引き返せない、雑踏

〜Side“A”〜

作者/K-2さん

 




…………3年…………。

『あの日』から、今日でちょうど3年になる。

まだ3年しか経ってないのか、

それとも、…………もう3年も経ってしまったのか。

アタシは3年経った今も、この街にいた。

アイツがこの街を離れて…………3年。

アタシが…………アイツと離れて、3年。

例え拒絶されるとしても、逢いたかった。

でも傷付けたって知ってるから、逢えなかった。

「せめて一目、姿だけでも」って、何度も住所を調べようとしては、

結局調べなかった…………逢いに行く勇気が無かった。


なのに…………、

 

 

 


    * * * * * * * * * * *

         引き返せない、雑踏

         〜Side“A”〜


                 By:K−2(@No.7)

    * * * * * * * * * * *

 

 

 


15年間の永い夏が終わり、

再び1年を4つの季節で分かつようになって、

3回目の冬。


あの『審判の夏』にアタシが所属していた“特務機関NERV”は、
3年の月日を経て、今年正式に解体される事となった。

これからは研究機関として技術部が、
総合病院として医療部が、存続するのみである。
存続する研究機関の名は『UN第三新東京総合研究所』。
存続する病院の名は『UN第三新東京総合病院』。

何て言うか、芸もヒネリも無い名前だけど、
NERVの『ネ』の字も残しちゃいけないというお触れが、
わざわざ国連から発布されたので、これは仕方無い事なのだろう。
もっとも、第三新東京市民には『旧NERV』の呼び名が浸透してるけど。

アタシは結局、『UN第三新東京総合研究所』の、
『技術部 第一技術課 研究開発室(通称:第一技研)』の課長補佐として、
旧NERVに残る事になった。

まさか、苦手だったリツコの下で(彼女は研究所長)、
しかもマヤを直属の上司として(彼女は第一技研の課長だ)、
一緒に仕事をする事になるとは思わなかったけど。
今は彼女らとも友達付き合いと言うか、
姉妹みたいな間柄になれているから不思議だ。

この現状も、加持さん辺りに言わせると、

「これだから人生は面白い」

って事になるのだろうか?


結局の所…………、
3年前のあの時も、今回のNERV解散の時も、
アタシはこの街を離れなかった。
だって、………アタシがホントに輝けていた街は、ここだったから。

この街には、ミサト、加持さん、ヒカリ、リツコにマヤ、
第一技研のみんな、青葉さん、日向さん、
ちょっと頼りないけど鈴原と相田も、
…………それから、ファースト…………レイも………、
アタシを支え、励ましてくれる人々がいるから。

それに、訓練漬けで無機質に過ごしたドイツでの10年よりも、
心と躰を燃やして闘った、1年にも満たないこの町での生活の方が、
今とこれからの自分を支えてくれると思ったから。

だから、この街を、
今のアタシにとって大切な人たちが住むこの街を、
離れるつもりは無かった。


でも…………、本当は足りない。

一番充実していたあの頃に、いつもアタシの側に居たアイツが。

水のように空気のように、当たり前で大切なアイツが…………。

アタシが病院で目を覚ました時、アイツは既にこの街にはいなかった。
コンフォート17のキッチンテーブルの上に、
『松代に戻ります』とだけ書き置きを残して、
アイツは誰とも会わずに去った。

『あの日』の出来事。

“永遠の夏”が終わったあの日に起こった出来事――――
――――――サードインパクトを、知っている者は少ない。

ほとんどの人間の記憶から消え、
セカンドインパクトと同じく隠蔽された真実。

“それ”僅かに知っているのは、ミサト、リツコ、加持さん…………。
『予定』されていたサードインパクトの内実を知り、
なおかつサードインパクトが起こる前に命を落としていた、僅かな人達だけ。

彼らは『死んだハズの自分が生きている』その事自体が、
サードインパクトが起こった証明であると言った。
死んだハズの自分達が蘇ったのは、
サードインパクトの渦中に、『誰か』がそれを願ったからだ、と。

その『誰か』が誰であるのかも、彼らは知っていた。
いや、正確に言えば推察した。


それが、アイツ。

あの後すぐに、誰とも会わずに去った、アイツ。

あまりにもアイツらしい行動。

何も言わずに去ったからこそ、アイツだと推測できる。

ミサトなんかは確信している。

そして…………それは正しい。

そう…………アタシは知ってる。


その日――――――

――――終わらないと夏が終わりを迎えたあの日に、

……………………何が起こったのかを。


傲慢な救世主思想に凝り固まった、寂しがり屋の老人と、

自分の妻の事しか考えられなかった、哀れな男との、

地球全土を巻き込んだ壮大で情けない戦争が、

地に満ちた人々に与えた衝撃


     ――――――サードインパクト――――――


あの最中、“生きて”それを目撃したのは、アタシだけなのだから。

LCLの海として一つになった人々の全ての記憶を―――

―――地球の記憶を、“『一個』の生命として生きたまま”見ていたのは、

アタシだけなのだ。


…………そこに“溶け込めなかった”アタシだけなのだ。

だから、全てを知るのは、アイツと、アタシだけ。

あの日――――

世の全てを、朱い海に飲み込んだ『補完の日』。
傷つけられ、踏みにじられ、精神を壊されたアイツは、
当然 “完全な”補完世界を望むハズだった。

その為に、アイツは幼い頃に『家族』を奪われ、『友人』を作る術を奪われ、
10年間の濁った闇の中にいたハズだった。

そうして、与えられた擬似的な『家族』を、
ようやく出来た2人の『友人』を、
最悪の形で奪い去られる事によって、
アイツの心は補完を望むハズだった。

老人達にとって、
彼らの『計画』にとって都合の良い依代が、
確かに出来たハズだった。

だけどアイツは―――――――アイツは、依代の身に備わった力を、

世界の“再生”の為に使った。


アタシの大親友のヒカリを還し、

アタシが本当は慕っていたミサトを還し、

アタシが憧れ慕っていた加持さんを還し、

アタシの数少ない友達“候補”の鈴原と相田を還し、

アタシが闘いの最中、止むを得ず殺してしまった戦自の隊員を還し、

アタシが一番輝いていた頃、周りにいた人々を還し………、


そうして、失われた人々の全てを、この世に還した。


本当に、バカなヤツ。

本当に、優しかった…………アイツ。


そう――――結局の所 アイツは、全ての力を『他の誰か』の為に使ったのだ。

その気があれば、世界を思う様に変えられる力を持ちながら、
アイツは、自分の為にはその力を使えなかった。

その力を使えば、アイツ自身最も求めていたであろう両親を、
アイツの元に取り戻す事も出来ただろうに。

アイツが行った『補完』は、もちろん『本当の優しさ』だとは言えないだろう。
あるいは『高慢』だと蔑まれるかもしれない。
あるいは『臆病さ』だと哀れまれるかもしれない。
あるいは『ただのエゴ』だと嘲笑われるかもしれない。

アイツは、それらの評価を聞く事は無かったけど。
でも、仮にそれを聞かされたとして、アイツがどんな反応をするか、
アタシには分かる。手に取るように。

きっと、誰に何と言われても、アイツは何も反論しないだろう。

きっと、いつものあの笑顔で、ただ細く、微笑むだけで…………。


   *  *  *  *  *

永遠の夏が終わった日本で、アタシはコンフォート17で一人暮らしを始めた。
まぁ、加持邸(旧葛城邸)の隣だし、2日に一度は夕食を一緒に食べるけど。

家事は、ずいぶん無駄無くこなせるようになった。
まぁこれは、アタシの努力はもちろん、洞木ヒカリ先生のご指導ご鞭撻に因る所が大きい。
ホント、彼女には公私ともに、お世話になりっぱなしだ。

高校は、破滅的だった鈴原の成績をあらゆる手段を駆使して引きずり上げて、
何とか四人一緒の学校に進学した。
鈴原の木綿豆腐と同程度の脳味噌との格闘は、ものすっごく苦労したけど、
ヒカリの心から嬉しそうな顔が見られたので、まあ良しとする。


ミサトは加持さんと一緒になった。
同居時代、『人間失格宣告』を受けそうな程堕落し切っていたミサトの生活態度は、
加持さんと一緒になる直前の3ヶ月間、ヒカリやリツコ、マヤの家で強化合宿を張る事で、
徹底的に鍛え直された。まぁそこには、聞くも涙、語るも涙の奮闘記があるのだけれど、
その結果として今、ミサトは立派に主婦してる。
信じられない事に、加持邸は何時行っても片付いているし、
猛威を振るった料理は、十分以上に食べられる味になっている。

今となっては『一児の母』がすっかり板に付いたミサトだが、
やっぱりヱビチュは止められないらしくて、加持さんを少しだけ嘆かせている。


リツコは、還って来たレイを引き取って暮らし始めた。
…………そして恐ろしい事に、レイの母代わりに甲斐甲斐しく世話し始めた。
レイに女の子らしい仕草とか、一般教養とか教え始めたのだ。
あのリツコが、だ。…………正直、今でも信じられない。
人は誰しも意外な一面を持っているものだけど、
赤木リツコ博士の豹変ぶりは、いっそ感動的ですらあった。
ティーンズ系の雑誌やサイトと首っ引きで、
レイの為の服を選んだりするリツコの姿は、
まさしく『子煩悩』という言葉を具現化していた。

出生の不遇により“浮世離れ指数”の高いレイを、
何とか普通の女の子らしく暮らさせようと、常に努力を怠らない。
そんなリツコは、他の職員から『リツコお母さん』とまで呼ばれる様になっている。
しかも、面と向かってそう呼んでも怒らないし…………。

   *  *  *  *  *


第三新東京市に生まれた三つの家庭。

そのどれにも、彼らの望む概ねの幸せがあり、

そのどこにも、…………アイツの姿は無かった。


   *  *  *  *  *

ミサトやリツコはアイツを引き取ろうと説得したけど、
結局、アイツは松代から戻る事は無かった。
司令夫妻が戻らなかった以上、アイツの身寄りは
司令の又従姉妹にあたる中年夫婦だけだ。

『遠縁とは言え、先生夫婦は肉親だから』

というのがアイツが手紙で伝えてきた理由。

でも、まだアタシ達が3人で暮らしていた頃、
アイツがポツリと漏らした身の上話で、アタシは確かに聞いた。

『松代の家には、あそこには何も無かった。エヴァに乗るより辛かった』

アイツは確かに、そう言ったのだ。
その話をした時のアイツの表情は、アタシやミサトの目に焼き付いている。

「理由はどうあれ、せっかく皆が幸せになったこの世界で、
 彼だけが、またあんな…………あんな顔をしなきゃならないなんて、
 そんなの絶対間違ってるわよっ!」

ミサトはそう言って、何とかアイツを第三新東京に帰らせようと説得した。

「冬月司令に面倒を見てもらったらいい」とか、

「NERVの庁舎で、一人暮らしをしたらどうか?」とか……、


でも、アイツは聞き入れなかった。

そして件の夫婦は、アイツが司令の遺産を相続してると知った途端に、
強硬に養育権を主張した。

「彼を10年の長きにわたって育てたのは我々夫婦だ。
 彼の両親が亡くなった以上、唯一の肉親でもあるし、
 何より14歳の子供を最前線で闘わせるような非人道的組織に、
 これ以上預けてはおけない」

したり顔で『裁判も辞さない』態度を示したその夫婦は、
アイツを、多額の養育費目当てに10年間『飼っていた』夫婦。

ミサトやリツコは歯噛みして悔しがっていたが、
訓練も受けてない14歳の少年を、恐喝まがいの方法で拘束し、
最前線の任務を強いていたNERVの、人道的な非は明らかだった。
NERVが資金力と人脈を駆使して弁護団を組織すれば、
あるいは裁判に勝てる見込みもあったかもしれない。
しかし、アイツ自身が松代行きを望んでいる以上、どうしようもなかった。


ところが、気を揉むミサト達を尻目に、
アイツは中学を卒業と同時に、件の夫婦から独立した。
遺産管理権の一切を件の夫婦に譲渡し、アパートを借りて一人暮らしを始めたのだ。
さすがに件の夫婦も気が引けたのか、
もちろん、高校の学費は遺産から支払われたけど、
家賃や生活費はアイツ自身がバイトを始めて、その金で賄った。


今度こそ、アイツが一人暮らしをする理由は無いはず。
当然ミサトや加持さん、リツコやレイは、何度も出向いたり電話をかけたりして、
第三新東京に戻るように薦めたらしいけど、アイツは戻らなかった。
ミサトからの仕送りすら、受け取らずに送り返してきたらしい。

「…………結局、また逃げてるのよ、彼」

とは、リツコの言葉だった。

…………同感だけど、アタシはそれを責める気にはなれなかった。

 


   *  *  *  *  *




この国に四季が戻って来て以来、2度目の冬。
特にこの時期には、全てを沈黙させるほどの寒さが街を覆う。

おろしたてのダッフルコートの前を合わせ、ミトンの手袋をはめ直す。
アタシの視界を埋め尽くす、着膨れた、似たり寄ったりのシルエット。
今、環状線で4駅離れた高校からようやく帰り着いたアタシを、
くすんだその流れが河となって、駅から押し出した。

あれから3年。


傷ついたハズの第三新東京市は何事も無かったかのように再生し、
闘いの面影を偲ぶ事すら出来ない。
それでも、アタシはここで起こった事を知ってる。

神に近しい力を持った、14歳の壊れた心が行った『偽善』を。

この街にいる人、この国で暮らす人、この星で生きる人の全ては、
その『偽善』の恩恵で生きているのだ。
その意味すら知ることなく。


理由はただ一つ…………、あの時“かみさま”が、そう望んだから。


「…………“かみさま”か…………。

 “神は『力』、

  座を遷(うつ)し、

  姿を変ずる事あっても、

  其は消えはせず”

 ………………………………。

 …………でも…………あの時ココにいた“かみさま”は、

 もう、帰って来ないのよね…………」


人波の流れの中に立ち止まり、垂れ込める薄墨色の雲に呟いても、
何の返事も帰っては来ない。
代わりに、一片の冷たさが、頬を掠めただけだった。


「…………あ…………降ってきた…………」


一つ嘆息して、再び家への道程を歩き始めようとしたアタシの『時』が、
前触れも無く静止した。

駅前の交差点のその道の向こうに、
見慣れた、そして焦がれたあの顔があったから…………。

相変わらず、気恥ずかしいほどに嘘の無い漆黒の瞳。


寒風にサラサラと揺れる、くせの無い短い黒髪。

恋人になるなんて、そんな事は考えなかった。

同僚として認めていたかどうかも怪しい。

家族、それを否定したのはアタシの方。

友達、側で笑い合える関係、初めての対等な異性、

結局それだけ、そしてそれだけで良かったひと。

でも…………、全てが終わった時、アタシは全てを…………
何よりアイツを拒絶した。

結局、アタシは何も受け入れられないほどに、狭量な人間だったんだ。
だからあの補完世界にすら溶け込めず、全ての人を否定し、
一人は寂しいくせに、手を差し伸べてくれたアイツすら拒絶した。


…………アタシはただ、死を望んでいた…………。


アイツは歯を食いしばって、恐怖に打ち勝って他人を求めたのに。
その『最初の他人』として、アイツは他の誰でもないアタシを選んだのに。
『誰かに本当に必要とされたい、認めて欲しい』と思っていたアタシにとって、
それは何よりも嬉しい事だったはずなのに。
アタシはアイツの痛みも、アイツの苦しみも、
補完の最中にこの目で見て知っていたはずなのに。


なのに、アタシは生きようとしなかった。

そして…………死をくれなかったアイツに、多分最も残酷な一言を叩き付けた。

それで全てを捨てるつもりだった。


なのに、気が付いたら世界は、タネも仕掛けもある奇跡で元通りになっていて。

だから、それからの3年の歳月で、アタシは骨身に沁みて知る事になる。


           “ あいつが居ないと駄目なんだ ”


…………こんな形で知りたくなかった、その事実を。


例えばミサトと夕食を食べていて、ふと左隣に話し掛けそうになる時。
例えば登校時に、何気なく後ろを振り向いてしまう時。
例えば作ったカレーの味が理想に達しなくて、その“理想”がシンジの味だと気付く時。
例えば爪が割れちゃったのに爪切りの在処が分からなくて、整理整頓の不得意さを痛感する時。

特別な事じゃない、何気ない日常の中で、
アタシはアイツの存在の重みと、喪失感の痛みを知って行った。

信号は、黄色を経て再び赤になる。
人込みを、片側3車線の幹線道路が切り裂いて。
通り過ぎる車の流れに、切れ切れに見えるその姿。


舞い上がり、揺れ落ちる霧雪と、アイツの黒髪のコントラスト。
その顔を歳より少し幼く見せる、短めの前髪が何よりもアイツらしい。
あの頃と少しも変わらなく見える、うつむき加減の視線。


…………何もかもが、悲しい程に記憶のままで、

アタシにはそれを見る自分の、心の色が分からなくなった。

あの頃と、何も変わっていて欲しくないと、
身勝手な願望と共に反芻していたアイツの面影が、
その願望のままにそこにあって。


髪も、

瞳も、

形の良い眉も、

どこか寂しげなその視線も、

…………そして、その全てに淡い安らぎを感じるアタシの心も。


何もかも全部、ちっとも変わってない。


何も変わっていないから、分からないままに繰り返す。
“今、アタシは嬉しいの? それとも哀しい?”…………そんな馬鹿げた自問自答を。

心の色すら見つけられないアタシの目が、現実に降る雪を滲ませていった。

   *  *  *  *  *


もし…………もしもあの時、

『答え』をアイツに伝えていたら、

何かが変わっていたのかな?


例えアイツに完璧に嫌われていても、

それでもそれを前向きに捉えて、アタシは成長したのかな?


   *  *  *  *  *

赤から青に、信号は人波を急かすように変わって、
アタシは横断歩道に押し出された。
そしてアイツの姿も、人波を淀ませる事無く流れ始める。

すれ違い始める人の流れ。
アイツのいる『点』と、自分のいる『点』が、流れに乗る。
交わりもせず、すれ違うだけの点が…………。


アタシの右、ほんの5mほど先を歩み去ろうとするアイツに、
掛けようとする声が凍る。
どんなに呼び掛けたくても、
アイツの名前は、アタシの唇を滑り落ちなかった。

求め続けたその男(ひと)の名を、結局アタシは呼ばなかった。


例え拒絶されるとしても、逢いたかった。

でも傷付けたって知ってるから、逢えなかった。

「せめて一目、姿だけでも」って、何度も住所を調べようとしては、

結局調べなかった…………逢いに行く勇気が無かった………アイツに。

薄墨色の雲。

ほの暗い陽差しの中で、

偶然に、ほんの偶然にすれ違った、『点』と『点』は、

人波の中を、ゆっくりと離れていった。

雑踏を引き返すなんて事…………、アタシには出来るハズ無かった。

   *  *  *  *  *


辿り着いたマンションの部屋で、
アタシは独り、たった一人で涙を浮べてクッションにしがみ付いた。
別離の悲しさよりも、自分の愚かさが恨めしくて、
灯りも点けずに、ただ声を殺して涙を零した。

ふと気付く、暗闇に光る紅い光。
留守電に入ったミサトの声が、アイツがこの街へ来て、そして去った事を告げる。
自分が悪いんでも無いのに謝るミサトの声にアイツを思い出して、ふと苦笑する。

「何やってんだろう、アタシ」

ぽそって呟いて、

また、ちょっと泣いた。


窓越しに見下ろす第三新東京の夜景に、
あの頃のアイツとの思い出が、一つ一つ滲んでは消える。


空母の上での、ちょっとマヌケな出会い。

この街に来て、コンフォート17でのミサトと三人での共同生活。

一緒に中学とNERVに通って。

このマンションで………、

通学路で…………、

皆と過ごした教室で……………、

喧嘩と、微妙な距離の取り合いと、僅かばかりのじゃれあいと………。


アイツとの楽しかった日々。
ホントの笑顔で笑えるようになったあの頃の、ホントに楽しかった記憶。

アイツの事、アイツについての記憶は、今にして思えば楽しい事もたくさんある。

瞼に浮かぶ『ホントの笑顔を見つけた頃』には、
確かに辛い事もあったけど、苦しくて泣いた事も、心を壊しかけた事もあったけど。


今のアタシを作ってくれた、『全て』だと言い切っても良いあの頃の記憶。


こんな事、三年も掛けないと分からないなんて。

あの頃アタシは、何も見えてなかった。

表層の楽しさに、上っ面の痛みに、ただ右往左往するだけだった。

“アタシは孤高だ”と己惚れて、孤独という言葉に酔ってるだけだった。


でも…………、今日アイツの姿を見て、アタシは改めて思い知った。


天才という言葉も、

エースという称号も、

皆の賞賛や尊敬も、


「アタシが本当に欲しかった物とは違う」と。

それら全てと秤にかけても、手に入れたい物が別にあったんだと。


それが結局、アタシがあの日それと知らずに失った物なんだ、という事。


そして…………その思い出の残り火で、アタシの心は今日まで凍えずに済んだのだという事。

だから、あの頃の記憶を、アタシは忘れられないんだ…………。

ホントは弱いアタシの心は、きっとそれが無いと凍ってしまうから…………。

  寒さに耐えられなくなった今だからこそ、

  怖くても、

  胸を張って、

  いつもの強気を振りかざして、

  アイツと面と向かって、

  もう一度話をしよう。


  …………そりゃ、嫌われてるかもしれないけど。


  例え逢いたくないって言われても、強引にでも逢う。


  何度でも逢って話をして、分かってもらわなきゃいけないから。

  逃げるのはもう、


  お終いにするって決めたんだから。


   *  *  *  *  *

一世一代の覚悟を決めて、電話の前。

アイツの住所を結局アタシは調べなかったけど、
ミサトは当然知ってるはず。

暗い部屋の中、受話器を上げようとして、
タイミング良く鳴る電話に思わず体が固まってしまう。
そのまま留守電に切り替わったテープに、吹込まれる声。


それを聞いていて…………アタシは思わず頭が下がった。


吹込まれたのは、とある住所と、たった一言の言葉。
淀み無く告げられるその番地から長野県松代だと分かるけど、
誰の住所だとも言わないその声。

でも、アタシには聞きなれた声。
そのちょっと子供っぽい声が、優しくアタシの耳朶を打った。


       『無理しちゃ駄目よ』


…………その一言をさらっと言えるのが、彼女の凄い所。


「妙に勘が良いんだから…………。さすが、元・作戦部長よね」


自然と零れる笑みを嬉しく感じながら、
その元・作戦部長に電話をかけて、短くお礼を言う。

そして、現・高校教師にして魅惑の人妻(自称)であるミサトから、
暖かいひやかしと、実に含蓄溢れるお言葉を賜った。

  「大事な男は、逃しちゃ駄目なの。ちゃんと捕まえときなさい」

いつもアタシをからかっていたその弾むような柔らかさの声は、
相変わらずの暖かさで、アタシの背中を押す。


「そうよね…………、
 通り抜けた雑踏に、もう一度踏み込まなくちゃ」

アタシは決意に顔を引き締め、“過去”の住む住所に向かって部屋を出た。


    <to Side“S”>

 

 

 

 

 

 

 


《真面目な後書き》


と、いう訳で、

せっかくみゃあ様に投稿板を作って頂いての投稿であるにも関わらず、
パクリネタに続けて、
ジメジメ暗いEoEアフター話を投稿してしまった
罪業海より深いK−2です。


しかもこれ、2本立て(?)だし…………。

しかも思いっきり時期はずれだし…………。

繋がってるようで繋がってない話だし(いや、わざとそう書いてるんですけどね)。


「いつものスチャラカな、ユル軽い馬鹿話はどうした?」

「何か悪いモンでも拾って食べたか?」

「辛気臭い話書くなよ、もっと甘いの書け、甘いの!」


などと、皆様の暖かい励ましの声が聞こえてきそうですが、
ま、本来は私、こっち方面のジメジトッ…………っとした話も書く人なんです、実は。

今回は

「せっかくみゃあさんが掲示板作って下さったんだし、
 書きかけだった物を完成させて放出しようかな?」

という事で、投稿と相成りました。


ちなみに作中の季節が冬なのは、本当は3月ぐらいに投稿する予定だった為です。
実は『無くて七癖』の後に、ホントはこれを投稿してWebから退くつもりだったのですが、
慢性的遅筆症候群が悪化し、完成に今日までかかってしまいました(死)

(しかも、Webの方には、友人宅からちょくちょく顔を出せるようになる始末。
 お絵描き版に大々的にお別れの挨拶をした手前、やや気まずかったりもしました(苦笑))


内容的には、読んで頂いた通りのお話なんですが、

「Side“S”から読んでも、Side“A”から読んでも、
 違和感無く読める内容にしよう」

という当初の目的は、どうやら達成できなかったようです。

…………骨折り損でした…。余計な事考えなきゃ良かった(泣)

まぁ、いつか書こうとか夢想している長編の設定を織り交ぜたり、
対比や隠喩を心がけて書いてみたり、
アスカさんとシンジ君の本当の再会を『寸止め』してみたり(笑)、
いろいろ実験的な事も出来て、楽しかったです。


ま、そういう訳で、

だらだら書いた割に内容の無い、

いつも通りの後書きもここまで。


またいずれ、どこかの電脳世界でお会いしましょう。

MASTER UP:2002/8/31



 


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(updete 2002/09/14)