風のあと 透明な時間2  Apart

 

 

 

 

 

 

私は“風の強い昼下がり”を過ごした。

 その“風”は私を強く強く揺さぶり、去っていった。

それはとても決定的なもので、私の中のどこかはそれを『運命の邂逅』と呼ぶべきだと主張したほどだったが、私の理性と知性、そして羞恥心が3匹そろって断固とした反対意志を示したので、結局『出会い』ということになった。

妥当なところだとは思うのだけれど、正確ではないとも思う。

 

クラスメートとしてそれまでにも何度も顔をつきあわせていたにもかかわらず、私はその時初めて彼女たちを“視た”のだから。

私はあの3人を知った(それが極々僅かだったことはよくわかっていた)が、彼女たちの方は私のことを、100%文字通りの意味で、なにも知らなかったのだから。

 

そう、あのとき、彼と彼女たちに出会った。

碇 シンジという少年は一人でチェロを弾き、そして泣いた。

綾波 レイ、惣流 アスカ ラングレーという二人の少女はそれを聴き、立ち去った。

私はそれを見ていた。 ただ、見ていた。

それだけのこと。

たった、それだけのこと。

それは、私にとって耐え難い。

 

 

 

 

 

 

 

 

昔、テレビでこんなドキュメンタリーを見たことがある。

 

ラザール・ボーアルネはその48年の生涯で、大小あわせて32もの歌劇を作った。

そのうち後世に残ったのは、借金を返済するため田舎貴族の注文どおりに作った、たった一曲。

それも彼の死後170年ほど経ってから、シオドア・R・エリスンが発掘し、彼独自の編曲を施したからだ。

原曲からは似ても似つかぬものになってしまっていたが、それでも“前衛的”と自ら称するいくつかのグループによって今でも何年かに一度は世界のどこかで演奏され、そのプログラムには原作者(あるいは原案)として、ボーアルネの名前が記載されている。

ボーアルネがそれを喜んでいるかどうかは、判らないが。

タイトルは「亜細亜の王様」。

そのクライマックスというべき、ワン・シーン。

 

王様   「大臣!大臣! あの歌人の首を刎ねよ!」

大臣   「はい。直ちに。

       ですが陛下、何故で御座います?

あの者はただ歌っただけで御座います。それも誠に美しく」

王様   「わからぬのか?

       あの者は世界の秘密を歌ったのだ!!」

 

群衆一同 「刎ねよ! 刎ねよ!

       美しく歌う者の首を刎ねよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

結論(結果の方が良いかもしれないけれど)から言うと、“風の午後”から1ヶ月後、彼らと“友達”になった。

 

   1ヶ月?

 

もしかするともう少し短い時間だったかもしれない。

そこら辺ははっきり覚えていない。

なにせ、私達が中学3年だったのは、10年も前のことなのだ。(10年とは長い長い時間だ)

そしてその約1ヶ月間にはいくつかの出来事(イベントといった方が良いかもしれない)があった。

大きな事も小さな事もあった。

共通項はどれもそれぞれに奇妙に歪んでヘヴィでタフだったということだ。

もちろん、私にとっては、ということ。 

別に、5000ドルを賭けたポーカーをしたわけじゃないし、ならず者に捕まったとか、旅のガンマンと恋に落ちたりしたわけじゃない。

 

でもなぜなのだろう? その時のことは、独特の鮮明さで、私の心に残った。

 

 

 

 

 

 

 

 

私は時々考える。

あの時に起こったことはなんだったのだろう?

全部が一本の糸に繋がれていたようにも思えるし、バラバラの出来事にも思える。

ただ、それらのことは私とあの3人が知り合うのに必要だったような気はする。

 

   でも、本当に?

 

本当に、あの時に起こったささやかな日常の欠片達が必要だった?

もし、欠片の一つ、たった一つでも違ったら、私はあなた達と違った関係になっていた?

それとも、全然知り合えなかった?

 

      私にはわからない。

        私にはなにもわからない。

 

 

でも、それらのことは“今”の私のためには必要だったのだろう。

 

              たぶん、きっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

私が立ち竦んだあの日、私はいつものように午後の授業を受け、家に帰った。

夕食を両親と一緒に流し込み、部屋に辿り着くと明かりを消してベッドに横たわる。

目を閉じる前に枕元の時計を見る。

夜光塗料の中途半端な、ひどく不安定な明るさが表示する時間は、私が思っていたよりずっと早い時間だった。

こんな時間にこんな気持ちで眠れるわけない、なんて思いもしたけど、結局すぐに意識が暗くなっていった。

 

その日、眠り始めた時間だけがいつもと違った。

 

 

 

 

 

 

 

 

          私は疲れていた。

          自分で思っていたよりもずっと深く。

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日はいつもよりずっと早く目が覚めた。

パジャマのまま下に降りると(私の部屋は2階にあった)、母親に自分でも情けないほどくぐった声で「おはよう」といった。

「あら、こんなに早いなんて珍しいじゃない」

 が答えだった。

目覚ましは一応セットしてあるのだが、大抵母親が起こしに来てくれるギリギリまで寝ている私では無理もない。

ぼんやりとしたまま、歯を磨き、顔を洗い、髪をとかし、制服に着替える。

 

 

あまりにもいつも通りの“作業”で、私の心などという些末なものでは、何の影響も及ぼさないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、母に対する義理で、牛乳をコップ一杯だけ流し込んで、家を出た。

いつもより30分は早い時間。

よく晴れた空はじりじりとアスファルトを焦がし始めていた。

 

路を歩くのは、私一人。

どこか慎重に、踏みしめるように、学校へと歩く。

そうしなければ、迷子になりそうだった。

 

 どうして誰もいないんだろう?

 どうして私は一人なんだろう?

 

それは中途半端な時間に家を出たせいだ、とわかってはいたのだけれど。

 

当然の必然として、前日に惣流さんと綾波さんと別れた曲がり角に着いた。

自分でも気が付かない内に、おずおずと様子を窺う。

誰もいなかった。

正直、ほっとした。

どうせ30分もしない内に教室で顔を合わせるのはわかっていたけれど、とにかく私は安心していた。

 

代わりにそこで私を待っていたものがあった。

コガネムシの死骸だ。

綺麗な色だな、と脈絡なく思ってしまっていた。

それは鈍く光っていて、なにかの金属で作られているみたいだった。

自然に産まれたものだとは思えない。

暗示的というか、示唆的というか、私はそこに何かの意図を感じないわけにはいかなかった。

 

金属製の死骸の周りには、赤黒い小さな蟻達が群がり、列を作っていた。

ゆっくりとゆっくりと、空っぽの抜け殻が引きずられていく。

 

それはなんだか、ひどく荘厳なものに見える。

チベットかどこかのお葬式みたいに。

横で見ていると不必要に思えるほど、豪華な葬列。

もちろん、当事者達には何かの意味があるのだろう。

不必要に見えるのは、私のせいであって彼らに責任はない。

 

ふっ、と足下を睨み付けている自分に気付く。

 

「バカバカしい・・・」

 

呟き声が零れる。

そのコガネムシが、いつかの夕暮れ、私の頭の上で街灯の明かりに向かって飛び続けていたコガネムシだ、と思うのはロマンチックにもほどがある。

なにより、コガネムシの死骸はコガネムシの死骸であって、コガネムシの死骸以上のものじゃない。

 

「バカバカしいのよ」

 

もう一度、今度は意識して、呟いてみる。

その呟きは小さい塊になって、誰にも、なににも拾われることなくアスファルトの上に落ち、乾いた音を立てた。

幸い、だったのだと思う。

朝の光が土砂降りみたいに遠慮なく降り注いでくれていたから、その塊はドライアイスのようにすぐに煙になってあたりに広がってくれた。

 

    ただ、その煙はドライアイスと違って、ひどくどす黒いものだったけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

      白昼夢。

      まだ目が覚めていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

その日はもちろん、それからも私の生活に変化はなかった。

私は自分が“見た”ことを誰にも言わなかった。

第一、何を言ったらいいのかもわからない。

たとえ、真っ赤に焼けた蹄鉄を肩に押しつけられても、投げ縄で馬に引きずられても、私には嘘をつくこともできないのだ。

その代わり、私はあの3人を見ていた。

注意深く、用心深く、気付かれないように彼女たちを見ていた。

 

彼女たちは全く普通だった。

確かに少女たちの容姿は整いすぎていた。

少年の横顔も、目を見張るほどではないにせよ、綺麗だった。

華やか過ぎる惣流さん。 静か過ぎる綾波さん。 平凡過ぎる碇君。

それでも本質的に私たちと同じ場所と同じ時間に居るようにしか見えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしてそんなふうでいられるの?」

 

 

“ナンシー”さんが“トム”君と“テニス”を“したがっていた”。

“しかしながら”、“その日”は“トム”君の“お兄さん”の“誕生日”で・・・・・・

 

 

あきれるほどくだらない文章が綾波さんの細く綺麗な声で読み上げられる。

そんな物憂げな授業中、私は何度も言葉を吐く。

強化プラスチックだかなんだかでできた冷たい机に向かって吐く。

そこにわざとらしくプリントされた不自然な木目。

その不快感に一人耐えながら、声に出さず、吐く。

 

「あなたたち3人が普通であるはずが無いでしょう?

もしそうなら、私をこんなふうに出来るはずが無いじゃない。

それなのに、なんでもないみたいに私たちなんかといっしょに居るなんて。

そんなの。 そんなのって卑怯よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

私は戸惑い、混乱し、苛立っていた。

友人たちはそんな私に気がつかない。

付き合っていたボーイフレンドなどは、デートの最中

「なんか、今日はやたらと元気いいじゃねーの」

と言い、私をひどくがっかりさせた。

それでも私は

「そう?別にいつもといっしょだけど?」

などと答えることが出来てしまい、よりいっそう落ち込んでしまったりもした。

 

耐え難い時間の中、私もまた普通の生活を送っていた。

 

そんなことが出来たのは予感があったからだと信じたい。

 

このままでは済まない、という予感。

もしくは、済ませたくない、という願い。

それとも、覚悟、かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてチャンスは訪れる。

あの3人に触れることができるかもしれないチャンスが。

 

それは私の望んだような形ではなかったのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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どうも、Kitaです。 本当に、お久しぶりです。

この話は、はるか昔に送らせて頂いた「透明な時間」の続きです。そのつもりです。

しかも、さらに続きます。細かいコメントは後程ということで。

それでは、失礼します。

01.01.21