知性。
感覚によって得られた物事を認識・判断し、思考によって新しい認識を生み出す精神の働き。
おそらく存在しているだけでは知性あるものとは言えない。
また、『知識』を持っているだけでもそれは同じだろう。
他に必要な要素は何だろうか。
知識とは逆の位置にありそうな『感情』も不可欠な様な気がする。
『主観と客観』、『経験』。思いつくものはいろいろとある。
ならば知性あるものの条件を一言で言えばなんだろうか。
私はおそらく『自分』を認識する事だと考えるのだ。
Evangelion The World
第弐拾弐・一話 Intelligence 前編
かのっちPresents
サハクイエル戦から2日、マヤは整備班からのデータを持ってリツコの私室へと向かう途中、
その先から私服姿でハンドバックを手に歩いて来る彼女と出会った。
「あれ、先輩?」
時間は午後の6時。いつもなら後1時間は残って仕事をしているところだが。
「もうお帰りなんですか?」
「ええ。MAGIの定期診断は徹夜になるから今のうちに休んでおかないと。
整備班からのデータね。もらっておくわ。」
戦闘後の仕事にようやく一区切りがついた技術部は、
MAGIの定期診断を予定どおり二日後に行う事を決定したのだ。
「あ、はい。でも、ずいぶんと早くありませんか?」
「実は、子供達から夕食に御呼ばれされてるの。ささやかながら戦勝祝いですって。」
「もしかして、あの3人が作るんですか?」
「本当はどこかレストランにでも招待しようと思っていたんだけど、あの子達で作りたいって。」
そういうリツコは本当に嬉しそう。
「シンジ君のおかげでレイもアスカも料理の腕を上げているみたいだし、本当に楽しみだわ。」
「いいなぁ先輩は。
シンジ君料理上手って有名だから、ウチの課以外にも食べてみたいって娘、多いんですよ。」
「それに加えて、この前のアレでさらに人気が出たみたいじゃない、彼。」
リツコの言うアレとは、サハクイエル殲滅直後のシンジの言葉である。
本人は半分眠っていたせいでアスカにしか言ってなかったつもりらしいが、
実はあの時の通信はNerv全館に繋がっていたのだ。
「そうなんですよ!中にはシンジ君を目当てにしてるってコもいるって話で。」
「噂のレベルで済む事を願うわ。本当に手を出しても良い結果は生まれないもの。」
アスカもそれを感じているらしく、最近シンジとの距離を縮め気味だ。
「二人して焼き餅焼きですからね。」
「そうね。そういえば、あなたは大丈夫なんでしょうね?」
「せ、先輩まで・・・。」
ガクッと肩が落ちる。
マヤ本人は自分が童顔であるのを気にしているのだが、
実は男性職員の間でかわいいという高めの評価を受けている。
技術部No.2という評価も実力主義の此処では引け目にならず、
彼女と付き合いたいと願う者は少なくない。
なのに何故か当人にはその気が無いらしい。
それが周囲に、マヤの嗜好にはどこか特殊なものがあるのでは、
という疑いをもたらしているみたいだった。
だがそれにしたってリツコの耳にまで届いているとは、この風評はかなり広まっている様子。
「それは、シンジ君ってどこか可愛いし、時々すごく格好良く見えますけど。
でも私はアスカちゃんと張り合うつもりはありません。」
「そう。それならいいのよ。あなたって何故か男っ気が無いから少し心配だったのよ。」
それじゃあと去って行くリツコの背中を見送りながら、
噂の出所はリツコではないかと不安に思うマヤであった。
「いらっしゃい、リツコさん。」
インターフォンを押し待つこと暫し、出迎えに現れたのは意外にもシンジ。
「こんばんは、シンジ君。」
見慣れたとはいえ、相変わらずエプロンのよく似合う男子中学生だ。
「それにしても、シンジ君が出迎えてくれるなんてね。少し遅かったのかしら。」
「今日は僕が主役じゃないので。」
「そうなの?」
少年の後を歩きながら、漂って来る良い匂いに食欲をくすぐられる。
その発生源たるキッチンでは、色違いのエプロンを身に着けた少女達が楽しげに動いていた。
「いらっしゃい、リツコ。」
「こんばんは、リツコさん。」
「こんばんは。ごちそうになりに来たわ。」
「本当にごちそうだから食べて驚きなさいよ。
今日はアタシがメインディッシュ担当なんだから。」
アスカお得意の自信満々に胸を張る仕草も、エプロン姿だと愛嬌があって可愛らしいという印象。
「そして私がデザート担当。」
珍しくアピールしてくるレイはオーブンの前でしゃがんでいる。
テーブルの向こう側、その上に手をかけて顔だけをのぞかせているのが、
まるで小さな子が背伸びをしている様に見えて微笑ましい。
どちらにせよ二人とも相当に自信があると見える。
「これは本当に楽しみね。」
「ええ、実は僕も。今日の僕は二人の補佐ですし。
さ、完成までもう少しかかりますから、向こうでくつろいでいてください。」
そう促されて応接間に向かってみれば、そこにはまたも見慣れないものが。
「やっほー、リツコ。」
所在なさげにテーブルの前に座っているミサト。
彼女が手にしているグラスの中身はビールではなく麦茶だ。
「珍しいわね。あなたが呑んでないなんて。」
「ま、ね。せっかくの御馳走、酔って味が分からないなんてもったいないし。」
そう言ってやや照れくさそうにはにかむ。
「それにさ、なーんか手持ち無沙汰っていうか。」
と、自分の為に座布団まで用意してくれる。
シンジとの同居の折、半分冗談で言った花嫁修行だったが、
どうやらそれは思ったより順調に進んでいるようだ。
(さすがシンジ君、と言ったところかしら。)
だが、彼だけの影響ではあるまい。
座ったところから振り向いてみれば、仲良く動いている3人が見える。
ほんの2日前に死ぬか生きるかの勝負をやってのけたとは思えない程、
普通の家庭を作り出していた。
どんなに疲れた心でも、これを見ているだけで癒されてしまう。
そんな和やかな気持ちでお茶を啜っているリツコの側に、カナタとヒカルがやって来た。
ほとんど一緒にいるせいか、ペンペンとも随分と打ち解けたらしく、
時折3匹一緒で何かをしているという事もあるらしい。
(この子達に会う度に、煙草を止めて正解だったと思うわ。)
猫好きで猫グッズを集めている彼女だが、
以前は仕事のストレスからか煙草の本数がかなり多かった。
しかしいつでもこの子達に会えるとなって、一念発起して禁煙を開始、
見事一ヶ月で完全達成させたのである。
今膝の上にヒカルを乗せたリツコは、まさに至福の面持ちでその娘の背を撫でていた。
「ごちそうさま、アスカ。言うだけの事はあるわね。」
目の前で美味しそうに湯気を上げていたトマトスープ仕立てのロールキャベツも、
今は影も形も無く皿の白さだけがそこにある。
「とーぜん。まあ、アタシはホワイトソースで煮込む方が好みなんだけどね。
それもなかなか良いでしょ。」
「デザート、出来ました。」
「レイお手製のクッキーね。」
シンジが片付けたテーブルの中央に、クッキーを盛った大皿を置くレイ。
未だ湯気の上がっていそうな出来立てのそれらは、
アスカの入れてくれたコーヒーと一緒にいただく。
いい具合に焼けたお菓子が口の中で良い音を立てる。
元々コーヒーはブラックでその苦みをも楽しむリツコだが、
クッキーの甘みで苦みを和らげながらというのも悪くない。
「さて、そろそろ本題に入りましょうか。」
「あ、気づいてました?」
「戦勝祝いにしては、私の他に誰も呼んでないもの。」
学校の3人はNerv関係者でないという理由が成り立っても、
Nerv所属になったシンジの幼馴染み達を呼んでいないというのは不自然だ。
「また機密に関わる話?」
サハクイエル戦での情報公開もTOP2が未帰還な為、未だ事後承諾をもらっていないのだが。
「もしかしたらそうかも知れません。NervってA.T.Fの事をどこまで解き明かしているんですか?」
そうね、とリツコは少年の質問の意味を考えて、
「A.T.Fの本質についてという事なら、殆ど解っていないというのが本当のところね。」
「ちょっとちょっと、殆ど解ってないってことは無いでしょ。
あれだけ何度も見たり調査したりしてるのに。」
「位相空間、壁としてと緩衝帯としての発生が可能。個体によって波長に違いがある。
でもこれらはあくまでA.T.Fの起こしている現象。
シンジ君の訊ねているのは本質や、発生原理ってところね。」
「どう違うのよ。」
「どう・・・ね。ん〜〜〜説明しづらいわね。」
良い例えは無いものかといろいろと頭の中を探ってみる。
ふと、手にしたコーヒーカップの中、波打つ黒い液体に表面に目が止まった。
「波紋法はどう?」
「波紋?」
「そう。」
実体験で存在を知り、しかも科学的な分析も可能。
それは特殊な呼吸法によって増幅・制御され、そのエネルギーの波は太陽光線のそれと同じ。
電気によく似た特性を持ち、鉄や生物由来の物質に伝導しやすく、
水や油にはそのエネルギーを一定時間蓄積させる事も可能。
物理的な破壊力は弱いが、生物に対して絶大な影響力を持つ。
その作用は基本的に生命力を活性化させるといったもの。
また、基本はそのままに幾種類かのバリエーションがあるという。
「よくもそこまで調べたわね。波紋を習ったのって先週よ。間に使徒戦もあったっていうのに。
リツコ、アンタちゃんと仕事してる?」
その約一週間でかなりの使い手にまで成長したアスカが、やや呆れながら冗談を言う。
「全部調べる暇なんてある筈無いでしょ。
SPW(スピードワゴン)財団にメールして波紋の研究資料を送ってもらったのよ。」
「SPW財団?いくらリツコさんが有名でも、よくすぐにもらえましたね。」
レイの当然の疑問に、リツコは少し視線をずらして笑う。
「偉大なるは人脈、コネってものね。ありがとうシンジ君。」
「ミツキ叔母さんは元気そうでしたか?」
「メールで伺う限りではね。あなた達の写真を送ったら喜んでいたわ。」
「叔母さん?」
「うん。母さんは3人姉妹だったんだけど、末の妹さん。
リツコさんとも年齢が近かったんじゃあなかったかな。」
「ええ。時々メール交換しましょうって話になったわ。
それはともかく、SPW財団ですらここまで解っていても制御法のメカニズムが掴めていない。
呼吸法はあくまで波紋を練る為のもの。波紋の一点集中などの技術はもう感覚の問題よ。
身体というハードウェアじゃあなく、精神というソフトウェアのエリア。」
「え、でも結局は脳から出る電気信号と、それに対応する筋肉の動きなんでしょ。
リツコとNervの科学力なら解明できるんじゃないの?」
「その電気信号にしても、例えるならLSIってところ。ハードウェアの領域を出ないわ。
それを制御しているプログラムの解明はまだまだね。
レイに気功を教えるとき、シンジ君は気の集中に『水を掬い上げるイメージで』って例えたわ。
そんな、イメージを直接具現化させるプロセスなんて、今の科学力の限界を超えている。
ミサトで言うなら、気配を殺す技術なんて解りやすいかもね。
もし私がどんなに息を殺して隠れていても、
あなたなら気配を感じ取って探し出す事くらい簡単でしょう?」
「なるほどね。」
「A.T.Fに関しては全てのプロセスがソフトウェアに属していると言えるわ。
だから現象として発生したものを観測できても、その本質を知る事が出来ないの。」
「それで、なぜA.T.Fの事を?」
「直接にってわけじゃあ無いんですけど、使徒と自分との関連性が知りたいんです。」
「関連性?」
「ええ。A.T.Fを外部展開できるという点で、僕には他の人達以上に使徒との共通点がある。
それが何なのかを調べて行けば、自分か使徒の正体が分かるかもしれませんから。」
なんという事だ。
彼は知っている。
『外部展開』という言葉を使った以上、全生命がA.T.Fを有していると既に知っている。
「ちょっと待って。何その外部展開って。
なんだかそれってあたし達にもA.T.Fがあるみたいじゃない。」
ミサトにしては早い理解だ。今それを喜んで良いものか疑問ではあるが。
しかしここまで来た以上、引き返す事は出来ないだろう。
「あるのよ。おそらく生きとし生けるもの全てに。
だからこその最高機密。でないと無駄な人体実験が横行することになるわ。」
「で、でも、本当なの?」
「ええ。僕はジェミニで他生物とシンクロすることで、その体でA.T.Fを使えます。
もし僕がジェミニでアスカにシンクロしたらアスカの体で。
同時に、アスカ自身もA.T.Fを感じ、外部展開出来る。
そして、そのA.T.Fはアスカの波長をしている筈なんです。
ただ確かめた事はありませんから、実際に計測してもらおうと思って。
それで今日、リツコさんをお招きしたんです。」
「でもアンタの事だからそれだけで終わってないんでしょ。どこまで推理してるの?」
「アスカは弐号機とシンクロする事で弐号機のA.T.Fを使える。
さっきも言ったけど、ジェミニで僕とシンクロすれば自分自身のを。
つまり、A.T.Fを使える条件はシンクロするという事。
なら、使徒は何とシンクロしているのか。
そもそも、シンクロするとはどういう事なのか。
正確に把握できれば、使徒がどういう存在なのか理解できるかもしれない。」
さすが碇ユイ博士の息子というところか。
そこまで思考を巡らせているのならば、
おそらく『シンクロする』という事の本質にも辿り着きかけている。
「いいわ。MAGIの定期検査があるから、明後日の午後から実験を行いましょう。
最後に聞いておきたいんだけど、誰もがA.T.Fを持っているって事実、どうやって知り得たの?」
「まだ言っていませんでしたっけ。ジェミニの視覚は生命を見るんです。
気や生命力、さらには魂と呼ばれるものも。そして、A.T.Fも。
レイの零号機での怪我を治療したのもその応用です。
他者のA.T.Fに働きかけ、生命力を誘導して治すんです。」
なるほど。スタート地点が違いすぎるのだ。
例えるなら数百年前の科学者と現代の学生といったところか。
先達は様々な実験等の上にようやくのことで世界の姿を知っていった。
しかし、その後を行くもの達にとってそれらは初めに習う、いわば常識に等しくなる。
どちらが優れているとかいう話ではない。
シンジの場合もそうだ。
単に彼は知り得たというだけに過ぎない。
だからこうやって相談という方法をとっているのだ。
(結局、こうやって積み重ねていくわけだものね。)
そしてそれこそが進化というものなのだろう。
2日後。
第3実験棟に集まった5人。
体技場でないのはオペレートルームがあり、計測に便利だからだ。
実験の内容が機密に関係してくる事もあり、この部屋にはリツコとミサトの二人しかいない。
とはいえ、実験の内容そのものは極簡単なものの為、リツコ一人で充分事足りるのだが。
現にミサトは強化ガラスの窓の側に立ち、下の実験場を見下ろしている。
その頭には何故かヘッドフォンタイプの通信機が。
「あー、あー、ただいまマイクのテスト中。そちらの感度はどうですか?」
『感度は良好よ、ミサト。』
『こちらも何も問題ありません。』
『僕も。それにしても、Nerv内でこんなものを使うとは思いませんでした。』
「元々EVAのプラグ内には通信機が備わっているから。
わざわざそちら側にスピーカーをつける意味が無いもの。」
安全を考え完全密閉できるガラスの向こう側には、はめ込み式のスピーカーすらない。
それゆえ、作業員はこれをつけて仕事をしている。
「だからって、ミサト、あなたまで着ける必要は無いのよ。」
なにしろこの部屋にはスピーカーもマイクもあるのだから。
現にリツコはスピーカーからの音を聞き、目の前のマイクに向かってしゃべっている。
「良いじゃない、別に。着けてみたくなったんだから。」
年甲斐も無くいささか子供っぽい理由をすねた様に口にするミサト。
しかしすぐに気を取り直して下との通信を再開する。
「それよりもどう、シンジ君。生身でその中に入った感想は。」
『そうですね、こんなに広いとは思いませんでした。
いつものEVAに乗っている時は窮屈さすら感じるのに。』
『いつもはEVAの感覚だから気づかなかったわけか。改めてEVAの大きさを実感したわ。』
感心した様な声を出しているのはシンジにアスカだ。レイの声が聞こえない。
元々口数の多い方ではなかったが、声が聞こえないというのは不安になる。
ただでさえ最近レイの出生に関わる話題が多かったのだ。
「レイ。」
『はい?』
「あなた、大丈夫なの?」
『はい、別に何も。でも、なぜですか?』
「いえ、零号機の暴走事故の事があるから、もしかしたらと思って。」
『ああ、その事なら平気です。あの時はプラグ内で気を失ってましたから。外は見てませんし。』
「そう?ならいいけど。」
未だ面と向かって訊く事が出来ないというのは、真実を知っているリツコにはもどかしい限りだ。
『リツコさんこそ、徹夜明けなのに平気?』
「実験はA.T.Fの波長の計測だけ。休憩なら後でたっぷりとるわ。
それに、嬉しい差し入れもあったから。」
1時間前の事、MAGIの定期検査が終了したちょうどその時、
発令所の下の階に割烹着姿の長身の女性が入って来た。
簡単にくくっただけの髪には年齢相応の白髪が混じり、
それでもその姿に似合わない眼光を持っている。
食堂の総括責任者、通称『食堂のおばちゃん』だ。
彼女の後ろにはシンジ達と護衛マナとムサシを伴っており、
さらに彼等はカートに寸胴と食器を乗せて押して来ていた。
気っ風の良さが特徴の彼女なだけに、
どことなく子供達を引き連れているといった印象のある構図である。
リツコがどうしたのかと訊ねると、
何でも日頃の感謝を込めて、手料理の差し入れをしに来たのだという。
『いいか、てめえら!この子達からの心の込められた手料理だ!
粗末にするやつはあたしが許さねえ!全員、有り難く頂戴しろ!!』
『Yes,Ma'am!!』
ノリが良いのか徹夜明けでハイになってるのか、全員が敬礼付きで返礼した。
『なんだか大げさになっちゃいましたけど。でも好評だったのは嬉しいです。』
『量が多いからちょっと手を抜いてポトフ風になっちゃったけどね。』
「アレで手抜きなんて言ったらバチが当たるわ。」
たっぷりのトマトが入った野菜スープ。ソーセージを使ったところがより良かったらしい。
「でもあのおばちゃんが了承したわね。」
Nerv内の食堂といってもやはり商売、わざわざ客を減らす様なまねをするとは思えないのだが。
『副司令が特別予算と許可を出してくれました。』
『ちゃっかり一番に食べていったけど。』
「急なとんぼ返りをした割に、抜け目ないわね。」
『あの司令の下で働いているのよ。
これくらいの抜け目の無さは当然・・・って、シンジ君の前で言う事じゃなかったわね。」
『いえ、あの父さんですから。
にしても、こういう場合父さんの方が帰ってきそうなものですけど、どうして?』
「それだけ重要な任務という事よ。さ、こちらの準備は整ったわ。始めましょうか。」
『はい。』
「おはようマヤちゃん。まだ仕事?」
「あ、おはようございます、日向さん。」
MAGIの定期検査があり、今日初めて発令所に入って来たマコト。
マヤは自分の席から顔を向けて挨拶を返すが、
しかしその手は止まる事無く、プロの中でも抜きん出たスピードで、
かつ正確にキーボードを叩いている。
「先輩の実験のお手伝いです。シンジ君に頼まれたとかで。」
「ああ、葛城さんも付き合ってるよ。
それにしてもシンジ君にしては気が利かないな。なにも徹夜明けにやらなくっても。」
「日取りを決めたのは先輩ですよ。
それに実験っていってもA.T.Fの波長パターンの記録取りだけみたいだから。」
それにお礼の前払いもしてもらいましたし、とマヤは笑う。
「さっき聞いたよ。うらやましいな。美味しかったそうじゃない。」
「とーっても。だからあと1〜2時間くらいは全然平気。」
「私としてはゆっくり体を休めてほしいところだがね。」
そこにシゲルを伴って発令所へと入って来たコウゾウが声をかけてきた。
「あ、おはようございます副司令、青葉さん。」
「おはようございます。しかし、副司令も今日はもうお帰りになる予定では?」
南極から使徒襲来と殲滅の報を受け、その処理の為に急遽帰国した彼。
既に急ぎの事務処理は終え、こんなところに来る必要は無い筈だ。
「なに、何日も留守にした本部に異常がないか、自分の目で確認しておきたいだけだ。
何もしないでというのは落ち着かなくてな。」
「つまり、副司令も十分仕事中毒ってことッスよ。」
「違い無い。」
彼の苦笑するのを背後に、シゲルは自分の席に座り端末を操作する。
「しかし、一体何の為の実験かね?シンジ君のA.T.Fの波長パターンは記録済みの筈だが?」
「さあ?なんでも別パターンを試してみたいとかで。」
「詳しい内容は君も聞いていないのかね。」
帰国早々サハクイエル戦の顛末を聞かされたコウゾウは、
その最中の機密に関わる情報開示の件も知らされていた。
もしやまたそれに近いことだろうか?
シンジの依頼を受けてとなると、おそらくはそうなのだろう。
真実というものは往々にして知るタイミングというものがあるのだが。
「まあ、彼女の事だ。心配はいらんか。
青葉二尉、本部内の安全確認はどうなった?」
「深刻な異常は見当たりませんね。
ただ、実験場エリアのシグマユニット第87タンパク壁に腐食が見られるようです。」
「87?先日交換したばかりのところじゃないか?」
「不良品が混ざってたって事ですか?」
画面に件の壁の映像を出す。
不気味に黒ずんだシミが、肉眼でも判るくらいのスピードで広がっていく。
「これ、普通じゃない・・・。」
「発熱も高まって来ている・・・!何だこれは!?」
面積が広がっていくのに比例して、広がるスピードもさらに増していく。
その時、第1種警戒態勢の放送が始まった。
「発令者は!?」
「赤木博士です!」
Nervの上級幹部は危険を感知した場合、自らの判断で警戒態勢を発令する権限を持つ。
つまり今リツコはその危険を感じたという事。
そして第1種警戒態勢の意味するところは。
発信音がマヤの席にリツコからの通信が入った事を告げる。
「先輩!?」
『今すぐ実験場エリアを中心に異常がないか検索をかけなさい!
シンジ君が使徒の気配を察知したわ!』
その言葉にすぐさま第87タンパク壁を思い浮かべたマヤは、
発令所の正面のメインモニターにその映像を出す。
そこには不気味な発行をしながら増殖を続ける黒ずみがあった。
「まさか、使徒の侵入を許してしまったのか・・・。」
『第87タンパク壁に浸食!?この真下じゃない!!』
「リツコ!確認できたの!?」
気楽な実験から緊迫した雰囲気に一転した実験場で、頭上のガラス窓へとアスカが怒鳴る。
『不審な浸食が真下からこちらに向かってるそうよ!
パターン青はまだだけど、あんた達は今すぐ逃げなさい!』
「いえ、もう来ました。」
ミサトの命令に静かな、しかし既に戦闘モードに入ったシンジの声。
レイとアスカをかばう様に身構える彼の視線の先、窓ガラスの真下の壁が徐々に黒ずんでいく。
反射的にA.T.F弾を撃ち込むが、オレンジ色の壁に阻まれて黒ずみにまで届かない。
「A.T.F!」
黒ずみが一気にはっきりとした黒い円になると、尾を引きつつシンジ達の方へと向かって来た。
「逃げろ!!」
素早くシンジの声に反応する二人からは慣れつつ、彼自身はA.T.F弾で攻撃を繰り返す。
その全ては相手のA.T.Fで完全に遮断されるが、囮として引きつける事は出来た。
目標をこちらに定めた黒い円は、逃げるシンジを執拗に追いかける。
『シンジ君、パターン青が確認されたわ!間違いなく使徒よ!
戦闘はなるだけ避けてケイジに向かいなさい!』
「了解!」
EVAが無い以上、敵との能力差は全てにおいて段違いだ。
引きつけるだけ引きつけておいて一気に逃げるしかない。
「お兄ちゃん!」
「アンタも逃げなさい!」
既に実験場の人間用出入り口まで退避した二人がシンジを呼ぶ。
それを確認した彼は、一旦彼女達のいる方とは反対方向へと走る。
そして壁へと向かってジャンプすると、さらに壁を蹴って3角跳び、
至る所に黒い線がのたくった床を大跳躍で飛び越す。
気功とA.T.Fを併用した大きな放物線。
が、
「二人とも、そこから離れて!」
すぐに飛び退く二人の足元、入り口の一帯が黒く染まる。ちょうど着地予定の場所を。
シンジはそのまま落ちていくと、着地の寸前で足元にA.T.Fを展開、
それを足場にして少女達とは反対側へと跳ぶ。
「おにいちゃん!?」
この使徒はもう完全に自分を狙っている。
ならば、このまま二人と一緒にケイジに行くわけにはいかない。
自分は囮となって敵を引きつけ、その間に撃退の算段をつけてもらうしかない。
「サポートを!」
「わかったわ!」
「お兄ちゃんも気をつけて!」
逃げるシンジを追っていく黒い線を見て、二人も瞬時に状況を把握したらしい。
シンジへ背を向けて全速力で走り出した。
同じく走り始めたシンジは、黒いシミが自分を追ってくるのを確認し、さらにスピードを上げる。
命がけの鬼ごっこが始まった。
To be continued
あとがき
今回、説明シーンがかなり多いです。
出来る限り分かりやすくとがんばってみましたが、どうでしょうか?
A.T.Fやシンクロといった要素はEVAには欠かせない特徴だけに、
この謎解き部分を避けるわけにはいかないので。
説明の中の例えが完全に正しいかどうか判りませんが、どうぞご容赦の程を。
では、後編で。
かのっちでした。
2006年7月30日
同年 8月16日改稿