風のあと
partG
*
惣流さんは唐突に身を翻した。
公園の隅にあるごみ箱に真っ直ぐ向かった。
手首のスナップをたっぷりと効かせて、空き缶を放り込んだ。
そのごみ箱は金網で作られたものだったから、とんでもなく大きな音がした。
(まるで世界が砕け散ったみたいに)
彼女はそのことを全く気にした様子もなく、元の位置に悠然と歩いて戻ってきた。
それを眺めていた。
私はどこかに置き去りにされたままで、自分がどこにいたのか思い出そうとしていた。
現在地を失ったままで、どうしようもなく、混乱していた。
致命的なその混乱の中で、ただ彼女のシルエットを目で追っていた。
ぼんやりと、他人事のように、私のどこかで感じていた。
まだ目が覚めてないんだ、と。
*
私は何とかして目の前にいる“蜂”に判って貰おうとした。
自分が苦痛を感じていること。 それはひどく不快であること。 原因は“蜂”にあること。
その“行為”を止めて貰いたいと真剣に思っていること。
私は私なりに誠意を尽くした。
*
短く、ため息のように、惣流さんが息をつく。
ぴくっ、と私の身体が無意識の内に反応した。
それに彼女は気付いたのかどうか。ただ淡々と言った。
「さてと…。そろそろ本題と行きましょうか?」
「……え?」
反射神経だけで問い返す。
まだ“その場所”に上手く馴染めずにいた。
「話があるって言ったでしょう?
こんな話をするためにわざわざ呼んだりしないわよ」
その声は落ち着いていた。
私は2、3回瞬きして、なんとかバランスを取り戻そうとした。
「あ…、うん。そうだよね」
ふっと彼女が笑う気配がした。
*
「なるほど。つまりあなたは“私”に飛んだり刺したりするな、と言いたいのね?」
目の前の“彼女”はとにかく頷いてはくれた。
「そうよ。さっきからそう言ってるでしょう?」
「なるほど」
「ねえ、本当にわかってる? 本当に、ものすごく、痛いのよ?」
「そうでしょうね」
*
「アンタをここに呼んだのはね…」
彼女はすっと背筋を伸ばす。
「アンタに謝っておこうと思ったからよ」
*
なにを…言っているの……?
*
「言っとくけど、アンタたちに、あの時に、言ったことにじゃないわよ?
ああいうことを平気で言うアンタたちは、うっとうしいと思ったから、そう言っただけなんだからね?」
彼女は肩をすくめてみせた。
「ま、それはそれとして、あの後、ちょっと取り乱しちゃったでしょ?
あれは、まずかったわ」
私には、まだわからない。
「あれは……うん…そうね、卑怯だった。
そのことを謝るわ。
悪かったと思ってる。
このアタシが泣いちゃうなんて、ね?
あの時、ああいうタイミングで、あんな風に、泣くべきじゃなかった。
アタシは、あんなことするべきじゃなかった」
彼女の言葉は慎重に選ばれ、とても大切に扱われていた。
私の言葉は、まだ出ない
*
「…だったらっ。刺されたら“痛い”って、わかっているならっ……!」
「しょうがないのよ」
怒気の篭った言葉にもその“蜂”は全く動じなかった。
「“私たち”は飛びたくて飛んでいるわけじゃない」
「“私たち”は刺したくて刺しているわけじゃない」
*
彼女は自分の言いたいことを言ってしまってからも、時間を残してくれた。
堂々と胸を張って立ち、昂然と私を見つめていた。
強い……
吐息だけが零れた。
彼女は私を責めているわけじゃない。
もちろん、許しなど求めているわけでもない。
この人は、強い……
それは、自分の意志で1ポンドの肉を差し出すことのできる強さだ。
法学博士もどきの小賢しい言葉遊びなど必要としない。
450
gでも、455gでもない。彼女の誇りは、それが正当なものだと自分で判断したなら、きっちり
453.59gの自分の肉を切り取ることができるだろう。
本当に、強い………!
*
おお カッサンドラ
貴女は神の言葉を聞く
まるで気が触れたよう
枝の間に間に飛び交わし 囀り続ける小鳥のよう
哀れな胸を イテュスよ イテュス と悲哀で満たし
災厄の茂みで死を嘆く 鶯よ
私は愚かで その意味するものは判らない
貴女の切ない言葉を聞けば 血の出る思い
痛みが走る
定めの傷が この身に深く刻まれる
神々が貴女に歌わせる 嘆きの調べよ
終わらせようとも その術さえ判らない
数多の辛苦に耐えた女
全てを見ることができる女よ
よくぞ 多くを聞かせてくれた
貴女は 本当に 誇り高き女
強き精神 気高き心の持ち主よ
なんと健気な
寧ろ私には憐れでならない
貴女の言葉は
*
遠いテレビの音が公園を通り過ぎていく。
たぶん素敵なバラエティー番組なのだろう。
言葉までは聞き分けられないけれど、賑やかな音楽と笑い声が響く。
そのヒステリックに誇張された笑い声は嘲笑。
私の無知と愚かさを嘲る。
私は彼女と決着を付けるために“ここ”に来たつもりでいたのだ。
自分は丸腰なのに“決闘”に助っ人を連れてきた、と恨めしくも思っていた。
道化にもほどがある。
彼女には、コルト・シングルアクション・アーミー『ピースメーカー』なんていらない。
私を倒すのに44口径の弾丸を消費する必要なんかない。
裁こうとするとする意思さえも必要としない。
ただ“彼女”を垣間見ただけでもわかる。
獣たちが、それを始めて見るものであったとしても、炎を危険だと一目で見抜くように、はっきりとわかる。
全ての虚構を薙ぎ払い、全ての虚栄を燃やし尽くす。
彼女がそのつもりなら、葬儀屋の棺桶さえ無用だ。
彼女がそのつもりなら、私など掠めただけで粉々に砕け散って、埋めるものなんてなにも残らないだろう。
*
「どうしてよ? じゃあどうして“あなたたち”は飛ぶのよ?どうして刺すのよ?」
「知らないの? わからないの?」
“蜂”は私に問い返してきた。
「わからないわよっ」
*
逃げ出すことさえできない私に、彼女は十分に我慢していてくれた。
けれど、永遠にというわけじゃない。
「ま、言いたかったのはそれだけよ」
そう言って、その時間を打ち切った。
大きなスライドで颯爽と私のすぐ横を通り過ぎ、彼女を待つあの2人の処へ帰って行った。
そうと気付いた時には、柑橘系の香りを纏った栗色の後ろ髪が、視界の端で翻っていた。
ああ、まただ。 また、なの? また、どこかにいっちゃうの?
*
「そう命じられているからよ」
「命じ…って……」
“彼女”の言葉は本当に簡単だった。
「誰? 誰がそんなことをっ……!」
「“女王”よ、もちろん」
「そんな。でも、それだけで…」
「“蜂”は“女王”には従うものよ。……知っているでしょう?」
*
「…って」
咄嗟に、擦れ声を投げつけた。
その背中は遠い。
その時にはもう、惣流さんは綾波さんと碇君に合流していて、今にも立ち去ろうとしていた。
「待ってっ…。ちょっと待って……」
綾波さんが気がついてくれた。
背中を向けた惣流さんの肩越しに私を見て、小首を傾げた。
小走りで駆け寄りながら、縋るように繰り返した。
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「ねえ、待って。ちょっと待ってよ……!」
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どうも、Kitaです。風のあと第7回です。
これを読んで下さっている皆様、もう少しお付き合い下さい。
02年も宜しくお願いします。
それでは、失礼します。
(
02.01.14)