引き返せない、雑踏

〜Side“S”〜

作者/K-2さん

 








…………3年…………。

『あの日』から、今日でちょうど3年になる。

まだ3年しか経ってないのか、

それとも、…………もう3年も経ってしまったのか。

僕は3年ぶりに、この街に来ていた。

僕がこの街を離れて…………3年。

僕が…………彼女と離れて、3年。

嫌われてるのは分かってたけど、逢いたかった。

でも「また傷つける」って思ったら、逢えなかった。

せめて声だけでもって、何度もかけようとしては、

結局電話もかけなかった…………かけられなかった。


なのに…………、

 

 

 


    * * * * * * * * * * *

         引き返せない、雑踏

         〜Side“S”〜


                 By:K−2(@No.7)


    * * * * * * * * * * *

 

 


あの『永い夏』に僕が所属していた組織は、3年の月日を経て、
正式に解体される事となった。

これからは研究機関として技術部が、
総合病院として医療部が、存続するのみである………らしい。


僕は正直、そんな事には全く興味が無かった。
だから、この街に帰って来るつもりも無かった。

色んな人に『第三新東京に残れ』と言われたのを振り切って松代に戻ったのは、
もう誰とも、生活範囲を重ねたくなかったからだ。


でも、あの頃の危険手当や、特別国際公務員に対する給与、
その他諸々のお金で僕は莫大な資産家になってしまったらしく、
各種受領手続きの都合上、もう一度、この街を訪れる事になった。


僕は『あの日』、唯一の肉親―――父親だった男を失った。

その日僕は、世界の混乱が収まると同時に、
復旧した交通網を駆使して松代の先生夫婦の所へ行った。
第三新東京の誰にも、一言も告げず、置き手紙だけを残して。
突如として舞い戻った僕を、先生夫婦は最初全く歓迎しなかった。
でも僕が、『碇ゲンドウの死亡』と『それに伴う遺産の相続』をチラつかせた途端、
手の平を返したように態度を豹変させ、上げ膳据膳の歓迎パーティーをしてくれた。
もちろん同時に、NERVに対して強硬に僕の養育権を主張した。
ま、ある意味これほど裏表が分かり易くて、付き合い易い人達もいないだろう。

結局先生夫婦の元で、中学卒業までの時を無難にやり過ごした後、
高校進学と同時に、僕は一人暮らしをするためにその家を出た。

松代に戻る理由には、
『遠縁とは言え、先生夫婦は肉親だから』なんて言い訳を使ったんだけど、
それも中学卒業までの同居で義理立ては十分だろう。
これ以上彼らと嘘寒い家庭ゴッコをするのもうんざりだったし。


一人暮らしをするに当たって、やはり一番の問題はお金だった。
高校生の身分ではバイトで稼げる生活費にも限界があった。
それは、この2年で身に沁みて判った。
これからの為にも、どうしてもまとまったお金は必要だ。

なぜなら僕は『両親の遺産』の管理権を、中学卒業と同時に『先生夫婦』に譲ったから。
…………彼らに対する、事実上の手切れ金だ。
どうせ彼らは『僕自身』ではなく、僕に付いてくる『お金』に用が有ったんだから、
くれてやればこれ以上干渉されないだろうし、元々自分のお金じゃないから未練も無い。

そういう訳で危険手当と給与の方は、これからの僕の生活にとっての重要なお金になる。
たった一人の実の父親が、故人であるとは言え、
いろんな意味で『フダ付き』の男だった。
まともな就職にありつけなくなる可能性も視野に入れると、
貰える物は貰っておきたい。

もちろん受領手続きは、全てオンラインと郵送だけで事足りる事務的な物だった。
でも、上司でもあり姉でもあった女性―――ミサトさん―――が、

「もう一度だけで良いから、顔を見せて?」

と、電話口で声を詰まらせたので、
さすがに、そんな不義理をする訳にもいかなくなって。
僕は日帰りの予定で、もう一度だけこの街の土を踏んだのだった。


用件自体は、書類を読み、印鑑を押してサインをするだけの簡単な物で、
半日かからずに全てが終了した。
用事を済ませた後、ミサトさんとお茶を一杯だけ付き合って、
僕は誰にも合わないように駅へ向かった。
見送ってくれると言うミサトさんの申し出も、丁重に断った。
駅で見送られるのには、あまり良い思い出が無かったから。


ミサトさんの指に、

古いデザインのエンゲージリングを見付けられただけで、

それだけで十分だった。

   *  *  *  *  *

この国に四季が戻って来て以来、2度目の冬。
特に、この時期になると訪れる、心まで凍て付かせる寒さ。

着ているコートの襟を合わせ、マフラーを直して歩く。
着膨れた、似たり寄ったりのシルエットが濁った河となって、
駅への道を流れていた。

第三新東京市。

廃虚と化していたハズのこの街は、
何事も無かったかのように、この国の首都として機能し続けている。

『あの日』サードインパクトによってジオフロントをもぎ取られ、
巨大なクレーターとなっていたハズなのに。
誰に疑問を持たれる事も無く、ただココに存在し続ける街。

今この星に住む全ての人達は、闘いの傷すら“知らない”のだ。


理由はただ一つ…………、あの時“かみさま”が、そう望んだから。


「…………“かみさま”か…………。

 “神は『力』、

  座を遷(うつ)し、

  姿を変ずる事あっても、

  其は消えはせず”

 ………………………………。

 …………あの時ココにいた“かみさま”は消えてしまった。

 じゃあ、“神”は、何処に行ったんだろう?

 何処かの誰かに、行使されてるのかな?

 …………そして、“世界”でも生み出してるのかな………?」


人波の流れの中に立ち止まり、鉛色の空に問い掛けても、
答えは降りて来たりはしない。
代わりに、一片の冷たさが、額に触れて落ちる。


「…………降ってきたのか…………」

一つ頭を振って、再び駅へ向かって歩き始めようとした時、
僕は一瞬、時が止まるのを自覚した。

駅前の交差点のその道の向こうに、
見慣れた、そして焦がれたあの顔があったから…………。


変わらない、曇らないその深い蒼劈の瞳。


見間違えようも無い、その艶やかな金髪。

恋人になりたいなんて、そんな大それた事は望まなかった。

同僚として認められていたかどうかも、僕にとってはさしたる問題じゃない。

ただ、例え擬似的な物だとしても家族として、

…………そして願わくば友達として、

側で笑い合えているだけで、それだけでよかったひと。

でも…………、全てが終わった後、僕はこの街から…………
何より彼女から逃げ出した。

僕は結局、傷付けられるのを恐れたのだ。
あの世界から全ての人を還しておいて、
やっぱり僕は、傷付けられる恐怖心からは逃れられなかった。

もう一度、他人と向き合う為にこの世界を選んだハズなのに。
その『最初の他人』として、僕は彼女を選んだのに。
他人への恐怖ぐらい、覚悟していたハズなのに…………。

なのに気が付いたら、彼女を否定しようとしていた。

そして…………たった一言を言われただけで、僕は逃げ出した。

全てをかなぐり捨て“都合の良い事実”だけを後に残して。


そうして、それまでの自分と同じように逃げて、逃げて、逃げ続けて。
歳月をかけて、ようやく辿り着いた『答え』は、


           “ 彼女の側にいたい ”


…………そんな陳腐なモノだった。


そんな答え、3年前のあの日にだって持っていた。
だから、彼女を『最初の一人』として選んだんじゃないか。
それでも、それすら出来なかったから、僕は逃げたんじゃないか。
なのに…………。

赤に変わった信号。
片側3車線の幹線道路を挟んだ人込み。
通り過ぎる車の間に、見え隠れるその姿。

風の中を舞い始めた淡雪が、彼女の髪に白い彩りを添える。
そこには見慣れた…………彼女の気高さと脆さを象徴する紅。
あの頃と少しも変わらなく見える、真紅の髪飾り。


…………何もかもが、馬鹿みたいに昔通りで、

何だか無性に泣きたくなった。

昔とは、何もかも変わってなきゃならないハズこの街で、
僕が、確かにそう望んだハズの街で、
彼女も僕も、結局少しも変わってない。


髪も、

瞳も、

薄朱い頬も、

どこかに陰りを見せるその表情も、

…………そして、再びここにいる僕も。


何もかも全部、ちっとも変わってない。


せめて何かが変わっていて欲しかった。
“あの選択は間違っていなかった”って、そんな証が欲しかった。

身勝手なその思考と共に、いつしか視界は…………滲んでぼやけていった。

   *  *  *  *  *


あるいは…………もしあの時、

『答え』を彼女に伝えていたら、

何かが変わっていただろうか?


例え彼女に拒絶されても、

もっとマシな僕が、ここにいただろうか?


   *  *  *  *  *

いつの間にか青に変わった信号と、人波の流れに押されて、
僕は道を渡り始めた。
そしてもちろん、人波は彼女をも押し流していた。

すれ違い始める人の流れ。
彼女のいる『点』と、僕のいる『点』が、流れに乗る。
交わりもせず、すれ違うだけの点が…………。


僕の右、僅か5mほど先の空間を通り過ぎる彼女に向け、
思わず声を発しそうになる。
呼び掛けてみたくなるけど、
彼女の名前は、この胸の中からは出なかった。

焦がれ続けたその女(ひと)の名を、結局僕は口にしなかった。

嫌われてるとしても、逢いたかった。

でも傷つけるって思ったら、逢えなかった。

せめて声だけでもって、何度もかけようとしては、

結局電話もかけなかった…………かけられなかった、あのひとに。


鉛色の空。

鈍い陽の光の中で、

偶然に、ほんの偶然にすれ違った、『点』と『点』は、

人波の中を、ゆっくりと離れていった。

雑踏を引き返す事は…………、僕には出来なかった。

   *  *  *  *  *

松代行きのリニアを待つホームで、
僕は独り、たった一人で涙を浮べてベンチにへたり込んだ。
別離の悲しさよりも、自分の弱さが恨めしくて、
人の目も気にせず、ただ涙が流れるに任せて、そこを動かなかった。

いつの間にか、到着していたリニア。
発車を告げるアナウンスの声に弾かれるように車内に駆け込んで、
そのうちにふと、漏れる笑み。

今の自分が、今までの自分が、

…………可笑しくて………哀しくて…………、

僕は微笑って、また、泣いた。


窓越しに振り返る第三新東京の街並みに、
あの頃彼女と交わした言葉が、一つ一つ浮かんでは消えてゆく。

第三新東京に来て、コンフォート17でのミサトさんとの共同生活。

そこに彼女が加わって。

一緒に中学とNERVに通って。

あのマンションで………、

通学路で…………、

皆と過ごした教室で……………、

罵声と、からかいと、ほんの少しの優しい言葉………。


彼女との楽しかった日々。
確かに笑い合っていたあの頃の、確かに楽しかった記憶。

彼女の事、彼女についての記憶は、今思うと楽しい事の方が多かった。

瞼に浮かぶ『まだ笑えていた頃』の記憶には、
微笑みと、苦笑と、他愛の無い喧嘩と、弾けるような笑顔が確かにあって。


今の僕を支えてくれている、『全て』だと言い切っても良いあの頃の記憶。


こんな事、今頃気付いたって訳じゃない。

僕は、ずっと知ってた。

ただ、顔を背けて誤魔化していただけなんだ。

“去りし過去”だと決め付けて、決別という言葉で目を逸らしてきただけなんだ。


でも…………、今日彼女の姿を見て、僕は分かってしまった。

風を彩る、彼女の金糸の髪。

いつも澄んでいた、蒼い瞳。

いろんな言葉を発した、薄紅色の唇。

快活に、良く笑う所。

声を殺して、歯を食いしばって泣く癖。

ユニゾンの時に、一緒に練習したあのダンス。

緑の朝、僕の三歩前を歩く、その後ろ姿。

文句を言いながらでも、出した夕飯を残さず食べる所。

寝苦しい夜、ベランダで一緒に眺めたあの夜景。

それら全てが、僕を生かしていたんだって事も。


それは結局、僕が“生きていた”のは、あの頃だけなんだ、という事。


そして…………その思い出の残り火が、僕を今日まで生かしてくれていたのだという事。

だから、あの頃の記憶を、枯らせてしまってはいけないんだ…………。

臆病な僕を、もう振り切らなきゃいけない…………。

  目を逸らし続ける事が出来なくなった今だからこそ、

  怖いけど、

  胸を張って、

  無け無しの勇気を振り絞って、

  彼女と向き合って、

  もう一度話をしよう。


  嫌われてたって良いんだ。


  相手にされなかったとしても、後悔はしない。


  ただもう一度、逢って話をしよう。

  逃げるのはもう、


  お終いにしよう。


   *  *  *  *  *

一世一代の覚悟を決めて、途中下車。

彼女の携帯の番号はきっと変わってるだろうけど、
ミサトさんに教えてもらえばいい。

閑散とした田舎駅のホームで、
コートの内ポケットから、携帯を取り出そうとして、
そこから『はらり』と落ちる白い紙。


拾い上げて…………僕は小さく苦笑した。


そこに書かれていたのは、11桁の数字と、一行の走り書き。
頭3文字とハイフンの位置で携帯の電話番号だと想像は付くけど、
誰の番号だとも書かれていないその紙。

でも、僕には分かる。
右上がりのちょっと読み難いその癖字が、誰の字であるのか。


       『無理しちゃ駄目よ』


…………その走り書きに滲み出るのが、誰の“優しさ”なのか。


「何でもお見通しか…………。さすが、元・作戦部長」


滲む視界をゴシゴシと拭い去って、
その元・作戦部長に電話をかけて、短くお礼を言う。

そして、現・高校教師にして一児の母であるミサトさんから、
有り難いからかいと、胸が詰まりそうになる励ましの言葉を貰った。

  「あの日無くしたモノを、取り返しなさい」

いつも僕にハッパをかけてくれたその優しくて強い口調は、
今も変わらない暖かさで、僕の背中を押す。


「そうだよな…………、
 通り抜けた雑踏に、もう一度踏み込まなくちゃな」

僕は苦笑と共に嘆息して、“過去”への電話をかけ始めた。

    <to Side“A”>


《不真面目な次回予告》


シンジは至高の料理に勝つ。だがそれは全ての始まりに過ぎなかった。
父・海原雄山から逃げるシンジ。
ミサトの傲慢は、自分が雄山を倒そうと決心させる(←そりゃ無理だ)。
次回『見知らぬ、天丼』
この次もサービス、サービスゥ!


アスカ:ミサトが作った天丼とか食わされたら、雄山さんも『倒れる』んじゃない?

リツコ:一理あるわね。


* * * * *


冗談はこれくらいにしましょう、皆様の呆れた顔が目に浮かぶので。

こっちにも後書き書こうかと思ったんですが、
Side“A”にまとめて書く事にしました。

まずそんな人はいないとは思いますが、
もし後書きをお読みになりたいのでしたら、
Side“A”の最後を御覧になって下さい。

んでは。


MASTER UP:2002/8/31



 


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(updete 2002/09/14)