風のあと partD

 

 

 

 

 

 

 

 

それぞれの家路を急ぐ私たち。

繰り返される冗談さえ気まずいけれど、笑顔で別れてみせた。

 

別れ際、2人きりになった時、リカが私に言った。

多分、彼女はそのチャンスをずっと待っていたのだろう。

 

「あのさ。あの人たちとなんかあった?」

 

「え?なにが?」

     卑怯な、私。

 

「ん… なんかさ、らしくないなって。あの時のキミ」

 

リカは私を“キミ”と言った。

冗談めかせてくれていたのだと思う。

リカはそういう気遣いのできる少女だった。

 

「あんなふうに怒鳴るなんて。

 始めて見たわよ。

 らしくないじゃない? キミはそういうタイプじゃないからさ。

 ……だから、なんかあったのかなって」

 

 

嬉しかった。

それは癒されるようなものではなかったけれど、彼女は何かを感じてくれて、それを言葉にまでしてくれた。

だからせめて、正直に答えたいと思った。

 

「別に。別になにもないわよ……」

 

そう、なにも、ない。

言葉にできるような事はなにもない。

 

惣流さんが泣いたのをみんな、あなたのせいじゃない、と言ってくれた。

  (そこにはもちろん自分のせいでもない、という意味も込められていたけれど)

それは、正しい。

 

 

確かに撃鉄を起こしたのは私なのかもしれない。

でも、弾丸を込めたのは彼女自身で。

引金を引いたのは碇君だった。

 

 

 私に…あんな涙を……引き出す…力は……ない。

 

 

「そう…」

 

リカは何か言いたそうだったけれど、じゃあね、と軽く手を振ってくれた。

 

そんな彼女を誇りに思った。

彼女が友達でいてくれている事を、誇らしく思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 リカと言葉を交わしていた短い時間、“蜂”たちは動きを止めていてくれた。

 

 それぞれに羽を休めて、様子をうかがっているように見えた。

 

 けれど、リカの姿が視界から消えるとすぐにまた動き出す。

 

 その動きは相変わらず容赦なかったけれど、どこか投げやりで疲れているようにも思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

家に帰るとすぐ母親が出てきた。

 

「あら、お帰り。遅かったわね」

 

「ただいま」

 

私は投げやりに声を残して、自分の部屋に行こうとした。

あんな事があった直後では、親をどんな目で見ればいいのかわからなかった。

 

「あっと、ちょっと」

 

階段に向かう前に母に呼び止められた。

 

「なに?」

 

「あなたに電話があったわよ」

 

「へえ、そう…」

 

足を止めずに背中越しに返事だけしておいたけれど、ちょっと意外に思った。

知り合いからの電話は大抵携帯のほうにかかってくる。

でも、その時はどうでもいい事だった。

 

「男の子からよ?」

 

「誰から?」

 

母は追い撃つように言葉を重ねた。

肝心の名前を言わず、回りくどい物言いがうっとうしい。

タカシ(というのがボーイフレンドの名前だった)とは絶対に家には電話しないと約束していたし、それ以外ならどうでもいい。

どうせ明日の体育の授業がなくなったとかそういう話だと思っていた。

 

でも、母は私を驚かせるのに成功した。

 

「イカリ君っていう子から」

 

「えっ?」

 

慌てて振り向く。

初めてまともに母親の顔を見た。

慌てた私にどこか満足しているような表情が、薄化粧のように張り付いていた。

 

「3回ぐらいあったわよ?

 …そうね、2時間ぐらい前からかしら

 まだ帰ってないって言ったら、また電話しますって」

 

 

      なんでっ…!?

      どうして、あの人から……?

 

 

「ケータイの番号、教えてあげようかと思ったんだけど、そんな事すると、勝手な事するなって、怒るから。

 同じクラスの子なんでしょう?

 ちゃんとこっちから……」

 

 

母はあれこれと話していたけれど、もうそれに答える余裕はない。

「ああ」とか「うん」とか、1つ2つ適当に口にして、急いで自分の部屋に立て篭もった。

 

ドアを閉めて、鞄を机の上に放り投げると、制服のままベッドに倒れこんだ。

 

 

 

 

 

 

 

      どうしよう?

      どうしよう?

      どうして電話が?

      決まってる。さっきの事だ。

      そうだ。それ以外なにがある?

      でもなんで?

      そんな事わかるわけない。

      また電話するって。

      かかってくるかな?

      もちろんかかってくる。

      どうしよう?

      どうして家の電話番号を?

      クラス名簿に決まってる。

      どうする?

      こっちから電話する?

      こっちから電話しないと。

      でも番号は?

      何言ってるの?

      ああそうだ。名簿だ。

      でも名簿はどこ?

      机の中よ。

      そう、右の引出しの一番上だ。

      でもどうしよう?

      なんて言う?

      なんて言われる?

      電話しないと。

      向こうからかかってくる。

      ああ。でもこのまま寝ちゃおうか?

      疲れてる?

      うん。すごく疲れてる。

      何言ってる?

      何考えてる?

      電話だ。

      電話。

      携帯は?

      鞄。

      鞄ね?

      電話よ。

      立たなくちゃ。

      制服にシワが。

      スカートに?

      スカートが。

      何が?

      立たないと。

      OK。立って、電話する。

      そう。電話。

      あの人に?

      そう。電話する。

      電話。

      碇君に。

      惣流さんに?

      綾波さん?

      何?

      まさかリカ?

      なんだ?

      かかってきたのは碇君から。

      だから碇君に?

      かかってくるのも碇君から。

      わかっているなら。

      わかってる。

      混乱してる?

      うん。混乱してる。

      混乱。

      だから電話。

      机、引出し、名簿。

      鞄、携帯、電話。

      その前に立ち上がる。

      立ち上がる?

      立たないと。

      立って、電話。

      それに名簿。

      かかってくる?

      かけないと。

      電話を?

      電話を。

      でも。

      だけど。

      どうする?

      どうしよう?

      どうすればいい?

 

 

 

 

 

 

 

 

             結局のところ

          私は

              電話の子機を持った母親が

         ドアをノックするまで

                 身動きさえも

            できないままで

           ただ

                 “蜂”たちだけが

             飛びつづけて

                       私は。

 

 

 

 

 

 

 

 

「もしもし…」

その声はかすれて、自分のものとは思えなかった。

 

『あ、もしもし。

 碇、シンジといいます』

 

「どうも……」

 

『すみません。遅くに、突然……』

 

彼はぼそぼそと落ち着いた声で急に電話した事を、じれったくなるほど丁寧に、謝った。

それはそれまでの私が知っている電話とは全く違うやり方で、ひどく戸惑わされた。

少なくとも、クラスメートに対して使うようなものではなかった。

その礼儀正しさは確かに好感が持てるものだったのだけれど、あまりに他人行儀で、なんだか寂しくも思う。

 

  この人は、私を、知らない……

 

曖昧な相槌の間に、ふと気が付く。

考えてみれば彼と会話するのさえ初めてなのだ。

 

  私が、この人を、知っている事も、知らない……

 

ベッドの端に腰掛けて、本棚に並んだ文庫本の背表紙をぼんやりと眼で追う。

 

彼もまた、言葉を捜しているのだと気が付くと、少し、ほんの少し、余裕にも似た気持ちが出てきた。

 

デジタルでどれほどクリアな音を再現しようとも、所詮お互いには触れ合う事のできない距離があって、眼の動きだとか、指先の振るえとか、繊細な息遣いとか、他にも数え切れないほどの事が伝わる事はない。

それでも彼の口調には、問いただそうとしたり、責めたりする様子はないと思えた。

だからこそ、私から言わなければならない。

 

 

「ええっと…あの、さっきは…」

 

『ああ、うん。その、アスカの事なんだけど……』

 

わかっていた事とはいえ、その少年の声で“彼女”の名前を言われると、体が揺れる。

 

「あの、あれは…」

 

何か言いかけて、言葉が喉に詰まる。

けれど、私の迷いを彼がやさしく遮る。

 

『あ、いや。アスカがね、会いたいって言ってるんだ』

 

「え…? 私に?」

 

『うん。それで、できたらどこかで会ってあげて欲しいんだ』

 

「えっと、今から?」

 

『うん。できれば。 …無理かな?』

 

「あ、いや、それはかまわないんだけど……

 でも、どこで?」

 

『…ん。そうだね。どこがいい?』

 

「どこがって言われても…」

 

『じゃあさ……』

 

彼はしばらく考えて、近くにある小さな公園の名前を口にした。

 

『あそこなら、場所もわかるし… いいかな?』

 

「あ、うん。わかった。

 ……じゃあ、今からそこに行けばいいのね?」

 

『うん。わるいけど、そうして欲しいんだ』

 

「ううん。じゃ10分か…15分で、行くわ」

 

『うん。じゃあ、15分後に、公園で』

 

「公園で、ね」

 

『それじゃ…』

 

  かちゃり。

 

たぶん彼は携帯ではなく、家の電話を使っていたのだろう。そんな音がした。

受話器を置く音さえも、礼儀正しく響いて聴こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

電話の子機を握り締めて、じっと見つめる。

規則正しい発信音だけがかすかに漏れ続けている。

その音と同じくらい、小さく小さく呟いてしまう。

 

 

    「リカ、お願い……!」

 

 

そこから立ち上がるために、そこにいない友人に助けを求める。

無意味な行動。

無意味な言葉。

なんにもならないとわかっていても、私はそうした。

そうしないわけにはいかなかった。

 

またしても、何も言えなくて、何もできなかったと、気づいてしまったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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どうも、Kitaです。

partDです。まだ、続きます。

ここまで読んでくださった方、その機会を与えてくださるみゃあ様、ありがとうございました。

それでは、失礼します。

01.3.25