彼女。そして、これまた母親譲りの豊満な美乳。スポーツブラに体操服という組み合わせでも、この幸福そうな膨らみの魅力を隠すことはできず、多くの男子生徒の熱いまなざしが注がれている。大胆なのか鈍感なのか、当の本人はその熱視線を意に介していないが。
そして、碇シンジ少年の左隣を強引にもぎとったのは霧島マナ嬢。活発そうな印象を受ける短い髪、ネコ科の動物を連想させる引き締まったプロポーション。行動的であるがゆえに無防備なのではと思えるほどの大胆なしぐさが、やはり皆の目を誘う。
この三人…紛れもなく、三中2Aの三大美少女であり、三中全体で見てもベスト10、下手するとベスト5に含まれるのではという三人が、たった一人の男子生徒の側にいるのだ。周囲から様々な意味の視線が集まって当然である。
なお、碇シンジ少年に対する思慕の視線を向ける女生徒も少なからずいるのだが、案の定彼はその視線には気付いていない。まぁ平たく言えばいつもの鈍感なのだが、身の回りが騒がしすぎるのと、彼自身の目が、彼にとっての女神様に対して主に注がれているせいもあるが。
「そこの男子三人! いつまでもトラックをうろうろしてないで、自分の順番が来るまで席に戻っていなさい!!」
良く通る勝ち気そうな声。
先述の美少女三人と互角か、おそらくはそれ以上の注目を集めている女性の声。
2年A組の担任、惣流・アスカ・ラングレー先生である。
日米独のクォーター故の白い肌、紅茶色の髪、碧く澄んだ瞳。それらによって飾られた文句無しの美貌。28歳という年齢だが、その表情やしぐさが与える印象のために3つ、いや5つは若く見える。十代半ばの少女たちの中にあっても、決して見劣りしない溌剌とした笑顔。そして、少女たちでは絶対にかなわない色香。
その上、贅肉の欠片もない長身、豊満な膨らみ、引き締まったウェスト、そして長い脚へと続く美しい曲線。残念なことに、その美しい曲線は長いトレーニングパンツのために隠されてしまっているが、スポーツブラとノースリーブのランニングシャツによって包まれた上半身は、その魅力を存分に主張しており、男子生徒、男性教職員、一般参加の父兄達の視線を集める、まさに話題の中心、台風の目であった。
長い紅茶色の髪を、動きやすいようにポニーテールにまとめて、サンバイザーを被った彼女の声が、またグラウンドに響く。
「そこーっ! 飲み物は自分の席で飲みなさーい!」
しっかり教師しているアスカ。若手である彼女は、今回の運動会の運営を任された数人のうちの一人なのだ。快活な上にお祭り好きな彼女にはふさわしいかもしれない。もっとも、それ故に彼女の愛娘や、秘密のダーリンの側にいられないのが残念ではあるのだが。
それにしても、と彼女は思う。いくらお祭りとは言え、まったくどうしてこの子達はこうも落ち着きがないのか、と。彼女自身の中学時代を棚に上げてのコメントであるが、男子生徒のかなりは、彼女に怒鳴られたくて、わざと目を引くようなことをしているのである。彼女の苦労は耐えない。
「あ、私、飲み物貰ってくるね。ユイカとシンジさんは何がいい?」
「う〜ん、ウーロン茶」
「僕はオレンジジュース」
「オッケー」
「ミユキ、私もオレンジジュースがいいな☆」
「マナ…席変わってくれたら、マナの分も貰ってきてあげるんだけど?」
「あははははは」
2Aの生徒達の席から離れ、後ろの父兄席に向かうミユキ。そこでは彼女の母親が、巨大なクーラーボックスとともに鎮座ましましていた。
「ママーっ、私達の飲み物お願い」
「ハイハイ、さっきから聞こえてたわよン」
正確には『聞いていた』のである。加持ミサト、御歳44歳。昔からのからかい癖が抜けていない、いやむしろパワーアップしている彼女が、かつての同居人である少年を取り巻く『面白い事態』を無視できるはずが無い。
クーラーボックスから、ウーロン茶の缶を一つと、オレンジジュースの缶を三つ取り出す。
「マナの分なんかいいのに」
「まぁまぁ、この方が面白いのよン」
「…なるほどね」
ユイカ一人がウーロン茶で、その他の三人がオレンジジュース、これでユイカがなにもリアクションをおこさない筈が無い。加持ミサト、44歳。火薬庫の側で火遊びをするのが好きなお方…。
「シンも、おとなしくしててね」
「うんっ」
幼い弟に声をかけて、良く冷えた缶を4つ抱えて席に戻るミユキ。案の定、ミサトの思惑通りの光景が繰り広げられる。
「あーーっ、私だけのけ者ぉ?」
「最初にウーロン茶って言ったのユイカじゃなーい」
「シンジ君、そのジュース少し飲ませて」
「い、いいけど」
「ああーーーっ! ユイカったら間接キスーーっ! 碇くぅ〜ん、マナのジュースもの・ん・で」
「ちょっとマナぁ! 同じオレンジジュースでしょお!?」
目を細めて、愛しい子たちの姿を見るミサトの手の中で、プシュッ、と小気味よい音が鳴る。
「プッハァ〜、やっぱりアレにまさる肴なんてないわよねぇ!」
加持ミサト、44歳。あいかわらず痴話喧嘩とえびちゅが好きなお方…。
さて、なんやかんやでスケジュールは進行し、子供たちは皆、自分たちの出場する競技で奮闘する。
碇シンジの場合。
出場種目はスプーンリレー。脚の速さよりも、手先の器用さとバランス感覚がモノをいう競技だけに、彼には向いた種目であった。もっとも、スプーンではなく、調理用のオタマであったことが、彼の勝利に繋がったかも知れない。日頃キッチンで使い慣れているからねぇ…。
「シンちゃんすっごいじゃな〜い。ほらほら、カンパ〜イ」
「そんな事言われても、ビールは飲みませんよ」
「ちぇ、シンちゃんのケチ。でもなっつかしいわねぇ」
「何が、ママ?」
「ん? 昔ね、シンちゃんが手のひらに私を乗せて運んでくれたことがあったのヨン」
「…?」
機密に接触しかねない話題にギョッとするシンジと、話についてこれない一同。まぁ、ヨッパライにありがちなホラ話だろうと無理矢理納得する一同であるが、かつて彼女が葛城ミサトだったころ、少年の操る紫の巨人の手のひらに乗せられて運ばれたことがあることを、誰も知らない。
惣流ユイカ&霧島マナの場合。
出場種目は400m走。スポーツ万能な二人に相応しい、クラス対抗競技で点を稼ぐための布陣であるが、奇しくもクジ運の都合で、この二人が並んで走る事と相成った。
(し、修羅場だ…)
2Aの生徒達が皆、背中で冷たい汗を流す。クラスでトップクラスの美少女二人が、一人の少年を巡る恋敵であると認識している皆は、このレースを平静に観ることはできなかった。無論、件の少年は貴重な少数派である。
「位置についてッ ヨーイ!」
−パァン!−
脱兎のごとく駆け出す二人。ライバル意識のなせるわざか、互いの限界近くまで実力を発揮し、僅差で、本当に僅差でユイカが勝った。マナは真剣にくやしがっていたが、別に次の週末の、碇シンジ少年とのデート権を賭けていたわけではない。
なお、この時に二人が叩きだしたタイムは、三中の女子記録を揃って塗りかえていた。陸上部を始め運動部が平静ではいられなかったのは言うまでもない。
加持ミユキの場合。
出場種目は障害物競走。おっちょこちょいという印象をうけるミユキであるが、意外や意外、平均台も跳び箱もなんなくクリア。運動神経は両親譲りということか。
もっとも、網くぐりにおいて、グラマーな彼女が体操服&ブルマという魅惑的な格好で、網の中でジタバタともがく姿は、少なからぬ数の男子生徒にある種の感慨を抱かせたらしい。
さてそんな喧騒に包まれた三中の一角に、エアポケットのごとき静寂な空間が出現した。その空間は特異点の移動とともに場所を変え、その後にはそれまでと違うざわめきが残されたという。そしてその特異点が、目標を補足、接近した。
「…シンジ君」
「あぁ、レイ」
碇レイ。28歳。幻想的な蒼銀の髪、紅玉のごとき双眸、処女雪のごとく白い肌。スレンダーでありながら、女性固有の曲線を存分に持ちあわせた肢体を白いトレーニングウェアに包み、ランチを収めたバスケットを下げての御登場である。
クラス内にとびっきりの美少女を三人も抱え、加えて比類なき美貌の担任と、地味ながらも楚々とした美貌の副担任をもつ2Aの生徒達は、言ってみれば美人というものを見慣れている。が、そんな彼らにして息を飲むほどの美女が現れ、しかも渦中の人物、碇シンジ少年に親しく声をかけたのだ。事情を知らぬ誰もが平静ではいられなかった。
(お、おい、だ、誰だ、ありゃ?)
(い、碇の知り合いか? よ、呼び捨てにしてたよな?)
(そ、惣流先生もいいけど、うわあああ)
(なんなのよあの人っ、碇君の、なに!?)
(あんなに親しく話してるうううう、うそおおお)
(ほ、細いよおおっ、あんなにスリムになりたーい)
特に、霧島マナ嬢の受けた打撃は大きかった。既に惣流ユイカ嬢から、碇シンジ少年には現在おつきあいしている相手がいる、という情報を得ていたが故に、目の前の光景が彼女から正常な思考能力を奪ってしまっていた。
(ああああ、あれがまさか碇君のお付き合いしている相手!? そ、そんな、あんな美人と…でも、と、歳が離れてない!? でもあんなに仲良く…あああああ)
そんな彼女の思考を現実の地平に引き上げてくれたのは、つい先刻激しいデッドヒートを繰り広げた相手の少女であった。
「お弁当持ってきてくれたんだ、レイおばちゃん」
いつもなら『レイ母さん』と呼んでいるユイカだが、混乱を避けるため、昔からの呼称を使っている。
((((((((おばちゃん!?))))))))
目の前にいる細身の美人を形容するのにおよそ似合わない単語の意味を、クラスメイト達が咀嚼するのに多少の時間が必要であった。
((((((((お、叔母さん、か?))))))))
言われてみれば、その女性は彼らの担任の教師、すなわち先の発言者である少女の母親と同年代であり、彼女と姉妹、ないしは、彼女の配偶者(すなわちユイカの父親)と兄妹、もしくは姉弟であってもおかしくはない。そう言えば、碇シンジ少年は、惣流ユイカ嬢の親戚ということであった。
((((((((ち、ちょっと待て!?))))))))
惣流ユイカは、惣流・アスカ・ラングレー先生の娘である。まさか、まさか皆の目の前にいるこの女性は、まさかまさか。
((((((((碇君のお母さん?))))))))
母子というには年齢が近すぎる、というのが常識的な判断だが、残念なことにその常識をひっくり返すような実例を日常的に目の当たりにしているクラスメイト達にとっては、それはあまり高いハードルではなかった。先程少年が、件の女性を呼び捨てにしていたことは奇麗さっぱり忘れられている。
((((((((こ、この美人が、お、お母さん?))))))))
皆がパニックから精神崩壊に陥りかけた寸前、やっと当事者が皆に説明をした。
「あぁ、ユイカやミユキちゃん以外ははじめてだよね。僕の姉さん。レイっていうんだ」
((((((((お、お姉さん?))))))))
相変わらず沈黙している一同であるが、どうやら制神崩壊の危機は去ったようだ。霧島マナ嬢も、最悪の想像が外れて、安堵のため息をつく。
(そっかぁ…碇君のお姉さんなんだ…あ、でも、さっきユイカの叔母さんだって…もし、ユイカのお父さんのお姉さんか妹さんで、その人が碇君のお姉さんなら…碇君って、ユイカの叔父さんになるの? そっか、そうなんだ、叔父さんと姪なんだ、てっきりいとこだと思ってたけど、そうなんだ!)
ちなみにこの時代も、叔父と姪は法的に結婚は出来ない。霧島マナ嬢の中で、最大のライバルが大幅に後退、という図式が成立した。まだ見ぬ『つきあっている相手』よりも、目の前の美少女の方が危険度が高いと、彼女は判断していたのである。
「でもレイ、遅かったね」
「お弁当、作ってたから…あと、おやつも」
「わぁい、レイおばちゃん、何作ってきたのぉ?」
「クッキー。たくさん焼いてきたから、クラスのみんなで分けて」
この瞬間、2A女子一同の中で、レイに対する評価が1割前後上昇した。その後実際にクッキーを口にして、その評価はさらに上昇したという。なお、男子一同については語るまでもないだろう。餌を与えるまでもなく、彼らはレイの美貌に鼻の下を伸ばしてしまっている。
なお、レイはその後、加持ミサトの横に席を確保した。まっ昼間からえびちゅを飲んでいるミサトの横にいれば、言い寄ってくる不埒者の数が確実に減るからである。ちなみに、校門をくぐってからここに来るまでの間に、父兄、および男性教職員など計12人が彼女に声をかけ、揃って撃退されている。
そして昼食の時間。シンジ、ユイカ、ミユキがレイとミサトの側にやって来て輪を作る。アスカも加わってなかなかの大所帯だが、幼いシンを除けばほとんどハーレムのような状態である。周囲からの視線が痛いシンジ。
あらかじめ話がまとまっていたらしく、惣流家と加持家の面々も、レイ持参のランチを御馳走になる。日頃食べることが無いレイの料理を食べてその美味しさに感涙するミユキ。ミサトの料理下手は今に始まったことではないし、リョウジの料理の腕前も、ま、そこらの男性並である。確かにかつてのレイも酷いものであったが、今では立派なものだ。
余談だが、今ではレイも肉類は平気である。まだユイカが幼かった頃、『アンタが偏食しちゃ、ユイカだって納得しないわよ! 肉ぐらい克服しなさい! シンジのハンバーグは絶品なのよ! もしシンジが帰ってきたとき、ユイカがハンバーグ食べれなかったら、アイツ絶対悲しむわよ!』というアスカの言葉も一理ある、と納得した彼女は、見事に偏食をクリアしたのだ。半分以上、シンジのハンバーグが食べたかったのかもしれないが。
ちなみに当のアスカは未だに納豆が苦手らしい。
「で、レイ、アンタ、そんなカッコってことは、午後の父兄参加競技にエントリーしてんの?」
「ええ」
「ふ〜ん、で、何に?」
「アスカと同じ」
「げっ…マジぃ?」
「ええ」
「ママと同じって…二人三脚ぅ?」
「そう言えばユイカとアスカさん、放課後にグラウンドで練習してたもんね」
「ふ〜ん、なるほどねぇ」
「なにニヤニヤしてんのよミサト」
「ふっふ〜ん、だって、二人三脚よねぇ〜シンちゃんとレイが」
ピシィッ、と音を立てて凍りつく周囲の空気。
アスカ、ユイカ、ミユキのみならず、少し離れたところで聞き耳を立てていたマナも固まっている。異様な緊迫感の意味がわからずオロオロするシンジ。
「たしかにレイはシンちゃんのお姉さんなんだし、立派に父兄よね。親子でないとエントリーしちゃいけないってわけじゃなし」
「う、ぐ…ま、負けないわよ、レイ!」
「でも、ユイカ達の方が速いと思うよ」
アスカの対抗意欲の意味を勘違いしている鈍感様。
「あら、私だったらシンちゃん達に賭けるわよン☆」
「どど、どうしてですかミサトさん?」
「やってみればわかるわ」
ウィンクひとつ。こういう仕草は、いくつになってもこの人は変わらない。
やがて昼休みの時間も終わり、午後の父兄参加競技が始まった。
ちなみに二人三脚は午後の部の3番目である。
「次だよね、ユイカ」
「そろそろ入場門に行かなくちゃ」
「待って…準備するから」
「え、レ…イ…!?」
硬直するシンジ。彼のみならず、ユイカを始めとする一同が揃って固まっている。いや、少し離れた生徒席のクラスメイト達も、父兄席の皆さんもだ。
皆の視線の先では、碇レイさんがいそいそとスポーツウェアの上着に手をかけ、ためらいもせずにそれを脱いでいる姿があった。白いウェアを脱ぐと、その下にはランニングシャツが着込まれている。競技用というか、彼女が通っているNERV本部内のスポーツジムで使用されているものである。胸元のNERVロゴのワンポイントがそれを主張している。
そして、今度はトレパンに手をかけ、やはり惜しげもなくそれを脱いでしまう。ジョギングパンツから『にゅっ』と伸びた白く長い脚がまばゆい。
たった今脱いだトレーニングウェアよりも白いのではないかと思わせる肌、スレンダーな四肢の曲線、ランニングシャツの下の確かな膨らみ。華奢なだけでなく、成熟した女性美を備えたレイのしなやかなボディラインが、僅かな衣服に包まれて白日の下に晒される。
−ゴクリ−
誰の喉が鳴ったのだろうか。しんと静まった中、その音だけが妙に大きく皆の耳に響いた。
「…シンジ君?」
「…あ、え、何?」
「早く行かないと遅れるわ」
「そ、そうだね、行こうよユイカ」
「そそ、そうね」
「じゃ、じゃあ、二人とも頑張って!」
「あ、ありがと、ミユキ!」
入場門へと走っていく3人。ちなみにアスカは、午後の部が始まると同時に仕事に戻っているためここにはいない。きっと、先に入場門で待っている筈だ。
「………あぁ、ビックリしたぁ」
「……まったく、あの子も相変わらずねぇ」
「…そうなの、ママ?」
「なんちゅーか、羞恥心に乏しくてね。アスカのおかげでだぁいぶマトモになったけど、まだまだ
加減がわかってないわね」
女性陣はあらかた立ち直っているが、あまりにも刺激的なものを見せつけられた男子生徒達は未だに立ち直っていない。
「でもママ、さっき言ってたけど」
「何?」
「アスカさんってスポーツ万能なんでしょ? ユイカだって、さっきあんなに速かったし…シンジさんって、そんなにスポーツ得意ってタイプじゃないし、レイさんもおとなしやかで…とてもあの二人には勝てないと思うんだけど…」
「ふふふ、一人ずつ走ればそうね」
「だってだって、ユイカとアスカさんは練習してたのに、シンジさん達はぶっつけ本番じゃない!」
「無駄よ」
そう断言するミサトの目は、入場門を出て歩く一同ではなく、どこか遠くを眺めていた。
−おおおおお−
遠くの席から沸き上がる野郎どもの歓声。どうやら、二人三脚の選手の中に、アスカとレイを発見したらしい。見れば、アスカもランニングにジョギパンというスタイルである。三中において知らぬ者などいない美貌の女教師と、それに匹敵する美女。この二人が健康的なお色気を振りまいているのだ。十代半ばの男の子達には正直目の毒であろう。父兄席を見てみると、カメラを構えているお父さん達の姿が妙に多い。
そして始まる競走。やはりというか、ロクに練習などしていないペアばかりなので、スタートと同時に転ぶ者や、のっそのっそと走る者など、へっぽこな光景が繰り広げられている。まぁ二人三脚なんて、ムカデ競争と並ぶ運動会のお笑い種目の一つであるし、父兄参加のエキジビジョンなのだからこれでいいのだ。
だが、その中には、マジになっている少数派の人々もいるのである。
「いい、ユイカ? 絶対に勝つのよ!」
「…うん、ママ」
闘志に燃える母娘の視線の先には、足首を紐で結び、身を寄せ合って肩を組んだ、仲睦まじい姉弟の姿があった。
(お、おい、誰だよあれ?)
(碇と…あのおねーさん誰? 父兄なのかぁ?)
(ううううらやましいぞおおお)
(いやあああ、碇くんやめてえええ)
(素敵なお姉様…)
既に観客からも様々な視線やヤジが届いている。
「…緊張してる?」
「ちょっとだけ」
ちなみに彼が緊張しているのは、嫉妬交じりの視線やヤジに委縮しているのではなく、レイの脚と触れ合っている肌の感触や、肩に置かれた彼女の手、また、身長差ゆえに彼女の腰に回した自分の手のせいである。
「二人三脚…あなたに、合わせればいいのね」
「僕もレイに合わせるよ」
「…懐かしいわ…」
「…そうだね…」
もう言葉は要らなかった。ここにいるレイは三人目だけれど、二人目から受け継いだ思い出、そこに込められた淡い想いは確かに彼女のものである。
「位置について…よォーい!」
−パァン!−
瞬間、風が、疾った。
「う、嘘っ!」
「何あれぇ!」
ミユキもマナも呆然としている。アスカとユイカ、運動神経に秀でた母娘は、事前に何度も練習していただけあって、へっぽこな皆様をおきざりに一気に走り出していた。速い、速い、だが、その二人に背中を見せている者達がいたのだ。
(ぐううううっ、シンジぃっ!)
(ど、どうしてそんなに速いのっ、パパ!?)
シンジとレイは、ぶっつけ本番というのが嘘のように、見事にユニゾンして走っていた。身長も違えば脚の長さも歩幅も違う二人が、完璧に調子を合わせて、『いっちに、いっちに』なんて声も出さずに、あたかも並んで全力疾走しているかのような走りを見せていたのだ。
(さすがね…シンちゃん…レイ…)
かつて彼女のマンションで、シンジに合わせようとしないアスカをけしかけるためにレイに踊らせてみて、一発で完璧なユニゾンが決まった時のことを思い出しているミサト。
いかにアスカとユイカの脚が速くても、わずかに調子の合わない部分がロスとなり、全力で走ることができず、結果として互いに足を引っ張ってしまっているのだ。
「ママ…すごい…」
ミユキの向ける尊敬のまなざしに苦笑するミサト。
「ふふ、あの二人はね、昔っからああだったのよ」
結局、シンジに対する嫉妬心から互いの利害が一致しシンクロ率が異常に高まった惣流ペアの激烈な追い上げがあったものの、最後まで碇ペアが逃げ切る形で勝負がついた。この両ペアの走りがあまりにも凄かったためか、三着以下の人たちの影がずいぶん薄くなってしまっていたのは否めない。お笑い種目のはずの二人三脚がこれほどまでに熱い勝負になろうとは、誰も予想していなかったであろう。事実、陸上部顧問の教諭は、今の走りのタイムを測っていなかったことを真剣に悔やんでいる。
レイに負けたアスカはずいぶんお冠であったが、誰にあたることも出来ない様子である。おそらく今夜、碇シンジ少年を相手にフラストレーションを発散するのであろう。一方ユイカと言えば、負けたことは別段どうとも思っていなくて、シンジに身を寄せて幸福そうに微笑んでいる、彼女のもう一人の母の姿を見ていた。
(よかったね…レイ母さん…)
なんとなくセンチな気分になってしまうユイカ。
もっとも、シンジと『親子』として二人三脚をしたいという気持ちもある。
(パパと…二人三脚…肩を組んで…ふ、太股が当たって…きゃああああ)
2Aの控え席に戻る途中、歩きながら真っ赤になって「いやんいやん」しているユイカを優しく見つめているシンジとレイ。二人ともユイカが可愛らしくて仕方ないのだ。もっとも、鈍いほうの一名は、なぜユイカがそのような奇行に走っているのかを理解していない。
そんなこんなで運動会は終わった。
碇レイは、閉会式の直前に皆に挨拶して帰ってしまったが、本来喧騒を好まない彼女らしいといえるだろう。もっとも、いつまでもいると、またナンパ男が寄ってくるだけであろうが。
加持ミサトは、迎えに来た夫の車に乗って帰っていった。ちなみに、彼女が持参したクーラーボックスいっぱいのえびちゅはすべて空になっている。空き缶を校内に捨てていかず、ちゃんと持って帰るあたり立派だ。彼女も母親していると言えるだろう。
子供たちは、後片付けを終えたのち帰宅。今日は制服ではなく、朝から体操服ないしジャージ姿での通学だったので、皆そんな格好での下校だ。シンジと並んで帰るユイカもミユキも体操服にブルマというスタイルである。シンジ、役得。
「ああっ、でも許せないわっ!」
「ミユキったらまだ言ってる…」
「だって、パン喰い競争のパンが購買の餡パンだなんて許せないわ!
餡パンは、やっぱり駅西商店街の、ベーカリー22の餡パンが一番なのよ!」
さすが買い食い女王ミユキ様。
「ああでも、レイさんのお弁当もクッキーも、美味しかったぁ…」
うっとりとしているミユキ様。
(ミサトさんといいミユキちゃんといい、一体どうやってこのプロポーションを維持しているんだろう…?)
若く美しい食欲魔人様を前におののくシンジ。もっとも、ミユキはまだまだ発育途上なので、食べた分だけ成長しているのだが。
「でもシンジさん!」
「な、なに、ミユキちゃん?」
「二人三脚の時、ものすごく速かったですよね。レイさんと一糸乱れぬ走りで」
「う、うん」
「ママが何か知っていたみたいだけど…『昔』、何かあったんですか?」
「え…それは…」
ちらと見ると、隣にいるユイカも真面目な顔で彼を見ている。
「うん…『昔』ね、一緒に踊ったことがあるんだ」
「「踊ったぁ?」」
「もちろん作戦でね。二人揃って、一糸乱れぬ動きで相手を倒す作戦のために」
「ははぁ〜ん、ママが知ってるわけだぁ」
「発案者はミユキちゃんのお父さんなんだよ」
「パパがぁ?」
「でも、その作戦って…ママとしたんでしょ、パパ?」
「ユイカはアスカから聞いているんだね。うん、そうだよ。でも、アスカより先に、練習のときにレイと100%ユニゾンできちゃったんだ。…一発でね」
「「へぇぇ〜っ」」
自分たちの知らない『昔』の事を聞いて驚く少女たち。そこにいるのは、彼女らの同級生、碇シンジではなく、まぎれもない、サードチルドレン・碇シンジだった。
遠い目をして、何かを見つめている少年の横顔に胸をときめかせてしまう少女二人。
もっとも、その後飛びだしたアスカを公園で説得した時の話になってしまい、二人にさんざん冷やかされながら家路を歩むこととなったシンジである。
「ねぇパパ!」
「なに、ユイカ?」
「こんど…お休みの日に、ユイカと二人三脚して!」
「え?」
「ユイカもパパとユニゾンできるか、試してみるの!」
「そ、そうだね」
「もちろん、ママもよ!」
「うん、いいよ」
微笑みあう二人を見て、『絶対乱入してやるぅ』と心に誓う加持ミユキ嬢であった。
終
おまけ
その夜、碇家の寝室。
「…眠れない…」
ベッドの中でニヤニヤしてはごろごろ、ごろごろしてはニヤニヤする碇レイさん(28)。
「…碇君…」
シンジの肩を抱いた時の感触、腰におそるおそる触れる彼の手、足首が結ばれているために触れ合う脚。そして14年ぶりのユニゾン。呼吸も、鼓動さえも一致していたのではという時間。
「…碇くぅん…」
ニヤニヤしてはごろごろ、ごろごろしてはニヤニヤ。
なかなか寝つけなかった彼女であるが、やはり疲れていたのか、そのうち静かな寝息をたてはじめる。
「むにゃ…いかり…くぅ…ん…」
夢の中で、14歳の二人が二人三脚しているのだろうか。
せめて一夜の、甘く優しい夢。
おまけ終
読んだら是非、感想を送ってあげてください。